チート勇者が転生してきたので、魔王と共に知恵と努力で撃退します。

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<29・逆さまアイデンティティ>

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 アヤナからすれば、自分はきっと裏切り者以外の何者でもないんだろうな、と紫苑は思う。わかっているのだ、紫苑も――己が随分とえげつない真似をしたということくらいは。
 敵地に乗り込んできた、敵の魔王の手下。その時点で、紫苑がアヤナの味方であるはずもないのだが。紫苑はあえて、彼女に“己がさも理解者であるかのように振舞う”ことで警戒心を解いてみせたのである。
 己の分析力の有用性を示した上で、彼女が誰にも語って来なかった本心を見抜く。そして、自分なら彼女の理解者になれる、と誤解するような物言いで語りかける。実際、紫苑はただ彼女に“己なら話を聞いてやれる”と言っただけで“味方になってやる”なんてことは一言も言っていないわけなのだが。

――アヤナの周囲を、アヤナの恋奴隷たる男達が固めている限り、手出しをすることは難しい。こちらの兵士の中には女性も数多くいるから、女性だけを固めてアヤナのところに特攻させることもできないわけではなかったが……それでもアヤナが集めた東の地域中の男達を全て相手にするのは不可能に近い。

 そもそも、彼らはアヤナの能力で洗脳されているだけの被害者だ。なるべく傷つけたくはない。そして、その洗脳さえ解いてしまえば、けして戦う必要もない相手である。
 対して、アヤナの兵士達はアヤナを心の底から“一生添い遂げたい運命の相手”あるいは“命にかえても守るべき神様”に等しいと真剣に信じ込んで襲ってくるわけだ。そこに、情けも容赦もあろうはずがない。覚悟がある者とない者が戦えば、どちらに分が悪いかなど明らかなことだろう。以前どこかの本に書いてあった。善意や良心、そういったものから手を離せない者は。そういうものを捨て去った、両手が自由な者に勝つことがけして出来ないのだと。善意や良心は人としての最後の砦であると同時に、時に人を縛る大きな枷にもなりうるのだと。
 人を殺す時に、恐らくそれが最も浮き彫りになるに違いない。
 普通の人間は、多少誰かにムカついても相手を殺そうとは思わない。殺そうと思っても、実行に移したりはしない。なぜならそこに、良心の呵責や罪悪感が伴うからだ。法律という常識、捕まってしまうことへの恐怖、人殺しになってしまうことへの恐れ。それらが人を縛り、理性という名の枷を作る。そしてその枷こそが、人が人たるものである証明でもあり、多くの人々が平和に暮らしていける最大の理由でもあるのである。
 アヤナの力で、その“人としてあるべき心”を捨てさせられてしまった者は、とても強いだろう。それこそ、本人さえ気づかないほどに、取り返しがつかない強さを持っている。真正面から戦っても、互いに要らぬ傷を負うだけ。それは、アーリアが望む“本当に平和的支配”には程遠いものであるはずだ。
 彼らをなるべく傷つけることなく、アヤナだけを制圧する。それが最も理想的。ゆえに紫苑は、そのための作戦を考えて実行したのだ。己が、軍で最も非力で弱者であることを逆手に取って。

――誰がどう見ても弱っちい僕が囮になれば、それが最も油断を誘える。……その上で、クラリスは最初から護衛ではなく、アヤナを捕まえる最後の武器として同行してもらっていた。戦い全てを恋奴隷頼みにしているアヤナは、銃を持っていたところで素手のクラリスに勝てるはずがない。ましてや彼女は……自分の手を汚して人を殺す度胸さえないのだから。

