追放勇者は愛されていた。

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<10・勇者失敗>

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 想像以上だった。予想外だった。――そんな言葉は、戦いにおいては言い訳にすぎない。想定できなかった己が愚かであったというだけなのだ。先人達は散々情報を残してくれていた。それを生かすことができなかった自分のなんとも情けないことか。考えるべきは指揮官であり、皆のリーダーである自分の役目であったというのに。
 グレイスは唇を噛み締める。努力も、訓練も、血が滲むほど重ねたつもりだった。それでも足りなかった――そんなこと、死んだ後で一体誰に言い訳をしようというのか。

『きゃあああ!!』

 果敢に魔王に向かって行こうとしたリセが吹き飛ばされ、闘技場の外へと叩き出された。まるでボールのようにぽんぽんと跳ね回り、用意されていた座席に突っ込んでいく。痛いだろうな、なんてことを考える余裕もなかった。バリアが張られたと感じた次の瞬間、凄まじい突風が吹き荒れる。

『く、くそっ……』

 必死で、自分とガイル、グレイスにバリアの魔法を張ってくれているケントが呻く。いくらケントが補助魔法が得意といっても、それはあくまで“人間のレベル”での得意だ。しかも三人にまとめてかけるとなると、どうしても一つあたりの精度は落ちる。魔王が起こす嵐の魔法を、一人だけで耐えきることはあまりにも困難だ。
 ぷしっ、と杖を掲げるケントの指先が血を噴いた。魔力の過剰放射の反動である。このままでは、彼の身体が持たない。

『全員後ろに飛んでダメージを受け流せ!ケント、俺が合図したらバリアを解除しろ!』
『で、でもグレイス!』
『このままじゃお前の魔力が尽きる、お前が倒れたら誰がみんなを守るんだ!!』
『――っ!』

 いつも、ケントはグレイスの命令に忠実だ。自分に対して絶対の信頼を寄せてくれていると知っている。だから、多少疑問を抱いても文句は言わない。グレイスの言うことはいつも正しい筈だと信じてくれているからだ。
 どんな魔法であっても、隙がないわけではない。特に嵐を起こす風系の魔法は、風圧に“ムラ”が出ることが多いことを黒魔術師であるグレイスはよく知っている。目の前でニヤニヤと笑いながらこちらを見下ろす、黒い甲冑の魔王。まだまだ余裕そうだというのが実に腹立たしい。

――くそっ……見てろよ!その余裕ぶっこいた顔、崩してやる!

 自分も黒魔術師。攻撃魔法の扱いならば、人一倍心得があるつもりなのだ。
 風が僅かに弱まる。その瞬間、グレイスは声を張り上げていた。

『今だ、解除!身をかがめて後ろに飛べ!闘技場の下へ滑り込め!』

 闘技場は少し高い台座の状態になっている。魔王と戦うのに適しているからこの場所が用意されただけで、普通の試合のように闘技場から飛び出したら即敗北ということはない。そして、観客席はあるが観客がいるわけではない(魔王は、自分と勇者との戦いを部下への見世物にしたいと思っていたわけではないようだ)。ならば、この環境も戦いに利用できるならば大いに利用するべきなのである。
 バリアが解除された瞬間、吹き飛ばされるのと同時に自身も後ろに飛んで、同時に闘技場の下に身を屈める。タイミングをうまく合わせることができたからか、なんとか三人とも大きなダメージを負うことなく闘技場の下に隠れることに成功した。
 ちらり、とグライスはリセの方を見る。彼女は完全に気絶してしまっているようで、ぴくりとも動かない。足首がややおかしな方向に曲がっているのが見えた――残念ながら、あれでは気絶から復帰させても、まともに戦うことは難しいだろう。そもそも、彼女を起こしに駆け寄る暇が今の自分達にはない。
 幸い、彼女と自分達三人は距離があり、魔王も気絶して実質戦闘不能になった勇者一人を集中攻撃する意図はないようだった。それもそうだろうな、とグレイスは思う。魔王はただ自分達で“遊びたい”だけだ。自分を絶対的に脅かす存在として、勇者を倒しにかかっているわけではない。そもそも自分の野望の邪魔をされたくないのなら、このようなやり方で自ら勇者を求める必要など一切ないのだ。勇者を募集し、勝負を受け負けたら世界を元に戻すなどと豪語したのは他ならぬ魔王である。
 自分達はあくまで、彼にとっては玩具の一つに過ぎない。
 その余裕と慢心こそ唯一の隙とも言えるが――実際綻びを見せることができるほど力の差が拮抗していないのというのが悲しい現状である。

『ここからどうするんだグレイス、いつまでも隠れてられないぞ!』

 やや小声でガイルが叫ぶ。

『第一、俺達三人がこうして凌いでばっかりいたら、魔王も飽きてリセを狙うようになる……!そうなったら、気絶してるあいつはひとたまりもないだろ!』
『そ、そうだよね。グレイス、どうするの?』
『…………』

 自分が決めなければならない。このまま撤退するなんて、退屈な決断を許してくれるような甘い相手ではない。大体歴代の勇者たちの記録を見ても、魔王がリトライを許したなんて話は聞かないのだ。

『……魔王は、あの黒くてデカい甲冑のせいで防御力が高いが……同じだけ視界も狭い。このまま闘技場の影に隠れて接近することは可能だろう』

 リセがいない今、成功率は下がるが。あとはもう、奇襲と波状攻撃にかけるしかない。
 あの鉄壁の防御力を崩すことができないとしてもだ。転ばせる、躓かせることができれば大きな隙ができる。そうすれば、甲冑のスキマに剣や魔法をブチ込むことも可能かもしれない。

