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28.オメガの妃と番わない理由
ゼインとふたり客間まで戻ってきたあと、ハルは疲れてしまってベッドに倒れ込む。
今日はずっと緊張しっぱなしだった。やっとゼインとふたりきりになれた。これで安心して休むことができる。
そう思っていたのに、ゼインはまた出かける支度をしている。
「ゼインさま、まだどこかへ行かれるのですか?」
「ああ。同窓会だ。留学時代の奴らと久しぶりに話をしてくる。ラインハルトの息子のドルートも来るしな」
「そうですか……」
ドルートと話せばまた違った打開案が浮かぶかもしれない。ゼインはまだ戦おうとしているのだ。
「ハルは先に休んでいろ」
「はい」
ハルはベッドから身体を起こして、ゼインのもとへ歩み寄る。ゼインは鏡の前で髪を整えていた。
ハルはその大きな背中にそっと身を寄せる。
「ゼインさま。どうかご無理はなさらず」
ゼインは髪をいじる手を止めた。何も言わずに鏡の前に静かに立っている。
「急ぐことも、慌てることもありません。この先、何があっても私はゼインさまのそばにいます。もうひとりではありません。ともに頑張りましょう」
この世は一筋縄ではいかないことばかりだ。それでもゼインは諦めたりせず、王太子としてあらゆるものと戦い続けている。そんなゼインを支えてあげたい。孤独に苛まれないようにそばに寄り添っていたい。
ゼインからの返事はない。
こういうとき、ゼインから何も言ってもらえないことには慣れている。きっとゼインはハルが構ってきて自分の近くをウロウロすることを面倒だと思っているのだろう。
だがゼインはいつもハルを突っぱねたりせずに、じっと受け入れてくれる。
それだけでいい。ゼインのそばにいられるだけでいい。
「ゼインさまの幸せを心より願っております」
ゼインのことをこれから先も好きでいる自信はある。だってゼインを知れば知るほど惹かれていくばかり。ゼインを嫌いになる自分がまったく想像できないのだ。
ゼインに愛してほしいとは言えない。ゼインとは親同士が決めた政略結婚で、ゼインは王太子としての義務感からハルがそばにいることを許してくれているだけだから。
それでもいい、そばにいて、ゼインが幸せになるために何かできることがあれば、精一杯力を尽くしたい。
ハルはゼインの腰に両腕を回してしがみつく。
ぎゅっとゼインを抱きしめたときに、目の前の鏡が視界に飛び込んできた。それを見て、ハルは目を見開いた。
その鏡には意外なものが映っていた。
いつもどおり無表情だろうと思っていたのに、ゼインは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ゼインさま……?」
「行ってくる」
ゼインはサッと身を翻し、ハルの腕から逃れて部屋から出て行った。
ゼインがいなくなった静かな部屋で、ハルはしばし呆然としていた。
そのうちフラフラとベッドの端に腰掛ける。ハルの頭の中はゼインのことでいっぱいだ。
無敵のゼインが涙をみせるところなんて見たことがない。ゼインはあのとき何を思っていたのだろう。どうして、泣き出しそうになっていた……?