 一日で交渉を成功させ、アーリアを東の地まで誘導する。エリーゼはアヤナにそう約束し、アヤナもそれを了承した。その期限は、彼女にとって疑う余地などなかったはずだ。なんせ、三日という期限を却下して、一日に短縮して提示してきたのはアヤナの方であるのだから。
 ゆえに、彼女は考えもしなかっただろう。その一日を待たずして、こちらが仕掛けてくることなど。紫苑がそれよりも前に交渉を願い出た時点で、既に“北の魔王軍”の攻撃が始まっていたことなど。
 “交渉役”と思われた紫苑が東の地に入った時点で、既に舞台の幕は上がっていた。あとは、紫苑に全兵士達が引きつけられている隙を見て、北のアーリアの仲間達がアヤナの屋敷を包囲。配置について、空間転移の魔法を準備するだけでいい。
 屋敷内の“男性”だけを全て特定のポイントに飛ばす。数が多い分少し準備はかかるが、裏を返せば“必要な魔力”と“それに伴う時間と手間”さえ費やすことができれば十分に可能な行為ではあったのだ。なんせアーリアの魔法は、異世界や魔界から人を呼び寄せることさえも可能なレベルであるのだから。
 必要な魔力は、それに応じて術者の人数を増やせば事足りる。アーリアを信頼し、命を預けてくれる仲間が多い北の軍だからこそできたことだ。一人では発動不可能な魔法も、多人数で力を合わせればいくらでも可能にできる。その信頼と結束こそ、アヤナにはない自分達の最大の武器なのだ。
 あとは紫苑が、彼らの行動がバレないように――アヤナとアヤナの側近達の意識をこちら側にひきつけ、時間を稼げば問題ない。丸腰の状態で、話術だけで時間を稼ぐのだ。ぶっつけ本番でどこまでできるかが勝負の分かれ目だったが、どうにか成功して助かったと思う。戦いにならないような状況を作る、“言葉”で魔法をかける。紫苑に出来ることなど、最初からそれだけであったのだから。
 同時に男性の奴隷達を空間転移魔法で、北の地の国境ギリギリの地点に飛ばす。幸い、アヤナの屋敷は北の地の国境からさほど遠い地点ではなかった。距離が短い分、必要時間や魔力も多少なりに短縮できたというわけである。
 まあ、その話術に翻弄され、紫苑が味方かもしれないと一瞬でも信じてしまったであろうアヤナは、たまったものではなかっただろうが。

「あんたなんかに分かるわけない……私の気持ちなんかっ……!」

 ガン、と。牢屋の中で座り込み、床に拳を叩きつけるアヤナ。

「だってあんたは……あんたは、前世の私よりずっと、ずっとまともな見た目なんだもの……!醜くて、気持ち悪い姿で、おばけみたいって馬鹿にされたことなんかないんでしょ。そんなあんたに、私の気持ちなんかわかるはずない。わかるわけなかったのに……!」
「確かに、僕は貴女ではありませんから。貴女の気持ちが分かるだなんて言ったら、嘘にしかなりませんね」
「でしょうよ!……それでも、分析できてたんでしょ。だからあんなこと言ったんでしょ。事実として、私が何にコンプレックスを抱いてたか、全部見抜いてたくせに……それなのに!」

 ガン、ガン、ガン!
 繰り返し、繰り返し。彼女の怒りを象徴するように叩きつけられる拳。本当は紫苑のことを殴りたいのだろう。が、鉄格子は囚人が触れれば即座に跳ね飛ばされるよう結界が貼られている。だからそこに、拳を叩きつけることができない。憎たらしい女の顔を、潰すことも叶わない。
 まあそれがわかっているから、紫苑もここまで足を運ぶことに躊躇いがなかったわけではあるが。

「それなのに……なんで、私を否定するのよ!私は何も間違ってないじゃない!確かに……確かに私だって悔しいわよ、元の世界で私を馬鹿にした奴らに復讐してやれたらそれが一番いいわよ!でもそれができないんだから……しょうがないじゃない、この世界で幸せになるしか!この世界でなら私は、前世が不幸だった分をいくらでも精算できる。何がいけないのよ、美しくなりたい、イケメンの逆ハー作りたいって思うことの、何が!!」

 叫ぶ、叫ぶ。アヤナは叫ぶ。
 ずっと吐き出すことができなかったであろう本心を、紫苑の前で。

「まったく、マサユキといい貴女といい。どうしてこうも論点を都合のいい方向にズラすんですかね」

 そんなアヤナに、紫苑はため息をつくしかない。自分達は一言でも言っただろうか。スローライフを過ごしたい、愛される自分でいたい――幸せになりたい。そんな彼らの望みを、そう望むことそのものの自由を、一度でも否定したことが。

