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3章 バンドか仕事か
3-1
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集合場所のファミレスに、最後に現れたのは拓弥だった。
「ごめん、遅くなっちゃって」謝りながら現れた拓弥。その格好は、薄い青紫色のポロシャツに黒のパンツとラフなものだ。が、なぜか手には大きなボストンバックと、休日に友人と会うにしてはあまりにもらしくない荷物が持たれていた。
「このファミレス、職場の近くだったからさ、ここ来るついでに忘れ物を取りに行ったんだけど、そしたら広報の人に捕まっちゃって。色々話してたら遅くなっちゃ、った……」
そこまで言ったところで、拓弥の言葉が止まった。
どうやらようやく、俺と優作、2人の間に漂っている微妙な空気に気づいたらしい。
人で賑わう、日曜日午後のファミレス。お昼時は過ぎているのでそこまで混雑はしていないが、やはり休日とだけあってか、その『ファミリーレストラン』よろしく、店内のお客は家族連れが多い。
嬉しそうにドリンクバーへ駆けていく子どもや、それを咎める親の声、料理が届くのを待つ家族の楽しそうな姿が店内を彩っている。
そんな店内の窓際に設けられた、4人掛け席のひとつ。
その席をたった2人で、対面に向かいあって無言で座り合う俺と優作。周囲の賑わいとは全く異なる、ただならぬ雰囲気の俺達を前に、拓弥の髪色と同じ瞳が困惑を示すように右往左往した。
「えぇっと……、おれはこの場合、どっちに座った方がいいのかな」
「「ん!」」
そっち、こっち、というように俺の人差し指と優作の親指が、優作の隣の席を同時に指さした。
「あ。そこは意見が合う感じなのね」と拓弥が苦笑する。そうしてボストンバックをテーブルの下に置くと、「よっこらせ」と小さく呟きながら優作の隣に腰を下ろした。
優作が拓弥に気遣ってか、それとなく窓際の方へと体を寄せる。それなりに背丈のある男2人に占領されたソファー型の椅子が、ギュッギュッと小さく軋むような音をたてる。
「優作の荷物こっちに移動させる?」と俺が尋ねれば、「別にいい」とそっけない返事が優作から返された。
「2人はもう何か注文したの」
「ドリンクバーだけだ」
「ふぅん。じゃあおれもとりあえず、ドリンクバー」
優作の返答に小さく頷きながら、拓弥が机上にあった注文用のタブレット端末を手に取った。ぽんぽんと注文を進めた後、端末を元あった場所に戻してドリンクバーコーナーへ向かう。
そうしてしばらくした後、氷とコーヒーのたっぷり入ったグラスを片手に、再び俺達の席へと戻ってきた。
「――それで? 何か話し合いたい事があるって言ってたよね」
カランと、テーブルの上に置かれた拓弥のグラスから氷が揺れる音があがった。
俺と優作の前には、すでに氷が溶けた飲み物達が静かに鎮座している。最初についだ時よりは少なくなった中身が、波紋すらたてずにグラスの中で沈黙を守っている。
「ソイツが言いてぇ事があるんだと」
優作が腕を組みながら、椅子の背もたれに寄りかかった。「ソイツ」と呼んだ俺の方を、くいっと顎でさし示す。
「透くんが?」と拓弥が、キョトンとした顔で俺を見てきた。
2人の視線を受けた途端、「うっ」と思わず言葉が詰まった。
言うべき事はすでに決まっている。だが、いざその時を前にすると、どうしてか緊張の2文字に襲われた。
バクバクと心臓が鳴る。数日前、自分の考えに気づいたあの夜とはまた異なる熱が、自分の顔の温度をあげていくのを感じる。
(いや、躊躇するな俺っ。なんのために無理を言って、今日、2人に集まってもらったと思ってるんだっ)
『話し合いたい事があるので、緊急会議の開催を申請します』
そう俺が、グループチャットを使って2人にメッセージを一斉送信したのは、優作との電話をぶった切った直後のことだった。
俺の突然の叫び声に驚いた優作が「おい、緊急会議ってなん、」と騒ぎだすのを無視して通話をぶち切った後、俺はこの熱が消える前にと、急いで元ヒーロックのチャット画面にメッセージを打ち込んだ。すると拓弥もちょうど暇をしていたのか、『緊急会議?』とすぐに返答があった。
