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第1章 もの好きが二人おりまして
1.あなたはどうして歩けるんですかっ
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額に汗をかきながら、真っ白い雪の道を進む。
大学構内のゆるやかな坂をのぼり切るとようやくロータリーが見えた。あたりを見渡し「すごい」と声が出る。
「ピカピカに除雪がされてる。スケートリンクみたい」
そういえばお父さんが『土曜から大学入学共通ストです』といっていたのを思い出した。きっと構内は受験生のために徹底的に磨いたのだろう。高二のわたしにはちょっと早い話だけど、と思いながらカーブを曲がってギョッとする。
「な、なに?」
シラカバ並木が続く直線道路。そこに同世代くらいの男子が倒れていた。
轢かれた? それとも体調不良?
息をのんだものの、目をこらして、なあんだ、とホッとする。数メートル離れたこの位置からも、その人は背中や髪が雪だらけになっていた。単に転んだだけだろう。
やがてその人は「いてて」と身体を起こす。頭を打ったとかではなさそうだから大丈夫みたいだ。
ここ札幌で雪道で転ぶのは日常だ。怪我をしたならさておき、転んだだけならしらんぷりをするのがマナーだ。わたしはマナーどおり、そっと彼の脇をとおり過ぎようとしたのだけれど──。
「あ、あのっ」
すれ違いざまに声をかけられた。
振り返って、あ、と声がもれる。かわいい系の男子だった。鼻の頭が雪に反射した朝日を受けて光っている。
その彼が「助けてくださいっ」と続けて我に返る。
「怪我をしたんですか? どこ? 足?」
「あ、いえ、その……歩けないんです」
「やっぱり足? ほかに痛いところは? 救急車とか呼んだほうがいいかな」
「いえ、あの違うんですっ。ただその……歩けないんです」
どういうこと? 首をかしげるわたしに「雪道を進めないんですっ」と彼は涙目で訴えた。
「ここへくるまで何度転んだか。こんなところをあなたはどうして歩けるんですかっ」
最後はヤケのような叫び声だ。そんなことをいわれても。
ちらりと彼の足元を見る。えーっと。うーんと。ひょっとしてわたし、からかわれているのかな。ナンパかなにかとか? ……こんな朝っぱらから暇なのかな?
腕時計を見る。九時四十五分だった。
「えっと、わたしは暇じゃないんで」
じゃあ、と背中を向けると「おれだって時間がないんですっ」と声が追ってきた。
「目的地はもう少し先なんです。低極研なんですっ」
へ? と足を止める。
「すぐ左手の獣医学部じゃなくて?」
「どうして獣医?」
「そこへいく人は多いので。だったら学生さんだったんですか? てっきり高校生かと」
「高校生です。二年。十時から低極研で低温室を見学させてもらうことになっていて」
「本当に? わたしも」
「それこそ、え? 本当に?」と彼の顔がぱあっと明るくなる。彼の口調が急に砕けた。
「ちょうどこっちへ引っ越すタイミングで見学会の連絡をもらったんだ。こんなラッキーないよね。そりゃあもう今日を楽しみにしてきたんだ」
「引っ越してきた?」
「うんそう。年末に名古屋から。札幌って意外と雪がないんだなって思っていたら、先日のこの雪でしょ? もうどうやって歩いていいのかわかんなくて」
泣き笑いの顔になりながら、ようやく彼は立ちあがる。
雪に慣れていないというのは本当らしく、生まれたての小鹿が立ちあがるみたいだ。
「おれ、佐呂間睦月っていいます。親が離婚したばっかりで『佐呂間』って慣れないから睦月って呼んで」
……いきなり重い話題を軽い口調で話してきたな。
反応に困っているとキラキラとした眼差しを向けられた。わたしの名前をうながされているみたい。しぶしぶと口を開く。
「……音更六花です」
「ひょっとしてリッカって六つの花って書くの? 雪のことだよね。すごいなあ。いい名前だなあ」
「えっ。どうしてわかったの?」
「そりゃわかるよ。おれ、極域とか雪とか大好きだもん」
目をおおきくして彼を見る。からかわれているようにも社交辞令にも思えなかった。
じわりと鼻先が熱くなって、あわてて彼から視線をそらした。
だって……そんなふうに真っすぐにいわれたのははじめてで。それに、と視線を伏せる。名前の由縁をいわれたら──お母さんのことを思い出しちゃう。
不意に彼が「うわあ、六花ちゃんっ」と叫んだ。
「時間がないよっ。遅刻するよっ」
へ、と腕時計を見ると十時まであと八分だった。本当ならもう低極研ロビーについている時刻だ。
うわ大変、と歩き出した私の腕を「待って待って」と力いっぱい彼がつかんだ。
「いたっ」
「ご、ごめん。だけど本気で歩けないんだよッ」
「もっと中腰になって、重心を低くして歩いて」
「こ、こう?」
「ペンギンみたいにすり足歩きで。歩幅は小さくして」
えっと、えっと、と彼は中腰で歩き出すけれど、数歩も進まないうちに派手に転ぶ。
「そんなカッコなんて気にしているから」
「へ? えっと、もっと中腰になれってこと?」
「そうじゃない。ああもう、本気で時間がないのに。もうっ、はいっ」
わたしは彼へ手を差し出した。
「引っ張っていくから前かがみ気味になって。靴の裏全体をつけて歩いて」
いくわよっ、とわたしは思いきり彼の手を引っ張る。うわあっ、と彼が悲鳴をあげる。
「待って待って転ぶから駄目だからっ」
叫び続ける彼を無視して、わたしは全力で低極研を目指した。
大学構内のゆるやかな坂をのぼり切るとようやくロータリーが見えた。あたりを見渡し「すごい」と声が出る。
「ピカピカに除雪がされてる。スケートリンクみたい」
そういえばお父さんが『土曜から大学入学共通ストです』といっていたのを思い出した。きっと構内は受験生のために徹底的に磨いたのだろう。高二のわたしにはちょっと早い話だけど、と思いながらカーブを曲がってギョッとする。
「な、なに?」
シラカバ並木が続く直線道路。そこに同世代くらいの男子が倒れていた。
轢かれた? それとも体調不良?
