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<5・人助けの理由>

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 協力しますよ、と紫苑に言われた時にアーリアがそれを拒まなかったのは。彼女の善意に甘えたというより、強引に異世界転移させてしまったことへの申し訳ないという気持ちが強かったせいだった。
 何度も何度も現代日本に足を運んだからわかる。あの世界とこの世界では、あまりにも理が違っている。日本にも日本で数多くの問題があることは百も承知であるが、それでも彼らの世界には当たり前のように外を闊歩するモンスターなどいないし、魔法の力もない。それなりに科学技術は発展しているようだが、世界と世界を隔てる“壁”を超える手段は彼らには確立されていないし、質量をもったホログラム技術もこちらにしかないようである。出来ることが出来なかったり、逆に出来ないことが出来たり、宗教というものに阻まれることもあったりなかったり。
 そういう存在だからこそ、それが当たり前だからこそ――本来、異世界転移や転生なんてそう軽い気持ちでやっていいことではないのだ、とアーリアは思うのだ。実のところ、アーリアが北の地に身を寄せているのは故郷だからというだけではなかく、三人の傲慢な女神達のことが気に食わないからというのもあるのである。
 彼女達は、神として崇められることゆえに調子に乗りすぎて――自らの本分を完全に忘れてしまっている。けして死ぬこともなく、殺されることもなく、不老不死の身で永遠にこの世界を見守り続けることのできる女神。そんな長生きの存在が、どうして異世界から勇者を呼び寄せ、あまつさえチート能力を与えるリスクに気づかなかったのだろうか。
 自分達が、生きるための世界だというのに。
 いざ問題が起きたら、知らぬ存ぜぬと住人達に投げっぱなし。自分達は神様だから関係ないとでも言わんばかり。

――何が平和の女神なんだかね。……自分達が最近、地元の支配地域の人々にさえ“邪神”って呼ばれ始めてることに気づいてないのかな、女神さん達は。

 そんなわけだから――紫苑に糾弾されなかったことは意外であったし、こんな簡単に自分達の話を信じて、助けようと言い出したのも驚きであったのである。
 しかも意見を出させて見たら、それなりに真っ当で現実的なものが出てくるではないか。案外使えるのかもしれない、彼女は。――と、こんな言い方をしたら少々可哀想かもしれないけれど。

「……あのさあ」

 三人の女神はそれぞれ性格が異なるが。それでも、会いに行く手段は存在している。彼らは揃いも揃って別方向に傲慢だが、それは自らが絶対の存在であると確信しているがゆえのこと。どんな悪意を持つ相手が現れても、死なない殺されないとわかっていれば恐るるに足らない。むしろその不死性ゆえに退屈している彼女達は、特定の作法さえ踏めば簡単に誰とでも対面するのである。
 勿論、以前ものすごく機嫌を損ねた相手、などは無視する可能性もあるのだろうが。

「どうしても訊きたいんだけど、いいかい?」
「何ですか」
「どうして手を貸してくれるのかなって話。困っているから手助けしたいと思った、っていうのはわかるし有難いと思ってるよ?でも悪いけど私、そこまで簡単に人を信用はできないというかさ。……大抵の人間って、多少なりの打算で動くものじゃないかい?」

 今、アーリアは紫苑と共に、西の女神であるマーテルが住む西の外れの森まで来ていた。この奥に、女神が住むとされる聖域が存在する。最近は苦情を言いに来る者も少なくないらしく、近隣住民達の前にはなかなか姿を見せないのだという情報があった。ならば逆に、地元住民ではない北の地域の出身者である自分達ならば、顔を見せてくれる可能性もあるはずである。
 まあ、自分はその女神を嫌っているし、勇者と敵対する魔王とされているのは事実なので――別の意味で会う気にならない可能性はあるのだが。それならそれで、別の手を考えるしかないのである。そもそも自分が呼び出したはずの勇者に手を焼いているのは、女神も同じであるはずなのだから。
 紫苑は一人で会いに行ってもいいとは言ったが、さすがに西の地域に右も左もわからぬ少女一人を投げ込むわけにはいかない。なんせ、彼女は異世界転移したといっても、なんの女神の加護もチートスキルもないただの女子中学生なのである。最弱モンスターに襲われただけで命取りになるのは明白。護衛をつけないわけにはいくまい。
 加えて、アーリア自身どうしても女神に一言言いたかったというのもあるし――紫苑の“説得”を間近で見て、彼女の力量を確認しておきたいと思ったのもある。これでも、魔王軍のトップだ。戦闘能力で言えば、文句なしに軍団一である。女の子一人護衛するのにはなんら問題もないだろう。まあ、自分も元は人間なので、勇者のチートスキルに単体で勝てるわけではないのだけれど。

「その考えは正しいですよ。人間、そうそう損得勘定抜きで動くものではありません」

 そして、森の道をすたすたと歩きながら紫苑は告げる。聖域に続く道は、元より女神に会いたい信者達が頻繁に訪れるということもあり、綺麗に薄ピンクのタイルで舗装されていたので歩きやすかった。自分はともかく、紫苑は普通のローファーである。獣道でなくて本当に良かったと思う。本人いわく、運動神経も全く自信がないとのことであったし。

