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番外編『アイル公爵令息の溜め息の休日』2
その後、城中が震撼する事件が起きた。ルークが遠征先で瀕死の重傷となり、空間移動の魔法で城に飛ばされてきたらしい。
皆、大騒ぎだ。アイルだって例外ではない。ルークの身に何かあったら、この国はおしまいだ。
治癒室には人が殺到していた。そのあいだをかき分けてアイルはルークの元へと急ぐ。
治癒室の前にはルークを心配して集まってきた者ばかりだ。もちろん全員ルークに会えるわけもなく、皆、護衛兵による門前払いを受けている。
「アイルさまだっ、アイルさまをお通しせよ!」
護衛兵たちはアイルの姿を見てすぐに中に通してくれた。そのことでアイルは羨望の眼差しを受ける。みんなルークが心配で、ルークにひと目だけでも会いたいと思っているのだろうから。
でもそれはアイルも同じことだ。治癒室の奥にいるルークのもとへと急ぐ。
ベッドには変わり果てた姿のルークがいて、その近くには治癒師たちがおり、ひそひそと治療方針を話し合っていた。
「殿下っ!」
アイルはルークのそばに寄り、布団の中にあったその手を握る。ルークの手はひんやりとしていて、生きている人の手とは思えないくらいだ。
「殿下……」
いつもはルークに憎まれ口を叩いたりもするけれど、今日はとてもそんな気分にならなかった。今にも消えてしまいそうなルークの弱々しい姿なんて初めて見た。こんな早くルークと別れたくない、ルークには必ず元気になってもらいたい。
気がついたら、涙がこぼれていた。
そのときだった。ルークが手を握り返してきたのだ。
ハッとルークの顔を見ると、ルークがゆっくりと目を開いた。
「アイル……お前の泣き顔を初めて見た……」
「仕方ないでしょう? こんな姿を見せられたら誰だって泣きますよ」
口ではそう言いながら、ルークとこうやっていつもどおり会話ができることが嬉しい。
大丈夫だ。
ルークは瘴気にやられて治療薬を飲んだために、薬の強い作用で人を忘れたり記憶違いを起こしてしまうかもしれないと聞いていた。
でもルークは変わっていない。薬の副反応は起きていないようだ。
「聞いてくれ。とてもいいことがあったんだ……」
「はぁっ……? いいことっ?」
驚いた。瀕死にまで追い込まれて命の危機だというのに何がいいことなのだろう。
「エルヴィンが……いた……」
「エルヴィン……?」
その名前を聞いて、アイルの脳裏に浮かんだのはあの猫獣人だ。だがエルヴィンという名前は決して珍しくない名前なので獣人違いかもしれない。いや、そうであってほしい。
「この城のどこかにいる……会いたい……今すぐエルヴィンに……」
ルークの言葉はそこからあやふやになっていった。そのまま意識が遠のいたのか、ルークの手からは力が抜け、目を閉じ、何も話さなくなった。
「殿下……」
ルークの指すエルヴィンが誰かはわからない。最近やってきた銀狼族の侯爵令息もそのような名前だった。
でも推測だけで侯爵令息をここに連れてくるわけにはいかない。ルークの状態は決して芳しくはない。
アイルは涙を拭い、ルークの病床をあとにした。
治癒室を出てすぐのことだ。治癒室の前の通路の端で、狼獣人たちに責められている猫獣人がいた。
身体の大きな狼獣人の隙間から見えたのは茶色い毛並み。あれはエルヴィンだ。
アイルはピンと聞き耳を立てる。
「鍵のかかった薬庫はお前は触ってはいけないと教えただろう? 瘴気を祓う薬は、扱いがとても難しい薬だ。お前のような未熟者が使うのは許されない」
「はい、申し訳ございません……」
可哀想にエルヴィンはうなだれた猫耳で何度も謝っている。
「我々の指示に従えないようでは無理だ。明日から来なくていい」
「そんなっ……もう二度としません。だから許してくださいっ!」
「ダメだ。反省しろっ」
言い合う治癒師たちの状況を伺っていたときに、治癒師のラルゴがアイルの前を通りかかった。
アイルはすかさずラルゴを呼び止める。
「あれはどういうことか? 猫獣人が触った瘴気を祓う薬とは……?」
「ああ、殿下を助けようとエルヴィンは必死だったのでしょう。ですが、治癒師の決まりで禁断の薬庫を開けていいのは認められた者だけとなっております。掟を破ったら追放するということになっていますから」
「は……?」
アイルは呆れて物が言えない。
ルークの一大事を救った者に対しての扱いがそれか?
