暁に散る前に

はじめアキラ

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<15・グルグル。>

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 ぐるぐるぐるぐる。
 ぐるぐるぐるぐる。
 中庭の草むしりをしながらも、映子の頭の中ではずっと同じ言葉が回り続けているのだった。



『俺は、初めて会った時から……貴様のことが好きだ、映子』



『忘れてくれて構わん。ただ、秘密は守り通してくれ。……所詮俺は、帝に囚われた籠の鳥。好きでもない男に散々穢され、魂さえも壊されそうとしている憐れな存在にすぎぬ。女官である貴様と、結ばれることなど絶対にあり得ないのだからな……』



――わ、忘れてくれていいとか言ってもおおおお!

 忘れられる筈がない。あのような忌々しいほど美しい存在に、よもや愛の告白を受けようとは。実はあの蓮花が男性だった、という事実だけでも大混乱だというのに、まさか自分のことが好きだったなんて言われるとは。
 正直、まったく理解できないし、頭が追い付かない。
 確かに映子は、自分の見目には自信がある。武術にも、学問の知識にも、舞の技術にもだ(歌はアレだが)。しかし、だからといってろくに話す前に見惚れたなどと言われるとは。しかもその後の自分の態度はお世辞にも蓮花に好意的なものではなかったはずだ。縁花の一件を知って以降はやや緩和したかもしれないが、それはだいぶ後になってからのこと。
 だって映子はずっと、蓮花のことを“我儘でムカつく鼻持ちならないお妃様”としか見てなかったのである。どうにか丁寧語だけは取り繕っていたが、それでも本人に許されるまま毒を吐いていた自覚はあるし、というかも何もかも態度から“あんたが嫌いです”が滲んでいたはずである。
 それなのに。昨日あのように告げられたということは、つまり。自分への好意が、初めて見た時から変わっていなかったということで。

――な、何で?何でなの?わ、わたくしそんな、そんな好かれるようなことなんて何も……!

 嬉しくない、と言えば嘘になる。何故なら生まれてこの方、あのような愛の告白を受けたことなど人生で一度もなかったのだから。誰かに想われて、魅力を認められて、嬉しくないはずがないのである。それが女装しているとはいえ、あのように見目麗しい男子であるなら尚更に。
 ただ、それ以上に戸惑いもあるのだ。だってあの直前まで自分は、蓮花が女性であることを全く疑っていなかったのだから。しかもあの様子だと、蓮花の正体を知っている人間は後宮の中でもごくごく限られた存在だけなのだろう。縁花がいなくなった以上、現在はもう帝と自分しかいない可能性もあるほどだ。
 それほどまで必死で隠してきた秘密を、自分が暴いてしまった。
 確かに御付きの女官である以上、身の回りの世話をする機会は多い。知るのは時間の問題だったかもしれないが――。

「映子さん、手が止まってるわよ」
「あっ」

 草叢の影から、康子がひょっこりと顔を出した。後ろにお団子状にまとめた髪に、緑色の葉があちこち付着している。

「中庭のチゲチゲソウは丁寧に抜かないと駄目って言われたでしょう。春夏秋冬季節問わず生い茂って、中庭の花を駄目にしてしまうんだから。特に今年は秋とはいえ蒸し暑い日が多いし、まだまだ雑草も元気なのよね」
「す、すみません」
「ミコカスミの新芽と間違えないようにね」

 他の国ではどうか知らないが、北皇国の女官の仕事にはとにかく雑用が多い。肉体労働も少なくない。自分達のような貴族の娘に草むしりをさせても許されるなんて、それこそ帝くらいなものだろうなと思う。
 それぞれの季節に対応して、様々な草花を咲かせて妃や女官たちを楽しませてくれる中庭であったが、とにかく広いことと雑草が生えやすいことが問題なのだった。強い農薬を使えば一掃できるのかもしれないが、それでは既存の他の花たちのことも痛めてしまう結果になる。また、以前試しに撒いた農薬が益虫を殺しまくってしまい、かえって害虫を大量発生させて大混乱を招いたなんてこともあったのだそうだ。
 ゆえに、使えるのはほんの一部の害虫を殺せる程度の弱い農薬くらいしかない。チゲチゲソウのような、とにかく深く根を張ってしまい、少しでも根が土中に残っていると復活してくるような強かな雑草にはまったく効かないのだ。

――し、仕事。仕事しないと。

 思考を振り払って、どうにか小さな鍬で土を掘る。まるで葱のように空高く伸びた草の下には、太くて丈夫な根がしっかりと降りている。この根が土の養分を奪ってしまうのみならず、他の植物の根元まで侵略して掘り返してしまうのが問題なのだ。成長しすぎると、イコザクラ木を根本からなぎ倒してしまうこともあるという。実際、都で川岸のイコザクラの木が倒れて商家の家屋を潰してしまい、大変なことになったことがあると聞いたこともあった。
 面倒だが、除去するためにはチゲチゲソウの周囲だけを丁寧に鍬と手で掘って、根を残さないように綺麗に被っ子抜かなければいけない。自分達のような若い女官でなければできないような肉体労働だった。中腰姿勢が多いので、一歩間違えれば腰を痛めそうである。