優作からは直後個人で、『てめぇっ、言うだけ言ってぶち切るんじゃねぇよ』とお怒りのメッセージが来たけど……、しかし『緊急会議』を開く事自体に反対ではなかったらしい。
すぐに気を取り直すように、『開催って、いつやるんだよ』と元ヒーロックの方に顔を出してきた。
そこからは、お互いにバラバラな仕事のスケジュールの合間を縫う形で、緊急会議の開催日を決める事となった。
場所は、3人の最寄り駅、その中間地点にあたる駅前のファミレス。
確実に混むであろうお昼時は避け、お昼を少し過ぎた頃合いに集合する事となった。
正直、土日が休みである事の多い俺や企業勤めの優作はさておき、年がら年中仕事のあるデパート勤務の拓弥が、俺らと同じ日に休みがあったのは、本当に奇跡中の奇跡に等しい事だったといえる。『土日に休める事って滅多にないから、よかったよ、かぶって』そう送られてきた拓弥のメッセージからは、その奥で拓弥が苦笑している姿が垣間見えた気がした。
そうこうして、なんとか設けられた貴重な場。
今日この日に言わなければ、俺達がこうしてまた集まれるのはいつになるかわからない。せっかくの時間を無駄にするわけにはいかない――。
(そもそも拓弥にいたっては、めったにない家族と過ごせるであろう休日を潰してもらってまで来てしまった形になるわけだし。ここまでわがままを通して、やっぱり何もありませんでした、なんて言えるはずもない)
よしっ、と心を決める。
そうしてまっすぐに2人を見返して、俺は口を開いた。
「…………が、したいです」
「え?」
「あ?」
「聞こねぇよ」と言ったのは、優作だった。
不機嫌そうなしわが、そのいかつい顔の眉間に刻まれる。
「だ、だからっ」と再び2人に向かって口を開く。が、先程口を開いた時に勇気の2文字はすでにしぼんでしまったらしい。
うぐぅと唸りながら、熱くなる顔を隠すように俯き、俺は膝上で拳を強く握った。
「バンド……っ、バンドが! またしたい、です!」
2人から向けられる視線が、驚愕色に塗り替わったのがわかった。
顔をあげずとも、2人がぽかんと間抜け面をさらしているであろう事は、簡単に想像がついた。
広がる無言の間に、俺の心臓が、先刻よりも早い速度で脈を打ち始める。
人間の心臓の鼓動の回数が決まっていると言っていたのは、はたして誰だったか。
このままだと俺、2人が何か言ってくれる前に鼓動限界数に達して死ぬのでは? 広がる場の空気に耐えられず、そんな馬鹿げた事を考え始めた時だった。
「却下だ」
そう、優作が言った。
「は⁉」
反射的に顔をあげた。「却下⁉」と声を荒げながら優作を見返す。
「きゃ、却下って、あの却下⁉ ダメだってこと⁉」
「それ以外に何がある。小学生教師の癖に国語もできねぇのかよ、お前は」
「おま、却下って……、は? はぁ⁉ お前が、それ言いますぅ⁉」
「拓弥に断られるならまだしも、隠れてドラムやってたお前が却下言いますぅ⁉」と、思わずテーブルの上に身を乗り出す。
「え。ドラム?」と拓弥が困惑した様子で、優作の方を見た。どうやら拓弥も俺と同じで、優作のドラムの事は知らなかったようだ。
ズボンのポッケにいれていたスマホを取り出し、画面を操作する。そうして、「これだよ」と先日見つけた優作の動画を拓弥に見せつけた。
「わー……、確かに優くんだ……。優くん、ドラムやってたんだ」
拓弥があ然とした表情で動画を眺める。
そんな拓弥の様子に、優作がフンッと鼻を鳴らしながら窓の方へ顔をそむけた。
「それがなんだってんだよ。やってた事を隠してたのを謝れっつーんなら謝るぜ? が、バンドをやるやらないって話なら別問題だ」
「俺は、バンドだけは絶対に二度とやらねぇ」と優作が言葉を続ける。
厳しく固い声音からは、優作がそれをいかに本気で言っているかが手に取るようにわかった。
予想外だった。
先も言ったが、拓弥には断られる可能性は充分に考えていた。
なんせ俺達の中で一番スケジュールが不規則的で、家庭持ちでもある拓弥が、そう簡単にバンドをやる事に誘われてくれるとは思えなかったからだ。
(けど優作は未だにドラムをやっていたわけで。まだ音楽をやってるわけで。ならじゃあ、バンドやろうぜって言ったらノッてくれるって思うじゃん!)