なんのための掟だ。もしエルヴィンが掟を守っていたら、ルークの命は失われていたかもしれないのに。
「……ラルゴ」
「はいっ。なんでしょうアイルさま」
「反対だ。掟を破ってでもルーク殿下を助けた功績をたたえるべきだ。間違っても追放は許さない」
「え……」
アイルが口出ししてきたことに、ラルゴは驚いている様子だ。そんなラルゴにアイルは理由を説明して、言って聞かせる。
「これは命令だ。あの猫獣人を不問にせよ。治癒師としての勉強もこのまま続けさせる。いいね?」
「は、はいっ……! そのようにいたしますっ!」
命令と言われてラルゴはピンと背筋を伸ばした。その姿が少し滑稽で、アイルはふふ、と笑った。
「掟を守るのも大切なことだけど、もっと大切なことがあるよ。ラルゴは優秀な治癒師だと聞いた。どうか物事の本質を捉えて、考えてみてくれないかな?」
アイルはラルゴに微笑みかける。そんなアイルを見て、ラルゴは「美しい……」と息を呑んだ。
「頼んでいいかな? さっき言ったこと。エルヴィンを不問にしなさい」
「はいっ! そのようにいたします!」
ラルゴはエルヴィンを責めている狼獣人たちのもとへと行き、話を始めた。
うん。大丈夫そうだ。エルヴィンが笑顔になった。
「可愛いなぁ……」
アイルは喜んで思わず尻尾を振ってしまっているエルヴィンを見て、愛おしくてたまらなかった。
皆、大騒ぎだ。アイルだって例外ではない。ルークの身に何かあったら、この国はおしまいだ。
治癒室には人が殺到していた。そのあいだをかき分けてアイルはルークの元へと急ぐ。
治癒室の前にはルークを心配して集まってきた者ばかりだ。もちろん全員ルークに会えるわけもなく、皆、護衛兵による門前払いを受けている。
「アイルさまだっ、アイルさまをお通しせよ!」
護衛兵たちはアイルの姿を見てすぐに中に通してくれた。そのことでアイルは羨望の眼差しを受ける。みんなルークが心配で、ルークにひと目だけでも会いたいと思っているのだろうから。
でもそれはアイルも同じことだ。治癒室の奥にいるルークのもとへと急ぐ。
ベッドには変わり果てた姿のルークがいて、その近くには治癒師たちがおり、ひそひそと治療方針を話し合っていた。
「殿下っ!」
アイルはルークのそばに寄り、布団の中にあったその手を握る。ルークの手はひんやりとしていて、生きている人の手とは思えないくらいだ。
「殿下……」
いつもはルークに憎まれ口を叩いたりもするけれど、今日はとてもそんな気分にならなかった。今にも消えてしまいそうなルークの弱々しい姿なんて初めて見た。こんな早くルークと別れたくない、ルークには必ず元気になってもらいたい。
気がついたら、涙がこぼれていた。
そのときだった。ルークが手を握り返してきたのだ。
ハッとルークの顔を見ると、ルークがゆっくりと目を開いた。
「アイル……お前の泣き顔を初めて見た……」
「仕方ないでしょう? こんな姿を見せられたら誰だって泣きますよ」
口ではそう言いながら、ルークとこうやっていつもどおり会話ができることが嬉しい。
大丈夫だ。
ルークは瘴気にやられて治療薬を飲んだために、薬の強い作用で人を忘れたり記憶違いを起こしてしまうかもしれないと聞いていた。
でもルークは変わっていない。薬の副反応は起きていないようだ。
「聞いてくれ。とてもいいことがあったんだ……」
「はぁっ……? いいことっ?」
驚いた。瀕死にまで追い込まれて命の危機だというのに何がいいことなのだろう。
「エルヴィンが……いた……」
