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私は忙しいの
しおりを挟む会場から早々に出てきた私が向かったのは、自分の屋敷。そこにある、私専用の調理場だ。
昔、誕生日に家族を説得して造ってもらったこの調理場は前世の記憶に残る料理を作ったり先程の様な夜会での料理を再現したりしている。
さらに、地下もありそこは色々と実験に使っていた。
シンプルなワンピースに着替えてエプロンを付ける。髪は邪魔にならないようにポニーテールにする。
気に入った鴨のフルーツソース掛けを早く再現したいのだ。早くしないとどんどん味の記憶が劣化しちゃう。
鴨肉、オレンジ、大根を保冷庫から取りだして鴨は弱火のフライパンでじんわりと回りに焦がしをつけながら焼いてゆく。
じんわりと焼いている最中に大根おろしを作っておき、鴨の焼き具合がちょうど良くなったら、大根おろしの汁ごとフライパンに流し入れる。じゅわっと蒸気が上がりすぐに収まる。
大根おろしの汁が沸騰してきたら火を止めて蓋をする。
余熱で火を通るのを待つ間にソースを作りましょ。
オレンジの果汁を絞り丁寧に種や果実を取り除いたら、皮を擦って混ぜ混む。
胡椒と塩を入れて味を整える。
ソースをいったん置いて、まだ温かな鴨をスライスする。淡いピンク色の断面が見えると思わずにんまりとしてしまう。鴨肉をまたフライパンに戻して、今度は完全に覚めるのを待つ。こうするとジューシーになるのだ。
「んー、なんかソースが違うな。」
ソースを少し嘗めて確認すると、何か酸味が足りない。
あの酸味はビネガーではないわね。
ソースをかき混ぜながら思案していると、誰かが調理場に入ってくる音がした。この部屋に入れるのは両親と執事長、それと私の助手だけである。
そして、ここまで来るとしたら助手だけである。
「お嬢、やっぱりこっちに居たんだ?」
「エル、こんばんは。」
入ってきたのは想像通り、助手のエルだった。
金糸と銀糸の間の様な髪に透き通るような翡翠の美しい瞳。人形の様に整った顔は異性でありながらうらやましい。まあ、早く言えば超イケメンだ。
そんなエルはいつの間にか居着いた人物で、素性は全くと言って知らない。だけど両親が何も言わないので悪いやつでは無いと思う。
そんな人物がなぜ助手なのかと言うと、何かと私の手伝いをしてくれるからだ。しかもアドバイスは的確で先生と最初呼んでいたら助手に変えてくれと言われてしまった。
「何を作ってんの?」
「今日の夜会で出た鴨肉がおいしかったの。」
「ああ、お嬢が婚約解消されたあの。」
「そうよ。オレンジベースのソースがおいしかったんだけど……。」
相変わらず噂に敏感な男。先程の婚約解消の話を何で知っているのかしら。
ううむと彼を見つめていると何を思ったか私の混ぜるソースをエルがひと嘗めした。そして旨いと嬉しい言葉をかけてくれる。確かに、私が作ったソースも美味しいのだが、残念ながら求めているのは夜会で出てきたソースなのだ。
あれ、何か誤魔化された?
「お前らしいな。婚約解消されながら思っていたのは料理の事か。」
「だって、どうでも良かったし。」
「くくっ、どうでもか。」
「ええ、私みたいな高貴族の婚約なんて契約みたいなものだもの。」
「それを、奴は解消しちゃったんだから今ごろは親に怒られてるかな。」
そう、この婚約は契約だった。
公爵家の領地は塩を輸入している。しかし、生きていくのに必要な塩は高い。さらに輸入料がかかり値段がかさんでいるのだ。そこで、塩の精製をしていて安価に手にいれることができる我が侯爵家が私が嫁ぐを言い訳に塩をはるかに安く輸出する契約だったのだ。
こうなっては契約も破棄になるか、それもと何か新しい契約をつくるのか。
小説で私はドランを愛していたからか、そんな契約の事など書かれていなかったが実際に現場に立つと色々と分かってきた。
あーあ、駄目ね。今生きている人生が現実だと知っているのにどうしても小説の内容と比べてしまうのは私の悪い癖ね。
「お嬢、ソースは何が足りないの?」
「んー?あっ、ああ、酸味が足りないの。」
「酸味か。」
エルに気を使わせちゃったわね。
エルだけは私が前世の記憶を持っているのを知っている。ちょっとした偶然で知られちゃったのだけど、周りには黙っていてくれて、さらには悩んでいると相談にものってくれる。
さらには、今みたいに自己嫌悪とか陥っているとさりげなく気を反らしてくれるの。
「そういえば、夜会の料理を作ってたのはノーラン国出身らしいよ。」
「……エルの情報網ってどうなってるの?」
「それは秘密だよ。」
「でも、助かるわ。」
イケメンなのに可愛らしく言われてしまった。ぶっちゃけとても可愛いです。
でも、エルの情報はありがたいものだわ。料理には出身の特徴が出てもおかしくないもの。たしか、ノーラン国の特産は米よね。あら、そういえばあそこって独特の調味料があったわね。
「黒酢だわ。」
「黒酢?」
「ええ、黒っぽいお酢なんだけとアミノ酸が豊富でつんとした風味が和らいでるの。」
たしか、父の健康に使えないか仕入れていたはず。
あったー。
濃い琥珀色の液体の入った瓶を取りだし、ソースに少しずつ確認しながら混ぜる。
これよ、これ。まさしくあの鴨肉に掛かっていたソースだわ。
冷えた鴨肉を大根おろしを落として取りだし、皿に盛り付ける。ソースをかけて完成。クレソンやパセリを色合いに添えても綺麗かも。
「はい。」
「あれ、私にもくれるんですか?」
「もともと、エルに食べさせたかったの。」
一口食べてこれは私も好きだけどエルがとても好きな味だと感じていた。
そして、この調理場に鴨肉もあったのを覚えていた。これは作らないとでしょう。
自慢げに笑う私にエルはその翡翠の様な目を見開いたあと耳を赤くして顔を背けた。照れてる照れてる。
ずるいだろ。なんて小さな声で呟いているのが聞こえる。
少しして鴨肉にナイフをさして食べ始める。
口に入れた途端に目を丸くして、モグモグと口を動かす。気に入ってくれたみたいね。
表情には出ていないがどことなく幸せそうに食べているのは私にはわかります。それを観察するのはたのしいですね。
にこにこと観察していると誰かが入ってくる音が聞こえました。珍しいですね。
入ってきたのは執事長。どうやら、今夜の夜会の事で両親が呼んでいるみたいです。
「すみませんが、私は忙しいのでまた明日にしてください!」
「お嬢?!」
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