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<23・愛は確かに此処に>
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貴美華が池の中から引っ張り出してきたぬいぐるみは、当然のごとくぐっしょりと濡れてしまっていた。しかも藻や水草、苔が絡みついてひどい状態である。
それでもチョコには、それが“自分”だとすぐにわかった。彼女がびしょ濡れて沼の中から這い上がってきたのに駆けつけ、すぐに彼女から“自分自身”を受け取っていた。汚れていない己の青いシャツもズボンもびっしょりと濡れるのがわかりきっていたが、それでもそうしなければいけないとわかっていたのだ。
――ああ、やっと……見つけて、貰えた。
チョコはぐっしょり濡れた自分自身を抱きしめ、気づいた。茶色のテディベアは、右腕がほとんど取れかけている。もっと言うと、右目の青いボタンもどこかになくなってしまっていたようだ。恐らくこれらは、池に投げ捨てられたからなくなってしまったものではないだろう。恐らくはその前に、このような破損をしてしまって――それで捨てられてしまったのだ、自分は。
そう、思い出した。チョコ、という名前をつけてくれた、たった一人の女の子のことを。
――そうだ。ミサキちゃんだ。僕の、一番大切だったお友達の名前……。
小さな小さな、まだ小学生の女の子。ちょこん、としたツインテールに、いつも大きな水玉の髪飾りをつけていた。ミサキとは幼稚園の頃に出会って、それからずっと一緒にいたのだ。デパートで誕生日に買って貰った明るい茶色のティデベアである自分に、彼女は“チョコ”という名前をつけてとても大切にしてくれたのである。お風呂とトイレ以外のほとんどの時間を、いつも彼女と一緒に過ごしていたように思う。特に眠る時は、チョコを取り上げられるとミサキは不安がって泣いてしまうほどだったのだ。チョコの洗濯に、彼女の母がいつも苦心していたのをよく覚えている。
ミサキはチョコのことが大好きで、チョコもミサキのことが大好きだった。
ぬいぐるみと人形遊びが大好きな子供っぽいところがある反面、彼女は絵本が大好きな賢い一面もある子供だった。チョコを相手に、よく絵本を読み聞かせてくれたものである。
桃太郎、白雪姫、かぐや姫、金太郎、瘤取り爺さん。そのあたりのオーソドックスなものから、少しマイナーな絵本まで。狐と兎の友情の物語なんて、何回読み聞かせられたか知れない。別の動物でも、別の性別でも、本当の友達になることはできるんだよね。何度も何度も本を読みながら、まるで自分に言い聞かせるようにミサキは言っていた。多分それは、チョコと自分のことをも言っていたのだろう。
『ぬいぐるみと人間が、友達になれないなんてことないよね』
その時から、チョコの中には意思に近いものがあった。付喪神と呼べるほどはっきりしたものでもなく、人間の姿も取れなかったので当然彼女と話などできなかったけれど。
それでも不思議なことに、いつも彼女とは心が通じているような気がしていたのだ。ちょこんと床に座って、彼女が床に伏せてチョコと視線を合わせて。まっすぐ交わされる視線と言葉の間には、確かに自分達の間でのみ通じる不思議な言語や感情があったと思うのである。
声には出せなくても、チョコはいつも頷いていた。
――そうだよ。だって僕は、ミサキちゃんとは永遠の友達だもの。ずっとずっと一緒だよ。人間とテディベアだって、ちゃんと友達にはなれるんだ。僕達ならきっと、それを証明できるはずだよ。
大事にされすぎて、チョコはどんどん古くなって汚れていってはいたけれど。それでもチョコは、自分がミサキが大人になるまで一緒にいられるものと信じてやまなかったのである。ミサキならきっと、大人になっても自分を大切にしてくれるに決まっている、と。