「エルヴィン……?」
その名前を聞いて、アイルの脳裏に浮かんだのはあの猫獣人だ。だがエルヴィンという名前は決して珍しくない名前なので獣人違いかもしれない。いや、そうであってほしい。
「この城のどこかにいる……会いたい……今すぐエルヴィンに……」
ルークの言葉はそこからあやふやになっていった。そのまま意識が遠のいたのか、ルークの手からは力が抜け、目を閉じ、何も話さなくなった。
「殿下……」
ルークの指すエルヴィンが誰かはわからない。最近やってきた銀狼族の侯爵令息もそのような名前だった。
でも推測だけで侯爵令息をここに連れてくるわけにはいかない。ルークの状態は決して芳しくはない。
アイルは涙を拭い、ルークの病床をあとにした。
治癒室を出てすぐのことだ。治癒室の前の通路の端で、狼獣人たちに責められている猫獣人がいた。
身体の大きな狼獣人の隙間から見えたのは茶色い毛並み。あれはエルヴィンだ。
アイルはピンと聞き耳を立てる。
「鍵のかかった薬庫はお前は触ってはいけないと教えただろう? 瘴気を祓う薬は、扱いがとても難しい薬だ。お前のような未熟者が使うのは許されない」
「はい、申し訳ございません……」
可哀想にエルヴィンはうなだれた猫耳で何度も謝っている。
「我々の指示に従えないようでは無理だ。明日から来なくていい」
「そんなっ……もう二度としません。だから許してくださいっ!」
「ダメだ。反省しろっ」
言い合う治癒師たちの状況を伺っていたときに、治癒師のラルゴがアイルの前を通りかかった。
アイルはすかさずラルゴを呼び止める。
「あれはどういうことか? 猫獣人が触った瘴気を祓う薬とは……?」
「ああ、殿下を助けようとエルヴィンは必死だったのでしょう。ですが、治癒師の決まりで禁断の薬庫を開けていいのは認められた者だけとなっております。掟を破ったら追放するということになっていますから」
「は……?」
アイルは呆れて物が言えない。
ルークの一大事を救った者に対しての扱いがそれか?
なんのための掟だ。もしエルヴィンが掟を守っていたら、ルークの命は失われていたかもしれないのに。
「……ラルゴ」
「はいっ。なんでしょうアイルさま」
「反対だ。掟を破ってでもルーク殿下を助けた功績をたたえるべきだ。間違っても追放は許さない」
「え……」
アイルが口出ししてきたことに、ラルゴは驚いている様子だ。そんなラルゴにアイルは理由を説明して、言って聞かせる。
「これは命令だ。あの猫獣人を不問にせよ。治癒師としての勉強もこのまま続けさせる。いいね?」
「は、はいっ……! そのようにいたしますっ!」
命令と言われてラルゴはピンと背筋を伸ばした。その姿が少し滑稽で、アイルはふふ、と笑った。
「掟を守るのも大切なことだけど、もっと大切なことがあるよ。ラルゴは優秀な治癒師だと聞いた。どうか物事の本質を捉えて、考えてみてくれないかな?」
アイルはラルゴに微笑みかける。そんなアイルを見て、ラルゴは「美しい……」と息を呑んだ。
「頼んでいいかな? さっき言ったこと。エルヴィンを不問にしなさい」
「はいっ! そのようにいたします!」
ラルゴはエルヴィンを責めている狼獣人たちのもとへと行き、話を始めた。
うん。大丈夫そうだ。エルヴィンが笑顔になった。
「可愛いなぁ……」
アイルは喜んで思わず尻尾を振ってしまっているエルヴィンを見て、愛おしくてたまらなかった。
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