ずっと近くにいて、すっかり仲良くなったから、ゼインのことをわかった気でいた。
でも違う。
ゼインの本当の心の内を理解できていない。ゼインの本当の苦しみをわかってあげられていない。
「ゼインさま……」
この一年間、ゼインのいろんな姿を見てきたと思う。
横柄な態度をとるゼイン。王太子として気高くあろうとするゼイン。ふとしたときにハルに差し伸べてくる温かい手。
教えてほしい。どんなことでも受け止める自信はあるから、全部ぶつけてきてほしい。
ゼインはいったい何を――。
そのとき、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼いたします。アレドナール王太子妃はいらっしゃいますか」
「ああ、何の用だ?」
ハルは扉に近づいていく。
「ラインハルト陛下より御言づけがございます。先ほどの夜会での件で折り入って話がしたいと」
「夜会の話……」
ハルの頭の中にふたつの見解が浮かぶ。ゼインの要求を呑んで法による取り締まりをする気になったのか、それともゼインとハルの態度は無礼だったと責められるのか。
前者だとしたら、ゼインを呼ぶはずだ。とすると、おそらく憤慨していて気が収まらずひと言謝罪をさせたいのではないか。
その役割はゼインにさせたくない。
「わかった。今すぐに行く。陛下はどちらにいらっしゃるのだ? 案内してほしい」
「かしこまりました」
扉越しに従者の返事が聞こえてきた。
ハルは両頬を挟むようにしてパチンと顔を叩く。
部屋でくつろぐのはもう少し先になった。ラインハルトに謝り、機嫌を直してもらって、少しでも友好的な関係を構築しなければ。
ハルはサッと身支度をして扉を開ける。従者はハルを見てうやうやしく頭を下げた。
ハルは案内役のラインハルトの従者のあとを行く。ラインハルトの従者は無口なタイプなのか、何も話をしない。ハルが呼ばれた事情について探りを入れたかったが、スタスタと足早に進んでしまうし、なんとなく話しかけるタイミングを失ってしまった。
「こちらでお待ちです」
たくさんの護衛兵の見張りがいる通路を抜け、案内されたのはラインハルトの私的な部屋のようだった。豪華絢爛な金彫りの扉の左右にも護衛兵が立っている。警備は厳重だ。
「アレドナール王太子妃をお連れいたしました」
扉の前で従者が告げると、内側から両開きの扉が開かれた。ハルは従者に続いて中の深緑色の絨毯へと足を踏み入れる。
部屋の中には数々の調度品が並んでいる。ラインハルトは勉強家なのか、部屋に並んでいる書物の量もなかなかだ。ふたつあった応接間も通り過ぎて、さらに奥の部屋も抜けて、ハルが案内されたのは最奥の部屋だった。
「陛下、お連れいたしました」
従者は木製の扉をノックして声をかける。
最奥にある部屋ならば、ここは寝室ではないか。そこまで考えが及んで、ハルは一歩後ずさる。
嫌な予感がする。ラインハルトはハルに謝罪をさせたいのではなく、オメガの身体に興味があったのでは。
ハルはゼインの妃だ。だから考えすぎかもしれないが、アルファと寝室でふたりきりになるのは危険すぎる。
「あのっ、出直しますっ! ゼインさまの用事が終わったあとにふたりでまいりますと陛下にお伝えくださいっ!」
ハルは部屋から逃げ出そうとしたが、時すでに遅し。
「その必要はない」
寝室からラインハルトが現れた。ラインハルトは室内着に着替えていて、夜会のときはなでつけていた髪も下ろしていて私的な雰囲気だ。
「ゼインからの許可は得ているよ。あいつは鋭い男だ。私が何を欲しているか、よく見抜いている」
「ゼインさまの、許可……?」
ゼインはハルがラインハルトのもとに来ることを知っていると言うことか。しかもそれをゼインが認めた……? オメガのハルがアルファの王の寝室に行くことを……?
