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5.オルフェウスとの逢瀬
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その日の夜。浴場で湯浴みを終えたハルは、客間に戻ろうと城内を歩いていた。室内着の上から濃紺のシルクのガウンを羽織っているが、暖かかった昼間とは寒暖差があり、夜は少し冷える。
アレドナールの城は広い。きちんと自分の場所を確認していないと迷子になってしまいそうだ。
若干キョロキョロしながら歩いていたとき、「恐れ入ります」と従者に声をかけられた。
「フラデリック公爵令息。オルフェウス殿下よりお言づけがございます」
従者は律儀に頭を下げ、畏まる。どうやら殿下付きの従者のようだ。まだ若く、歳はハルと同じ十五歳くらいだろうか。
殿下付きならば、貴族の子息のはずだ。いったいいつのころから奉公に出されたのだろう。
「オルフェウスさまはなんと申していらっしゃったのだ?」
「こちらをご確認ください」
従者はガサガサに荒れた手で、二つ折りになっている小さな紙を手渡してきた。ハルがそれを開くと、そこには丁寧な文字で「ハルと話がしたい。裏庭で待つ」と用件のみが記されていた。手紙の最後には、オルフェウスのサインと印章もある。これは正式にオルフェウスが書いた手紙だということだ。
「わかった。たしかに承った」
ハルが大きくうなずくと、従者は安堵の表情を浮かべる。
伝令は責任の重い仕事だろう。きちんと伝えられなければ、オルフェウスから責任を問われる可能性もある。
「それと、これを持っていきなさい」
ハルは手にしていた軟膏が入った小さな陶器壺を従者に手渡した。これは、湯浴みのあとハルが肌を整えるために使っているバラの香油入りの軟膏だ。
「これを、オルフェウス殿下に……?」
「違う。これはお前のものだ。手荒れがひどい。そのまま放置したらもっと悪くなるぞ。この軟膏を手にこまめに塗りなさい、いいね?」
「私などがもらってもよろしいのでしょうかっ」
従者はひどく慌てていたが、ハルはその手にしっかりと陶器壺を握らせた。
「いいよ。今、塗っておこう。私が手に触れてもいいかい?」
「そんなっ、畏れ多いことですっ!」
「気にしないで。すぐに終わる」
ハルは陶器壺から軟膏を指ですくい、従者の手の甲に塗り広げていく。あたりにほのかなバラの香油の香りがした。
従者は申し訳なさそうな顔をしていたが、ハルのすることを静かに受け入れていた。
「これで少しはましになるといいが」
「フラデリック公爵令息、お気遣いありがとうございますっ」
従者は去り際も、何度も何度もハルを振り返り、しきりに頭を下げていた。
部屋に戻ろうとしていたハルも踵を返し、元来た道を歩き始める。
この手紙にあるとおり、オルフェウスに会いに行かなければ。
昼間に会ったとき、オルフェウスは「夜に話をしよう」と言っていた。きっとそれを思い出してハルを誘ってくれたのだろう。
裏庭とは、城の奥の階段をすべて下り終えた先にある、裏門に出る前までにある小さな薬草園のあたりのことを指す。
そこは三人の密かな遊び場だった。オルフェウスは思い出の場所を、話をするための場所に選んでくれたのだ。
階段を下りながら、ハルの頭はオルフェウスのことでいっぱいだった。
ふたりきりで話をする、と考えた途端、急にハルの胸が高鳴っていく。
ハルはオメガだということがすでに判明している。そして十三歳になったオルフェウスとゼインも、アルファだということがはっきりとわかった。
ハルは第一王子のオルフェウスと婚約することになる。きっとそうなるだろうと思っていたが、いざ婚約が目前だと思うと胸のドキドキが収まらない。
ハルは胸に手を当て、気持ちを落ち着かせてから、裏庭へと続く扉を開け放った。
外に出ると夜空は真っ暗だった。月がどこにも見当たらない。新月だからこんなにも闇が深いのだろう。
それでも星明かりで裏庭に人が立っているのは見える。黒髪で、王家らしく上質なマントを身にまとったハルと同じくらいの背の高さの少年は、じっと夜空を眺めていた。
「オルフェウスさまっ」
ハルが声をかけると、オルフェウスは振り返った。
ハルに向かっていつものように微笑んでくれたが、その表情は少し固い。オルフェウスも緊張しているのかもしれない。
「ハル。来てくれてありがとう。俺からの手紙を読んだんだね?」
オルフェウスの声はハルの記憶よりも低く感じた。オルフェウスは十三歳、大人の声に変わる時期なのかもしれない。
「はい。嬉しかったです。私もオルフェウスさまとふたりきりでゆっくり話がしたいと思っていたところですから」
「ふたりきりでか……」
オルフェウスは感慨深げにつぶやく。
たしかに、ここで遊ぶときはいつも三人だった。でも今はゼインはここにいない。
「あ、あのっ、もう少しだけオルフェウスさまのそばに寄ってもよろしいですか?」
目の前に広がる薬草園から虫の声が聞こえる。だからオルフェウスの声を聞き逃さないために、オルフェウスに近づきたかった。