そう、思っていた。きっとミサキもそのつもりだったはずなのだ。――あの事件が起きるまでは。
『うわあああん!チョコ、チョコがー!!』
きっとミサキは後悔したはずだ――友達の家に、いつものようにチョコをリュックに入れて連れて行ってしまったことを。
その友達の家には、少し大きな犬がいた。ふわふわの茶色の雑種の犬だ。きっと彼女にも悪気などなかったはずである。ただ不思議な臭いのする新しいおもちゃにじゃれついてみたいと思ったそれだけのはずなのだから。
だが、彼女の力は、本人ならぬ本犬が思っていた以上に大きかったのだ。彼女に噛み付かれ、じゃれつかれたチョコは片方の目玉が取れてどこかに行ってしまった上に、右手がぼろぼろになってほとんど取れてしまったのである。しかも、酷く汚れてしまって、殆ど修復不可能な状態だった。ミサキは大切な友達がボロボロにされたことに怒って犬を叩き、友達を責め、結果大喧嘩になってしまったのである。
チョコを犬のいる家に連れてきて、しかも目を離したことはミサキの落ち度であったことだろう。しかし、まだミサキも幼い少女に過ぎない。それがどのような結果を招くのか、なんて先んじて想像しておくなどできるはずもない。同時に当時のミサキにとっては、チョコと片時とも離れることなど全く考えられなかったのだろう。思い込みが激しく、情緒が未発達な少女に、その状況が起こるべくして起こったことを理解させるのは相当難しいことであったに違いない。
同時に。母親に危機感を抱かせるのも、充分だったことだろう。ボロボロになったチョコがいつまでも家にいたら、この子は人間の友達との友好な関係を築いていけなくなるのではないか。非常に不本意ではあるが――親がそのように考え、半ばミサキをチョコから強引に卒業させたいと願うようになるのも、全く理解できない話ではない。
ゆえに、チョコは捨てられた。それもわざわざ、ミサキをゴミ捨て場まで一緒に連れて行った上で、目の前で捨てるという所業を選んだのである。残酷に見えるが、そんな荒療治でもしなければ、娘はいつまでもチョコのことを嘆いたまま、友達を許さないまま前に進めないと考えたに違いない。
『やだあ!やだ、チョコ、チョコ!ママ酷いよ、チョコを捨てるの!?直してくれるって言ったのに、言ったのにいいい!』
『直そうと思ったけど、無理だったの!あんなに壊れて汚くなっちゃったら、もうどうしようもないでしょう!?諦めなさい。新しいぬいぐるみ、ちゃんと買ってあげるから。でももう毎日一緒にいるのはだめよ、ちゃんと家に置いておくこと、いいわね?』
『やだ、やだやだやだやだあ!新しいぬいぐるみなんて要らない、ミサキはチョコがいいの!チョコじゃなきゃ嫌なの!チョコは悪くないのに何で捨てられないといけないの、悪いのはマオちゃんちのわんちゃんなのに!!』
『まだそんなこと言って!悪いのはわんちゃんじゃなくて、チョコをマオちゃんちに連れて行ったミサキでしょ!?チョコが悪くないのは、悪いのはミサキなの。きちんと反省して、お友達と仲直りしなさい!』
『やだあ!仲直りなんかできないもん、チョコに酷いことするマオちゃんともわんちゃんとも仲直りなんかしたくないもん!みんな嫌い、ママも嫌い!』
『ミサキ!』
『やだやだやだやだああ!チョコ、チョコ――!!』
彼女の悲痛な泣き叫ぶ声が、いつまでも耳について離れない。ゴミ袋の中から、チョコは車に乗せられて遠ざかっていくミサキをずっと見つめるしかなかった。ミサキの母は彼女に諦めさせるために、わざわざ車で遠くのゴミ捨て場まで行ってチョコを捨てたのである。けして、ミサキが取りに戻ってくることがないように。
――ごめんね、ミサキちゃん。
