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兄夫婦並びに可愛い甥の祝いの日であり、己の運命を決めた日から一夜明け、冷静になったクラレンスは頭を抱えていた。
いつかは自分の考えを言わなければならないと覚悟してはいたが、昨日のように勢いのままさらけ出すつもりはなかった。家族に驚かれはしたが侮蔑はなく、というかする暇もなく混乱していた。それはそうだ。
やはり許されずとも教団の世話になろうかと考えていると部屋の扉が叩かれる。入室を促すと、目に入れても痛くない程に可愛い妹姫が入ってきた。
「ローザ」
「お兄様、おはようございます。あの、あのね。私、お話があるの」
兄達同様父親譲りの金髪を靡かせ、青い瞳がクラレンスを見上げる。天真爛漫で明朗快活な彼女らしくなく、どこかぎこちない様子に心が痛む。昨夜の告白をこの可愛い妹姫も聞いていた。聞かされてしまった。まだ幼い彼女には衝撃が強すぎただろう。
「ローザ、昨日はすまなかった。きみに聞かせるような話ではなかったのに」
「? いいえ。私、お兄様のことがわかってすごく嬉しかったわ」
クラレンスの言葉に小首を傾げる彼女は気分を害した様子はない。軽蔑されていないことに安堵しつつ、微笑みを向けてくれる彼女へ続きを促した。
「私ね、考えたの。お兄様はいつだって私のことを助けて、可愛がってくれたわ。だから今度は私がお兄様を助けるのよ!」
「助け?」
何をしてくれるのだろうかと首を傾げるクラレンスに向けて。ローザは輝かんばかりの笑顔を浮かべて宣言した。
「私がお兄様に相応しい結婚相手を探してみせますわ!」
気持ちだけで充分だよ、という遠慮じみた拒否は可愛いお姫様に通じる筈もなく。任せてくれと胸を張る姿は懸命に背伸びをしているようで愛らしい。
兄に喜んでもらう。ただそれだけで行動を決定したローザを否定することも出来ず、クラレンスはとりあえず様子を見ることにした。
「……父上といいローザといい……何故結婚させようとするんだ……」
クラレンスとしては結婚をするつもりはなかった。異性は勿論、同性とも。
クラレンスが自分を知ったのは十代半ばという多感な時期だった。当時から民に寄り添い奉仕活動に関心を持っていたクラレンスは頻繁に町へ降りた。当然ながら護衛が必要となり、親衛隊の中から選ばれた優秀な騎士がクラレンスに付き従うようになる。彼こそがクラレンスの初恋だった。
自分より十も年上の、優しく逞しく頼りになる騎士を慕い、純粋な好意だと思っていたものが恋情だったと思い知ったのは彼が護衛になってから一年が過ぎた頃だった。
いつものように町へ降り孤児院を訪れ、すっかり顔を覚えられたクラレンスは子供達から熱烈な歓迎を受けた。今はクラレンスの支援者達によって寄付金の援助を受けているが、当時は税金から賄っていたのであまり大きな援助が出来ず、代わりに精一杯彼らの遊び相手をしていた。それくらいしかしてあげられなかった。
子供達に惜しまれながら帰路につくクラレンスに、彼は労いの言葉をくれた。クラレンスと一緒になって子供の相手をしてくれた彼にこそクラレンスは労いを返した。
「殿下にご報告があります」
機会をうかがっていたらしい彼は、この流れで言ってしまおうと口を開いた。何かと目で尋ねるクラレンスに向けて、言葉を続ける。
「結婚が決まり、これを機に故郷へ帰ることになりました」
頬を染めて気恥ずかしそうに告げられたクラレンスは驚き、しばらくして悲しんだ。顔には出さない。
「……えっ……あっ、おめでとう。いつ結婚するの?」
「二月後になります。騎士の役目はあと三月程続けさせていただきます」
その後の会話はよく思い出せないけれど、別れ際の彼がいつものように笑顔だったのだからおかしなことは言わなかったのだろう。自室に戻るまで澄ました顔を留めたクラレンスは、一人になると胸に溢れる感情に困惑し、泣いた。青玉の瞳が溶けてしまうのではないかと思う程、一晩中泣き続けた。
