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<31・微かな揺らぎ>

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 炎を操るマックスタイガーは、倒すのに少々コツがいる。体温を調節して自在に発火させることのできる体毛と、熱に耐えうる上部な表皮を持ち合わせる彼らは、炎を攻撃にも防御にもうまく利用して獲物を狩り身を守るのである。全身燃え盛っている相手に、ただの鉄砲や矢が簡単に効くはずもない。ましてや、近づいて切りつけることも困難になってくる。ゆえに向こうは、獲物を相手にひるむことなく真っ直ぐに突進してくることができるのだ。
 まあ、そのおかげで時折山火事の原因を作り、獲物が不足すると町を襲ってきてトラブルになったりもするわけだが。今回もそう、北のハズレの町に迷い込んでしまったマックスタイガー三体の討伐が、アーリアに依頼された仕事の内容である。なんせ、生半可な剣士や魔道士では太刀打ちできるような相手ではないからだ。

「ゴアアアアアアアアア!」

 町外れの畑に似つかわしくない、野蛮な獣――凄まじい咆哮を上げ、こちらに向かってくる火の塊。動きは直線的だが、毛皮に体がかすっただけで大やけどを食らってしまう。一般人ならただ逃げ惑うしかないことだろう。まあ、そんなマックスタイガーを倒す手立てがあるからこそ、アーリアはこの仕事を受けたわけなのだけれど。

――マックスタイガーは全身が炎に包まれている、手足や頭にいくら銃を打ち込んでも効果は薄い。氷属性の魔法は多少ダメージが通るけど、生半可な魔力じゃ弾かれて終わるだけだ。

 しかし、観察していればわかる。彼らの体の中、炎に包まれていない場所が確かに存在していることを。
 それは――眼と大きく開いた口、だ。彼らが燃えているのはあくまで体の表面のみ。内臓は平熱を保っている。獲物に噛み付くために大きくガバリと開かれるその口も同様だ。よって。

「そこだ!」

 アーリアに近づき、マックスタイガーが噛み付いて来ようとした瞬間。その開かれた口の中心に向かって、アーリアは魔砲銃を抜き撃ち放った。氷の魔法をこめた弾はまっすぐに炎の虎の口の中に飛び込み、そして弾ける。牙を折られ歯を砕かれ、喉を撃ち抜かれた虎は血を吐いてのたうち回った。
 マックスタイガーの表面の炎は、あくまで本人(本虎?)が魔法で燃やしているもの。本人の意思が弱くなるか、魔力が尽きることで威力が弱まる傾向にある。そうすればもう一つの弱点にも手が届きやすい。炎の切れ間から、虎の眼球目掛けて銃撃を見舞えば十分だ。炎の防御がきかなかった場所から弱点属性を受け、虎は後頭部から脳漿を飛び散らせて絶命することになる。

「はい、お仕事完了だよー」

 パンパンと手を叩いて合図すると、離れて様子を見ていた部下達や住民達がわらわらと駆け寄ってくることになる。お疲れ様です!と笑顔を向けてくるコージからドリンクを受け取るアーリア。なんだかマラソン選手にでもなった気分だ、と思う。現代日本では、ランナー達に定期的に給水所を設けて提供する仕組みが整っているらしい。脱水症状を起こさないよう、細心の注意を払っているというわけだ。
 いい国に違いないな、といつも思う。紫苑が生きる日本は、リア・ユートピアとは違う大変さもあれど、きっと幸せがたくさん溢れる国に違いないと。何度も足を運んだとはいえ、長期滞在したこともないのに何故か確信に近くそう思うのである。それは、何事にも一生懸命な紫苑の姿を間近で見ているからだろうか。あるいは他に、何か理由でもあるのだろうか。

「ありがとうございます、アーリア様!本当に、本当に助かりました。一時はどうなることかと……!」
「いいって、気にしないで。あ、約束通りマックスタイガーの死骸は貰っていくけどいいよね?」
「ええ、ええ。勿論です。他にもいろいろお礼をさせてください、お願いします!」
「そんなの気にしなくてもいいのに」

 駆け寄ってきた老婦人は、しきりにアーリアの手を握って頭を下げ続けている。彼女は最初にマックスタイガーの被害を被った住人の一人だった。作物が荒らされた上、土地の草木が丸焼けになり、危うく家が火事になるかもしれないところだったという。マックスタイガーはその特性ゆえ、人里に降りてきた時はボヤをお越しがちなのですぐにその原因が特定されやすいのだ。
 しかも、討伐が非常に難しいモンスターである。強大な魔力を使って最上級氷魔法を連打できれば、力押しでの討伐も不可能ではないが。基本的に、魔法が得意な魔道士系の住人は足が遅いと相場が決まっている。マックスタイガーのスピードについていけるよう“魔法”を撃つのも、その攻撃を避けるのも、並大抵の魔導士では難しいことだろう。アーリアに依頼したのは正解なのである。自分で言うのもなんだが、アーリアは物理も魔法もある程度万能にできるタイプだ。裏を返せば全部中途半端な器用貧乏型とも言えるわけだが。

「そうだ、一つお聞きしたいんですけど、よろしいですか?」

 老婦人が、アーリアの手を握ったままちらりと視線を動かす。見ているのは、先ほど使った腰の銃だ。

「アーリア様は、魔法をそのまま撃つでもなく、銃をただ使うでもなく、魔法弾を錬成した上で使うということをなさっていますよね。何故です?確かに、ただの銃弾で攻撃するよりは威力があるのでしょうが……。アーリア様の銃の腕はピカイチですし」
「ああ、それよく聞かれるんだ。銃に魔砲弾をこめて使うタイプの魔導士……魔砲銃士?そういうのって珍しいみたいだからさ」
「ええ、私は初めてお目にかかりましたわ」

