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<35・Scream>

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 ノエルに自分の正体を明かした上で、きちんと話をさせてほしい。ジルにそう頼んだのはルカーー否、ルチル自身の本心だった。

『勇者はみんな残酷で、自分勝手。そしてルチル達の敵。ずっとそう思ってきました。今でもその考えが大きく変わったわけではありません。ただ……』
『ただ?』
『……最後まで、そう信じていたいんです。ルチル達がやってきたことが正しかったということを』
『…………』

 きっと、兄には見抜かれていたことだろう。ルチルがノエルと話したことで、少しばかり心が揺れてしまったことを。
 勇者はみんな、自分の意思でなりたくて勇者になったのだと思っていた。だからこの世界にやってきて、チートスキルを使って身勝手なふるまいばかりするのだと。
 実際、二年前のアークが殺された件を覗いても勇者たちのふるまいは横暴なものばかりだった。
 サリーはなんでも貫ける攻撃スキルがあるが、裏を返せば“標的以外も貫いてしまう”危険を孕んでいるのである。モンスターを倒そうとしてスキルを発動し、樹木を倒してしまったことで民家を潰して犠牲者を出してしまったり。直接通行人を巻き込んで殺めてしまったこともある。勇者の中で露出が高いのはサリーとゾウマなのに、一番人気があるのがノエルだったのはそういう行いが一部の人々の反発を買っていたからだ。しかも、本人たちはやらかした時、けして自分の過ちを認めて謝るようなことはしないのだから。王様と女神様が認めた“勇者”であるせいで、大っぴらに批判などできなかったのだろう。
 そしてゾウマはそんなサリーと一緒になって無駄に被害を広げたし、なんならマリオンもともに破壊を楽しんでいたという。ゴートンに至っては言うまでもない。戦い以外での行いが酷すぎた。行く先々で、自分のハーレムを作って女達の心を弄ぶのである。恋人がいようが処女だろうが関係ない。ある意味では、サリー達以上に裁かれるべき下衆だろう。
 しかし、そういった噂がノエルには聞こえてこない。実際二年前の魔王討伐にも参加していなかったようであるし、メディアへの露出もほとんどない。だから、彼がどういう人間か知るためにルチルは近づいたのである。それは、ノエルもまた下衆とわかれば、容赦なく殺せるという期待も含まれていてのことだった。
 だが。



『元の世界で突然僕が死んで、親友も家族もきっと悲しませてしまったと思うんです。退屈なこと、辛いことばっかりの世界じゃなかった。楽しいことや、大切にしたいこともたくさんあった。それら全て捨てて異世界になんて僕は来たくなかったんです。……って、すみません。こんな話、この世界で生きているルカさんに本来するべきではありませんよね』




『でも、今は……自分達がやったことが本当に正しいことだったのか、疑問に思っています。実際女神様の言う通りにしても、世界からヴァリアントが消えることはなかったのですから。間違っていたかもしれない。自分達はひょっとしたら……罪もない人を殺してしまったのかもしれないって』



 ノエルは少なくともルチルから見れば、想像以上に“普通の人”であったのだ。
 この世界に来たくはなかった、元の故郷に帰りたいと言った。
 己の行いに疑問を持っていた。人に恨まれても仕方ないような罪を犯してしまったのかもしれないと、そんなことを考えていた。そして、後悔も反省もしている様子だった。
 ルチルが思っていたよりも、真っ当な感性を持っていたのである。無論、だからといってルチルの心から完全に恨みの炎が消えたわけではない。彼もまた、悪逆非道な勇者パーティの一人で、仲間の行動を止めなかったことは確かなのだから。
 だから。自分は迷わないために、決断したいのだ。
 彼が殺すに値する人間であるかを、ちゃんと知りたいのである。自分は勇者達とは違う。なんの話も聞かずに、勇者全員を殺すことは本来したくない。致死性の攻撃性能と攻撃的性格をあわせもつサリーとゾウマはそうも言ってはいられない相手だっただろうし、兄に骨抜きにされていなければゴートンもそうだったが。少なくともノエルは、ちょっと拘束だけしておけば無効化できる相手である。話を聞く余地がないわけではないだろう。

『迷いたくないのです。……もしもの時はルチルが自ら引き金を引きます。だから……』

 ルチルの言葉に、ジルはどう思ったのか。彼はわかった、と一言頷いて許可をくれたのだった。
 本当は知っている。ジルもまた、本当に自分たちの選択が正しかったのかと迷い始めているということは。

――ルチル達は、勇者に復讐する。それだけを糧に今日まで生きて来た。女神も復讐対象だとわかったからといって、勇者がそこから外れるわけじゃない。だから。

 確かめたい。
 ゆえにルチルは今、ルチルとしての姿でノエルが入った檻の前にいる。

「こんな簡単な罠に嵌るなんて、勇者も大したことないんですね」

 ルチルはふん、と鼻を鳴らし、意図的に冷たい声を出してみせた。

「それとも、まさか味方に後ろから撃たれるなんて想像もしていなかったんですかね」
「……ルカ、君は……」
「ルチル。それが本当の名前です」

 二年前、ジルとルチルはサリーに顔を見られている。しかし、少なくとも自分達の認識では、ノエルの前に姿を現したことはなかったはずだ。

「貴方たちが二年前に殺した、魔王アークの娘。それがルチルですよ。……ヴァリアントを野に放ったとありもしない汚名を着せられ、話し合いで解決しようとしたところを不意打ちで凶弾のサリーに撃ち殺された……大切な、大切なお父様のね!!」