チョコがゴミ捨て場で、独り涙を流すしかなかった。自分だって、ずっとミサキと一緒にいたい。その気持ちはある。けれど、腕が折れて中の針金が飛び出してしまっているチョコは、抱きしめられたらそれだけでミサキを傷つけてしまうかもしれない存在だ。ただでさえ汚れてしまって不衛生で、一緒にいるだけでミサキの健康を害してしまうかもしれないというのに。
ずっと一緒にいたくても、自分がいるせいでミサキを苦しめるなら。自分はこのまま、ミサキとお別れをした方がいい。どれほど悲しくても苦しくても寂しくても、チョコにとって一番の幸せはミサキが元気で長生きしてくれることに他ならないのだから。チョコは到底、彼女の母親を恨む気にはなれなかったのである。
ただ。この別れで、彼女の心に深い傷を残してしまうことが心配であるだけで。
このサヨナラを彼女が乗り越えて、笑顔を取り戻してくれるかどうかが不安でたまらないだけで。
――ミサキちゃん、お願い。どうか、僕がいなくなっても……どこかで笑って、生きて。
豆粒のように小さくなっていく車を見送りながら、チョコはひたすら祈り続けていたのである。
――僕はミサキちゃんを恨んだりしないから。ずっとずっと、最後の最期までミサキちゃんのことを好きでいるから。この気持ちだけは絶対忘れたりしないから……どうか、元気でね。
ああ、と。
チョコは己の本体を抱きしめたまま、その場でしゃがみこんだ。全てを思い出したのだ。自分が一体誰に愛され、誰を守りたかったのかということを。そしてどういう経緯で、自分がゴミ捨て場行きになったのかということを。
「良か、った……!」
ぽろぽろと、苔まみれでびしょ濡れになったクマの頭に、涙が落ちる。
「良かった……良かった。僕、僕……ちゃんと愛されてた。嫌われて、憎まれて、捨てられたんじゃなかった……!要らないなんて、ミサキちゃんは最後までそんなこと思ってなかった。僕は、僕は……最後まで、ミサキちゃんのことを……」
今、はっきりと理解できた。何故自分が、付喪神となったのか。にもかかわらず記憶を失い、このような場所をさまよっていたのか。
ゴミ捨て場で捨てられたあと、ゴミ収集車が来るよりも前にチョコが久遠の部下に拾われ、施設に運ばれた。そして他の道具同様、付喪神になるための儀式を受けさせられたのである。それは、拾われた道具をモチーフに、久遠正貴の使役霊となった真田孝之介が物語を書き下ろし――付喪神として顕現させるという儀式である。ゴミ捨て場に捨てられた道具達の多くは、その物語を受け入れた。人間に報復できる機会が産まれるならば、怪しい人間に力を貸すのもやむなしと考えたためである。
しかし、チョコは違っていた。ゴミとして捨てられながらも、一切人間のことを恨んでいなかったからである。そればかりか、使役霊と化した真田孝之介によって書かれた“チョコの真実もミサキの想いも知らないデタラメな物語”をチョコは堂々と拒絶したのだった。
『ふざけるな!僕は、僕はチョコだ!大好きなミサキちゃんがつけてくれた、チョコって名前の世界で一番幸せなテディベアなんだ!他の誰かに、その記憶を……想いを踏みにじられて、上書きされるなんて冗談じゃない!!』
チョコの強い意思の力と信念は、久遠正貴、ならびに真田孝之介の力と真正面からぶつかった。チョコは彼らの支配を強引に外すと、そのまま自力で施設を逃げ出したのである。
そして、自分の本体を取り戻そうと翠子住宅まで戻ってきて――そこで力尽きたのだ。そして強引に術を解いた代償で、記憶を一時的に失ったのである。
それが、チョコの物語。
自分が今に至る、全ての真相だ。
「チョコ……」
「大丈夫、貴美華さん……純也さん。ありがとう。本当に……ありがとう。これで全部、思い出せた」
二人には、心の底から感謝しなければいけない。チョコはびしょびしょの手で強引に顔を拭うと、二人を交互に見つめて言った。
