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<6・臥薪嘗胆>

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 補助魔法と言っても、種類は数多く存在している。広義の意味では防御魔法もそこに入ってくるだろう。
 その全てを扱えるのは、数多くのジョブであっても白魔術師だけであるはずだ(黒魔術と白魔術を両方扱えるジョブなどもあるが、そういったジョブは広く浅くしか使えないのが典型であるからだ)。ケントは残念ながら回復魔法が使えないというポンコツぶりであったが、とにかく補助魔法だけは他の白魔術師ジョブの友人知人よりも得意であったりする。理由は自分自身でもよくわかっていないけれど。

「短剣を“切れる”ようにするって、どういうこと?」

 ケントはまじまじと、錆びた剣を見つめる。確かに、ここまで劣化しているともなれば、普通の剣よりもよほど耐久力は落ちていることだろう。それでも、鋼は鋼。腕力に長けた剣士や騎士のジョブでもない自分が、何の変哲もない己の短剣でそれを切ったり砕くようにするなど、普通は不可能だと言っていい。
 そう、魔法の力さえなかったのなら。

「補助魔法の特性ってようは、対象のステータスを大きく上げる、下げるってのが主になるよね」

 理解が追いついていないケントに、リリーが魔道書を指し示しながら言う。

「例えば物理防御力を上げる“Protect”。あれも、ようは魔法の防御壁を上げることによって、モンスターの攻撃を防いでるってことになる」
「まあ、そうだな」
「逆に、敵に対して使う魔法もあるよね。物理防御力を下げる魔法。“Fragile”なんかがそれに当たる。敵の装甲を魔力を流し込むことで弱める……んだっけ。わたしは魔法の才能がちっともないから、そのへん本に書いてあることしかわかんないんだけど」
「大体その認識であってる。攻撃は攻撃だけど、相手にそれそのものでダメージを与えるわけじゃない。魔力の玉を飛ばして、その相手に魔力で影響を与えて防御力を下げに行くってところだから」

 そう、白魔法というものにも一応“攻撃”に属するものがないわけではないのである。それが決定打にならないために、基本的には全て“補助魔法”には分類されることになるのだが。
 と、ここまで考えてやっとケントも理解が及んだ。それをつまり、この錆びた剣を相手にやってみろ、と言いたいのだろう、彼女は。

「た、確かに。“Fragile”を使えば、理論上はどんな防御も壊すことが可能になるけど。でも、下げるっていったって限界があるんだよ?何も、鋼がスポンジになるわけじゃないんだから」

 言いたいことは、わかる。でも、敵全体に流れる魔力の流れを阻害することによって防御力を下げるのであって、物質そのものを転換させるわけではないのである。
 もっと言えば、相手が無機物である方が難しいのだ。この世界ではどんなモノであっても魔力は大なり小なり流れてはいるが、有機物の方が圧倒的にその量も多くて読みやすいのである。無機物は、流れている量が極めて微弱。それを読み取り、防御力を弱めるのも当然難しい。魔力が強く集まれば装甲は固くなり、流れが滞ったり減ったりすればもろくなる。それは、どんな物体にも等しく言えることではあるのだが――。

「最終的に、わたし達が相手にしないといけないのは鉄壁の防御力を誇る魔王なんだってば。今までの勇者達が、どうして魔王を倒すことができなかったのかわかる?魔王が油断しているうちに勝負を決められなかったから。その防御を崩すことができなかったからだよ。確かに鋼の鎧をスポンジにすることはできないかもしれないけれど、補助魔法の使い方氏第では限りなくそれに近づけることもできると思うの」
「使い方氏第……」
「そう。魔王本人の防御力は下げられても、鎧の防御力を下げられなかったから撃ちぬけなかったってことだと思う。つまり……無機物の防御力をも自由に下げられるようになったら、魔王を倒す糸口も見つかるんじゃないかって思うんだよね。……どう?」
「…………」