「いいよ。おいで、ハル」
オルフェウスに招かれて、ハルはすぐ隣に立つ。風が吹くとオルフェウスのマントがハルに触れるくらいの近距離だ。
アレドナールの城は広い。きちんと自分の場所を確認していないと迷子になってしまいそうだ。
若干キョロキョロしながら歩いていたとき、「恐れ入ります」と従者に声をかけられた。
「フラデリック公爵令息。オルフェウス殿下よりお言づけがございます」
従者は律儀に頭を下げ、畏まる。どうやら殿下付きの従者のようだ。まだ若く、歳はハルと同じ十五歳くらいだろうか。
殿下付きならば、貴族の子息のはずだ。いったいいつのころから奉公に出されたのだろう。
「オルフェウスさまはなんと申していらっしゃったのだ?」
「こちらをご確認ください」
従者はガサガサに荒れた手で、二つ折りになっている小さな紙を手渡してきた。ハルがそれを開くと、そこには丁寧な文字で「ハルと話がしたい。裏庭で待つ」と用件のみが記されていた。手紙の最後には、オルフェウスのサインと印章もある。これは正式にオルフェウスが書いた手紙だということだ。
「わかった。たしかに承った」
ハルが大きくうなずくと、従者は安堵の表情を浮かべる。
伝令は責任の重い仕事だろう。きちんと伝えられなければ、オルフェウスから責任を問われる可能性もある。
「それと、これを持っていきなさい」
ハルは手にしていた軟膏が入った小さな陶器壺を従者に手渡した。これは、湯浴みのあとハルが肌を整えるために使っているバラの香油入りの軟膏だ。
「これを、オルフェウス殿下に……?」
「違う。これはお前のものだ。手荒れがひどい。そのまま放置したらもっと悪くなるぞ。この軟膏を手にこまめに塗りなさい、いいね?」
「私などがもらってもよろしいのでしょうかっ」
従者はひどく慌てていたが、ハルはその手にしっかりと陶器壺を握らせた。
「いいよ。今、塗っておこう。私が手に触れてもいいかい?」
「そんなっ、畏れ多いことですっ!」
「気にしないで。すぐに終わる」
ハルは陶器壺から軟膏を指ですくい、従者の手の甲に塗り広げていく。あたりにほのかなバラの香油の香りがした。
従者は申し訳なさそうな顔をしていたが、ハルのすることを静かに受け入れていた。
「これで少しはましになるといいが」
「フラデリック公爵令息、お気遣いありがとうございますっ」
従者は去り際も、何度も何度もハルを振り返り、しきりに頭を下げていた。
部屋に戻ろうとしていたハルも踵を返し、元来た道を歩き始める。
この手紙にあるとおり、オルフェウスに会いに行かなければ。
昼間に会ったとき、オルフェウスは「夜に話をしよう」と言っていた。きっとそれを思い出してハルを誘ってくれたのだろう。
裏庭とは、城の奥の階段をすべて下り終えた先にある、裏門に出る前までにある小さな薬草園のあたりのことを指す。
そこは三人の密かな遊び場だった。オルフェウスは思い出の場所を、話をするための場所に選んでくれたのだ。
階段を下りながら、ハルの頭はオルフェウスのことでいっぱいだった。
ふたりきりで話をする、と考えた途端、急にハルの胸が高鳴っていく。
ハルはオメガだということがすでに判明している。そして十三歳になったオルフェウスとゼインも、アルファだということがはっきりとわかった。
ハルは第一王子のオルフェウスと婚約することになる。きっとそうなるだろうと思っていたが、いざ婚約が目前だと思うと胸のドキドキが収まらない。
ハルは胸に手を当て、気持ちを落ち着かせてから、裏庭へと続く扉を開け放った。
外に出ると夜空は真っ暗だった。月がどこにも見当たらない。新月だからこんなにも闇が深いのだろう。
それでも星明かりで裏庭に人が立っているのは見える。黒髪で、王家らしく上質なマントを身にまとったハルと同じくらいの背の高さの少年は、じっと夜空を眺めていた。
「オルフェウスさまっ」
ハルが声をかけると、オルフェウスは振り返った。
ハルに向かっていつものように微笑んでくれたが、その表情は少し固い。オルフェウスも緊張しているのかもしれない。
「ハル。来てくれてありがとう。俺からの手紙を読んだんだね?」
オルフェウスの声はハルの記憶よりも低く感じた。オルフェウスは十三歳、大人の声に変わる時期なのかもしれない。
「はい。嬉しかったです。私もオルフェウスさまとふたりきりでゆっくり話がしたいと思っていたところですから」
「ふたりきりでか……」
オルフェウスは感慨深げにつぶやく。
たしかに、ここで遊ぶときはいつも三人だった。でも今はゼインはここにいない。
「あ、あのっ、もう少しだけオルフェウスさまのそばに寄ってもよろしいですか?」
目の前に広がる薬草園から虫の声が聞こえる。だからオルフェウスの声を聞き逃さないために、オルフェウスに近づきたかった。
「いいよ。おいで、ハル」
オルフェウスに招かれて、ハルはすぐ隣に立つ。風が吹くとオルフェウスのマントがハルに触れるくらいの近距離だ。
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