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29 気分転換に1泊目1

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夏季休暇に入った。

去年だったら大学の夏休みで2ヶ月近く休んでいたのに、社会人になったら土日入れても一週間しかなくて少しだけ学生に戻りたくなった。
「茉白、こっち」
薫に呼ばれ振り返ると、胸元のポケットにサングラスを挟み、薄ピンクのシャツと白いハーフパンツ、白い靴を履いた彼が私の方へ手を差し出した。彼の手を取って、側によると私の持っていたミニハンドバッグを持ってくれた。
「風が気持ちいいね」
私がそう言うと、彼はそうだな、と小さく返事をする。

会社が一斉に夏季休暇に入ったから、この時を利用して今日は2人きりで旅行に行く事になった。行き先は海で、近くには海の家や水族館があり、海鮮料理のお店もたくさんあるらしいから楽しみだ。
「人が多いから海岸歩くのは後にして、先に水族館行こうか」
薫に言われて周りを見渡すと、子連れの家族や友人同士はたまた恋人同士が海で海水浴をして楽しんでいる。一応水着を持ってきたけど、身体のあちこちにある薫が付けたキスマークがあるから、こんな人が多い所で肌を晒す気はなかった。だけど、やっぱり夏だから白いキャミソールロングワンピースを着て、青いシアーカーディガンを羽織っているが、見える所はファンデをつけてキスマークを隠したけど薄っすらと残る首回りや二の腕の内側にはファンデをつけなかった。
──別に知り合いに会うわけじゃないし
本当なら別にファンデで隠さなくてもいいと思うけど、彼との特別な夜を他の誰にも想像して欲しくなかったから、苦肉の策でファンデを塗ったのだ。
『これじゃ俺の彼女だってわからないじゃないか』
って薫は言っていたけど、私は無視をした。だって私は少し怒っているからだ。休みに入る少し前から開き直った薫が首筋にもキスマークをつけるようになったおかげで、真夏なのにシャツのボタンをきっちり全部つけて出勤していたのだ。おかげでいつもより汗を隠し、なんとなく先輩達には察せられて『独占欲強めの彼なのね』と憐れむような目で見られたのだ。その時の居た堪れなさったらなかった。ムカついたから薫にも襟元で隠れるくらいの所にキスマークをつけたら、えらく感動してこっちにも付けてくれと、嬉々として今度は耳の下にも付けるように言われ、薫を喜ばすだけだと反逆は諦めた。

「そうだね…本当に大丈夫?運転疲れたでしょ?どこか涼しいお店に行って少し休む?」
「平気だよ、行きの時も何度か休憩したし」
朝早くから運転しているはずなのに、全然疲れた素ぶりを見せない薫に気を遣って、どこかのお店で少し休むことを提案しても彼は大丈夫だと言う。先に今日泊まるホテルに駐車して、荷物をフロントに預けてチェックインの時間まで海辺を歩く事にしたのだが…そういえば水族館があるって話になって水族館に行く事にした。
「それよりもほらっ、早く行こう」
重ねた手の先を曲げて指先が彼の手の甲にくっつき、彼も同じように曲げて恋人繋ぎをする。最初に行くところは水族館だ。海に併設されているから、まるで海の中にいるみたいに感じるらしく、人気の水族館へと向かう。他にもイルカショーもあるらしいけど、これは時間が合えば見に行こうと話していた。
入場券を購入して中へと入ると、外の暑さから解放されて涼しい館内は魚海藻類の匂いがする。大きなガラスの先にある大きな亀や魚が泳ぐ姿を見て子供がはしゃぎ、親が注意している。私達は水族館側が壁に提示しているオススメのルートを進み、順に見ていく。
大きな水槽だとやっぱり人が多いけど、ヒトデや小さな魚が泳ぐ水槽の前はそんなに人がいないからのんびりと回れる。
「あっ、これ可愛い…白いカニ?」
壁に嵌め込まれた水槽にあるのは、珍しい深海魚を集めた薄暗いコーナーだ。
「ゴエモンコシオリエビって書いてある…ヤドカリの仲間なんだって」
「本当だ、カニっぽいな」
小さな水槽の前を通ったら、ケモクジャらの白い物体がゆっくり動いていたから見たらカニっぽいヤドカリの仲間を見つけた。じっと見ていたら、背後から薫に抱きしめられ、お腹の前に手を回された。
「白いな」
「白いね」
カニは赤いイメージだったから驚いたけど、カニじゃないから色んな色の甲殻類がいると知った。この深海魚のコーナーの部屋にくるまで、いくつもの知らない魚を見てきたから今日からは魚に詳しい人になれた気がする。
「ん、こらっ」
「少しだけ、な」
誰もいないコーナーだから、薫が私の頬にキスをして耳を甘噛みするとそのまま耳の中に舌を入れられ舐められた。彼の方を向くと、思いの外すぐそばにあった彼の顔に驚いた。誰もいないから…と、自分に言い訳をして唇を重ねるとすぐに離れたけど、薫からのキスは止まらない。背後から抱きしめられている安心感で、彼の胸板に背中を預けながら目の前の水槽を眺めた。


