竜の王子と鬼の花嫁

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<8・感謝。>

――え、え?なに、あれ……。

 怪獣は確かに、そこにいたはずなのだ。エミルとしてもトドメを刺せた感覚はなかったので、第二ラウンドの準備はしていたのである。
 ところが、怪獣は気絶したかしてないかのところで突然、煙のようなものとなって消えてしまった。まだ死んでもいなかったし、死んだなら今度は躯が残らないとおかしいはずだというのに。
 今のはそれこそ、テレビや絵本で見た――そう、お伽噺の怪物か何かのような。



『制御を失ったか!……ああもう、だからもう少し繊細な調整をしろと、あやつには言っておったというのに!』



 バイロンの言葉が蘇る。
 制御を失った。
 人工的に作られたもの。
 ということは、ひょっとしてさっきのものは――。

「あ、あの……っ」
「!」

 後ろから声をかけられて、エミルは振り返る。見ればさっき怪獣に捕まってピンチになっていた少女が立っていた。その向こうではドラゴニスト家に雇われているであろう警備兵たちが、なんとも言えない表情をしている。
 しまった、とエミルは冷や汗を掻いた。つい必死になって、本気で怪獣と戦ってしまった。蘇るのは、幼い頃村を襲ったクマを退治した時のことだ。
 弟を守りたくて、必死で。
 そのために鬼としての力を使った。怪力で敵の体を引き裂き、爪を受け止め、投げ飛ばし。それが、他人の目からどう見られるかなんてまったく考えもしていなかったのである。
 その結果は、語るまでもなく。

『か、か、怪物!』
『いやああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
『うえええええん、ママ、怖いよおおおお!』
『鬼、鬼じゃ、鬼がおる!』
『人間業じゃねえ……化け物かよ』
『やはり、やはりオーガスト家は……!』
『鬼め!鬼めっ!』
『きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』

 助けたはずの町の人達からの非難、悲鳴、怒号。ああ、自分の力は皆を怯えさせてしまうのだと、エミルは幼いうちに悟らざるをえなかったのである。

『ち、違います……!』

 あの時は。
 あの時だけは、無理だった。どれほど鬼の力を愛するように、認めるようにと言われても。子ども達の、大人たちの怯えた目が突き刺さり、どうすればいいのかわからなくなったのである。
 弟を助けたかったのは事実。けれど結果的には町の人達も助けたはずなのに、自分は何が間違っていたというのだろう?どうすれば良かったのだろう?もっとボロボロになって、弱いふりをして、バレないように怪物を倒せば良かった?人間らしく、か弱い女の子らしく怯えていれば――。

『私、怪物じゃない!化け物じゃない!私は人間です、お願いっ……』

 何が悪いのかも分からずに、ひたすら謝罪を繰り返したのだ。許して欲しい、認めて欲しい、自分を人間として見て欲しい一心で。

『ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!お願い、お願いです、私が悪かったから、だからっ』

 だから、ゆるして。
 あの日のトラウマが蘇り、血の気がひいていく。

「ご、ごめんなさい、私……」

 あの日と同じ恐怖を、謝罪を繰り返そうとした時だった。

「ありがとうございます……っ!」
「え!?」

 メイドの、おさげ髪の少女は。そばかすの顔を涙でくしゃくしゃにして、エミルの手を握りしめてきたのだった。

「わたし、もうだめかと思いました……!貴女がいらっしゃらなかったら、きっと死んでいました。あの、貴女様は……今宵ドラゴニスト家に嫁がれたという、オーガスト家のエミル様でいらっしゃいますよね?」
「え、ええ?そうですけど……」
「ありがとうございます、本当にありがとうございます!なんて素晴らしいお力なんでしょう。人を守ることができる力なのでしょう!貴女様ならきっとこの家を、我が国を救ってくださいます。感謝してもしきれません。ありがとうございます、本当に本当に、ありがとうございます……!」

 彼女だけではなかった。駆けつけていた使用人たち、警備兵たちが皆。一斉に頭を下げ、あるいは敬礼してきたのである。

「ありがとうございます、エミル様!」
「心より感謝申しあげます、エミル様!」
「やはり貴女様こそが英雄……!」
「ようそこドラゴニスト家へ!」
「ありがとうございます、ありがとうございます!本当にありがとうございますっ!!」

 まるで怒号のような御礼の言葉と、割れるような拍手。あっけにとられてしまったのはエミルの方だった。自分の戦いぶりは恐ろしいものではなかったのか。異様ではなかったのか。人間の領域を逸脱していたのではなかったのか。
 幼いあの日は、弟を含めた家族しかエミルがしたことを讃えてはくれなかった。でも、今は。

「エミル嬢!」

 屋敷から飛び出してきたバイロンが、恭しく頭を下げて告げたのだった。

「そなたの勇気と力に、ドラゴニスト家当主として心からお礼を申し上げる!そして、改めてお頼み申し上げたい」

 彼の美しい青い瞳に、エミルのぽかんとした顔が映っている。

「どうか、我が息子を……オスカーを救って欲しい!」



 ***



 薔薇の迷路のところまで来て、エミルはわあ、と眉をひそめた。迷路の奥がぐしゃぐしゃに破壊されている。地面が崩れ、薔薇や茂みが踏みにじられたようになっているのだ。
 そして崩落した地面の下には、灰色のコンクリートの通路のようなものが。もしや、と目を見開いた。さっきの怪獣はまるで庭に突如湧いて出たかのように見えていたが――ひょっとして、ここから這い出してきたのだろうか。

――というか、庭園の下に地下通路?これ、どこに続いているの?