驚きがあった。当然だ。
喜びがあった。彼が幸福ならばそれに越したことはない。
悲しみがあった。彼がいなくなってしまうこと。誰かのものになってしまうこと。
悲しみが喚び起こすものもあった。彼への好意がただのそれを遥かに超越してしまっていたことへの自覚――恋をしていたのだ。
クラレンスの大きな瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が零れていく。初めから叶う筈のなかった、憧憬の延長のような、それでも恋だった。
クラレンスはここからゆっくりと自分を分析していった。女性を見てどう思うのか、男性を見て何を感じるのか。感情の機微。揺れ動き。
恋をしたのは彼だけだった。喪失を恐れるあまり踏み込んだものを作らなかった。
壁を作りながら観察し、それでも好ましいと思うのは男性ばかりで、クラレンスは諦めた。
クラレンスに幸福は得られない。与えてあげることも出来ない。無理を言って参列させてもらった彼の結婚式の最中、そう、幼いながらに理解した。
純白の婚礼衣装に包まれた新たな夫婦が仲睦まじく微笑み合い、愛を誓う姿は眩しく、羨ましかった。参列に礼を言ってくれる彼らに伝えた祝福の言葉は心からのものだ。ただ、彼らの幸福を祈り願っていた。
「……誰も、私と結婚なんてしないのに」
クラレンスには何もない。王族の地位がなければ何も出来ないただの男で、今行っている慈善活動も第二王子の我が儘に付き合い、恩を売ろうとしている支援者がいなければ成立しない。
庶民よりは磨かれているだけあり、多少は見目が良くても男でしかない。女のまろく柔らかな、何より新しい生命を生み出せる体とは違う。比べることも烏滸がましい。
誰かに何かを与えられて生きていられるクラレンスと結婚する相手なんて、王家と繋がりの欲しい相手しかいない。そんな結婚をするなら、一生独りで生きるか神に全てを捧げてしまいたかった。
いつかは自分の考えを言わなければならないと覚悟してはいたが、昨日のように勢いのままさらけ出すつもりはなかった。家族に驚かれはしたが侮蔑はなく、というかする暇もなく混乱していた。それはそうだ。
やはり許されずとも教団の世話になろうかと考えていると部屋の扉が叩かれる。入室を促すと、目に入れても痛くない程に可愛い妹姫が入ってきた。
「ローザ」
「お兄様、おはようございます。あの、あのね。私、お話があるの」
兄達同様父親譲りの金髪を靡かせ、青い瞳がクラレンスを見上げる。天真爛漫で明朗快活な彼女らしくなく、どこかぎこちない様子に心が痛む。昨夜の告白をこの可愛い妹姫も聞いていた。聞かされてしまった。まだ幼い彼女には衝撃が強すぎただろう。
「ローザ、昨日はすまなかった。きみに聞かせるような話ではなかったのに」
「? いいえ。私、お兄様のことがわかってすごく嬉しかったわ」
クラレンスの言葉に小首を傾げる彼女は気分を害した様子はない。軽蔑されていないことに安堵しつつ、微笑みを向けてくれる彼女へ続きを促した。
「私ね、考えたの。お兄様はいつだって私のことを助けて、可愛がってくれたわ。だから今度は私がお兄様を助けるのよ!」
「助け?」
何をしてくれるのだろうかと首を傾げるクラレンスに向けて。ローザは輝かんばかりの笑顔を浮かべて宣言した。
「私がお兄様に相応しい結婚相手を探してみせますわ!」
気持ちだけで充分だよ、という遠慮じみた拒否は可愛いお姫様に通じる筈もなく。任せてくれと胸を張る姿は懸命に背伸びをしているようで愛らしい。
兄に喜んでもらう。ただそれだけで行動を決定したローザを否定することも出来ず、クラレンスはとりあえず様子を見ることにした。