「なぜゼインが一年もの間オメガの妃と番わなかったのか、その理由を知りたくないか?」
「え……? 理由をご存じなのですか……?」
ハルもずっと違和感があった。
ゼインは忙しい人だ。遠征や会議で城を離れることも珍しいことではない。
でも、結婚してからこの一年間の間にハルは四回ヒートを起こしている。そのすべてのタイミングでゼインは外出していて城にいなかった。
一度や二度ならわかる。でも、四回ともすべてとなると、最後のほうにはハルもゼインに対して不信感を抱き始めていた。
もしかしたら、ゼインはハルと番いたくないからわざと城からいなくなったのでは、と。
「本当に綺麗なうなじだ。さぁ、おいで。他言無用の話だからふたりで折り入ってゼインの話をしよう」
ハルが戸惑っているうちに、ラインハルトに手を引かれて寝室に連れ込まれる。それと同時に寝室の扉を従者に閉められた。
「あっ……!」
ハルが慌てて扉を開けようとするのに、なぜか扉は開かない。向こう側から鍵をかけられたのかもしれない。
「ハルヴァード。怯えることは何もないぞ」
ラインハルトはゆっくりとハルに近づいてくる。
今日はずっと緊張しっぱなしだった。やっとゼインとふたりきりになれた。これで安心して休むことができる。
そう思っていたのに、ゼインはまた出かける支度をしている。
「ゼインさま、まだどこかへ行かれるのですか?」
「ああ。同窓会だ。留学時代の奴らと久しぶりに話をしてくる。ラインハルトの息子のドルートも来るしな」
「そうですか……」
ドルートと話せばまた違った打開案が浮かぶかもしれない。ゼインはまだ戦おうとしているのだ。
「ハルは先に休んでいろ」
「はい」
ハルはベッドから身体を起こして、ゼインのもとへ歩み寄る。ゼインは鏡の前で髪を整えていた。
ハルはその大きな背中にそっと身を寄せる。
「ゼインさま。どうかご無理はなさらず」
ゼインは髪をいじる手を止めた。何も言わずに鏡の前に静かに立っている。
「急ぐことも、慌てることもありません。この先、何があっても私はゼインさまのそばにいます。もうひとりではありません。ともに頑張りましょう」
この世は一筋縄ではいかないことばかりだ。それでもゼインは諦めたりせず、王太子としてあらゆるものと戦い続けている。そんなゼインを支えてあげたい。孤独に苛まれないようにそばに寄り添っていたい。
ゼインからの返事はない。
こういうとき、ゼインから何も言ってもらえないことには慣れている。きっとゼインはハルが構ってきて自分の近くをウロウロすることを面倒だと思っているのだろう。
だがゼインはいつもハルを突っぱねたりせずに、じっと受け入れてくれる。
それだけでいい。ゼインのそばにいられるだけでいい。
「ゼインさまの幸せを心より願っております」
ゼインのことをこれから先も好きでいる自信はある。だってゼインを知れば知るほど惹かれていくばかり。ゼインを嫌いになる自分がまったく想像できないのだ。
ゼインに愛してほしいとは言えない。ゼインとは親同士が決めた政略結婚で、ゼインは王太子としての義務感からハルがそばにいることを許してくれているだけだから。
それでもいい、そばにいて、ゼインが幸せになるために何かできることがあれば、精一杯力を尽くしたい。
ハルはゼインの腰に両腕を回してしがみつく。
ぎゅっとゼインを抱きしめたときに、目の前の鏡が視界に飛び込んできた。それを見て、ハルは目を見開いた。
その鏡には意外なものが映っていた。
いつもどおり無表情だろうと思っていたのに、ゼインは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ゼインさま……?」
「行ってくる」
ゼインはサッと身を翻し、ハルの腕から逃れて部屋から出て行った。
ゼインがいなくなった静かな部屋で、ハルはしばし呆然としていた。
そのうちフラフラとベッドの端に腰掛ける。ハルの頭の中はゼインのことでいっぱいだ。
無敵のゼインが涙をみせるところなんて見たことがない。ゼインはあのとき何を思っていたのだろう。どうして、泣き出しそうになっていた……?
