虚構の国のアリス達

はじめアキラ

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<第十一話・示された道標>

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 今のご時世、あれもこれも危ないから――と理由をつけて撤去されてしまうものは少なくない。アルコールランプもそのうちのひとつで、よその学校では既に備品として保管されていないところもあるという。この学校ではまだ時々使われることがある、のは実際に理科の実験で使った有純にはわかっていたことだった。

――ガスバーナーよりは安全だと思うんだけどなあ。アルコールランプの火なんか小さいし。

 パコ、と小さな蓋を被せれば簡単に火が消えることで有名なそれ。火というものは水を被せなければ消えないものなのだ、と信じていた有純は、初めてそれを見せられた時驚いたものだ。当たり前といえば当たり前で、酸素がなければものは燃えないなんてこと幼い子供が知っているはずもないのである。まあ、目の前の年齢迷子な幼馴染みは、幼稚園の頃から理解していてもおかしくないわけだが。

――確かこのへんに……。

 急がなければ、見回りの警備員が来るかもしれない。懐中電灯で照らしながら戸棚を探してみる。幸い、目当てのものを見つけ出すまでにさほど時間はかからなかった。元々場所を知っていたのもあるし、何個も同じ戸棚にズラッと並んでいて目立っていたというのもある。

「ていうか、戸棚に鍵かかってないんだけどいいのかこれ……」
「教室と窓の鍵だけかけておけば問題ない、って思ってるんだろ。だからガバガバなんだようちの学校は。アルコールランプやらマッチやらが盗まれる可能性なんて全く考えてない」
「いやでも夏騎、それは想定してなくても仕方なくないか?そんなもん盗んだって何になるんだよ、ネットで転売でもすんのか?そんな高値で売れるとは思えないけど……」
「そうだな、でも放火には使えるだろ?」

 そう言われて、思わず有純は夏騎を振り返り――まじまじとその顔を見つめてしまった。あっさりと恐ろしいことを言ってくれたのもそうだし、その発想がすぐ出てくることにも驚いたからだ。

「学校がムカつくから火をつけて全部なかったことにしちまえ!って奴も……ぶっちゃけ恨みもなにもないけど、むしゃくしゃして何でもいいから燃やしたくなっちゃって実行する馬鹿もこの世にはいるんだよ。常識的に考えて……とか、非効率的だからありえないだろ……なんてことは考えない方がいい」

 彼はあっさりと、暗い目で呟いた。

「まともなお前には分からないような腐ったモノや考えなんて、この世にはいくらでもある。……いくら社会が歪んでるからって、うまくいかないのを全部何かのせいにしたって……虚しいだけで、そこに未来なんかないのにな」

 確かに、前から頭のいい少年ではあったけれど。やはり、有純が知っている彼とは違うのだと実感させられた。
 アニメかなにかで以前、こんなことを言っていたキャラクターがいた。人はものを知るか、知らないまはまでいるかは選ぶことができる。ただし、知ってしまった人間が知る前の自分に戻ることはあまりにも難しいのだ、と。
 夏騎も知ってしまったのだろうか。以前の自分には戻れなくなるような、何かを。

「……俺は」

 マッチはアルコールランプ同様、簡単に見つけることができた。普通これらはセットで使うものだ。すぐ近くにしまってあると考えるのは自然なことだろう。

「俺は、そういうの考えられねぇや。俺だってむしゃくしゃすることもあるし、テストでひでぇ点取った後は家に帰るのダルいし……全部なくなっちゃえ!と思うことがないわけでもないけど」

 そう思ったところで、手段などないことをちゃんとわかっているのだ。
 人生に、ご都合主義のリセットボタンなど存在しないのだから。

「火をつけて全部燃やしても、本当の意味でゼロにできることなんか何もないだろ。何より……もし、恨んでも何でもない人がその場所にいたら?巻き込まれて死んだら?……焼けて死ぬのってすっげぇ痛いし苦しいって言うじゃんか、想像するだけで嫌になるよ。そう考えたらさ、そんな怖いことどうしてできるんだよ……」
「そうだな」

 有純からランプとマッチを受け取り、夏騎は頷く。

「だから俺は言ってる、お前は“まとも”だって。そしてその“まとも”を自分の意思で放棄してしまえるようになったら……俺はもう、そいつは人間とは違う“何か”だと思うんだ」
「人間じゃなかったら、なんだってんだ?」
「さあ。でもそれが本当の意味で……“狼”ってやつなのかもしれないな。あいつは……市川美亜は、狼をでっちあげてるつもりで……自分が真っ先に“狼”になってたことに気づいてなかった。それがある意味何よりも不憫だったと俺は思ってる。そこに自力で気づけてたら、あんな“天罰”なんて食らわなくて良かったかもしれないのにな」
「天罰……」

