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4-2 ゼリーサラダ
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「この家、知ってる?」
工程が進んで余裕が出てきたのか。洗い物を片付けるキラに、じゃがいもの茹で具合を確認するため、フォークで刺しまくっているロエから声がかかった。
問われた内容に、少しキラは悩む。
「場所、知ってる」
追加の言葉で、先程から調理器具などの置き場所に迷っていないことを言われているのだと分かる。
洗ったボウルをラックに伏せ、キラは小さく口の端に笑みを乗せた。
「ここに、住んでいました」
過去を懐かしむ表情は和らぐ。
けれどロエが目を見開いていることに気づき、キラは珍しく慌てて否定を口にする。
「違います。女、男、違います。ロエ様と、室長代理です」
伝えきれなかったらしく、ロエは疑問の表情になる。
言葉を探して、キラは思いついたかのように大急ぎで洗い物を片付けた。手を拭き、ロエに近づく。
「ロエ様がお嫌でなければどうぞ」
差し出す右手はエスコートを待つかの如く、宙に。
「ロエ様も繋がれると、お聞きしております。どうぞ、わたくしの過去をご覧くださいませ。何か、貴方の良き選択のため、役に立つこともございましょう」
ほとんどロエには通じていなかった。ただキラは穏やかに待っていて。伝えたい何かがあるのだと感じ取る。
そっとその手に、下からすくい上げるように触れた。
薄暗い空間に、幼子は座っている。
三面を漆喰の壁に囲まれ、幼子は無感動な瞳を唯一壁のない方へと向けている。そこにあるのは木製の格子で、向こうに見えるのは廊下だ。何の気配も今はない。
変化はいつだってそちら側から来るので、幼子は畳に足を抱え込んで座り、そちらに意識を向けている。
どれだけ時間が経ったか、外が見えないここでは測りがたいながら、幼子の知るとおり廊下から変化が来た。白い小袖に、白い袴、足袋まで含めて白い装束の人間が三人、座敷牢の前で跪く。
「お役目の刻にございます」
その音に、初めて耳にする言葉というものに、幼子は少しだけ反応を見せる。今まで、食事の世話でも、身支度の世話でも、誰一人幼子に言葉をきかせるものはいなかった。
「……ぅ……ぁ……」
けれど、産まれた時から無垢であれと、この世の汚れと無縁であれと育てられてきた幼子は、ただ喉から掠れた音しか出せない。祈りも呪いも、どちらもただただ空虚であることを求められた幼子には、口にできない。
座敷牢の戸が開かれる。
元々幼子の身は清潔に保たれていたが、更に入念に磨かれ、他の者と同じ白い装束に着替えさせられる。
一気に増した変化の量に幼子はもう疲労しきっていたが、変化はそれで終わらなかった。
音、感触、匂い、味、──光。
連れ出された外で、幼子は産まれてからこれまでを超す変化に晒された。
強く雨が地面を叩き、灰色の雲に雷が走る。支えられて歩く足元はぬかるみ、整えられた髪を一瞬で崩した雨粒は頭から伝って口にも入る。
世界の変化の数に、幼子は圧倒される。
「祈羅が氏族が奉る──」
辿り着いた崖上で、両側から支えられて幼子は立つ。その眼下には、濁流うねる川がある。
「──畏み畏み申す」
お役目と、幼子に伝えた人間が、長い祝詞の最後を結ぶ。幼子は、ただただずっと変化し続ける川を見つめていた。
鈴が鳴らされる。激しい雨音をも裂くような清静な音色で。
鈴の音が、止む。
己の身体が宙を舞っていることを、幼子は認識できなかった。目まぐるしい変化の最後は天地もなく揉みくちゃにされる感覚。
それを最期に、生贄は生涯と役目を終えた。
手を触れさせたまま、キラは語る。
「わたくしもまた、室長代理に世話役を担っていただきました。ロエ様とは異なり、常識の定着に問題はございませんでしたが、まずもって言語を使うという土台が欠けておりましたので」