「僕、知ってるよ。……久遠正貴が、アルベースの狼が付喪神達の儀式を行っている場所」
全部知った自分には、まだやるべきことがある。
これ以上の悲劇は起こさせない。――囚われている付喪神達を救えるのは、自分達だけなのだから。
それでもチョコには、それが“自分”だとすぐにわかった。彼女がびしょ濡れて沼の中から這い上がってきたのに駆けつけ、すぐに彼女から“自分自身”を受け取っていた。汚れていない己の青いシャツもズボンもびっしょりと濡れるのがわかりきっていたが、それでもそうしなければいけないとわかっていたのだ。
――ああ、やっと……見つけて、貰えた。
チョコはぐっしょり濡れた自分自身を抱きしめ、気づいた。茶色のテディベアは、右腕がほとんど取れかけている。もっと言うと、右目の青いボタンもどこかになくなってしまっていたようだ。恐らくこれらは、池に投げ捨てられたからなくなってしまったものではないだろう。恐らくはその前に、このような破損をしてしまって――それで捨てられてしまったのだ、自分は。
そう、思い出した。チョコ、という名前をつけてくれた、たった一人の女の子のことを。
――そうだ。ミサキちゃんだ。僕の、一番大切だったお友達の名前……。
小さな小さな、まだ小学生の女の子。ちょこん、としたツインテールに、いつも大きな水玉の髪飾りをつけていた。ミサキとは幼稚園の頃に出会って、それからずっと一緒にいたのだ。デパートで誕生日に買って貰った明るい茶色のティデベアである自分に、彼女は“チョコ”という名前をつけてとても大切にしてくれたのである。お風呂とトイレ以外のほとんどの時間を、いつも彼女と一緒に過ごしていたように思う。特に眠る時は、チョコを取り上げられるとミサキは不安がって泣いてしまうほどだったのだ。チョコの洗濯に、彼女の母がいつも苦心していたのをよく覚えている。
ミサキはチョコのことが大好きで、チョコもミサキのことが大好きだった。
ぬいぐるみと人形遊びが大好きな子供っぽいところがある反面、彼女は絵本が大好きな賢い一面もある子供だった。チョコを相手に、よく絵本を読み聞かせてくれたものである。
桃太郎、白雪姫、かぐや姫、金太郎、瘤取り爺さん。そのあたりのオーソドックスなものから、少しマイナーな絵本まで。狐と兎の友情の物語なんて、何回読み聞かせられたか知れない。別の動物でも、別の性別でも、本当の友達になることはできるんだよね。何度も何度も本を読みながら、まるで自分に言い聞かせるようにミサキは言っていた。多分それは、チョコと自分のことをも言っていたのだろう。
『ぬいぐるみと人間が、友達になれないなんてことないよね』
その時から、チョコの中には意思に近いものがあった。付喪神と呼べるほどはっきりしたものでもなく、人間の姿も取れなかったので当然彼女と話などできなかったけれど。
それでも不思議なことに、いつも彼女とは心が通じているような気がしていたのだ。ちょこんと床に座って、彼女が床に伏せてチョコと視線を合わせて。まっすぐ交わされる視線と言葉の間には、確かに自分達の間でのみ通じる不思議な言語や感情があったと思うのである。
声には出せなくても、チョコはいつも頷いていた。
――そうだよ。だって僕は、ミサキちゃんとは永遠の友達だもの。ずっとずっと一緒だよ。人間とテディベアだって、ちゃんと友達にはなれるんだ。僕達ならきっと、それを証明できるはずだよ。
大事にされすぎて、チョコはどんどん古くなって汚れていってはいたけれど。それでもチョコは、自分がミサキが大人になるまで一緒にいられるものと信じてやまなかったのである。ミサキならきっと、大人になっても自分を大切にしてくれるに決まっている、と。
そう、思っていた。きっとミサキもそのつもりだったはずなのだ。――あの事件が起きるまでは。
『うわあああん!チョコ、チョコがー!!』