ぐぬぬぬぬぬ、と恨めしげに優作をにらみつける。
そんな俺を優作が一瞥する。俺の言いたい事が伝わったのか、はぁとため息を吐き出した。面倒だというように、頭をガリガリと乱暴にかく。
「確かに俺はまだドラムを続けてっし、動画の投稿もしてる。が、だからって、それで食っていこうとか、またその道を目指したいとかって思ってやってるわけじゃねぇんだよ」
「単純に趣味の範囲だ。それ以上でも以下でもねぇ」と優作が言葉を締める。
「趣味……」と優作に言われた言葉が、その意味を噛みしめるように俺の口からこぼれ落ちる。
「大体お前、バンドやるつっても、仕事の方はどうするんだよ。お前のパート、ボーカルだったろうが。教職が顔出してバンドやるつもりか」
「うっ、そ、それは……」
痛いところを突かれ、思わず胸を押さえる。
目を横にそらせば、拓弥が「考えてなかったんだね」と苦笑した。うっ、やめて。これ以上、俺のガラスハートを粉々にするのはやめて。
「第一にだ。またこの3人でバンドをやるにして、練習場所の確保やそのスケジュール調整はどうするんだ。今日1日を決めるだけでも、あれやこれや話まくったんだぞ。こんな状態でバンドなんてやって、まともな練習ができると思ってんのか」
「そ、れも、そうだけど……! でもどうにかすれば集まれないわけでもないし……」
「仮に集まれて練習できたとしてもだ。そのあとは? 仕事をしながらバンド活動をしていくってか? ライブに出演する事が決まった後に、どうしても抜け出せない仕事が入ったらどうする? バンドのライブがあるから仕事休みますって、お前上司に言えるか? 休日だって、場合によっちゃ突然仕事先から電話が来る事もあるんだぜ? そのせいで入れていたスケジュールがパァになったら? 練習やレコーディング用に借りてたスタジオのキャンセル料は誰が払う? パァにした奴か?