幼子の前で男がしゃがみ、目を合わせている。
「僕の名前は、カキア」
概念と知識は、たった数年だった生前を塗り潰す勢いで幼子の頭に植え付けられていた。
けれど、自ら変化を起こす意志が幼子には根本的に欠けている。
「言える? カキア。カ、キ、ア」
意味は通じる。投げかけられている行為は分かる。それは常識で、人間として当たり前のこと。
でもなぜ、それが必要なのか。
言葉が、なぜいるのか。
「……カ……ィ……ァ……」
最期と変わらぬ貧弱な声帯で、幼子は模倣で音を紡いでみる。喉は開かず、舌は回らない。繰り返される手本には到底至らぬ音は、それでも幼子が口にした最初の言葉になる。
「はい。呼んでくれてありがとうね」
感謝と同時に手を取られ、男の両手に包まれる。知らない感触に、幼子は身を固くする。男の手は大きくて、自分のそれより硬くて、そして温かい。
「名前を呼ばれたら僕は応えます。困った時、振り向いてほしい時、何でもないけど呼びたい時、僕の名前を呼んでね」
言葉をただ受け取る。幼子は表情一つ変えず、頷き一つ返さない。未だ交わす意思を持たない。
でも、包まれたままの手は、ずっと温かい。
「君の名前はどうするか。……コレは、家名だしなぁ」
カキア。心に反復する。名前。呼べば、応えてくれると男は言う。それは幼子自身が世界に変化を起こせるということ。
音、言葉、言語。
「……ぃぁ……」
意識の隅に捉えていた音。今と違い、幼子には意味さえ分からなかった生前の言葉の一つ。その音が教えられた音と重なって、幼子は発声する。声はほとんど出ず、聞いたはずの音は再現できていない。
なのに、男は手を触れたまま、知っているかのように言う。
「いいの、それで」
問いであることは知っている。確認。なぜ問われるのかは分からない。
男の名のカキアと音が似ていると思ったから、幼子は口にした。
「……まぁ覚えてる音の方が都合はいいか。変えたくなれば変えればいいし、とりあえずってことで。じゃあ、君の名前は祈羅。今日から僕、カキアは、キラのお世話係だ」
鍋で沸騰する湯の音がボコボコと続いている。
「本当に、苦労をおかけしました」
「……嫌?」
伺うロエに、キラは笑みを浮かべてみせる。
「過去、現在、どちらを取っても嫌ではありません。あの時代あの場所、供物の生は決して憐れむほど非業ではございません。それは憐れむ側が高次元を気取る、傲慢というものでしょう。人生の優劣など、誰に決められるものでもございません」
つらかったか、悲しかったか、思い返してもキラはよく分からない。死んだ時、何の未練も恨みも、キラにはなかった。純であれと、周りに望まれたそのままに。人という器に、何も満たさず終わった。
「わたくしはただ、あの時ああ在った。そして今は言葉を交わす日々。明日になれば神様の気まぐれで、孤独こそ至上の世界に変わるかもしれない。それを思うとただただ、すべてをおもしろく思っているのです」
キラはそう言って、今、笑っていた。空の器であったからこそ、そこに満たされるものすべてを楽しんでいられる。
ロエはうずうずして、キラの手を離した。
「きゃっ、えっ、ロエ様!?」
それからキラに抱きついた。キラの体は小さく、ロエの腕で中にすっぽり収まってしまう。少し配慮はあるものの、それでも感情を堪えられない様子でロエは強く抱き締める。
難しすぎる言葉は、手からの繋がりで補足されていた。直接伝達される情報は、雄弁を通り越して煩雑ですらある。けれどその膨大な情報の中の一点に、なるほどと納得した。
ロエもまた、生前を厭うてはいないのだ。
だって。
「──それは僕達時代の常識でもアウトな奴だよね」
服の襟首が引っ張られ、首吊り状態になって、反射的にロエはキラを抱いていた腕を離した。首元に手をやり、締め上げてくる服の隙間に指を入れる。その体勢で振り返った。
「カキア?」
