上 下
37 / 41

<37・Metamorphose>

しおりを挟む
 ルチルがノエルと話したいと言っていたので、ジルは少しだけ時間を稼ぐ必要があった。わざと時間をかけてゴートンを落ち着かせた後、わざと少々手間をかけてモニターのセッティングをすることにしたのである。
 どうやら、ゴートンたちの世界では魔王城に近いレベルの科学力があったらしいのだが――こいつは明らかに機械に強いタイプではない。わざとらしく時間をかけてシステムを立ち上げたりトラブルを自演してみせても気づかないだろうことは明白だった。そもそも、少し考えれば“なんであんな短期間でジルがあんなハイテクな落とし穴と水牢を作れたのか”に疑問を持ちそうなものだが、そこにつっこんでくる気配もない。相変わらず頭の残念な男である。

「ちょっとぉ、ジニーさんとやら?」

 食器を片付けていると、ゴートンのスキルで奴隷化しているマリオンが絡んできた。

「言っておくけどお、ゴートン様の一番の恋人はこのマリオンなんだからね!あんたはあくまで二番手!いい加減、ゴートン様のベッドのお供をマリオンに譲りなさいよお」

 罪悪感があるからなのか、ゴートンは最初の一回以外マリオンを抱いていない。あれほど嫌悪していたゴートンの股間のブツを舐めたがり、あらゆる体液を欲しがるようになってしまった変貌ぶりが痛々しくてならないというのもあるだろう。彼は怒りに任せてマリオンを奴隷にしてしまったことを後悔しているようだった。
 ジルとしては、あまり納得していることではない。何故マリオンだけ特別扱いなのだ?としか思わなかった。確かに勇者仲間ではあったが、彼らが本当の意味で仲間であったとは思えない。それは、ゴートンとサリーの会話でも明らかである。それなのに、だ。今まで散々様々な女性を奴隷にしてきたくせに、マリオン相手だけ罪悪感を抱くというのはさすがにどうなのだろう。
 彼にとって、他の女性達は人間ではなかったとでもいうのか。
 人間扱いしなくていいから、奴隷になろうが彼女たちが意思を奪われ尊厳を踏みにじられようがどうでもよかったというのか。

――やっぱり、俺はあいつが嫌いだ。

 これで良かったのか、なんて。泣いているゴートンに少しだけ思ったのは事実だが。だからといって、ゴートンが許すに値する人間とは思えない。
 自分に都合が良いことだけ考えて、悪いことをしたなんて殊勝に謝る。自分が本当に傷つけた相手のことなんて考えちゃいない。ただ己が楽になりたいだけではないか。どうしてそんな人間に、慈悲をかけてやる余地があるだろう?
 マリオンを奴隷にしてから、結局ジルのことしか抱かないのだって自己満足ではないか。奴隷にしたらしたで、彼女の意思は“ゴートンが大好きな女の子”にすげ替わってしまっているのである。それならば恋人として、愛してやるのが本当の償いというものではないのか?

「……マリオンさん」

 こんなものは慰めにもならない。そもそもマリオンのことだって、ジルは許していないのだから。でも。

「マリオンさんの方が、よほどゴートンさんとお似合いですよ」
「ほんと?」
「ええ、本当です。私のような者は、ゴートンさんに相応しくないですから」
「ふふふふ、そうよねそうよね!やっぱりマリオンの方が、ゴートン様の妻に相応しいわよね!あんた、わかってるじゃなーい!」

 無邪気に笑うマリオンは、実に痛々しい。ジルはうわべだけの笑顔を彼女に向ける。
 それさえも、思った以上に苦痛を伴うものであったけれど。



 ***



 異変が起きたのは、ゴートンに新しい紅茶を持っていってほどなくしたところだった。

「!?」

 ずずずずずずず、とかすかに地面が揺れるような音がする。マリオンが警戒するように、ゴートンの傍にくっついたのが見えた。一体何事だろう。ジルはようやく繋がったフリをしてモニターを切り替える。ルチルがノエルとしている会話いかんによってはもう少し時間を稼ぐ必要があるだろう。ゴートンに見せる前に、自分で映像と音声をチェックする必要がある。
 が、音声を出すよりも前に、その異様な光景は目に飛び込んできたのだ。

「なに……!?」

 ノエルの檻に限り、カメラは二か所設置されている。檻の中のノエルを上から撮影するカメラと、廊下から真正面に向けて檻を撮影するカメラだ。つけたのは後者のカメラだった。檻の中のカメラはなぜか動かなかったのだ。
 理由は明白だった。鉄格子が、さながら飴細工のようにぐにゃぐにゃに曲がり、あるいは折られているのだから。そして、それを成しているのは――。

「ご、ゴートン様あ!危ないっ!」
「え」

 一際強い地響きが響くと同時に、マリオンがゴートンを全体重で突き飛ばした。油断していたゴートンはソファーから転がり落ちる。刹那。



 ざくざくざくざく!