……そもそも、今ここいいる面子にはベースがいねぇ。バンドをやる上で確実に楽器が足りてねぇ。かといってそれを補ってくれる知り合いや誰かがいるわけでもない。お前、そういう細かい事全部考えて言ってるか?」
「お前らの仕事がどうだかは知らねぇけど、こっちは余裕で出張とかある身なんだよ」と優作が俺を睨んできた。容赦なく向けられる視線の圧に、うぅ……、と思わず体が縮こまってしまう。
そんな俺をどう思ったのか、ハッと優作が鼻を鳴らした。
「それとも何か?」と、嘲笑するような声で言葉が続けられる。
「今更になって、本気でバンドで食っていこうってか? それができなかったから、今ここに居るのに?」
テーブルの上の己の飲み物へと、優作が手を伸ばす。そうしてぐいっと、それを一気に飲み干す。
(まずい)
何も、言い返せない。
再び顔が下を向く。熱はもう完全に引いていた。心臓の高鳴りもない。
けれど先刻とは比べものにならないぐらいに頭の中はぐちゃぐちゃで、言いたい事が何も思いつかない。
(優作の言ってる事は正しい。仕事の事にしても練習の事にしても、そこまでちゃんと考えていたかって言われたら、全然だ)
やりたい。もう一度、バンドを。あの頃みたいに。
その気持ちばかりが先行していて、それ以外の事は何も考えていなかった。自分の仕事の事なんて頭の中からすっぽ抜けていたし、ライブだのCDだのなんて考えていなかった。働きながらバンドをする事の難しさなんて、1ミリも想像しちゃいなかった。
優作の言うとおりだ。3人がこうしてまた会うだけでも大変だったというのに、そんな状態でバンドなんてできる筈がない。
仕事か、バンドか。
もしバンドをやるというのなら、――きっと、その2択が迫られるのだろう。
でも、だけど、いや、でも、と、ぐちゃぐちゃぐるぐると頭が回る。
今まで使ったことのない部分が動き出しているような、今まで感じた事もない負荷に、頭がグラつきそうになる。
「透くん……」と、どこか気遣わしげに拓弥が俺の名を呼ぶ。
その横で「わかったなら、この話はもう終わりだ」と優作が容赦ない言葉を口にする。
――もう『終わり』。
その言葉を聞いた瞬間だった。
「~~~~~っ、だぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああっ‼‼」
「「⁉」」
何かが、ぶつりと切れる音がした。
「ごめん、遅くなっちゃって」謝りながら現れた拓弥。その格好は、薄い青紫色のポロシャツに黒のパンツとラフなものだ。が、なぜか手には大きなボストンバックと、休日に友人と会うにしてはあまりにもらしくない荷物が持たれていた。
「このファミレス、職場の近くだったからさ、ここ来るついでに忘れ物を取りに行ったんだけど、そしたら広報の人に捕まっちゃって。色々話してたら遅くなっちゃ、った……」
そこまで言ったところで、拓弥の言葉が止まった。
どうやらようやく、俺と優作、2人の間に漂っている微妙な空気に気づいたらしい。
人で賑わう、日曜日午後のファミレス。お昼時は過ぎているのでそこまで混雑はしていないが、やはり休日とだけあってか、その『ファミリーレストラン』よろしく、店内のお客は家族連れが多い。
嬉しそうにドリンクバーへ駆けていく子どもや、それを咎める親の声、料理が届くのを待つ家族の楽しそうな姿が店内を彩っている。
そんな店内の窓際に設けられた、4人掛け席のひとつ。
その席をたった2人で、対面に向かいあって無言で座り合う俺と優作。周囲の賑わいとは全く異なる、ただならぬ雰囲気の俺達を前に、拓弥の髪色と同じ瞳が困惑を示すように右往左往した。
「えぇっと……、おれはこの場合、どっちに座った方がいいのかな」
「「ん!」」
そっち、こっち、というように俺の人差し指と優作の親指が、優作の隣の席を同時に指さした。