きっとミサキは後悔したはずだ――友達の家に、いつものようにチョコをリュックに入れて連れて行ってしまったことを。
その友達の家には、少し大きな犬がいた。ふわふわの茶色の雑種の犬だ。きっと彼女にも悪気などなかったはずである。ただ不思議な臭いのする新しいおもちゃにじゃれついてみたいと思ったそれだけのはずなのだから。
だが、彼女の力は、本人ならぬ本犬が思っていた以上に大きかったのだ。彼女に噛み付かれ、じゃれつかれたチョコは片方の目玉が取れてどこかに行ってしまった上に、右手がぼろぼろになってほとんど取れてしまったのである。しかも、酷く汚れてしまって、殆ど修復不可能な状態だった。ミサキは大切な友達がボロボロにされたことに怒って犬を叩き、友達を責め、結果大喧嘩になってしまったのである。
チョコを犬のいる家に連れてきて、しかも目を離したことはミサキの落ち度であったことだろう。しかし、まだミサキも幼い少女に過ぎない。それがどのような結果を招くのか、なんて先んじて想像しておくなどできるはずもない。同時に当時のミサキにとっては、チョコと片時とも離れることなど全く考えられなかったのだろう。思い込みが激しく、情緒が未発達な少女に、その状況が起こるべくして起こったことを理解させるのは相当難しいことであったに違いない。
同時に。母親に危機感を抱かせるのも、充分だったことだろう。ボロボロになったチョコがいつまでも家にいたら、この子は人間の友達との友好な関係を築いていけなくなるのではないか。非常に不本意ではあるが――親がそのように考え、半ばミサキをチョコから強引に卒業させたいと願うようになるのも、全く理解できない話ではない。
ゆえに、チョコは捨てられた。それもわざわざ、ミサキをゴミ捨て場まで一緒に連れて行った上で、目の前で捨てるという所業を選んだのである。残酷に見えるが、そんな荒療治でもしなければ、娘はいつまでもチョコのことを嘆いたまま、友達を許さないまま前に進めないと考えたに違いない。
『やだあ!やだ、チョコ、チョコ!ママ酷いよ、チョコを捨てるの!?直してくれるって言ったのに、言ったのにいいい!』
『直そうと思ったけど、無理だったの!あんなに壊れて汚くなっちゃったら、もうどうしようもないでしょう!?諦めなさい。新しいぬいぐるみ、ちゃんと買ってあげるから。でももう毎日一緒にいるのはだめよ、ちゃんと家に置いておくこと、いいわね?』
『やだ、やだやだやだやだあ!新しいぬいぐるみなんて要らない、ミサキはチョコがいいの!チョコじゃなきゃ嫌なの!チョコは悪くないのに何で捨てられないといけないの、悪いのはマオちゃんちのわんちゃんなのに!!』
『まだそんなこと言って!悪いのはわんちゃんじゃなくて、チョコをマオちゃんちに連れて行ったミサキでしょ!?チョコが悪くないのは、悪いのはミサキなの。きちんと反省して、お友達と仲直りしなさい!』
『やだあ!仲直りなんかできないもん、チョコに酷いことするマオちゃんともわんちゃんとも仲直りなんかしたくないもん!みんな嫌い、ママも嫌い!』
『ミサキ!』
『やだやだやだやだああ!チョコ、チョコ――!!』
彼女の悲痛な泣き叫ぶ声が、いつまでも耳について離れない。ゴミ袋の中から、チョコは車に乗せられて遠ざかっていくミサキをずっと見つめるしかなかった。ミサキの母は彼女に諦めさせるために、わざわざ車で遠くのゴミ捨て場まで行ってチョコを捨てたのである。けして、ミサキが取りに戻ってくることがないように。
――ごめんね、ミサキちゃん。
チョコがゴミ捨て場で、独り涙を流すしかなかった。自分だって、ずっとミサキと一緒にいたい。その気持ちはある。けれど、腕が折れて中の針金が飛び出してしまっているチョコは、抱きしめられたらそれだけでミサキを傷つけてしまうかもしれない存在だ。ただでさえ汚れてしまって不衛生で、一緒にいるだけでミサキの健康を害してしまうかもしれないというのに。
