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<14・Ginie>

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 ジニー・フワル。現在二十一歳。
 旅芸人の一座に生まれ、両親とともに歌と演奏で生計を立てる。
 両親とは異なり、生まれつき醜い顔がコンプレックス。また、けして高くない身分のために侮られることも多く、旅の一座のゆく先々では困難に見舞われることも少なくなかった。しかし、けして美しくはないジニーに両親も一座の者達も優しく、舞台上では仮面をつけて演奏を行っていたためにその容姿を客にひどくなじられる機会は少なかった。
 貧しい暮らしながらも幸せに暮らしていたものの、ある日大切な商売道具であるフルートが事故によって破損してしまう。また、時期を等しくして両親が次々と他界、旅の一座は解散に追い込まれることに。
 ジニーは後悔することとなった。というのも、これらの悲劇が訪れる少し前に、両親に無理を言って整形手術を受けたばかりであったからだ。美しい顔を手に入れることができれば、これからはそれを武器にもっと二人を楽させてやれることができるかもしれない。何より、どうしても醜いだけで侮られる人生が耐えがたいものであったのである。
 もし、あの時無理にお金を出してもらっていなければ。両親がいなくなった後も一座を盛り立てていくことができたかもしれない。そして、フルートを買い直すこともできたかもしれない。自分のわがままのせいで、芸人仲間たちにも多大な迷惑をかけてしまった。ジニーは後悔の末、一つの決意をするのである。
 どんな手段を使ってでも、お金を工面しよう。そして、楽器を買い直すのみならず、もう一度組織を立て直すための資金にしようと。
 ジニーは男の身でありながら、整形した美しい顔と女性的な体形を使い、同性異性問わずに体を売りながらお金を貯め続けている。そして今回メリーランドタウンで、長年ひそかに憧れていた勇者の一人と出会い、心を開いて一夜をともにすることになるのである――。

――とまあ、これが今回の俺の設定なわけだけど。

 精も根も尽き果てた。そんな様子でジルの隣でぐったりとベッドに横たわるゴートン。下半身には自信があるみたいなことを言っていたくせに、なんとも情けないことである。まあ、結局能力に頼って女を食いまくっていただけで、精神面では童貞のままだったのだろうから仕方ないといえば仕方ないのだろうが。
 しかも、今回はルチル特性の“秘密のお薬”も使っている。味で気づかれたらちょっと面倒だなと思っていたが、幸い彼はまったく気にすることなくワインと一緒に飲んでくれた。早い話、あれは媚薬というものなのである。しかも依存性がある。ゴートンが本来女にしか興味がないこともわかっていたので、自分のカオだけで押し切れなかった時のことも考えて用意させたのだ。
 多分、ジルの手練手管だけでも落とすことはできたのだろうが、どうせなら身も心も自分に依存させて操ってしまった方がいい。本気で惚れ込んだ相手が、実は自分たちを憎む勇者の息子だった――後で知った時、こいつがどんな顔をしてくれるのかと思うと笑いが止まらない。
 ゴートンのことはあらかじめ調べつくしていた。
 彼が己の醜い容姿をあえて変えないまま転生したこと、そして己の容姿を蔑む人間にけして心を開かないことを知った上での対応である。もしもジルが本当に女だったなら、彼のでっぷり太った体や鼻も眼も潰れたような顔立ちに嫌悪感を感じていたかもしれなかった。実際ルチルは“生理的に無理です”とはっきり言っていたのだから。
 ジルが男の容姿に対していやがる顔を見せなかったのは単純に異性より嫌悪感が少なかったことと、そもそもこうやって変装して相手の懐に飛び込む情報収集が日常茶飯事であるジルにとってゴートンより醜い容姿を持つ見た目の男などごまんと見てきたからというのが大きい。
 彼は見た目ではなく、己の中身を評価してくれる人を求めている。そして、彼の仲間である勇者たちにはそれができる人間がいない。もっと言えば、己が“いかに頑張ってきたのか”や“いかに苦しんできたのか”をわかってもらえるような相手には非常に弱いのである。そんな相手を懐柔することなど、ジニー=ジルには朝飯前のことなのだった。ちょっとばかし欲しい言葉を言ってやり、彼が共感してしまうような身の上話を語ればそれで済むのだから。
 まあ尤も、実際話した経歴なんてものは嘘っぱちのでたらめだし、ジルの顔は整形でもなんでもない素のままであるわけだが。そんなこと、医療知識も何もないゴートンに見分けることなどできないだろう。