「ふうっ……んー!!」

 ずるり、と土の中から、芋でも引き抜くように根をひっこぬく。それを見て、康子が“上手いじゃないの”と目を丸くしてきた。

「ひょっとして、畑作の経験がおありだったりするの?映子さん」
「まあ……没落貴族の家でしたからね。ある程度、庭で自分達の食べ物は自家栽培しないといけなかったところがありまして。わたくしなんぞは女ながらに駆り出されることも多かったものですから」
「それは頼りになるわ。どうしても、力仕事が得意な女官は限られてくるものだから。特に、高名な貴族の娘であればあるほどこのようなことをする経験がなくて戸惑うみたいよ。というか、何故自分のような名家の者が、土まみれになって下民のような仕事をしなければならないのかと思うらしいわ」
「あー、まあ……そうでしょうねえ」

 自分は予めこういう仕事もあると知った上で後宮入りしたからいいが。そういう予備知識が不足していれば、このような仕事をなんで自分が!と思ってしまう娘も少なくないに違いない。
 確かに、貴族の娘がやるにしてはあまりに“雑用”の幅が広すぎるし、肉体労働が多いのも事実だろう。が、そもそも女官はいざとなった時身を挺して帝と妃をお守りする役目もあるので、ある程度体を鍛えておくのは当然の義務なのである。
 何より、どれほど泥臭い仕事だろうと、この場所に基本帝以外の男性を入れることができない以上、女官たちが全ての雑事をこなさなければいけないのは必然なのだ。ぐちぐち文句を言っていても始まらない。仕事に熱心で真面目だという評価が帝の耳に入れば、それだけで帝の覚えがめでたくもなるというもの。最終的に第一妃という名のこの国の女性の頂点に上り詰めるためならば、これくらいの苦労が一体何だというのか。

――まあ。その第一妃にいるはずの蓮花様は……ちっとも幸せそうではないのだけれど。

 段々と、分からなくなってくる。
 女性として最高の権力を得ることができれば。それが自分にとって最高の幸せであり、家の名誉回復にも繋がると思っていた。後者は多分間違っていないのだろう。第一妃の家ともなれば、都にも確実に戻して貰えるし、何より莫大な援助が出ることも期待できるからである。というか、帝の親戚になるのだから、扱いが格段に良くなるのは必然だ。
 が、その夢にまで見た地位にいるはずの蓮花は。好きでもない男に抱かれるのが耐えられないと苦しんでいる。勿論それは、彼が本当は男の身であるというのもあるだろうが。それ以上に、閨で睦み合うのは愛する人だけでありたいという願望があるゆえらしい。
 好きでなくても、名誉さえ得られるのなら。帝に抱かれるくらい何でもないと思っていた映子には、あまり想像がつかないことだった。まあ、未だに生娘の身であるために、閨での行為がどういった苦痛や快楽を伴うのかまったくわかっていないからというのもあるかもしれないが――。

――妃を目指すのは。本当にわたくしにとって、正しいことであったのかしら。

 揺らぎそうになってくる。
 自分が望んでいたものが、願っていた未来が。

――もしそうではないのなら。わたくしは一体何の為に、この後宮に入ってきたの?……縁花様を助けることもできず、苦しんでいる蓮花様に何かをして差し上げることもできず。

 ああ、蓮花。
 自分は彼を、どう思っているのだろう。答えはいいからと言われてしまい、そのまま約半日以上うやむやになってしまっているこの状況。
 今のまま、妃と女官という関係のまま。あるいは身分を越えた友人のような関係のままでいいと思っていた。というか、相手が女性だと思っていたからこそそう考えていたと言うのに。実は男性で、己に好意を持たれていたなんて。
 あのような美しい人に。
 あのような、悲しい人に。

「何か、悩みでもあるの?」
「えっ」

 ふと康子に声をかけられ、映子ははっとして顔を上げた。しまった、また思考がよそにすっ飛んでいってしまっていた。昼餉の時間までに、草むしりには区切りをつけなければいけないというのに。
 が、康子はどうやら今度はそれを咎めるつもりではなかったらしい。本気で心配そうに、映子の顔を覗きこんでくる。

「私で良ければ、相談くらいには乗るわよ。これでも女官筆頭なの」
「あ……」

 きっと、康子は蓮花の正体など知らない。というか、表立ってそんなもの知られていたら今頃大騒ぎになっているのに違いないのだから。
 ゆえに、直接悩みの本質を相談することなどできないわけだが。

「その……」

 少し考えた末、映子は口を開いたのだった。

「昨日、蓮花様とちょっと……縁花様のことをお話していたもので、それで」

 心の中で、縁花様ごめんなさい、と謝りながら。
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