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第5章 これが『おにぎりん』の実力だ
1.地球は人間の都合で動いちゃいねえ
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巌の予感が的中したわけではない。
地球で暮らしている以上、いつでもあり得る事態ということだ。
*
朝九時すぎだ。
日曜なのでゆっくりと朝をすごし、ちょうど洗濯も終えたころだった。
スマートフォンからけたたましい警告音が響いた。
メロディとともに「地震です、地震です」と自動音声が繰り返す。
「え?」とたたんだバスタオルを棚へ入れる手を止めると、スタンドの中の歯ブラシがカタカタと小さい音を立てた。続いてガタガタと大きな揺れがきた。驚く間もなく立っていられない揺れになる。
「柚月っ」と巌が洗面所へ飛び込んできた。
棚のタオルを手で押さえ、巌は柚月にヘルメットをかぶせた。自身もしっかりかぶっている。大げさな、と思うより早く灯りが落ちる。停電だ。
数秒が数分にも感じて、ようやく揺れがおさまった。
「またすぐに余震がくる。いや、次が本震かもしれねえ。足元に気をつけろ」
そういう先からまた揺れが起きる。一度ではない。二度、三度と繰り返す。
巌に肩を抱かれてリビングへ移動した。その間も壁がメキメキと低い音を立てた。ときおり鋭い音がして壁へヒビがピシッと入る。
「なかなかだな、おい」と巌が呑気な声をあげなければ悲鳴をあげるところだった。
やがてゆっくりと揺れがおさまっていく。巌は柚月のヘルメットをポンポンと叩くと仕事部屋をのぞき込んだ。
「よおし。無事だな。本棚の固定が利いたみたいだ。お前の部屋はどうだ? 台所は? 足元に気をつけろよ」
えっと、と部屋を見る。
柚月の本棚も巌の指示でがっちりと落下防止シートとテープ、さらにはストッパ―を施していたので落下した本は一冊もなかった。机にあった鉛筆と消しゴムが床へ落ちたくらいだ。
台所も同様だ。食器棚から飛び出した皿は一枚もない。
「水はどうかな」
水栓コックをあげる。「あ」と声が出た。「お」と巌が顔を出す。
「もう水が出ないのか。早いな。マンション屋上のタンクがやられたか? ならトイレもアウトだな」
おっしゃ、と巌は手のひらに拳を叩きつけた。
玄関のすぐ外のトランクルームから非常用飲料水タンクを室内へと運んでくる。仕事部屋で保管していた簡易トイレもテキパキと組み立てていく。
作業をしながらスマートフォンで確認したらしく、巌が口笛を吹く。
「マグニチュード8.6だあ? 震源は? 十勝沖? 千島海溝由来か? で? 札幌は震度6弱か。そりゃいろいろ落ちるわな」
あとは、と巌はリビングを見回す。
普段から巌が口を酸っぱくして「地震に備えろ」といっていた甲斐があり、被害はほぼなかった。
テレビも棚もすべてしっかりと固定をしてある。遺影にすらストッパーをつけてあった。
気になるといえば壁か。リビングだけで五か所以上にヒビが入っていた。
「高耐震マンションで低層棟だから買ったんだけどな。まあそうじゃなかったら倒壊していたか?」
巌は小さく鼻を鳴らして仕事部屋からなにやら器具を取り出した。
折り畳み机サイズのソーラーパネルとポータブル電源だ。さらにはソーラーモバイルバッテリーだ。それらを手際よくベランダ沿いへ設置していく。
「いい天気だからな。たっぷり充電できるだろう」
そういって巌が腰に両手を当てたときだ。巌のスマートフォンからコール音がした。例のカリブ海の海賊映画のテーマ曲だ。
その相変わらずの大音量に負けない声量で「俺だ」と巌は吠える。
「どこがどんな状態だ? データをくれ。おお? 受信できるかだ? くそ、確かに通信速度が急に落ちてきたな。通信基地もヤバいか。ちょい待て。衛星携帯経由にする」
いいつつ巌は予備用バッテリーを手にノートパソコンを起動させて別の大型モバイルフォンを手に取った。
トランシーバーに似た黒くてガッシリとした携帯電話だ。そうするうちにも別のスマートフォンが鳴る。「おう、俺だ」、「落ち着け。順を追って話せ」と三台の携帯電話に対応する。そのうちのひとつは道庁からの電話らしい。
その間も余震は続く。震度4くらいの揺れが何度も起きる。道庁からの対応をしていた巌が「かあっ」と吠えた。
「さっさと対策本部を立ちあげろやっ。なんのためにさんざんシミュレーションしてきたんだよっ。すぐにいくからやっとけ」