『丸い闘技場のうち、一番魔王に近い背後まで回る役目がガイル。俺は一番遠い位置で待機。ケントは、俺の魔法に巻き込まれない位置ならどこでもいい、両者に気を配っていつでも補助魔法を発動できるようにしておいてくれ。俺が攻撃動作に入ったら俺に魔法強化、ガイルが攻撃動作に入ったら攻撃強化。直前でないと意味がない、魔法の気配で気づかれる。忙しないが、やれるか?』 
『わかった。やってみる』
『俺が魔法で攻撃してこっちに気を引く。その隙に背後から奇襲で魔王を攻撃しろ、ガイル。お前を巻き込まないように、雷属性の魔法を連打する方向で行くから』
『よし、わかった。それしかねえな』

 この瞬間のために、どれほど鍛錬を重ねてきたというのか。人々を玩具としか思っていない、人々で退屈しのぎをするためならば誰かを苦しめ傷つけることもいとわない魔王を――今ここで、倒す。そのために自分達は試練を乗り越えてきたのだ。このままおめおめと引き下がるわけにはいかないのである。
 指示を聞くやいなや、ガイルとケントが移動を開始する。グレイスはわかっていた。この奇襲攻撃、一番危険なポジションは囮役である自分であるということを。
 紙装甲、黒魔法しか取り柄のない自分は魔王の一撃であっさりと沈められてしまうくらいの体力しかない。それでも、魔王を倒すためならば命をも賭ける覚悟で此処にいるのだ。皆が代わりに魔王を倒してくれるのならば、なんら問題はない。死ぬその瞬間まで呪文を唱え続けるつもりだった。そして、皆も同じ覚悟であったとしても――危険を犯すなら自分であるべきとも思っていたのだ。
 自分はこのパーティのリーダーであるのだから。
 自分は皆の、兄であるのだから。

『いつまで隠れているつもりだ、雑魚ども。その程度の実力で勇者などとは片腹痛いぞ。歴代の戦士達は、もう少し骨がある連中だったのだがな……?』

 魔王の低く傲慢な声が響く。そんな事を言っていられるのも今のうちだ。隠れた状態で、グレイスは慎重に魔力を練る。素早く魔法を、簡単なスペルだけで繰り出す術は持ち合わせているが。それでも、時間をかけて練り上げた方が精度が上がるのは間違いないのだ。
 ガイルが配置についたのを見計らって、グレイスは魔力を解き放つ。

『“Triple-thunder”!』

 三連撃の、雷属性攻撃魔法を魔王の頭上から落とす。魔王は即座に気配に気づいて、甲冑を纏った腕を持ち上げてガードした。

『何のつもりだ?この程度の魔法で、私を倒せると本気で思っているのか?』

 せせら笑う魔王。さらに追撃を見舞うべく飛び出すグレイス。手を休めてはならない。少なくとも防御に徹している間、魔王は己の攻撃に転じることはできないはずなのだから。

『“Fire-storm”!』

 炎の渦を作り出し、敵にぶつける魔王。雑魚モンスターならば一瞬で消し炭にできる大技だ。いくら魔王でも、バリアを張って対処するしかないだろう。グレイスはそう判断し、追撃にこの魔法を選んだ。しかし。

「なっ!?」

 まさかの事態が、起きた。魔王はなんと甲冑の防御力に任せて、攻撃を避けるでもなくまっすぐに炎の渦に向かって突っ込んできたのである。魔王の腕のひとふりで、霧散する魔法の一撃。グレイスは動揺した。そして、完全に――次の行動への、判断が遅れてしまう。

『お前が指揮官だろう?お前を潰せば、このパーティは終わりだ』

 気づいた時には。真正面から、魔王の剣が迫っていた。それこそ、ガイルが攻撃を仕掛ける間もなく。

『死ね』

 ああ、自分もここまでなのか。グレイスは思う。自分を刺している間に、ガイルが魔王を倒してくれればまだ意味はあるはずだ――なんて、そんなことを考えた次の瞬間。

『グレイス!』

 力強く、突き飛ばされていた。闘技場から転げ落ちる瞬間、グレイスが見たものは――自分を突き飛ばし、代わりに魔王の剣に貫かれるケントの姿だった。

『け、ん』

 雨が降る。生ぬるい紅蓮の色を、グレイスは頭から被ることになった。強大な魔王の剣は、ケントの腹部を貫通し、血はおろか内臓までもを飛び散らせていたのだ。

『あああああ!』

 絶望から立ち直るのは、グレイスよりガイルの方が早かった。ケントを刺した状態では、そう簡単に引き抜いて次に攻撃に以降できない。魔王を倒す絶好のチャンスであることに間違いなかった。ガイルが後ろから必殺の一撃を見舞う。ケントを刺して、身をよじったせいでできた魔王の甲冑の隙間に、刃を通す形でもって。

『がっ!』

 魔王の顔が、初めて苦痛に歪む。恐らく、その一撃が通ったのは奇跡に近かったはずだ。だが、グレイスの目が捉えたものはそうして崩れ落ちていく魔王より、魔王の剣に貫かれてなお満足そうに笑う彼の顔だった。

『いいんだよ、これで』

 笑っていた。

『だって、これで……世界は平和ってヤツに、なるんだから』

 良いわけない。グレイスは絶叫した。果たして十五年の人生で、これほどの声で叫んだ事が一度たりともあっただろうか。

『ケント……ケント――!!』

 世界はその日、確かに救われた。
 一人の未来を、犠牲にして。
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