息をのんだものの、目をこらして、なあんだ、とホッとする。数メートル離れたこの位置からも、その人は背中や髪が雪だらけになっていた。単に転んだだけだろう。
やがてその人は「いてて」と身体を起こす。頭を打ったとかではなさそうだから大丈夫みたいだ。
ここ札幌で雪道で転ぶのは日常だ。怪我をしたならさておき、転んだだけならしらんぷりをするのがマナーだ。わたしはマナーどおり、そっと彼の脇をとおり過ぎようとしたのだけれど──。
「あ、あのっ」
すれ違いざまに声をかけられた。
振り返って、あ、と声がもれる。かわいい系の男子だった。鼻の頭が雪に反射した朝日を受けて光っている。
その彼が「助けてくださいっ」と続けて我に返る。
「怪我をしたんですか? どこ? 足?」
「あ、いえ、その……歩けないんです」
「やっぱり足? ほかに痛いところは? 救急車とか呼んだほうがいいかな」
「いえ、あの違うんですっ。ただその……歩けないんです」
どういうこと? 首をかしげるわたしに「雪道を進めないんですっ」と彼は涙目で訴えた。
「ここへくるまで何度転んだか。こんなところをあなたはどうして歩けるんですかっ」
最後はヤケのような叫び声だ。そんなことをいわれても。
ちらりと彼の足元を見る。えーっと。うーんと。ひょっとしてわたし、からかわれているのかな。ナンパかなにかとか? ……こんな朝っぱらから暇なのかな?
腕時計を見る。九時四十五分だった。
「えっと、わたしは暇じゃないんで」
じゃあ、と背中を向けると「おれだって時間がないんですっ」と声が追ってきた。
「目的地はもう少し先なんです。低極研なんですっ」
へ? と足を止める。
「すぐ左手の獣医学部じゃなくて?」
「どうして獣医?」
「そこへいく人は多いので。だったら学生さんだったんですか? てっきり高校生かと」
「高校生です。二年。十時から低極研で低温室を見学させてもらうことになっていて」
「本当に? わたしも」
「それこそ、え? 本当に?」と彼の顔がぱあっと明るくなる。彼の口調が急に砕けた。
「ちょうどこっちへ引っ越すタイミングで見学会の連絡をもらったんだ。こんなラッキーないよね。そりゃあもう今日を楽しみにしてきたんだ」
「引っ越してきた?」
「うんそう。年末に名古屋から。札幌って意外と雪がないんだなって思っていたら、先日のこの雪でしょ? もうどうやって歩いていいのかわかんなくて」
泣き笑いの顔になりながら、ようやく彼は立ちあがる。
雪に慣れていないというのは本当らしく、生まれたての小鹿が立ちあがるみたいだ。
「おれ、佐呂間睦月っていいます。親が離婚したばっかりで『佐呂間』って慣れないから睦月って呼んで」
……いきなり重い話題を軽い口調で話してきたな。
反応に困っているとキラキラとした眼差しを向けられた。わたしの名前をうながされているみたい。しぶしぶと口を開く。
「……音更六花です」
「ひょっとしてリッカって六つの花って書くの? 雪のことだよね。すごいなあ。いい名前だなあ」
「えっ。どうしてわかったの?」
「そりゃわかるよ。おれ、極域とか雪とか大好きだもん」
目をおおきくして彼を見る。からかわれているようにも社交辞令にも思えなかった。
じわりと鼻先が熱くなって、あわてて彼から視線をそらした。
だって……そんなふうに真っすぐにいわれたのははじめてで。それに、と視線を伏せる。名前の由縁をいわれたら──お母さんのことを思い出しちゃう。
不意に彼が「うわあ、六花ちゃんっ」と叫んだ。
「時間がないよっ。遅刻するよっ」
へ、と腕時計を見ると十時まであと八分だった。本当ならもう低極研ロビーについている時刻だ。
うわ大変、と歩き出した私の腕を「待って待って」と力いっぱい彼がつかんだ。
「いたっ」
「ご、ごめん。だけど本気で歩けないんだよッ」
「もっと中腰になって、重心を低くして歩いて」
「こ、こう?」
「ペンギンみたいにすり足歩きで。歩幅は小さくして」
えっと、えっと、と彼は中腰で歩き出すけれど、数歩も進まないうちに派手に転ぶ。
「そんなカッコなんて気にしているから」
「へ? えっと、もっと中腰になれってこと?」
「そうじゃない。ああもう、本気で時間がないのに。もうっ、はいっ」
わたしは彼へ手を差し出した。
「引っ張っていくから前かがみ気味になって。靴の裏全体をつけて歩いて」
いくわよっ、とわたしは思いきり彼の手を引っ張る。うわあっ、と彼が悲鳴をあげる。
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叫び続ける彼を無視して、わたしは全力で低極研を目指した。
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