「はい、僕だね。女性に無理矢理迫るのはよくないよ。仮に脈ありで迫るにしても、時と場合と場所は選ぼうね。《俺がいるのに何やってんだ》」
キラの短い悲鳴に即座にキッチンへ乗り込んできたカキアは、容赦なくロエの頸部圧迫を続ける。
「あの、ロエ様は多分興奮か、何か、その、感極まってという形で、決してわたくしにそういう意図で抱きつかれたのではなくて」
珍しくキラも慌てる。庇おうとはするが、実際ロエが何を考えているのかはキラにも不明で、舌の滑りは悪い。
「駄目なものは駄目。それでほぼ全裸で抱きつかれた僕が言います。駄目なものは駄目」
庇いようのない事実が飛び出して、キラは諦めに目を閉じる。
再び目を開く時には、知性を取り戻してカキアに対する。
「では、マッシュポテトがスープにメニュー変更してしまいますので、お説教の時間は後といたしましょう」
ぐつぐつと、鍋はずっとじゃがいもを煮続けている。
「その時、室長代理が始末書の修正を終えている前提ですが」
沈黙が落ちる。
湯気のぼる鍋に目をやって、それから襟首を引いているロエの後頭部を見て、何度かその往復を繰り返した結果、カキアは手を離した。
解放されてロエが咳き込む。
「同意のない身体接触禁止。《二度と不躾に触るな》」
指をさして釘を刺し、カキアはリビングに戻っていった。
咳き込むロエの背を、キラがさする。
息が落ち着いてきた頃に、ロエがぽつりとこぼす。
「怒った」
「怒ったというよりは、室長代理はお優しいので、過剰な防衛行為、いわゆる過保護といったところかと」
「キラ、嫌だった?」
「今の状況に限っていえば、嫌ではございませんでした。ただ驚きましたので、あまり女性相手にしない方が良いのはそうかもしれません」
「ごめんなさい……」
「はい、気を付けましょうね。では、マッシュできるうちにじゃがいもをあげてしまいましょう。そろそろキャセロールの方も、オーブンの中でミートローフの横に並べましょうか」
停滞していた工程を挽回すべく、キラは段取りを再開した。
工程が進んで余裕が出てきたのか。洗い物を片付けるキラに、じゃがいもの茹で具合を確認するため、フォークで刺しまくっているロエから声がかかった。
問われた内容に、少しキラは悩む。
「場所、知ってる」
追加の言葉で、先程から調理器具などの置き場所に迷っていないことを言われているのだと分かる。
洗ったボウルをラックに伏せ、キラは小さく口の端に笑みを乗せた。
「ここに、住んでいました」
過去を懐かしむ表情は和らぐ。
けれどロエが目を見開いていることに気づき、キラは珍しく慌てて否定を口にする。
「違います。女、男、違います。ロエ様と、室長代理です」
伝えきれなかったらしく、ロエは疑問の表情になる。
言葉を探して、キラは思いついたかのように大急ぎで洗い物を片付けた。手を拭き、ロエに近づく。
「ロエ様がお嫌でなければどうぞ」
差し出す右手はエスコートを待つかの如く、宙に。
「ロエ様も繋がれると、お聞きしております。どうぞ、わたくしの過去をご覧くださいませ。何か、貴方の良き選択のため、役に立つこともございましょう」
ほとんどロエには通じていなかった。ただキラは穏やかに待っていて。伝えたい何かがあるのだと感じ取る。
そっとその手に、下からすくい上げるように触れた。
薄暗い空間に、幼子は座っている。
三面を漆喰の壁に囲まれ、幼子は無感動な瞳を唯一壁のない方へと向けている。そこにあるのは木製の格子で、向こうに見えるのは廊下だ。何の気配も今はない。
変化はいつだってそちら側から来るので、幼子は畳に足を抱え込んで座り、そちらに意識を向けている。
どれだけ時間が経ったか、外が見えないここでは測りがたいながら、幼子の知るとおり廊下から変化が来た。白い小袖に、白い袴、足袋まで含めて白い装束の人間が三人、座敷牢の前で跪く。
「お役目の刻にございます」
