ジャクタ様と四十九人の生贄

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<19・籠城。>

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 学校の前にも、死体が転がっていた。頭と腕を派手に捩じられたその死体は灰色のスーツを着ている。名前はわからないが、なんとなく見覚えがあるような気がした。多分、学校の職員だろう。
 果たして本当に校舎の中は無事なのか、そして生きている人達は避難してきているのか。心配でたまらなかった花林であったが、校舎の玄関をノックするとすぐに返事があった。

「どちら様?」

 どうやら、玄関の前で見張っている人がいたということらしい。聞き覚えのある声は、自分達の担任の先生である安藤郁あんどうかおるのものだった。安藤先生がまだ生きていた。その事実だけで、思わず涙が零れそうになった花林である。

「わ、私です!平塚花林です!安藤先生、無事だったんですね……!」
「平塚さん!?」

 恐らく、靴箱の扉の前にはバリケードを作ってあったのだろう。ががが、と中で物を動かすような音がして、やがて玄関のドアの鍵が開けられた。中からひょっこり顔を出したのは、思った通り丸顔に眼鏡の女性である。
 安藤郁。三十代半ば、いつもにこにこと明るい先生だ。小学生組の勉強を見ることが多いが、クラス全体のまとめ役もこなしているために花林と話す機会も少なくない。
 小さな村の小さな分校というだけあって、この学校の先生の数はけして多くないのだった。クラスも、一時期は二クラスに分けてあったのが、今はまとめて一クラスで先生が勉強を見てくれることがほとんどである。

「良かった、良かったです平塚さん……本当に心配していたんですよ!」

 安藤先生は目に涙を浮かべながら、嬉しそうに花林を抱きしめてくれた。やがて花林の後ろにいる雫を見て、どちら様?と首を傾げる。
 雫もこの村の住人のようだが、どうやらあまり顔を認識されていないらしい。どうしてだろうと思ったら、雫が自ら頭を下げて説明に入った。

「初めまして、御堂雫です。仕事で村の外にいるか、神社の中にこもりきりになることが多かったので、皆さんはあまり私の顔を知らないのかもしれません。平塚さんにはお世話になっております」
「ていうか、私がお世話されてるの。雫さんは、私が使者に襲われてるところを助けてくれたんです。えっと雫さん、こっちは安藤郁先生。私達の担任の」

 双方に軽い紹介をする。この言い方なら多分、“お二人はどんな関係なの?”なんて尋ねられる心配もないだろう。
 しかし、神社の中にこもりきりになることが多いとはどういうことなのか。雫は普段どういう仕事をしているのだろうか。実際、花林は彼が“神社の関係者”ということしか知らない。教えて貰っていないとも言うが。

「御堂家の人?ってことは、あのアナウンスをした茅さんとかいう方は、貴方のおばあさんとか?」
「……そのようなものです。ですが、私は儀式に反対していますし、一人でも多く犠牲を減らしたいと思っているんです」
「そう、そうなの……」

 雫の言葉は、けして充分なものではなかった。しかし安藤は、彼女なりに飲みこんだのか、それ以上の質問をしてくる様子はなかった。
 そして雫の方も、今この場で細かな説明をする時間はないと思っているのだろう。すみませんが、とやや遮るような形で口を挟んだ。

「もし学校が安全というのなら、平塚さんを中で匿って欲しいのです。私は今から、平塚さんの弟である亜林君や、その友人である陸君、麻耶ちゃんを助けに行かないといけません。三人は、住宅地の方に取り残されている様子ですので」

 そう、本当は花林も一緒に行きたいのだが――行き違いになる可能性も踏まえて、雫一人が亜林たちを助けに行くことになっている。おかしくなった人がいて、身動きが取れない様子の彼等。事は一刻を争うだろう。

「それは大変ですね。……わかりました、よろしくお願いします。もちろん、平塚さんは私達が責任を持って預かります。大事な生徒を守るのは、教師の役目ですから」
「ありがとうございます。……それでは花林さん、私はあちらに向かいますので」
「は、はい。……よろしくお願いいたします」

 ぐだぐだと長く話すこともなく、雫はもう一度礼をしてそのまま早足で立ち去っていった。背は高いものの、けして屈強とはいえない背中を不安な気持ちで見守る花林。一緒にいた時間は極めて短かったが、彼といる時の安心感は絶大なものだった。使者と戦う力を持っていることもそうだが、何より“本気で自分達を助けようとしてくれている”というのが伝わってきたからだろう。
 同時に。なんとなく“とても心の綺麗な人ではないか”と直感できたというのもある。初めて会った筈なのに、初めてとは思えないほど信用したくなったとでもいえばいいのか。こうして離れてみると、一気に心細くなってくる。こんな相手は、今まで初めてだった。

「平塚さん」

 不安な気持ちで校庭を見つめる花林の肩を、ぽんと、安藤が優しく叩いた。

「御堂さんがどういう人なのかわからないけれど……平塚さんがそこまで信用する人だというのなら、私も信じます。とりあえず、中に入りましょう。今ね、校舎の一階の窓を全て打ちつけて塞いでいるところなんです」
「え?なんで……」
「決まっています。外敵から身を守るためです」

 言葉は穏やかだったが、彼女の目は厳しいものだった。

「来て早々悪いのだけれど、手伝ってくれると嬉しいわ。どうしても、人手が足りていないものだから」



 ***



 学校の中に、全ての関係者が集まっているわけではないようだった。教室の中には比較的小さな子供達が集められており、ある程度労働を任せられそうな小学校の高学年の生徒達と中学生以上の子供達は、避難してきた大人達と一緒になって廊下などで作業をしている状況にあったらしい。
 校舎の中には何やら良い匂いが漂ってきている。ミートソーススパゲッティの匂いだ、すぐに分かった。