「誰かに仕返しをしたい。不幸だった分を取り返したい。美しくなりたい。愛されたい。……それは、誰だって当たり前に持つ願望です。何もおかしなことではありません」

 一瞬、アヤナの眼が何かに縋ろうとする瞬間を見た。だから、紫苑は。

「それは何も間違いではない。正しい努力と、信念で手に入れようとするなら。……だから貴女は、貴女達は間違ってるんだ。努力の方向性を間違えて、あまつさえ罪もない人間にその負債を背負わせようとしたのだから」

 突き落とす。
 彼女も知らなければいけない。自分の罪を。
 そして自覚しなければいけないのだ。己が、裁かれるべき存在であるということを。――それほど当然のように、誰かを傷つけて苦しめてきたという事実を。
 知って後悔し、反省し、その痛みを受け取らなければ。彼女達は転生しても、何も変わることはできないのだから。

「この世界で貴女が無理やり奴隷にした男性達が、貴女に何をしましたか。貴女に罵声を浴びせましたか。貴女を傷つけましたか。貴女をイジメたり、無視をしたりしましたか」
「だからそれは……!」
「復讐を否定しない、僕はそう言いました。嘘ではありません。でもそれは、“復讐されるべき対象に、報復をも覚悟の上で復讐するのなら”という意味です。貴女がやったことは、ただの八つ当たり。同じ世界の人間でもない、種族でもない。ただ男性だったというだけで、性的に、精神的に、物理的に追い詰められて苦しめられた。たまたま、貴女が加護を受けた東の地に住んでいたからというだけで」

 言い訳の余地が、何処にあるというのか。
 復讐が正義か悪かなんて話はしていない。彼女のそれは、“復讐にさえなっていない”ことを知るべきなのだ。

「貴女が、愛する夫や息子を奪った女性達も。家族を人質に取って言いなりにしてきたエリーゼ達もです。貴女は自分がされたことのウサ晴らしを彼女達でやっただけ。……確かに同じ“人間”であるのは事実でしょう。同じ人間だから、ウサを晴らされても報復されても仕方ないともし貴女が本気でそう思うのなら。……当然、自分が同じ目に遭わされる覚悟もおありですよね?」

 紫苑はポケットからリモコンを取り出すと、そのボタンを一つ押し込んだ。途端、アヤナの上から降りてくる一つのモニター。表示されているのは、別の牢屋での映像だ。

『ごめんなさい、ごめんなさい……!許してください、許してくださいっ……!』

 そこでは、ボロボロの中年男性が縛られた状態で天井から吊るされている。そして、真っ青な顔で目の前の女性に懇願していた。目から、鼻から、口から、だらだらと情けないまでに体液を垂れ流しながら。

『もう二度としません……もう二度とあんな酷いことなんてしませんから、だからあ!だから、だから……トイレに、行かせてくれえ、頼む!腹が、腹が限界なんだよお……!』

「な、何、これ……」

 血の気が引いた顔で、モニターと紫苑を交互に見るアヤナ。わかっているくせに、と紫苑は微笑んで告げる。

「マサユキですよ。……彼は、あの女性を能力で奴隷にしてこき使っていました。ゆえに、マサユキに罰を下すのは彼女が相応しい。彼女が受けた苦しみの多くを今、マサユキにも自分自身の体で体感してもらっているところなんです」
「!!」
「ああ、顔色が悪いですよ、勇者アヤナ。……貴女に奴隷にされた男性は、大勢いましたね。人質を取られ、夫や息子を辱められた女性達も。……貴女を裁く人は、誰がいいでしょうか。きっと応募者多数で、オーディションになると思うんです。時間がかかりそうですね」

 引き攣れた悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちるアヤナ。そうしている間にも、モニターからはマサユキの悲鳴と泣き声、女性の罵声が絶え間なく流れ続けている。
 スイッチを切ることができるのは、紫苑だけだ。

「暫く、その映像でも鑑賞しながら考えておいてください。自分は、どんな罰を受けるのが相応しいのかということをね」

 そのまま、その場から踵を返した。背中からアヤナの命乞いにも似た懇願の声が聞こえてきた気がしたが、全て無視をすることにする。
 他人の痛みを理解できない人間が、自分の痛みだけ理解して貰おうと思うなんてムシが良すぎるのだ。
 彼女もまた、それを身をもって知らなければいけないのである。――誰かの苦しみを想像できない人間が、他人に優しく生きることなどできるはずもないのだから。
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