その音に、初めて耳にする言葉というものに、幼子は少しだけ反応を見せる。今まで、食事の世話でも、身支度の世話でも、誰一人幼子に言葉をきかせるものはいなかった。
「……ぅ……ぁ……」
けれど、産まれた時から無垢であれと、この世の汚れと無縁であれと育てられてきた幼子は、ただ喉から掠れた音しか出せない。祈りも呪いも、どちらもただただ空虚であることを求められた幼子には、口にできない。
座敷牢の戸が開かれる。
元々幼子の身は清潔に保たれていたが、更に入念に磨かれ、他の者と同じ白い装束に着替えさせられる。
一気に増した変化の量に幼子はもう疲労しきっていたが、変化はそれで終わらなかった。
音、感触、匂い、味、──光。
連れ出された外で、幼子は産まれてからこれまでを超す変化に晒された。
強く雨が地面を叩き、灰色の雲に雷が走る。支えられて歩く足元はぬかるみ、整えられた髪を一瞬で崩した雨粒は頭から伝って口にも入る。
世界の変化の数に、幼子は圧倒される。
「祈羅が氏族が奉る──」
辿り着いた崖上で、両側から支えられて幼子は立つ。その眼下には、濁流うねる川がある。
「──畏み畏み申す」
お役目と、幼子に伝えた人間が、長い祝詞の最後を結ぶ。幼子は、ただただずっと変化し続ける川を見つめていた。
鈴が鳴らされる。激しい雨音をも裂くような清静な音色で。
鈴の音が、止む。
己の身体が宙を舞っていることを、幼子は認識できなかった。目まぐるしい変化の最後は天地もなく揉みくちゃにされる感覚。
それを最期に、生贄は生涯と役目を終えた。
手を触れさせたまま、キラは語る。
「わたくしもまた、室長代理に世話役を担っていただきました。ロエ様とは異なり、常識の定着に問題はございませんでしたが、まずもって言語を使うという土台が欠けておりましたので」
幼子の前で男がしゃがみ、目を合わせている。
「僕の名前は、カキア」
概念と知識は、たった数年だった生前を塗り潰す勢いで幼子の頭に植え付けられていた。
けれど、自ら変化を起こす意志が幼子には根本的に欠けている。
「言える? カキア。カ、キ、ア」
意味は通じる。投げかけられている行為は分かる。それは常識で、人間として当たり前のこと。
でもなぜ、それが必要なのか。
言葉が、なぜいるのか。
「……カ……ィ……ァ……」
最期と変わらぬ貧弱な声帯で、幼子は模倣で音を紡いでみる。喉は開かず、舌は回らない。繰り返される手本には到底至らぬ音は、それでも幼子が口にした最初の言葉になる。
「はい。呼んでくれてありがとうね」
感謝と同時に手を取られ、男の両手に包まれる。知らない感触に、幼子は身を固くする。男の手は大きくて、自分のそれより硬くて、そして温かい。
「名前を呼ばれたら僕は応えます。困った時、振り向いてほしい時、何でもないけど呼びたい時、僕の名前を呼んでね」
言葉をただ受け取る。幼子は表情一つ変えず、頷き一つ返さない。未だ交わす意思を持たない。
でも、包まれたままの手は、ずっと温かい。
「君の名前はどうするか。……コレは、家名だしなぁ」
カキア。心に反復する。名前。呼べば、応えてくれると男は言う。それは幼子自身が世界に変化を起こせるということ。
音、言葉、言語。
「……ぃぁ……」
意識の隅に捉えていた音。今と違い、幼子には意味さえ分からなかった生前の言葉の一つ。その音が教えられた音と重なって、幼子は発声する。声はほとんど出ず、聞いたはずの音は再現できていない。
なのに、男は手を触れたまま、知っているかのように言う。
「いいの、それで」
問いであることは知っている。確認。なぜ問われるのかは分からない。
男の名のカキアと音が似ていると思ったから、幼子は口にした。
「……まぁ覚えてる音の方が都合はいいか。変えたくなれば変えればいいし、とりあえずってことで。じゃあ、君の名前は祈羅。今日から僕、カキアは、キラのお世話係だ」
鍋で沸騰する湯の音がボコボコと続いている。