 エミルは相変わらずドレス姿だったが、靴は履きやすいものを貸して貰っていた。いつまでも花嫁が裸足姿ではと思ったのだろう。今は、ドレスとはあまりにも不似合いなローファーを履いている。スニーカーと比べると足がゴツゴツしたが、ハイヒールよりは幾分マシだ。多少飛んだり跳ねたりできそうなくらいには。

「ドラゴニスト家が魔術師の家系であることは、そなたも知っているであろう?」

 大穴を覗きこみながら、バイロンが告げた。

「かつて銀河を支配したという覇者のドラゴン。その末裔が、我らドラゴニスト家と言われている。まあ事実がどうかなど伝説であるからして確かめようもないが……少なくとも我々が生まれついて、高い魅力を持っていること、大昔にこの国の王であったのは間違いないことだ。人間たちに支配権を譲って、今の地位に落ち着いたというのもな」
「はい、それは存じております」
「魔法が使える一族は我ら以外にも存在している。にも関わらず、我らが他の魔法使いと一線を画す存在とされているのは……我らが最も難しい、“召喚魔法”の使い手であったからだ」

 召喚魔法。急にライトノベルみたいになってきたなぁ、と心の中で呟くエミル。

「不死鳥みたいなのとか、海の怪物とか、神様とかを呼び出して戦わせることができるってことでしょうかね?」

 彼らもドラゴンなのに、ドラゴンを呼び出すと言われたらなんだか妙な気分になってしまう。思わず正直な感想を述べると、大体間違ってはいないが、とバイロンは笑った。

「この世界にもモンスターはいる。それを呼び出し、あるいは従属させて戦わせる者はいる。しかし、我らの召喚魔法はその領域ではない」
「と、言うと?」
「異世界から神格を、悪魔を、天使を呼び出すことができるのだ。同時に、自分達にとって都合のよい力を持つ召喚獣を作り出すこともできる。世界広しといえどここまでの召喚魔法が扱える一族はドラゴニスト家のみよ。そして……我が息子オスカーは、その中でも最も優れた素質を持つ者と言っても過言ではない。鬼の先祖返りがそなたであるならば、竜の先祖返りはオスカーなのだ」

 それで、なんとなく話がつながった。
 もしや、さっきの怪獣っぽいモンスターは。

「そのオスカー様が、あれを呼び出された……と」
「左様」

 はぁ、とため息を漏らすバイロン。

「我が家の地下には……召喚魔法を訓練し、研究するための施設がある。今回のそなたの婚姻が、北の大国に対抗するためのものであることは知っておるな?我がドラゴニスト王国と、そなたのオーガスト聖国にとって、防衛力強化は急務と言っていい。ドラゴニスト家による、召喚魔法の守りもな。オスカーは責任感が強いゆえ、少しでも早く究極の魔法を完成させようと地下に籠もりっきりになっているのだ」

 よいしょ、と彼は崩れた瓦礫に足をかけた。どうやら地下通路に降りるつもりらしい。エミルも慌てて飛び降りる。瓦礫を伝わなくても、自分の足腰ならばこれくらいの高さはどうということはない。

「かなり無茶をしているようでな。それで、時々コントロールしきれぬほどの強いモンスターを呼び出してしまうという事故が起きる。よもや、嫁入りしてきたばかりの花嫁の手を煩わせるなどとは思ってもみなかったが……いやはや、実に申し訳なかった、エミル」
「いえ、私は特に。使用人の皆様にも怪我がなくて良かったです。むしろ……」

 むしろ嬉しかった、という言葉をエミルはギリギリで飲み込んだ。今まで己の力を示して、ここまで他人に感謝してもらったのは初めてのことであったのだから。

「そうよな。あやつらには後で特別手当を出さねば」

 そんなエミルに気づいてか気づかずか、彼はひょいっと瓦礫の上に着地していた。エミルほどではないにせよ、彼もドラゴニスト家の者として相応の身体能力を持ち合わせているということらしい。

「真の召喚魔法を完成させるためには、オスカーだけの力では足りぬ。優れた導き手が、支え手がいなければ」

 ほら、と彼が指差す先には破壊された鋼の扉、だったと思しきものがある。エミルは驚いた。その奥の広間が思いがけずに明るかったがゆえに。そして。

「紹介しよう。あそこにいるのが……そなたの夫となる我が息子、オスカーだ」

 バイロンが指差す先にいたのが。椅子に座って一心不乱で絵を描く――まだ幼い、少年の見目をした者であったがゆえに。
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