妹が聖女になったと思ったら俺は魔王の待ち人だった件

鳫葉あん

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09 虚像

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「ああ。いいよ」
 何かと聞く前から、ハウレスはゼノを受け入れた。だというのにゼノは傷付いた顔をする。
 何があったと優しく問い掛ける悪魔に、ゼノはぽつぽつと話し始めた。

 プレガーレは危機に瀕した。隣国に国境を破られ、王城に向けて進軍される。他国を蹂躙し国力を増幅させていた相手に勝てる見込みはなく、負けても降伏しても運命は変わらない。男と老人は無惨に殺され、女は奴隷にされ、子供は兵器になる。
 若くして魔術兵長を任されたゼノは日に日に近付いてくる死神達の足音を恐れ、何か策はないかと王城の書庫を漁っていた。現状を一変させるような、奇跡のような、都合のいい何かがないかと探して――書庫の隅の本棚の端にしまわれた古い魔術書を見つけてしまった。
 悪魔召喚の儀式が書かれた禁書を開き、ゼノは身勝手な決断をした。どうせ皆殺されるのなら、奴らを巻き込んで死ねばいいと。
 本心を隠して王へ乾坤一擲の策とも呼べない一手を願った。悪魔を召喚して敵を打ち破るのだと。
 未来は閉ざされていることを理解していた王は、好きにしろと言い放った。捨て鉢になっている。それを承知でゼノは国王の許可を得たとして、部下に心中を頼んだ。国を守る為に自分と共に贄となれと。
 敵の進軍が着々と進む中、ゼノは部下と共に悪魔を喚んだ。禁書通りに描かれた魔法陣の中に見慣れぬ男が現れた時、本当に悪魔を喚び出せた安堵と恐怖に襲われながらゼノは願った。救いを。
 悪魔はゼノに笑みを浮かべ、ゼノだけを贄に救いを与えた。敵軍がプレガーレに迫ると、その頭上に黒い雷が降り注ぐ。敵軍は撤退し、プレガーレの門は傷一つ付けられることなく守られた。
 隣国の被害は大きく、国力に衰えを見せ始めていく。プレガーレは国を守る為の『守護神』を得たのだと偽り、それは国家間の間で抑止力となっていく。
 近隣の行く末を左右するのはいつからかプレガーレになり、それは国の在り方を変えてしまった。その証のように、王からゼノに勅令が下ったのだ。

「ハウレスを使って他国を侵略するつもりなんだ」
 嵐を呼び寄せ火の雨を降らせるくらい容易な悪魔を戦場に放り込んだなら、それは強力な兵器と化すだろう。
「悪魔に相応しい命令だろう。俺は構わん」
「私は嫌だ。ハウレスを喚んだのはそんなことをする為じゃない……」
 悪魔の力を行使すれば人間の戦いに勝つのは容易だろう。かつて隣国がそうであったように、今度はプレガーレが侵略者となり国土を増していける――圧倒的な力を目にし、それが己の臣下のものならば、己の自由に出来るのだと、王はそう思っている。
「国家間の……人と人との戦いなら、それは人の間で行われるべきだ。悪魔に敵を滅ぼさせて掴み取るものじゃない」
「綺麗事だ。喚んだろう、お前は。助かる為に。救われる為に」
 そうだと頷くゼノの言い分は矛盾している。
「私達は出会うべきじゃなかった」
「酷いことを言う……だったら逃げるか。頼りにしている悪魔がいなくなれば王の考えも変わるだろう。妹が心配なら一緒に連れていけばいい。あれもお前が言えば納得するだろう」
「ダメだ。ハウレスがいなくなったら他の悪魔を喚ぶだけだろう。その悪魔が……本当に、プレガーレ全てを贄にしろと言うかもしれないのに……いや、話すら通じないかもしれないのに。そんなことも考えずに喚ぶんだ。ハウレスのことを知ってしまったから」
 プレガーレという国を見捨てられる程の失望だったなら、ゼノは悩むことはなかった。けれどこの国に生きる人々に罪はないのだ。
「貴方を喚び出したのは間違いだった……どれだけ悲惨な目に合おうと、人のまま運命を受け入れるべきだった」
「人の戦いのまま、無惨に死に、奴隷になり、兵器になるべきだったと?」
「……」
 言葉の出てこないゼノにそれ以上を求めず、ハウレスはどう死ぬのか聞いた。ただ死ぬだけなら逃げることと変わらない。
「悪魔への軽視を捨てさせる」
 ハウレスが物分かりの良い悪魔に見えるのは色恋という特殊な事情であり、本来は多大な対価が必要となる。召喚が禁忌とされる程に恐ろしくおぞましい者なのだと、そう思い知れば王の考えも変わるだろう。
「……具体的に?」
 愉しげに聞くハウレスは、悪魔としての性質が出始めていた。ゼノの為にお行儀良く過ごしているが、彼の本質は悪逆に染まっている。
「進軍の許可を頂く為に王へ謁見する。そうしたら人を殺さない程度に暴れてくれ」
「……反逆した悪魔をお前が倒すわけだ」
「うん」
「いいよ。死んでやる。その代わり、次にまた逢うことがあったなら……」
 ハウレスの頼みに、ゼノは間を置かずに頷いた。約束だと微笑み合う二人の影が重なっていく。
(そうだ)
 錠が外れるように、ゼノの記憶が蘇っていく。
 ハウレスの封印を施したのは聖女でも神でもなく、ゼノだった。国王の前で芝居を打ったハウレスを、ゼノの魔力も生命力も、持てる全てを費やしてハウレスを封じ、その力が具現化されたものが御神体と呼ばれるあの水晶玉だ。
 黄金の輝きは魔王の封印などではなく、ハウレスの眠りを護る揺りかごだったのだ。
 夢の光景が移り変わる。約束した畔から見慣れた場所へ。ゼノの暮らした家、自分の部屋へと。
「兄さん……どうして……どうしてぇっ……」
 ベッドに横たわるゼノの側には涙を流す妹がいる。生気のない肌は死を感じさせ、虚ろな目が妹を見る。ゼノと同じ金の髪を長く伸ばした少女の顔は、現世のベルとは似ても似つかない。
「…………ごめ……べ……」
「兄さぁん……!」
 ゼノの命の灯火はそこで消えてしまった。それから何があって、どうして今になったのかはわからない。
 けれど思い出さなければならないことは、きちんとゼノの中に戻っていた。