「本当に、苦労をおかけしました」
「……嫌?」
伺うロエに、キラは笑みを浮かべてみせる。
「過去、現在、どちらを取っても嫌ではありません。あの時代あの場所、供物の生は決して憐れむほど非業ではございません。それは憐れむ側が高次元を気取る、傲慢というものでしょう。人生の優劣など、誰に決められるものでもございません」
つらかったか、悲しかったか、思い返してもキラはよく分からない。死んだ時、何の未練も恨みも、キラにはなかった。純であれと、周りに望まれたそのままに。人という器に、何も満たさず終わった。
「わたくしはただ、あの時ああ在った。そして今は言葉を交わす日々。明日になれば神様の気まぐれで、孤独こそ至上の世界に変わるかもしれない。それを思うとただただ、すべてをおもしろく思っているのです」
キラはそう言って、今、笑っていた。空の器であったからこそ、そこに満たされるものすべてを楽しんでいられる。
ロエはうずうずして、キラの手を離した。
「きゃっ、えっ、ロエ様!?」
それからキラに抱きついた。キラの体は小さく、ロエの腕で中にすっぽり収まってしまう。少し配慮はあるものの、それでも感情を堪えられない様子でロエは強く抱き締める。
難しすぎる言葉は、手からの繋がりで補足されていた。直接伝達される情報は、雄弁を通り越して煩雑ですらある。けれどその膨大な情報の中の一点に、なるほどと納得した。
ロエもまた、生前を厭うてはいないのだ。
だって。
「──それは僕達時代の常識でもアウトな奴だよね」
服の襟首が引っ張られ、首吊り状態になって、反射的にロエはキラを抱いていた腕を離した。首元に手をやり、締め上げてくる服の隙間に指を入れる。その体勢で振り返った。
「カキア?」
「はい、僕だね。女性に無理矢理迫るのはよくないよ。仮に脈ありで迫るにしても、時と場合と場所は選ぼうね。《俺がいるのに何やってんだ》」
キラの短い悲鳴に即座にキッチンへ乗り込んできたカキアは、容赦なくロエの頸部圧迫を続ける。
「あの、ロエ様は多分興奮か、何か、その、感極まってという形で、決してわたくしにそういう意図で抱きつかれたのではなくて」
珍しくキラも慌てる。庇おうとはするが、実際ロエが何を考えているのかはキラにも不明で、舌の滑りは悪い。
「駄目なものは駄目。それでほぼ全裸で抱きつかれた僕が言います。駄目なものは駄目」
庇いようのない事実が飛び出して、キラは諦めに目を閉じる。
再び目を開く時には、知性を取り戻してカキアに対する。
「では、マッシュポテトがスープにメニュー変更してしまいますので、お説教の時間は後といたしましょう」
ぐつぐつと、鍋はずっとじゃがいもを煮続けている。
「その時、室長代理が始末書の修正を終えている前提ですが」
沈黙が落ちる。
湯気のぼる鍋に目をやって、それから襟首を引いているロエの後頭部を見て、何度かその往復を繰り返した結果、カキアは手を離した。
解放されてロエが咳き込む。
「同意のない身体接触禁止。《二度と不躾に触るな》」
指をさして釘を刺し、カキアはリビングに戻っていった。
咳き込むロエの背を、キラがさする。
息が落ち着いてきた頃に、ロエがぽつりとこぼす。
「怒った」
「怒ったというよりは、室長代理はお優しいので、過剰な防衛行為、いわゆる過保護といったところかと」
「キラ、嫌だった?」
「今の状況に限っていえば、嫌ではございませんでした。ただ驚きましたので、あまり女性相手にしない方が良いのはそうかもしれません」
「ごめんなさい……」
「はい、気を付けましょうね。では、マッシュできるうちにじゃがいもをあげてしまいましょう。そろそろキャセロールの方も、オーブンの中でミートローフの横に並べましょうか」
停滞していた工程を挽回すべく、キラは段取りを再開した。
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