「……はあ、つ、疲れた」

 そんなことをジルが考えているとはつゆ知らず。男は汗ばんだ体でごろんと寝返りを打ったのである。

「……お前、まだ、そんなに経験ないとか言ってなかったっけ。何でそんなにうめぇんだよ」
「そう仰って頂けたのでしたら光栄です。……経験は少ないのですが、日々研究はしていますから。どのようにすれば、お客様が喜んでくださるのか。気持ちよくなってくださるのか、ということを。……以前のお客様が、“口”でのやり方や腰の振り方をものすごく丁寧に指南してくださって。その通りにしただけなのですが、お喜び頂けたようで何よりです」
「やめろよ、前の客の話なんかするんじゃねえ」
「ああ、ご、ごめんなさいゴートンさん……!」

 チョロいなこいつ、と心の中で舌を出すジル。むしろ、チョロすぎて心配になるほどである。
 男である、ということは時としてジルには大きな武器になるのだ。何故なら、男性がどうすれば気持ちよくなれるのか?については同じ男性であるジルもよく知っていることなのだから。無論女性とまったく同じ行為はできないのでその点で相手に嫌悪感を抱かれないよう細心の注意を払う必要はあるが。
 前の客の話を混ぜたのはわざとだった。ゴートンがそれに対してどのような反応をするのかを見るためである。案の定と言うべきか、彼は今夜の行為にどっぷりと溺れて抜け出せなくなってしまったようだ。身も心も満たされるとはまさにこういうことなのだろう。そして、既にジルの前の客に対して嫉妬心を滲ませてやる。今まで同性に興味がなかったことなど忘れて、自分のオンナになれと言い出してくるのも時間の問題だろう。
 信頼を得れば、それだけこの男の口も軽くなる。こちらが情報収集のために近づいた、なんてことは悟られないようにしなければいけない。前にも他国のスパイ女が近づいてきたケースがあったようだし(十時の鐘が鳴るのと同時に部屋に来たのも、ノックを忘れたふりをしたのもすべて意図的である)、まだ完全に警戒を解いたわけではないのだろうから。

「ゴートンさんは、いつまでこの町にいらっしゃるのです?」

 直接仲間の勇者たちのことを訊き出すのは愚策。よって、多少の回り道は必要になってくる。

「勇者としてお仕事をされているのですよね。時には、王様から直接命令が来ることもあると聞き及んでおります。できれば少しでも長くこの町に留まって頂きたいのですが……無理強いはできませんよね。特にゴートンさんは、ほかの勇者の方々よりも精力的にお仕事をなさっていると聞いたことがあります」
「よく知ってるな」
「ずっと前ですが、一座がヴァリアントに襲われた時に勇者の方々に助けていただいたことがあったんです。私はその時現場にいませんでしたし、どの勇者の方が助けてくださったのか両親からきちんと聞けませんでしたが……男の方だったそうなので、ゴートンさんだったかもしれません。それ以来、ずっと勇者の方々に憧れていました。私は文字が読めないので新聞も殆ど見ませんし、ゴートンさんのお顔も存じ上げなかったのですけれど……噂は広く聞こえてきていたのです。勇者の中で最も市民に寄り添い、助けてくれる人であると」
「……ふん」

 まんざらでもなさそうに、男が頬を染める。成果を評価されるのがうれしくてたまらないといった様子だ。特に、複雑な感情を抱いているほかの勇者達よりも評価されているというのが彼にとっては大きいのだろう。