 ゼノの目がゆっくりと開いていく。見慣れない天井が視界を占める。顔を横に動かすとゼノを覗き込む男の顔が見えた。
「おはよう。ゼノ」
「今度こそ一緒に暮らそう。プレガーレの外へ出て、何もかも捨てて……二人が死ぬまで、死んでもずっと」
 約束を思い出した証を口にすると、ハウレスは嬉しそうに笑った。彼がどれだけゼノを待ち続けてくれたのか、考えるだけで悲しくなる。慰めのようにゼノはハウレスの首へ腕を伸ばし、自分から口付けた。
「ごめん。ごめんなさい、ハウレス。我が儘を聞いてくれてありがとう」
 過去から持ち出してきたかのように、ゼノの口からは謝罪ばかりが突き出てくる。
「……いいさ。これからは離れる理由がなくなるんだ」
「うん。俺、ハウレスと一緒にいたいよ」
 過去のゼノに同調しているのか、ゼノは目の前の悪魔が愛しく思えて仕方がなかった。端正な顔をじっと見つめていると、ゼノの体をハウレスの手がまさぐり始める。意図を察したゼノは「ダメだよ」と動き回る手に自分の手を添えて止めた。
「まだ話があるし、宿の壁は薄いだろうから嫌だ」
「……話?」
「どうして悪魔の封印が魔王だの聖女だの、そういうことになったんだ?」
 機嫌を損ねたらしい悪魔にゼノは疑問をぶつけると、そんなことかとつまらなそうに答えを与えられる。
「人の業だ。ラウラは俺から切り離され封印の外でお前を待ち、世界を見続けてきた」
 ハウレスの中に戻ったラウラの記憶が語られる。
 国を救った悪魔の心変わりは醜聞でしかなかった。民に真相が漏れないよう謁見の間の乱闘は箝口令が敷かれ、侵略から国を守ったハウレスが悪魔であることを伏せ、『プレガーレの危機に降りた守護神』と称していた王はさらに尊いものに塗り替えることにした。
「プレガーレの危機は災いを喚ぶ魔王により起こされ、守護神はそれを止める為に降りたとした。悪魔を喚んだ魔術兵など、存在すら残らない」
「聖女は?」
「それも虚構から生まれた。美しい女が国を救う存在になったなんて美談だろ? それに民は真実なんて知らないんだ。知りようもない……ああ、もしかしたらプレガーレの信仰を伝える伝道師に祭り上げられた女が転じて聖女になったのかもな」
「……神も聖女もいないなら……導師は何の声を聞いて聖女を選んだ?」
「適当な周期で女を選び巡礼を行っていただけなんだろうが……今回は違う。お前の妹には亡霊が憑いているぞ」
 え、と固まるゼノにハウレスは教えた。亡霊によく似た……同じ境遇の少女に自分を重ね、自分の成せなかったことを遂げさせようとしていることを。
「同じ名前で、大好きな兄がいて。周囲は兄と引き離そうとする。そしてその兄には相思相愛の恋人がいる」
「ベル……」
 過去のゼノにはベルと呼ぶ妹がいた。現在のゼノにもベルナデッタという妹がいる。
「聖女の生まれ変わりなんてものは初めから存在しない。聖女なんてものがいない。プレガーレにあるのは愚かな虚像と亡霊だけだ。信仰なんてそんなものだろう?」
 横たわっていたゼノの体は、男の腕を振り払う勢いで起き上がった。今すぐ駆け出そうとするゼノを掴み直したハウレスが何をするのだと問う。
「ベル。ベルに会わないと」
「……まあ、挨拶は必要か。呼び出してやるから慌てるな」
 どうやって、と詰め寄るゼノにハウレスは部屋の床を指す。目を向けた先には、長く白い髪に赤い瞳の美女――悪魔の影が微笑んでいた。
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