どこに行っても誰もいないと分かるとキスをして、私からも彼の腕に自分の腕を絡めて身体を密着させて移動するようになった。イルカショーはいちゃいちゃするのに忙しくなってしまって時間的に見れなかったけど、その分館内の人が減り私達はより大胆になっていった。触れるだけだったキスから舌の絡まる濃厚なキスへと変わり、唇が合わさる時間が長く増えていった。館内の中央にあるフードコートを通り過ぎて、終着点のお土産コーナーに着く頃には、薫は私の腰に手を回して抱き寄せて歩いていた。
2つのストラップをくっつけるとハートの形になるイルカのキーホルダーを買うと外に出た。
「まだ15時…ご飯でも行くか」
「うん…その前に」
強い日差しと高い気温の外に出ると汗が吹き出してくる。水族館の敷地の隅にある生い茂った所へと薫の手を引いて行くと、誰もいないところの海辺との境目にある木製の柵のそばにいくと薫は柵に手をかけて私の口を塞いだ。人が来る心配もなくなり満足するまでキスをして、唇が離れていくと薫の額には汗が出ていた。
「まだ海岸線を歩くには暑いから先にご飯に行こう」
彼は自分のポケットからハンドタオルを出すと、軽く汗を拭いながらそう私に提案した。


どうせなら普段あんまり食べない、海の近くにある海鮮料理を出しているお店に行くことにした。
夏を感じさせるBGMが流れる店内には、壁にはサーフボードやハイビスカスのイラストが描かれたフレームに飾られていた。木製のテーブルと椅子、店員が料理を作る前にはカウンターと奥の方にはソファー席があり、私達はソファー席に座る事にした。案内された席に先に私がソファーの隅に座ると、テーブルを挟んだ前のソファーではなく私の横に薫は座る。Tシャツとジーンズ、ブルージーンズ生地のエプロンをした女性の店員にお冷やとおしぼり、メニューを渡された。
「オススメは海鮮丼だって」
汚れないようにプラスチックで加工されたイラストで手書きのメニューには、オススメに海鮮丼と書かれていて、イラストを見ると四角に切った卵やサーモン、マグロやイカなどがどんぶりがあり、魚の出汁を使用した味噌汁とお漬物がセットになっていた。
「俺はそれにしようかな」
薫はメニューを見ながらおしぼりで手を拭き、配られたお冷やを飲む。
「私は…あっ、シーバーガーにする」
人気No.2と書かれたたシーバーガーは、フィッシュフライがバンズに挟まって、オニオンやレタス、お店が作るオリジナルタルタルソースでトッピングされていた。イラストの横にはフライドポテトとアボカドソースがひとつのプレートに添えられ、こちらも単品ではなくセットでの注文だった。
「…注文するか、すいません!」
薫が手を上げると、店員が気がついて注文を取っていく。
「あと生ひとつ、なんか飲むか?」
2人分の料理を注文した後に薫に聞かれて、飲み物の事を考えていなかったのを思い出した。メニューを見るとコーラやウーロン茶などがあったけど、どうせなら夏っぽいものを飲みたいと思って、
「あー…ピンクレモネードをひとつお願いします」
「かしこまりました、では注文を復唱させていただきます──」
注文が終わると店員はメニューを持って行ってしまう。ランチの時間のピークを過ぎたから人があまり居ない店内で、しかも奥のソファー席だから誰にも邪魔されない場所に座った私達は、ソファーの背もたれに背中を預けた。隣にいる薫の肩に頭を乗せて、さっきまでいた水族館の話をしていると店員が先に飲み物を持ってきて乾杯をした。
「お疲れ様でした」
「お疲れ」
この地まで運転してきた彼にそう言ってグラスを出すと、薫は苦笑して自分のグラスを私のグラスに軽く当てた。ピンクレモネードはその名の通りピンク色をしたレモネードで、さっぱりとしていて美味しかった。注文した料理が来ると、わさびと醤油を小皿に混ぜた薫の手を止めて料理の写真を撮ると、薫から携帯を取られて2人で顔を寄せられたので写真を撮った。
「食事前の写真毎回取ってるよな、食べものの写真集出来そうだな」
ははっと笑いながら彼も自分の携帯を取り出して写真を撮るから、私の事を言っているのか自分の事を言っているの分からない。
この後の予定とかを話しながら食事をして、イラストを見て思ったよりも大きなフィッシュバーガーは最後まで食べられなくて薫にあげた。
美味うまっ」
「でしょでしょっ」
私が残したフィッシュバーガーを食べて絶賛する彼に、私は大きく頷いた。
ソファー席から外を見ると、ほんの少しだけ暗くなっていた。
「先にホテル行ってチェックインでもいいけど、またここに戻ってくるよりは疲れないだろ…このあと少し歩くか」
「うん、そうだね」
私が見る視線の先を薫も追うと、今日はホテルにお泊まりだから時間を気にしなくても平気だと言ってくれる。チェックインも15時を過ぎてからの受付だから、夜になっても問題ないはずだ。荷物も預けたから来ないって騒ぐ事もないだろうと思う。私のプレートのポテトを食べている彼の肩に、頭をまた乗せて身を寄せる。すると薫の咀嚼の口が動くたびに、耳から聞こえる彼の存在感に安心する。
──なんか生きてるって感じ
何を馬鹿なと思うのに、時々薫は私が作った想像上の幻想なんじゃないかな思う事がある。
──それくらい気が滅入っている…のかな…?
前は2週間に一度くらいのペースで安藤くんと遭遇していたのに、今は1週間に何度もある。はっきりと彼氏がいる事をはっきりと言ったのに、しつこい安藤くんはめげずにやってくる。自分じゃどうしようもないところまで来たんだと、思っていると
「…どうした?」
黙ってしまった私を彼は不思議に思ったのか、聞いてくる。
「…うーん」
薫に話した方がいいのかな、と悩んでいると、
「…そろそろ行くか、歩きながら話そう」
17時という時間だけど早めに夕飯を食べる人がいるのか、入店する人が増えたのでちゃんと話が出来ないだろうと彼は散歩を提案してくれた。
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