 それは、一理あるかもしれない。ケントは本をベンチに置くと、リリーが立ててくれた一本の剣をまじまじと見た。
 本当に勇者になり、魔王を倒したいと願うならば。失敗した先人達と同じことをするだけでは、きっと意味がないのだろう。彼らにもできない攻略法を、どうにかして編み出すしかない。回復魔法も使えないポンコツの自分だけれど、だからこそ得意の補助魔法を生かして活路を見出すこともできる――そう思ってもいいのだろうか。
 勿論、あくまで理論上は、の話。無機物――魔王がまとっている鎧そのものの防御力を大幅に下げることができれば、魔王がナメプをしているうちに一気に勝負をつけることも可能になってくるのかもしれないが。

――えっと、相手の魔力を読み取って阻害する……ってのが大事なんだよな。無機物相手じゃやったことないし、うまくできるかわからないけど……。

 最初は、手を触れていろいろやってみることにしよう。ケントは錆びた剣の柄にそっと手を触れ、目を閉じることにする。無機物に流れる、微弱な魔力を細かく読み取って掴み取る。まずは、そこから始めなければいけない。

――見える。

 ごくり、と唾を飲み込む。全く読み取れなかったらどうしようと思ったが、幸い眼を閉じると同時に触れている錆びた剣に宿った魔力を瞼の裏に描くことができた。当然だが、物理攻撃のジョブよりもずっと、魔術師系の方が魔力を読み取ることは得意である。己の魔力の流れと敵の魔力の流れ、それを理解していなければ魔法を正確に放つことなどできないからだ。
 敵の魔力、自分の魔力。それを見る眼は、正確に言えば視覚とは違うもの。第六感、と呼ぶ人もいる。魔術師の眼、なんてかっこいい呼び方もある。他の情報をシャットアウトした方がよく“見える”ものなので、眼に頼ったものでないことだけは確かだろう。
 真っ黒な空間の中、脳裏に浮かび上がるぼんやりとした剣の輪郭。それを、淡くぼんやりと魔力が揺らめきながら取り囲んでいるのがみえる。さながら、消え入りそうな小さな炎のようなもの、といった印象だ。やはり圧倒的に、生き物よりも魔力が弱い。手で触れると、それだけで吹き飛んでしまいそうなほどに。
 その“炎”の色は、対象によってまちまちである。文字通り、真っ赤に燃える炎のごとき色であることもあれば、真っ白であったり真っ青であったり。時には、複数の色がまざりながら揺らめいていることもある。無機物ならば、それを作った人間の魔力が残り香としてまとわりついているのではないか――なんてことを考えたこともあるが、真相は定かではない。
 確かなことは、無機物であってもその“炎”はまるで血液のように、対象の中でゆっくりと循環しているということである。人間の場合は、持ち主の感情によってその流れが早くなったりゆったりになったりする。無機物は、よほど劣化が進まなければあまり変わらないような気がするが、実際はどうであるのだろうか。

――見ることは、できるけど。こんな小さな魔力、掴むことができるんだろうか。

 自分も対象に対して魔力の糸を伸ばし、それをそっと絡め取ろうとしてみる。補助魔法が得意なケントは、比較的この作業も得意であるという自負があった。敵の魔力の流れを正確に掴み取ることができないため、同じ魔術師系であっても黒魔術師はあまり補助魔法が得意ではないと聞く。実際、グレイスも補助魔法は中級程度までを扱うのが精々であったはずである。

――そっと、そーっと……あっ!

 糸を手のように伸ばし、剣に纏わりつく魔力に触れた瞬間。儚すぎるそれはするりと糸を抜け、まるで霧のように霧散してしまった。

「ああ……これ、難しいよリリー。思ってた通り……というか、思ってた以上に」

 眼を開き、ケントは溜息をついた。ただ剣に触れて意識を集中させただけだというのに、随分と全身が疲労している。想像以上に神経を使う作業だった。失敗した上、これを戦闘中に行うとなると――果たしてどれほど繊細な作業、高い集中力が求められることになるのだろうか。