鼻息あらく通話を切って、巌は肩で大きく呼吸をする。そして今回はうかがうような声ではなく、「柚月あのな」と神妙な声を出した。
「道庁へいくのね。わかった」
「お、おう」
「どうやって? 車で?」
「チャリにする。信号機が止まっているらしい。たぶん市内全域だな。道路状況もわかんねえし」
巌の愛用自転車はかなりハードなマウンテンバイクだ。本体だけでなく、大容量の荷物を装着させるアクセサリ一式も持っていた。盗難防止のために仕事部屋へ設置してあるのですぐに使える。
「そんでだ」と巌は声をあらためる。
「お前は避難所へいけ」
「え?」
「さんざん打ち合わせてきただろうが。手順通りにあれこれ進んでいれば、一時間後には町内会のやつらも手伝って避難所ができるはずだ。多分、大混乱だろう。お前、手伝いにいってこい。人手が足りないはずだ」
「せっかくソーラーパネルを設置したのに?」
「避難所から一時帰宅したときに充電とかできるほうがいいだろう。蓄電はできるだけ早くはじめたほうがいい」
だが、と巌は声色を変える。
「どうも電話の情報だと、停電についてはいつかの地震みたいな送電系統トラブルじゃすまなさそうだ。すでに石狩と知内、それに苫東厚真発電所からの被害報告があがってる。道庁のやつらは本州からの送電を期待しているみたいだが、それも多分むずかしい」
「どうして」
「この地震、なんか嫌な感じだ。もっと本格的に千島海溝が動くかもしれねえ。そうするとこれで終わりじゃねえ。千島海溝に誘発されて、東北沖、紀伊水道、南海トラフも動く。さらに誘発してあちこちで火山の噴火もありうる。地震は多分、しばらくおさまることはない。心しておけ」
な、と息をのむ。その柚月へ巌が指先を突きつける。
「驚くことでも理不尽でもねえよ。これは、この地域の数千、数百年レベルでの『ただの』地震サイクルだ。そろそろどこもかしこも動くころだった。それがいま起きている。それだけだ」
巌は軽く柚月の額を小突く。
「いつもいっているだろう? 地球は人間の都合で動いちゃいねえってよ」
うん、とうなずく。だから地震を防ぐことはできなくて、できるのは備えることだけ。
「だから柚月、動け」
父の目を真っすぐに見る。
「動いていれば怖がっている暇はない。お前はそれができるだろう? だが世の中ではな。できないやつの方が多いんだ。助けてやれ」
頼んだぞ、といわれて腹をくくる。
「わかった」
地球で暮らしている以上、いつでもあり得る事態ということだ。
*
朝九時すぎだ。
日曜なのでゆっくりと朝をすごし、ちょうど洗濯も終えたころだった。
スマートフォンからけたたましい警告音が響いた。
メロディとともに「地震です、地震です」と自動音声が繰り返す。
「え?」とたたんだバスタオルを棚へ入れる手を止めると、スタンドの中の歯ブラシがカタカタと小さい音を立てた。続いてガタガタと大きな揺れがきた。驚く間もなく立っていられない揺れになる。
「柚月っ」と巌が洗面所へ飛び込んできた。
棚のタオルを手で押さえ、巌は柚月にヘルメットをかぶせた。自身もしっかりかぶっている。大げさな、と思うより早く灯りが落ちる。停電だ。
数秒が数分にも感じて、ようやく揺れがおさまった。
「またすぐに余震がくる。いや、次が本震かもしれねえ。足元に気をつけろ」
そういう先からまた揺れが起きる。一度ではない。二度、三度と繰り返す。
巌に肩を抱かれてリビングへ移動した。その間も壁がメキメキと低い音を立てた。ときおり鋭い音がして壁へヒビがピシッと入る。
「なかなかだな、おい」と巌が呑気な声をあげなければ悲鳴をあげるところだった。
やがてゆっくりと揺れがおさまっていく。巌は柚月のヘルメットをポンポンと叩くと仕事部屋をのぞき込んだ。
「よおし。無事だな。本棚の固定が利いたみたいだ。お前の部屋はどうだ? 台所は? 足元に気をつけろよ」
えっと、と部屋を見る。
柚月の本棚も巌の指示でがっちりと落下防止シートとテープ、さらにはストッパ―を施していたので落下した本は一冊もなかった。机にあった鉛筆と消しゴムが床へ落ちたくらいだ。
台所も同様だ。食器棚から飛び出した皿は一枚もない。
「水はどうかな」
水栓コックをあげる。「あ」と声が出た。「お」と巌が顔を出す。
「もう水が出ないのか。早いな。マンション屋上のタンクがやられたか? ならトイレもアウトだな」
おっしゃ、と巌は手のひらに拳を叩きつけた。
玄関のすぐ外のトランクルームから非常用飲料水タンクを室内へと運んでくる。仕事部屋で保管していた簡易トイレもテキパキと組み立てていく。