「花林ちゃん!」
「あ、深優ちゃん……!」

 安藤先生に指示されるままベニヤ板を運んでいると、トンカチと釘を持った深優と遭遇した。彼女は花林の顔を見ると、顔をくしゃりと歪める。

「良かった、花林ちゃんが無事で……!連絡取れなかったから、もう全然わかんなくて!」

 スマホを家に置いて来ちゃったの、と深優は告げた。なるほど、彼女にLINEを送っても返事がなかったのはそういう物理的な理由であったらしい。

「お父さんとお母さんと一緒に、もう大慌てて家から逃げてきたの。あたし達が住んでる家に、突然変な化物みたいなのが襲ってきて。黒い身体に、白髪みたいな奴で……」
「そ、それって使者だよ!私もそいつに襲われたの!よく助かったね……!?」

 花林の言葉に、深優は何度もうんうんと頷いた。

「運が良かったんだと思う。お父さんが棚を倒してそいつを下敷きにして動きを封じたの。……あれが、使者ってやつなのね。素早いけど、あんまり頭は良くないみたいで……もがいているうちに家を脱出して逃げられたんだけど。だから、辛うじて着替えてたくらいで全然荷物とか持ってこれなくて。どうしようか途方に暮れてたら、学校で先生が匿ってくれて……」
「そうだったんだ」

 どうやら、状況は人によってまちまちだったらしい。七時より前に起きて、ある程度支度をしてから家を出ることができた自分はまだマシな方だったのだと知る。
 勿論、亜林と離ればなれになってしまったのは大問題ではあるが、家に二人でいるときに使者が突然襲撃してきていたら、きっと対応できずに二人とも殺されてしまっていたことだろう。

「このジャクタ様の儀式?とやらについて、先生の中にはある程度詳しく知ってる人もいるみたいで。一番の問題は、あの使者ってやつなんだって言ってたわ。何人も村の中に放たれたあいつらが、どんどん人を殺していくんだって。四十九人殺すまで止まらないらしいの」

 だから、と彼女はトンカチを持ち上げて示す。

「窓を塞いで、玄関にもバリケード作って籠城するのが一番いいって。だから、ひとまず一階は玄関以外全部ベニヤ板打ちつけて塞いでるところなの。幸い、水と電気は通ってるし、食糧とかもたくさんあるから暫く籠城してもなんとかなるって。その間に、先生達と一緒に対策を考えようってなってて」
「なるほど」
「今あたし、板を取りに行くところだったの。持ってるなら、南側の窓を塞ぐの一緒にやってもらっていい?花林ちゃん」
「わかった」

 二人で歩いていくと、途中で給食室の前を通った。この学校では、センターではなく自分達で給食も作っている。毎日提供されるわけではないのでお弁当が必要な日もあるが、今日はみんなのために給食室のおばさんたちが頑張ってご飯を作ってくれているということらしい。
 覗いてみると、大なべの中でぐつぐつと煮えている赤い物が見えた。その向こうでは、お湯の中におばさん達がパスタを突っ込んで行くのが見える。ミートソースの良い香りは此処から漂ってきていたらしい。

「作業終わったら、みんなでご飯食べさせて貰えるって!朝ごはん食べて来てない子もいるし、花林ちゃんもおなかすいてるでしょ?」

 安全圏に避難してきた安堵からか、深優には笑顔も見えていた。

「だから、急いで作業終わらせちゃいましょ!行こう」
「う、うん……」

 自分も、ろくに朝ごはんは食べていない。出かける前に急いでパンをちょっとかじってきたくらいだ。だからおなかがすいていないわけではないし、ミートソースは大好物なのだが。

――対策を考えるって、先生達何か作戦でもあるのかな。それに……。

 窓を塞ぐ、という行為で果たして本当に使者の侵入を防ぐことができるかは怪しい。相手は得体のしれない怪物なのだから。



『長い時間同じところに留まると、奴らが集まってくる傾向にある。それと、壁に囲われた場所なら大丈夫という保証もない』



『壁を抜ける能力があるかどうかはわかっていない。ただ、もしこの村のどこにでも自由に出現できるとなると……バリケードを張った閉鎖空間も安全ではないということになる』



 雫の言葉を思い出す。彼が言っていた通りならば、校舎に閉じこもることはかえって自分達の首を絞める結果になるかもしれない。
 とはいえ、小さな子供達を連れて逃げ回るのが現実的でないのは事実だ。彼等のために少しでも安全な場所を確保したいというのは、大人ならば当然の考えなのかもしれなかった。

――ただ、先生達が……使者対策しか考えてないのは引っかかる。先生達は、ニンゲン同士で殺し合いが起きるかもなんて思ってないのいかな。

 思っていないほど、子供達を守る気持ちで結託してくれているのならそれは素晴らしいことなのだが。考えが及んでいないのなら、それはそれで危険ということでもある。

「まだ、学校に来てない子も結構いるの。陸君と麻耶ちゃん以外にも」

 歩きながら、心から心配そうに深優は言った。

「みんな、早くこっちに来られるといいんだけど。食糧もたくさんあるし」
「そう、だね。うん……」

 胸の奥から湧き上がった、言い知れぬ違和感。花林は、その正体を突き止められずにいたのだった。
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