「短剣の魔力の流れを見る、ことまではできるんだけど。その流れを掴み取ることが全然できない。触れただけで霧散してしまう。無機物の魔力は、人間と違って儚すぎる」
「やっぱりそうなんだ。普通の人であっても、潜在的な魔力は宿ってるもんね。勇者や兵士を志さない一般人でも、魔法を使って日常生活に役立てるくらいはしてたりするし」
「そう。理屈はわかるけど、これを成功させるとなると……」

 一体どれほどの時間がかかるかわからない。既に、ケントは心がくじけそうになっていた。確かに、絶対無敵、鉄壁の防御を誇る魔王を倒すには、それくらいのスキルがなければどうにもならないのかもしれないが。

「時間がかかっても、いいんだよ」

 するとリリーは、いつになく真剣な眼をして言った。

「付け焼刃や、中途半端な力で挑んでも……良い結果なんか絶対出ないの。それは、どこかで必ず歪みを産む。魔王はもう何人も、賢者の鏡を手に入れられるレベルの勇者達を倒してきているんだよ?つまり百戦錬磨。そんな相手が、生半可な力ゆえの隙を見逃してくれると思う?……致命傷を負って、取り返しがつかないことになってから……もっと頑張っておくべきだった、なんて後悔しても遅いの」

 まるで見てきたような物言いだった。彼女はベンチに置かれた魔道書を拾うと、それに目を落としてちょっとだけ寂しそうに笑って見せる。

「物語ではよくあるでしょ、神様のギフトによって……とんでもないチートな力を手に入れられる勇者とか。どんな敵でも一撃で殺せるとか、どんな相手の攻撃も通さない絶対防御力とか、世界をも支配できるほどの魔力を誇る……とか。でも、現実ではそんな人なんかいないの。みんなみんな、努力して頑張って自分の力を磨く。そりゃ、誰だって楽な方に逃げたいし、自分は天才なんだって夢は見たいものだと思うけど。実際近道なんかない。ちょっとずつちょっとずつ、自分にできることを頑張るしかないの」
「……そうだね。よく知ってる。……グレイスもそうだったし」
「でしょう?」

 先日の一件があるまで、グレイスは村の期待の星だった。歴代の黒魔術師の中でも一際強い魔力と、多彩な攻撃魔法を誇る戦士。学校の成績もオールマイティにできていた。きっと魔王をも倒せるぞ、天才が現れたぞ――どれほどの声が彼を褒め称えたことだろう。
 けれど、ケントは知っている。実際のところ、彼は天才などではなかった。涼しい顔をしているように見えて、見えないところで死ぬほど努力していたことを知っている。孤児院で個室を与えられてからは、夜中にトイレに起きると彼の部屋の電気がついていることが少なくなかった。魔法だって、迷惑がかからないように夜こっそりと道場でコントロールを実戦していたことを知っている。昼間に立ちくらみして倒れたせいで夜ふかしがバレ、学校や孤児院の先生に酷く叱られていたのも記憶に新しい。
 彼は普通の天才ではなく、努力の天才だった。
 だからこそ自分達はみんな、彼のことを尊敬していたのである。勇者としてチームを組むと決めた時も、彼をリーダーにすることに誰も異論はなかった。むしろ、彼以外にはないと誰もがそう思っていたのである。
 だからこそ――ああ、だからこそ。劣等生の気持ちは、誰よりグレイスがよくわかってくれているとばかり思っていたというのに。

「……そうだね。折れてる場合じゃない。こうしている間も、グレイスはもっともっと努力して、どんどん先に行ってるんだから」

 よし、と気合を入れ直すケント。リベンジ、という言葉が本当に正しいのかどうかはわからない。でもきっと、グレイスにリベンジしてやるくらいの気概がなければ。その背中に追いつくなど、一生かかっても無理なのだろう。

「焦っちゃ、ダメだよな。僕、やってみる。ありがとう、リリー」

 ケントの言葉に、どういたしまして、とリリーは笑った。
 まずは、もっと正確に魔力を見る訓練から始めなければ。同時に、リハビリをして一刻も早く全快する。急がば回れ、という言葉も世の中にはあるくらいなのだから。
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