 ガン!と思い切り鉄柵を蹴り飛ばしてやる。足が痺れたが、今はそれさえどうでもよかった。どんなに取り繕おうが、彼もまた自分達が憎む勇者の一人に違いない。正体を明かして語れば、二年間抑え込んだ憎悪が心臓の奥から溢れ出してくるのだ。
 あの優しい父に出会わなければ、自分は五歳で死んでいた。兄も八歳で死んでいた。自分達は魔王と呼ばれ、世界の敵というポジションを押し付けられた人に育てられて十年を生きてきたのだ。彼は自分達にとって、世界の全てと言っても過言ではない存在だったのである。
 それを、こいつらはくだらない妄想のために奪った。ヴァリアントという脅威を放った何者かがいて、そいつを倒せば世界が救われると。そういうポジションをあの人に押し付けて、心の平穏を守ろうとしたのだ。ヴァリアントの本当の正体もわからず、女神の挙動にもおかしなところがたくさんあったにも関わらず。

「あ、ああ……」

 ノエルは鉄柵の前、ずるずると、石畳に座り込んだのだった。

「やっぱりそうだったのですか。君こそが、魔王の……」
「気づいていたのですか」
「そうかもしれないとは思ったんです。僕を慕うただのファンとは明らかに違う、僕を探るような妙な気配がありました。しかも君と酒を飲み交わした途端眠くなって、結果ゴートンさんを止められなくなった」
「では何故、それを他の勇者に言わなかったのです?」

 絶望している様子だけれど、あまり驚いているようには見えない。ルチルの正体をうっすら予想していたのは本当だろう。

「……言えるわけない」

 ノエルは静かに首を振る。

「その直後にゴートンさんの件が起きてバタバタしてたってのもあるけれど……僕は、ゴートンさんの件をサリーさんたちに伝えたことも後悔してましたから。サリーさんの性格なら、問答無用でゴートンさんを殺そうと考えるのは明らかだったのに、僕はあまりにも考えが足りていなかった。貴女のことだってそうです。僕がその可能性を伝えたらきっと……サリーさんは、僕の勘違いとか思い違いなんて可能性も排除して、貴女を見つけて殺しにかかるでしょう。それだけは、したくありませんでした」
「二年前に、話し合いをしようとしたお父様を殺した勇者の一人とは思えない発言ですね」
「そうです。二年前の件があったからこそ僕は……何も知らないで、考えることもしないで、誰かを悪と決めつけて殺すようなことはしたくないのだと思ったのです」

 それに、と彼は続ける。

「もし、魔王の仲間の人が僕達を殺しに来るなら……その怒りや憎しみは当然のものでしょう。僕達は殺されても仕方ないことをやったんです。だったら貴女に殺されても嵌められても、文句なんか言えるはずないじゃないですか……。本当に、ごめんなさいルチルさん。僕達は、二年前本当の本当に……取り返しのつかないことを、してしまったんですね」

 項垂れるノエル。それを見て、ルチルは拳を握った。馬鹿にしているのか、と。

「……なるほど、そうやって殊勝にしていれば、助けて貰えるとでも思っているのですか」

 彼は一切言い訳をしなかった。それが逆にルチルには、助かりたくて必死であるように見えてしまったのだ。――否。

「自分たちのやったことを素直に謝罪すれば!仲間がやったことでも罪を押し付けたりしなければ!ルチルの心象もよくなって助けて貰えるとでも思いましたか?ルチルたちにとっては、お前もほかの連中も同列なんですよ。女神に選ばれて、王様に支援してもらって、豪邸に住んで。この二年間英雄として、さぞかしいい気分だったんでしょうね。どうです、罪もない人たちを嬲り殺しにして得た称号で飲むお酒は美味しかったですか?ベッドではよく眠れましたか?みんなに褒めたたえられて楽しかったですか?ええ。ええ、ええ、どうなんです!?」

 本当は、わかっている。これは、ノエルの他ならぬ本心だと。だってほぼ同じ話を、ルチルの正体を明かす前に聞いている。彼は自分は直接魔王討伐に参加しなかったという逃げ道もあるのに使わない。
 それは何より、彼の本心であればこそ。彼が自分の罪を心から悔やんでいるからこそだとわかっている。でも。

「今更後悔したって、遅いんだよ!」

 だからこそ、苛立ってしまうのだ。
 何故、何故、何故、その疑問を二年前に持つことができなかった?自分の故郷に帰りたいがために、この世界の罪もない人間がどうなろうと知ったことではなかったと言っていたではないか。

「この臆病者!助かりたいっていうなら返せよ……ルチルたちの大切な、大切な家族を返せ!お父様を、みんなを返せ、返せ、返せよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 自分のためにこの対面を選んだのに、結局心乱されたのは自分の方だった。わかっている。兄と比べて、己はあまりにも未熟だということくらいは。
 それでも、叫ばずにはいられなかったのである。
 二年前の絶望を、全て奪われた時の憎悪を、再び思い出してしまったがゆえに。
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