「あ。そこは意見が合う感じなのね」と拓弥が苦笑する。そうしてボストンバックをテーブルの下に置くと、「よっこらせ」と小さく呟きながら優作の隣に腰を下ろした。
優作が拓弥に気遣ってか、それとなく窓際の方へと体を寄せる。それなりに背丈のある男2人に占領されたソファー型の椅子が、ギュッギュッと小さく軋むような音をたてる。
「優作の荷物こっちに移動させる?」と俺が尋ねれば、「別にいい」とそっけない返事が優作から返された。
「2人はもう何か注文したの」
「ドリンクバーだけだ」
「ふぅん。じゃあおれもとりあえず、ドリンクバー」
優作の返答に小さく頷きながら、拓弥が机上にあった注文用のタブレット端末を手に取った。ぽんぽんと注文を進めた後、端末を元あった場所に戻してドリンクバーコーナーへ向かう。
そうしてしばらくした後、氷とコーヒーのたっぷり入ったグラスを片手に、再び俺達の席へと戻ってきた。
「――それで? 何か話し合いたい事があるって言ってたよね」
カランと、テーブルの上に置かれた拓弥のグラスから氷が揺れる音があがった。
俺と優作の前には、すでに氷が溶けた飲み物達が静かに鎮座している。最初についだ時よりは少なくなった中身が、波紋すらたてずにグラスの中で沈黙を守っている。
「ソイツが言いてぇ事があるんだと」
優作が腕を組みながら、椅子の背もたれに寄りかかった。「ソイツ」と呼んだ俺の方を、くいっと顎でさし示す。
「透くんが?」と拓弥が、キョトンとした顔で俺を見てきた。
2人の視線を受けた途端、「うっ」と思わず言葉が詰まった。
言うべき事はすでに決まっている。だが、いざその時を前にすると、どうしてか緊張の2文字に襲われた。
バクバクと心臓が鳴る。数日前、自分の考えに気づいたあの夜とはまた異なる熱が、自分の顔の温度をあげていくのを感じる。
(いや、躊躇するな俺っ。なんのために無理を言って、今日、2人に集まってもらったと思ってるんだっ)
『話し合いたい事があるので、緊急会議の開催を申請します』
そう俺が、グループチャットを使って2人にメッセージを一斉送信したのは、優作との電話をぶった切った直後のことだった。
俺の突然の叫び声に驚いた優作が「おい、緊急会議ってなん、」と騒ぎだすのを無視して通話をぶち切った後、俺はこの熱が消える前にと、急いで元ヒーロックのチャット画面にメッセージを打ち込んだ。すると拓弥もちょうど暇をしていたのか、『緊急会議?』とすぐに返答があった。
優作からは直後個人で、『てめぇっ、言うだけ言ってぶち切るんじゃねぇよ』とお怒りのメッセージが来たけど……、しかし『緊急会議』を開く事自体に反対ではなかったらしい。
すぐに気を取り直すように、『開催って、いつやるんだよ』と元ヒーロックの方に顔を出してきた。
そこからは、お互いにバラバラな仕事のスケジュールの合間を縫う形で、緊急会議の開催日を決める事となった。
場所は、3人の最寄り駅、その中間地点にあたる駅前のファミレス。
確実に混むであろうお昼時は避け、お昼を少し過ぎた頃合いに集合する事となった。
正直、土日が休みである事の多い俺や企業勤めの優作はさておき、年がら年中仕事のあるデパート勤務の拓弥が、俺らと同じ日に休みがあったのは、本当に奇跡中の奇跡に等しい事だったといえる。『土日に休める事って滅多にないから、よかったよ、かぶって』そう送られてきた拓弥のメッセージからは、その奥で拓弥が苦笑している姿が垣間見えた気がした。
そうこうして、なんとか設けられた貴重な場。
今日この日に言わなければ、俺達がこうしてまた集まれるのはいつになるかわからない。せっかくの時間を無駄にするわけにはいかない――。
(そもそも拓弥にいたっては、めったにない家族と過ごせるであろう休日を潰してもらってまで来てしまった形になるわけだし。ここまでわがままを通して、やっぱり何もありませんでした、なんて言えるはずもない)
よしっ、と心を決める。