 アルコールランプに火をつける夏騎を見ながら、有純は複雑な気持ちになる。
 今はっきりと夏騎は、市川美亜の事故を“天罰”だと読んだ。つまり、神様にそうあるべきと罰を下されても仕方ないことを彼女はやったと、少なくとも彼はそう思っているということである。
 夏騎が正しいのかどうかなど、有純にはわからない。何故ならいじめの詳細をきちんと聞いたわけでもなければ、事故だってざっくり結果を知っているだけに過ぎないのだから。
 だから、善悪を論じる資格は自分にはないとわかっている。
 ただ考えてしまうだけだ。腕をちぎられ、目を潰されて生き地獄を味わうに相応しいほどの罪とは、一体どれほどのものであるのだろうか、と。

「見ろ」

 そんな有純をよそに、夏騎は炙った紙を見せてくる。

「地図が出てきた。やっぱり炙り出しだったんだ」
「ほんとだ……」

 似たような実験は自分も学校でやったことがある。檸檬の汁で絵を描いて、その紙を熱で炙ると絵がくっきりと浮かび上がってくるのだ。
 夏騎が持っている紙には、どこかの部屋の地図が描かれていた。シンプルだが、一部はっきりと文字が書かれている。

「これ……どこ?」

 有純が尋ねると、あっち、と夏騎は隣室を指差した。

「理科準備室だ、隣の」
「何でわかるんだ、夏騎」
「決まってる。文字が見えるか?この、カエルの標本があるのはそこしかないだろ」
「か、カエル……」

 そういえば、と有純は少し青ざめる。理科準備室に入ったことなど一度しかないが、それでもよく覚えているのだ。戸棚にズラズラと、何やら恐ろしいものが並べられていた光景を。そう、開きにされて内臓を露出したカエルなんてものもあったような。

――や、やめてくれって!グロ耐性はねーんだってば!

 絶対に見たくないし触りたくない。保存棚は見ないようにしようと固く心に誓う有純である。

「で、でも、理科準備室って、内側のドアも外側のドアも鍵なかったっけ?入れるのか?」

 出来れば入りたくないな、という気持ちをギリギリ隠して(隠しきれているかどうかはわからないが)有純は理科準備室のドアに近づいていく。理科準備室に入るには、理科室の方から繋がるドアを開くか、外の引き戸から入るしかない。が、普通に考えれば理科室を施錠した時、準備室も同時にチェックするはずである。
 と、思っていたのだが。

「……何故に開くの?」

 ガチャ、と音を立ててあっさり回るノブ。そこな、と夏騎から解説が入った。

「鍵が壊れてるんだよ、知らなかったのか」
「え、何で……」
「三年の時に、滝川と水谷の二人がふざけて鍵穴に砂詰めて壊した」
「…………馬鹿だろ?」

 ひっくり返りそうになる有純。そういえば、そのあたりの二人は学年でも有名なやんちゃ坊主だったと記憶している。どれくらい馬鹿なのかといえば、“職員室に呼ばれた回数が十回越えたぞ!”とピースしながら自慢してくるレベルの馬鹿どもである。
 まあ、叱られるのは本人たちの自己責任だし、人を傷つけるような悪戯はやらないような連中だ。俺知らねー、と放置していた有純も有純なのだが。

「外鍵が閉まるからいいと思って放置してるんだろ。鍵を直すにも金はかかるし。……有純、入らないのか?怖いなら俺が先に行くけど」
「こ、こ、こ、怖くなんかねーし!行くし!」
「怖いんだな」
「怖くねーつってんだろ!馬鹿!」

 真顔で突っ込まれて、売り言葉に買い言葉で返してしまった有純。もう後には引けない。そのまま大股で準備室に踏み込んでいく。
 途端、独特な薬剤の臭いが鼻について呻いた。しかもあまり掃除が行き届いていないのか、少々埃っぽい気がする。

「ちゃんと懐中電灯使え、転ぶぞ」

 有純の足元をライトで照らしながら、夏騎が告げた。

「地図通りなら、そこの一番左下の戸棚に……何かあるはずだ」
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