作業をしながらスマートフォンで確認したらしく、巌が口笛を吹く。
「マグニチュード8.6だあ? 震源は? 十勝沖? 千島海溝由来か? で? 札幌は震度6弱か。そりゃいろいろ落ちるわな」
あとは、と巌はリビングを見回す。
普段から巌が口を酸っぱくして「地震に備えろ」といっていた甲斐があり、被害はほぼなかった。
テレビも棚もすべてしっかりと固定をしてある。遺影にすらストッパーをつけてあった。
気になるといえば壁か。リビングだけで五か所以上にヒビが入っていた。
「高耐震マンションで低層棟だから買ったんだけどな。まあそうじゃなかったら倒壊していたか?」
巌は小さく鼻を鳴らして仕事部屋からなにやら器具を取り出した。
折り畳み机サイズのソーラーパネルとポータブル電源だ。さらにはソーラーモバイルバッテリーだ。それらを手際よくベランダ沿いへ設置していく。
「いい天気だからな。たっぷり充電できるだろう」
そういって巌が腰に両手を当てたときだ。巌のスマートフォンからコール音がした。例のカリブ海の海賊映画のテーマ曲だ。
その相変わらずの大音量に負けない声量で「俺だ」と巌は吠える。
「どこがどんな状態だ? データをくれ。おお? 受信できるかだ? くそ、確かに通信速度が急に落ちてきたな。通信基地もヤバいか。ちょい待て。衛星携帯経由にする」
いいつつ巌は予備用バッテリーを手にノートパソコンを起動させて別の大型モバイルフォンを手に取った。
トランシーバーに似た黒くてガッシリとした携帯電話だ。そうするうちにも別のスマートフォンが鳴る。「おう、俺だ」、「落ち着け。順を追って話せ」と三台の携帯電話に対応する。そのうちのひとつは道庁からの電話らしい。
その間も余震は続く。震度4くらいの揺れが何度も起きる。道庁からの対応をしていた巌が「かあっ」と吠えた。
「さっさと対策本部を立ちあげろやっ。なんのためにさんざんシミュレーションしてきたんだよっ。すぐにいくからやっとけ」
鼻息あらく通話を切って、巌は肩で大きく呼吸をする。そして今回はうかがうような声ではなく、「柚月あのな」と神妙な声を出した。
「道庁へいくのね。わかった」
「お、おう」
「どうやって? 車で?」
「チャリにする。信号機が止まっているらしい。たぶん市内全域だな。道路状況もわかんねえし」
巌の愛用自転車はかなりハードなマウンテンバイクだ。本体だけでなく、大容量の荷物を装着させるアクセサリ一式も持っていた。盗難防止のために仕事部屋へ設置してあるのですぐに使える。
「そんでだ」と巌は声をあらためる。
「お前は避難所へいけ」
「え?」
「さんざん打ち合わせてきただろうが。手順通りにあれこれ進んでいれば、一時間後には町内会のやつらも手伝って避難所ができるはずだ。多分、大混乱だろう。お前、手伝いにいってこい。人手が足りないはずだ」
「せっかくソーラーパネルを設置したのに?」
「避難所から一時帰宅したときに充電とかできるほうがいいだろう。蓄電はできるだけ早くはじめたほうがいい」
だが、と巌は声色を変える。
「どうも電話の情報だと、停電についてはいつかの地震みたいな送電系統トラブルじゃすまなさそうだ。すでに石狩と知内、それに苫東厚真発電所からの被害報告があがってる。道庁のやつらは本州からの送電を期待しているみたいだが、それも多分むずかしい」
「どうして」
「この地震、なんか嫌な感じだ。もっと本格的に千島海溝が動くかもしれねえ。そうするとこれで終わりじゃねえ。千島海溝に誘発されて、東北沖、紀伊水道、南海トラフも動く。さらに誘発してあちこちで火山の噴火もありうる。地震は多分、しばらくおさまることはない。心しておけ」
な、と息をのむ。その柚月へ巌が指先を突きつける。
「驚くことでも理不尽でもねえよ。これは、この地域の数千、数百年レベルでの『ただの』地震サイクルだ。そろそろどこもかしこも動くころだった。それがいま起きている。それだけだ」
巌は軽く柚月の額を小突く。
「いつもいっているだろう? 地球は人間の都合で動いちゃいねえってよ」
うん、とうなずく。だから地震を防ぐことはできなくて、できるのは備えることだけ。
「だから柚月、動け」
父の目を真っすぐに見る。
「動いていれば怖がっている暇はない。お前はそれができるだろう? だが世の中ではな。できないやつの方が多いんだ。助けてやれ」
頼んだぞ、といわれて腹をくくる。
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