ずっと近くにいて、すっかり仲良くなったから、ゼインのことをわかった気でいた。
でも違う。
ゼインの本当の心の内を理解できていない。ゼインの本当の苦しみをわかってあげられていない。
「ゼインさま……」
この一年間、ゼインのいろんな姿を見てきたと思う。
横柄な態度をとるゼイン。王太子として気高くあろうとするゼイン。ふとしたときにハルに差し伸べてくる温かい手。
教えてほしい。どんなことでも受け止める自信はあるから、全部ぶつけてきてほしい。
ゼインはいったい何を――。
そのとき、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「失礼いたします。アレドナール王太子妃はいらっしゃいますか」
「ああ、何の用だ?」
ハルは扉に近づいていく。
「ラインハルト陛下より御言づけがございます。先ほどの夜会での件で折り入って話がしたいと」
「夜会の話……」
ハルの頭の中にふたつの見解が浮かぶ。ゼインの要求を呑んで法による取り締まりをする気になったのか、それともゼインとハルの態度は無礼だったと責められるのか。
前者だとしたら、ゼインを呼ぶはずだ。とすると、おそらく憤慨していて気が収まらずひと言謝罪をさせたいのではないか。
その役割はゼインにさせたくない。
「わかった。今すぐに行く。陛下はどちらにいらっしゃるのだ? 案内してほしい」
「かしこまりました」
扉越しに従者の返事が聞こえてきた。
ハルは両頬を挟むようにしてパチンと顔を叩く。
部屋でくつろぐのはもう少し先になった。ラインハルトに謝り、機嫌を直してもらって、少しでも友好的な関係を構築しなければ。
ハルはサッと身支度をして扉を開ける。従者はハルを見てうやうやしく頭を下げた。
ハルは案内役のラインハルトの従者のあとを行く。ラインハルトの従者は無口なタイプなのか、何も話をしない。ハルが呼ばれた事情について探りを入れたかったが、スタスタと足早に進んでしまうし、なんとなく話しかけるタイミングを失ってしまった。
「こちらでお待ちです」
たくさんの護衛兵の見張りがいる通路を抜け、案内されたのはラインハルトの私的な部屋のようだった。豪華絢爛な金彫りの扉の左右にも護衛兵が立っている。警備は厳重だ。
「アレドナール王太子妃をお連れいたしました」
扉の前で従者が告げると、内側から両開きの扉が開かれた。ハルは従者に続いて中の深緑色の絨毯へと足を踏み入れる。
部屋の中には数々の調度品が並んでいる。ラインハルトは勉強家なのか、部屋に並んでいる書物の量もなかなかだ。ふたつあった応接間も通り過ぎて、さらに奥の部屋も抜けて、ハルが案内されたのは最奥の部屋だった。
「陛下、お連れいたしました」
従者は木製の扉をノックして声をかける。
最奥にある部屋ならば、ここは寝室ではないか。そこまで考えが及んで、ハルは一歩後ずさる。
嫌な予感がする。ラインハルトはハルに謝罪をさせたいのではなく、オメガの身体に興味があったのでは。
ハルはゼインの妃だ。だから考えすぎかもしれないが、アルファと寝室でふたりきりになるのは危険すぎる。
「あのっ、出直しますっ! ゼインさまの用事が終わったあとにふたりでまいりますと陛下にお伝えくださいっ!」
ハルは部屋から逃げ出そうとしたが、時すでに遅し。
「その必要はない」
寝室からラインハルトが現れた。ラインハルトは室内着に着替えていて、夜会のときはなでつけていた髪も下ろしていて私的な雰囲気だ。
「ゼインからの許可は得ているよ。あいつは鋭い男だ。私が何を欲しているか、よく見抜いている」
「ゼインさまの、許可……?」
ゼインはハルがラインハルトのもとに来ることを知っていると言うことか。しかもそれをゼインが認めた……? オメガのハルがアルファの王の寝室に行くことを……?
「なぜゼインが一年もの間オメガの妃と番わなかったのか、その理由を知りたくないか?」
「え……? 理由をご存じなのですか……?」
ハルもずっと違和感があった。
ゼインは忙しい人だ。遠征や会議で城を離れることも珍しいことではない。
でも、結婚してからこの一年間の間にハルは四回ヒートを起こしている。そのすべてのタイミングでゼインは外出していて城にいなかった。
一度や二度ならわかる。でも、四回ともすべてとなると、最後のほうにはハルもゼインに対して不信感を抱き始めていた。
もしかしたら、ゼインはハルと番いたくないからわざと城からいなくなったのでは、と。
「本当に綺麗なうなじだ。さぁ、おいで。他言無用の話だからふたりで折り入ってゼインの話をしよう」
ハルが戸惑っているうちに、ラインハルトに手を引かれて寝室に連れ込まれる。それと同時に寝室の扉を従者に閉められた。
「あっ……!」
ハルが慌てて扉を開けようとするのに、なぜか扉は開かない。向こう側から鍵をかけられたのかもしれない。
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