「実際僕も、自分にメリットがあるから協力を申し出ただけですから、お気になさらず。役に立たないと思ったら正直に言ってくださっていいので」
「メリット?」
「興味です、興味。この世界があなた方にとって現実であることは百も承知ですが……僕からすれば、今まで読んだこともない新しい本を開くような、ちょっとしたわくわくした気持ちになるのも事実なんですよね。本は本なので、閉じたら現実に戻れないと困りますけど……そこは、貴方が元の世界に帰すと確約してくださってますから、なんの問題もないですし。……それに」

 ぴたり、と足を止める少女。舗装された道が途切れ、その奥には“いかにも”な泉が見える。泉の前には、真っ白に磨かれた石で形作られた豪奢な台座と、女神を模した石像が。

――女神サマの姿は、前に何度か見たことがあるけどさあ。……なんだかねえ。

 彼女らの姿や性格は、それを信じる信者達の性格やイメージから形作られるとされている。だからだろうか、どの女神も非常に美しい見目を持つ存在として顕現されるのだが――何故に“平和の女神”であるはずの彼女らは、揃いも揃って露出マシマシの、発禁ゲームにでも出てきそうなきわどい服装なのだろうか。胸の谷間が見えるどころか、ギリギリ乳首を隠しているだけの布地に加えて、オヘソは丸出しのぎりぎり股間を隠しているだけに見える腰布一枚まとっているだけの姿と来た。平和の象徴というより、欲望の象徴の間違いではなかろうかと思う。その姿をそのままうつしとった石像を前に、アーリアはただただため息を吐くしかない。
 そんな女神だから、彼らの性格を反映して身勝手極まりな“暴走族”になってしまったのだろうか、と。

「それに。あの人ならきっと、目の前で困っている人をほっとくなんてこと、しなかったでしょうから」
「あの人?」
「僕が子供の頃に、突然いなくなってしまった人がいるんです。……とても正義感が強くて、いじめられている子がいたら絶対にほっとかない、そんな人でした。僕も、あの人みたいに強くなりたかったんです。だからずっと、男の子みたいな服装をしたりとか、憧れのあの人に近づけるように体を鍛えたりとかはしたんですけどね……残念ながら、ずっとチビで運動音痴のままでしたけど」

 それで、なんとなく察した。リア・ユートピアにも色々な性的趣向の人が存在する。体の性別と心の性別が一致しない人や、同性愛者などの権利がやっと認められるようになってきた昨今だ。確か、現代日本でも似たような問題提起があり、状況はさほど変わらないものだったのではなかろうか。
 そんな中で、やはり――女子中学生であり、可愛い見目の少女であるはずの紫苑が、“僕”と自分を呼んでいるのは珍しいとは感じていたのだ。何か理由があるのかもしれないな、と。そのわりに、別に男の子になりたいだとか、女の子が好きな趣向の持ち主であるという印象も特に受けなかったので不思議ではあったのだけれど。あこがれの人の真似をしていたというのなら、なんとなく納得がいくのである。
 その人なら、きっと助けるから。その人のようになりたいから。そんな理由で、異世界の誰かのことさえ助けようとしてしまうのならば。よほどその“あこがれのひと”は、彼女にとって重く、大切な存在であったのだろう。
 見つめる視線は、女神の玉座を見ているようで、どこか遠い場所へと投げかけられているように感じる。強く、されど淋しい目だ。ほんの少しだけ、アーリアの胸の内がもやもやとした。そんな眼をさせるような相手を、彼女は今でも待っているのだろうか――と。

「……いつかまた、会いたいと思ってる?」

 思わず、尋ねていた。すると彼女は小さく笑って、どうでしょうね、と呟いた。

「その人が、望んでくれるのであれば。あの頃のお礼をきちんと伝えたいとは思います。でも、生きているのならきっと……彼にも新しい人生と時間があるでしょうから。幼い頃に少し近所に住んでいただけの女の子が突然目の前に現れても、迷惑になるだけかもしれません。それなら、僕は会わなくていいです。大切な人なら、その人の幸せを願うのは当然でしょう?」

――ああ、君は……そういうことを、本気で言える人間なんだね。

 強いな、とアーリアは思った。同時に、本当に純粋な人間なんだ、とも。
 アイドルが結婚すると聴いて、相手の女をけなしたり呪詛を吐く人間がこの世界でも現代日本でも少なくないというのに。よくできた女子中学生である。連中に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。

「……すみません、つまらない話をしてしまいましたね」

 そこで、彼女は話を打ち切った。まるでこれ以上踏み込まれたくないとでもいうように。

「呪文を唱えて、空中に陣を書き、お祈りを捧げればいいんでしたよね」
「え?あ……うん」
「やってみますね。会ってくれればいいんですけど」

 余計なことを言わせてしまったのかもしれない。それでも、アーリアは何故か、尋ねたことを後悔したいとは思えなかった。
 不思議なことに、当たり前のように、紫苑のことが知りたいと願った自分がいたからである。まだ、会って数時間も過ぎていない相手だというのに。
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