「安心しろよ、まだ暫くメリーランドにいる」

 男はそっとジルの頬に手を伸ばしながら言う。

「俺たちがヴァリアント討伐をするのは主に三つの理由だ。一つ、たまたま出くわしたから。二つ、王様から討伐しろと命令が来たから。三つ、女神様から直々に指令が来たから、だ」
「女神様?……この世界に加護を与えてくださっているという、あの女神様ですか?」
「そうだ、そして俺たちを……令和時代の日本から転生させた存在でもある。定期的に女神様とは連絡を取り合ってるんだ。いけすかない人だが、逆らうわけにはいかないからな。……俺たちの願いのために」
「!」

 ジルは眼を見開く。
 彼ら五人が王様の命令でヴァリアント討伐に赴くことがあるのは知っていたが、女神からの命令に従うこともあろうとは。そして、女神と現在も連絡を取り合っているなどとは思ってもみなかった。

「女神様については、伝説でしか知らないのです。でも、すごい方なのでしょうね。何か、叶えてほしい願いがおありなのですか?」

 この流れでその質問をするのはごくごく自然なことだろう。ジルの問いに、ああ、とうなずくゴートン。

「俺達がこの世界を真に平和を導けば、叶えて貰えることになってるんだ。俺は……俺は望みはいくらでもあるんだけどな。最終的にどれにするのかまだ決めてねえんだ。ただ、俺達が望めばこの世界でさらなるチートスキルをもらって永住することもできるし、逆に元の世界に返して貰うこともできるとは聞いてるぜ」
「真の平和、ですか……大変そうですね。ヴァリアントは、討伐しても討伐しても消えませんし」
「ああ。まさか、魔王を倒しても消えないなんて思ってなかったからな。女神様は、魔王の一族の生き残りをすべて消せば恐らくヴァリアントはすべていなくなるだろうとか言ってるが……さて、どうなのやら。ほかに黒幕がいてもおかしくねえな、って最近はちょっと思い始めているところだ」
「……!」

 魔王がすべての元凶である。――その説は、勇者の誰かが言い出したとばかり思っていた。まさか、この世界の女神がそれを提唱し、勇者たちに吹き込んだというのか?
 しかし、伝説によればこの世界の女神は全知全能の存在であるはず。ヴァリアントの正体も魔王の無実も知っていてもおかしくはないというのに。

――いや、全知全能なら、自力でヴァリアントをすべて消し去るくらいできてるか……。

 謎が増えてしまった。父殺しを目論んだのは、すべて女神の差し金だった可能性が出てきてしまったのだから。ただ、そうなると今度は“何でそんなことを?”という話になってくる。死んだアークと女神の間に、何か接点でもあったというのだろうか?

「今回、俺は女神様のご命令でメリーランドタウンに来た。まあ、来るのは俺じゃなくてもよかったんだが……相変わらずサリーやゾウマなんかは仕事さぼりがちだしなぁ。下っ端はつれーぜ」

 はあ、と深いため息をつくゴートン。

「なんでも、この町でヴァリアントの巨大なエネルギーが感知されたらしい。それを討伐せよって話だ。ほんと、人使いが荒いぜ」

――どういうことだ?

 困惑するジル。自分たちも長らくヴァリアントの研究を続けてはいるが、わかることと言えば“どうやら疫病ではないらしい”ということくらいなもの。誰が、どのようなメカニズムで発症するのかさっぱりわからなかったのである。当然、発生予測などできるはずもなかったというのに――女神にはそれができるというのか?
 ひょっとしたら、ヴァリアントの正体を女神はとっくの昔に知っていて、それを勇者たちにも人々にも隠しているなんてことはあるのだろうか。

――詳しく調べてみる必要がありそうだな。

 とりあえず、この男のいう通りにヴァリアントがこの町で発生するかどうかを確認するべきだろう。なんなら、その現象を利用してこいつに恩を売らせることもできるかもしれない。
 帰ったら再び作戦会議だな、とジルは心の中で呟いたのだった。
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