「……父上といいローザといい……何故結婚させようとするんだ……」
クラレンスとしては結婚をするつもりはなかった。異性は勿論、同性とも。
クラレンスが自分を知ったのは十代半ばという多感な時期だった。当時から民に寄り添い奉仕活動に関心を持っていたクラレンスは頻繁に町へ降りた。当然ながら護衛が必要となり、親衛隊の中から選ばれた優秀な騎士がクラレンスに付き従うようになる。彼こそがクラレンスの初恋だった。
自分より十も年上の、優しく逞しく頼りになる騎士を慕い、純粋な好意だと思っていたものが恋情だったと思い知ったのは彼が護衛になってから一年が過ぎた頃だった。
いつものように町へ降り孤児院を訪れ、すっかり顔を覚えられたクラレンスは子供達から熱烈な歓迎を受けた。今はクラレンスの支援者達によって寄付金の援助を受けているが、当時は税金から賄っていたのであまり大きな援助が出来ず、代わりに精一杯彼らの遊び相手をしていた。それくらいしかしてあげられなかった。
子供達に惜しまれながら帰路につくクラレンスに、彼は労いの言葉をくれた。クラレンスと一緒になって子供の相手をしてくれた彼にこそクラレンスは労いを返した。
「殿下にご報告があります」
機会をうかがっていたらしい彼は、この流れで言ってしまおうと口を開いた。何かと目で尋ねるクラレンスに向けて、言葉を続ける。
「結婚が決まり、これを機に故郷へ帰ることになりました」
頬を染めて気恥ずかしそうに告げられたクラレンスは驚き、しばらくして悲しんだ。顔には出さない。
「……えっ……あっ、おめでとう。いつ結婚するの?」
「二月後になります。騎士の役目はあと三月程続けさせていただきます」
その後の会話はよく思い出せないけれど、別れ際の彼がいつものように笑顔だったのだからおかしなことは言わなかったのだろう。自室に戻るまで澄ました顔を留めたクラレンスは、一人になると胸に溢れる感情に困惑し、泣いた。青玉の瞳が溶けてしまうのではないかと思う程、一晩中泣き続けた。
驚きがあった。当然だ。
喜びがあった。彼が幸福ならばそれに越したことはない。
悲しみがあった。彼がいなくなってしまうこと。誰かのものになってしまうこと。
悲しみが喚び起こすものもあった。彼への好意がただのそれを遥かに超越してしまっていたことへの自覚――恋をしていたのだ。
クラレンスの大きな瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が零れていく。初めから叶う筈のなかった、憧憬の延長のような、それでも恋だった。
クラレンスはここからゆっくりと自分を分析していった。女性を見てどう思うのか、男性を見て何を感じるのか。感情の機微。揺れ動き。
恋をしたのは彼だけだった。喪失を恐れるあまり踏み込んだものを作らなかった。
壁を作りながら観察し、それでも好ましいと思うのは男性ばかりで、クラレンスは諦めた。
クラレンスに幸福は得られない。与えてあげることも出来ない。無理を言って参列させてもらった彼の結婚式の最中、そう、幼いながらに理解した。
純白の婚礼衣装に包まれた新たな夫婦が仲睦まじく微笑み合い、愛を誓う姿は眩しく、羨ましかった。参列に礼を言ってくれる彼らに伝えた祝福の言葉は心からのものだ。ただ、彼らの幸福を祈り願っていた。
「……誰も、私と結婚なんてしないのに」
クラレンスには何もない。王族の地位がなければ何も出来ないただの男で、今行っている慈善活動も第二王子の我が儘に付き合い、恩を売ろうとしている支援者がいなければ成立しない。
庶民よりは磨かれているだけあり、多少は見目が良くても男でしかない。女のまろく柔らかな、何より新しい生命を生み出せる体とは違う。比べることも烏滸がましい。
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