ずっと一緒にいたくても、自分がいるせいでミサキを苦しめるなら。自分はこのまま、ミサキとお別れをした方がいい。どれほど悲しくても苦しくても寂しくても、チョコにとって一番の幸せはミサキが元気で長生きしてくれることに他ならないのだから。チョコは到底、彼女の母親を恨む気にはなれなかったのである。
ただ。この別れで、彼女の心に深い傷を残してしまうことが心配であるだけで。
このサヨナラを彼女が乗り越えて、笑顔を取り戻してくれるかどうかが不安でたまらないだけで。
――ミサキちゃん、お願い。どうか、僕がいなくなっても……どこかで笑って、生きて。
豆粒のように小さくなっていく車を見送りながら、チョコはひたすら祈り続けていたのである。
――僕はミサキちゃんを恨んだりしないから。ずっとずっと、最後の最期までミサキちゃんのことを好きでいるから。この気持ちだけは絶対忘れたりしないから……どうか、元気でね。
ああ、と。
チョコは己の本体を抱きしめたまま、その場でしゃがみこんだ。全てを思い出したのだ。自分が一体誰に愛され、誰を守りたかったのかということを。そしてどういう経緯で、自分がゴミ捨て場行きになったのかということを。
「良か、った……!」
ぽろぽろと、苔まみれでびしょ濡れになったクマの頭に、涙が落ちる。
「良かった……良かった。僕、僕……ちゃんと愛されてた。嫌われて、憎まれて、捨てられたんじゃなかった……!要らないなんて、ミサキちゃんは最後までそんなこと思ってなかった。僕は、僕は……最後まで、ミサキちゃんのことを……」
今、はっきりと理解できた。何故自分が、付喪神となったのか。にもかかわらず記憶を失い、このような場所をさまよっていたのか。
ゴミ捨て場で捨てられたあと、ゴミ収集車が来るよりも前にチョコが久遠の部下に拾われ、施設に運ばれた。そして他の道具同様、付喪神になるための儀式を受けさせられたのである。それは、拾われた道具をモチーフに、久遠正貴の使役霊となった真田孝之介が物語を書き下ろし――付喪神として顕現させるという儀式である。ゴミ捨て場に捨てられた道具達の多くは、その物語を受け入れた。人間に報復できる機会が産まれるならば、怪しい人間に力を貸すのもやむなしと考えたためである。
しかし、チョコは違っていた。ゴミとして捨てられながらも、一切人間のことを恨んでいなかったからである。そればかりか、使役霊と化した真田孝之介によって書かれた“チョコの真実もミサキの想いも知らないデタラメな物語”をチョコは堂々と拒絶したのだった。
『ふざけるな!僕は、僕はチョコだ!大好きなミサキちゃんがつけてくれた、チョコって名前の世界で一番幸せなテディベアなんだ!他の誰かに、その記憶を……想いを踏みにじられて、上書きされるなんて冗談じゃない!!』
チョコの強い意思の力と信念は、久遠正貴、ならびに真田孝之介の力と真正面からぶつかった。チョコは彼らの支配を強引に外すと、そのまま自力で施設を逃げ出したのである。
そして、自分の本体を取り戻そうと翠子住宅まで戻ってきて――そこで力尽きたのだ。そして強引に術を解いた代償で、記憶を一時的に失ったのである。
それが、チョコの物語。
自分が今に至る、全ての真相だ。
「チョコ……」
「大丈夫、貴美華さん……純也さん。ありがとう。本当に……ありがとう。これで全部、思い出せた」
二人には、心の底から感謝しなければいけない。チョコはびしょびしょの手で強引に顔を拭うと、二人を交互に見つめて言った。
「僕、知ってるよ。……久遠正貴が、アルベースの狼が付喪神達の儀式を行っている場所」
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