「ぎ、がが、がっ……!」

 床から突き出してきた、何本もの紫色の棘が。リビングのソファーを串刺しにしたのである。突き飛ばされてソファーから落ちたゴートンは無事だった。しかし、マリオンは。

「ま、ま、マリオンんんんんん!」

 ゴートンの悲痛な声が木霊する。マリオンは手足を、腹を、さらには顔面を貫かれていた。後頭部から鼻の中心を貫通されている。可愛らしい顔が崩壊し、見開かれた眼球はあまりの衝撃にぐるぐると回っていた。だらり、と垂れた舌からは血泡が溢れている。貫かれた手足のうち右足は今にもちぎれそうになっており、残りの手足は骨が砕けて露出していた。
 さらには大穴をあけられた腹部から、どろりと生臭い腸管が溢れ出している。びくびくと痙攣する体はまだ生きているようだが、致命傷なのは明白だった。そう、ノエルのチートスキルで回復でもしてもらわない限り助かることはないだろう。
 だが。

「ご、ゴートンさん!」

 何者かが、地下から攻撃を仕掛けてきた。今すぐこの部屋から逃げなければ危ない。しかしその前に、ジルはしなければならないことがあった。腰を抜かしているゴートンを引っ張り、モニターを見せる。

「これ……!」
「あ、ああああ……!」

 ゴートンが察して、絶望の呻きを上げる。破壊された牢屋、その前でへたりこむ女性、ルチル。そして、檻の中にいるのは。

「の、ノエルが……っ!」

 それがノエルだとわかったのは、まだ怪物が彼の面影を残していたからだ。中心に、ノエルの体を取り込むようにして発生している紫色の水晶の柱。その柱が天井を、壁を突き破っている。
 柱からは何本もの紫色の棘が生え、今にも目の前の女性を攻撃しようとしていた。そう、この棘はたった今マリオンを攻撃したのと同じ。そして、その紫水晶の怪物はまぎれもなく。

「何でだよ……なんで、なんでノエルがヴァリアントになってんだよおおおおおおお!!」

 ゴートンが絶叫する。勇者はヴァリアントにはならない、そんな約束を女神からされていたのだろうか?いや、彼も女神が黒幕である可能性が高いと既にわかっていたはず。その口約束を信じていいとはもはや到底思えなかったはずだが。

――これは……!

 映像を僅かばかり巻き戻して確認する。ノエルはどうやら、女神に連絡を取ろうとしていたらしい。彼が通信をしようとした直後、ノエルの胸に赤い種のようなものがべたりと貼りついたのだ。そして、その直後ノエルの体が紫水晶に取り込まれるような形でヴァリアント化し始めたのである。
 確かに、ヴァリアントは発生場所がまったく予測できない災厄だ。しかし、よもやこのタイミングで彼が怪物化したのが偶然だとは思えない。

「女神様によって……ヴァリアント化されたのかもしれません。ノエルさんは」
「う、ウソだろ……!?」
「とにかく、地下へ行きましょう。あの女性を助けなければいけません」

 ルチルも戦うスキルはあるが、それでもさっきまで話していた相手にいきなり殺意をもって襲いかかれるかどうか。何より、さすがにこんな事態はジルもルチルも予想していなかったのである。混乱して、腰がひけてしまっていてもおかしくない。

――ルチル、無事でいてくれ……!

 ほかの二人の牢屋とは違い、ノエルの簡素な牢屋はこの屋敷の真下にある。階段を下ればすぐそこだ。



 ***



――どういう、こと……!?

 こんなのは計画になかった。ルチルは混乱しながら後退る他ない。
 檻の中で、紫水晶に取り込まれたノエルの体はどんどん大きくなっていく。ぴきぴきぴき、と音を立てて結晶部分が成長していくのだ。あれに触れたらどうなるか、正直嫌な予感しかしなかった。ただでさえ、石でできた天井や、鋼鉄の柵をいとも簡単に破壊し、貫いたのである。自分も同じように穴ぼこだらけになって貫かれるか、あるいは結晶に取り込まれてしまうか。いずれにせよ、ろくな末路にならないことは確かだろう。

「あ、あああ……な、んで。僕が、女神様に……連絡を取ろうとしたから?やるなっていう、命令を、破ったから?」

 ノエルはどうにかまだ意思を保っているようだった。両足と左腕は結晶に取り込まれてしまっているようだが、まだ右手はかろうじて動いている。彼は歯を食いしばると、右手で腰から剣のようなものを抜いた。そして、ルチルの足元へと投げる。

「お、お、お願い、しますっ……そ、それで僕を、刺して、ください。弱点は、多分、心臓の上です……ルチル、さん……」
「の、ノエル……」
「僕は……僕は、ヴァリアントになりたくない。意思を失った化け物になって……仲間を、人を、傷つけたりしたくないです。お願い、します。は、はやくっ……!」

 言っている間に、ノエルの無事だった右手も結晶に取り込まれていってしまう。彼は首から上を残し、完全に紫水晶の塊となってしまった。水晶はどんどん成長し続けている。ヴァリアントの中ではかなり綺麗な姿ではあるが、それでも脅威であるのは間違いない。どうやら、時間の経過とともにえんえんと成長し続けるタイプのようだ。しかも成長すればするほど水晶の先端にある棘が伸びて行って、周囲の建物も地面も人も破壊していくということなのだろう。
 まずい、のは明白だった。というか、既に天井を貫いてしまっているが、屋敷にいる兄は無事だっただろうか。サリーとゾウマは、ルチルが作った特殊な溶液のプールにガラス張りの水槽を沈めて落としたため、かなり地下深くに牢屋があるが。回復能力しかないノエルは、この屋敷にあった地下牢をそのまま応用しているのである。地下一階から天井までは、壁一枚分しかない。

――いや、お兄様の心配をしている場合じゃない。まずは自分の身を守らなければ……!

 この狭い廊下では、逃げ場もそんなにない。このまま結晶に取り込まれてしまえば、死ぬのは自分の方だ。

――ルチルが自分でなんとかしなきゃ。お兄様ばっかりに、頼るわけにはいかないんだから……!
しおりを挟む

処理中です...