 彼女が不思議に思うのも当然と言えば当然だろう。実際、魔砲弾は錬成するのに時間がかかる。その分銃弾として打ち込めばただの銃よりも大きな威力を発揮するのは事実だが、普通に魔法を撃つほうが効率的ではないかと言わればそれは全く否定でいないことだ。というか、どうしても攻撃範囲が普通の魔法より限定される分、ただ魔法を撃った方が高威力が望めるという現状もあるから尚更である。
 が、勿論これには理由がある。メリットがあるからこそ、一見非効率に見える戦い方をアーリアは好んでいるのだ。

「私みたいな器用貧乏には、これがベストな戦い方なんだよ。魔砲弾は確かに一つ一つ手間をかけて錬成しておかないといけないけど、でも予め用意できるのは間違いないからね。時間がある時に大量に作って準備しておけばいいだけだから、戦闘中にマゴつく心配はないし」

 それに、時間さえかければ多少魔力が低い魔導士であっても錬成できるのが魔砲弾の強みでもあるのだ。通常の魔法そのものには威力で劣るものの、ただの銃弾よりもずっと強い威力を持たせ、かつ魔法の“属性”や“特性”も同時に付与することができる。
 さらに、魔法と違って効果範囲が狭いのは、必ずしもデメリットではない。狭い市街地や、周囲に一般人がいてただ魔法を使うだけでは巻き込んでしまいかねないような状況でも。魔砲弾での射撃なら、被害は最小限に抑えることができるのである。

「狭い範囲の敵に、ピンポイントでダメージを与えたい時。魔砲弾による射撃は非常に便利だしね。私も普通の銃や普通の魔法も使うから、場合によって使い分けてるんだよ。ケースバイケース、状況によっていろんな戦い方ができないとね。なんといっても私は魔王様だからね!」

 ははは、と明るく笑い飛ばしてやれば。またそんなこと言っちゃって、と老婦人も笑顔になってくれる。作物の被害は出たし、けが人は出なかったとはいえ精神的なダメージもゼロではなかったはず。落ち込んだり、不安だったり、これからしばらくどうやって食べていけばいいだろうと悩んだり。事件は、犯人や原因をなんとかすれば終わりというわけではないのだ。そのアフターフォローもまた、アーリアの仕事であるのである。
 だから、被害に遭った人達が、解決して良かったですねで終わりになることなく。その人達の傷や悩みが解決できるまで、少しでも寄り添えるような自分でありたいとアーリアは願うのだ。己が、本当に困った時に誰かにそうして欲しいから。そういうヒーローになるんだと、かつて誰かにそう約束したのだから。

――そう、約束した、気がする。……お思い出せないけど、これが……前の“私”の記憶であったりするのかな。

 この世界に来る前の自分がどうしていたのか、アーリアにはほぼ全くと言っていいほど記憶がない。恐らくは異世界から迷い込んだのだろうという話であったが、そもそも異世界“転移”なのか“転生”なのかも定かでない状況なのだ。なんせ、自分がどうして此処にいるのか全く覚えていなかったのだから。
 異世界“転生”だからといっても、人生が赤ん坊からスタートするとか限らない。勇者達がそれをまさに証明している。通常の理とは違う、歪んだ形で転生した者ほどそういうバグが起きやすいとも訊いたことがある。ならば自分もまた、なんらかの間違いや歪みで無理やり転生してしまって、そのまま前世の記憶を失っているパターンなのだろうか。それを言ったら、記憶を失った転移者という可能性も十分ありそうなものではあるのだけれど。

――もしかして、私……前の私は、紫苑に会ったことがあったりするのかなあ。

 どうしてだろう。紫苑のことを思うと、時々無性に懐かしくて、淋しくて、苦しいような気持ちになる時があるのである。何故か彼女とは、初めて会った時から赤の他人のような気がしていなかった。ただの中学生であるはずの彼女の意見を、罪悪感もあったとはいえ真剣に聞く気がなった背景には、そんなアーリア自身のうまく言葉につくせぬ感情があったように思うのである。
 もし、前世か転移前の自分が紫苑に会ったことがあったとしたら。彼女はそれを、覚えていたりするだろうか。自分達は、どのような関係であったのだろうか。
 おかしな話だ。仮に本当にそうだとしても。前世のアーリアは、今のアーリアではない。魂は同じでも、記憶もないのに何故同一人物だなんて言うことができるだろう。事実であれそうでなかれ、紫苑に話してみたって本人が困惑するだけなのは目に見えているというのに。

「あ、アーリアさん」

 少し離れたところで連絡を取っていたらしいコージが、携帯電話を耳から話して告げる。

「紫苑さんから、電話です。情報まとめが終わったので、一度目を通して欲しいのと……南の勇者への作戦を相談したいとのことで」

 まるで、図ったようなタイミングだ。もし神様とやらがいるのなら、その人はアーリアに“紫苑に話してみろ”とでも言いたいつもりなのだろうか。それが、どっちの意味であるにしても。

――まあ、そうかもしれないね。……私達は住む世界が違う。いずれ必ず、お別れの日は来るんだから。

 ならば、後悔しない選択をするべきなのだろう、きっと。少しだけ臆病な自分に苦笑して、アーリアはコージから電話を受け取った。
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