そうしてまっすぐに2人を見返して、俺は口を開いた。
「…………が、したいです」
「え?」
「あ?」
「聞こねぇよ」と言ったのは、優作だった。
不機嫌そうなしわが、そのいかつい顔の眉間に刻まれる。
「だ、だからっ」と再び2人に向かって口を開く。が、先程口を開いた時に勇気の2文字はすでにしぼんでしまったらしい。
うぐぅと唸りながら、熱くなる顔を隠すように俯き、俺は膝上で拳を強く握った。
「バンド……っ、バンドが! またしたい、です!」
2人から向けられる視線が、驚愕色に塗り替わったのがわかった。
顔をあげずとも、2人がぽかんと間抜け面をさらしているであろう事は、簡単に想像がついた。
広がる無言の間に、俺の心臓が、先刻よりも早い速度で脈を打ち始める。
人間の心臓の鼓動の回数が決まっていると言っていたのは、はたして誰だったか。
このままだと俺、2人が何か言ってくれる前に鼓動限界数に達して死ぬのでは? 広がる場の空気に耐えられず、そんな馬鹿げた事を考え始めた時だった。
「却下だ」
そう、優作が言った。
「は⁉」
反射的に顔をあげた。「却下⁉」と声を荒げながら優作を見返す。
「きゃ、却下って、あの却下⁉ ダメだってこと⁉」
「それ以外に何がある。小学生教師の癖に国語もできねぇのかよ、お前は」
「おま、却下って……、は? はぁ⁉ お前が、それ言いますぅ⁉」
「拓弥に断られるならまだしも、隠れてドラムやってたお前が却下言いますぅ⁉」と、思わずテーブルの上に身を乗り出す。
「え。ドラム?」と拓弥が困惑した様子で、優作の方を見た。どうやら拓弥も俺と同じで、優作のドラムの事は知らなかったようだ。
ズボンのポッケにいれていたスマホを取り出し、画面を操作する。そうして、「これだよ」と先日見つけた優作の動画を拓弥に見せつけた。
「わー……、確かに優くんだ……。優くん、ドラムやってたんだ」
拓弥があ然とした表情で動画を眺める。
そんな拓弥の様子に、優作がフンッと鼻を鳴らしながら窓の方へ顔をそむけた。
「それがなんだってんだよ。やってた事を隠してたのを謝れっつーんなら謝るぜ? が、バンドをやるやらないって話なら別問題だ」
「俺は、バンドだけは絶対に二度とやらねぇ」と優作が言葉を続ける。
厳しく固い声音からは、優作がそれをいかに本気で言っているかが手に取るようにわかった。
予想外だった。
先も言ったが、拓弥には断られる可能性は充分に考えていた。
なんせ俺達の中で一番スケジュールが不規則的で、家庭持ちでもある拓弥が、そう簡単にバンドをやる事に誘われてくれるとは思えなかったからだ。
(けど優作は未だにドラムをやっていたわけで。まだ音楽をやってるわけで。ならじゃあ、バンドやろうぜって言ったらノッてくれるって思うじゃん!)
ぐぬぬぬぬぬ、と恨めしげに優作をにらみつける。
そんな俺を優作が一瞥する。俺の言いたい事が伝わったのか、はぁとため息を吐き出した。面倒だというように、頭をガリガリと乱暴にかく。
「確かに俺はまだドラムを続けてっし、動画の投稿もしてる。が、だからって、それで食っていこうとか、またその道を目指したいとかって思ってやってるわけじゃねぇんだよ」
「単純に趣味の範囲だ。それ以上でも以下でもねぇ」と優作が言葉を締める。
「趣味……」と優作に言われた言葉が、その意味を噛みしめるように俺の口からこぼれ落ちる。
「大体お前、バンドやるつっても、仕事の方はどうするんだよ。お前のパート、ボーカルだったろうが。教職が顔出してバンドやるつもりか」
「うっ、そ、それは……」
痛いところを突かれ、思わず胸を押さえる。
目を横にそらせば、拓弥が「考えてなかったんだね」と苦笑した。うっ、やめて。これ以上、俺のガラスハートを粉々にするのはやめて。
「第一にだ。またこの3人でバンドをやるにして、練習場所の確保やそのスケジュール調整はどうするんだ。今日1日を決めるだけでも、あれやこれや話まくったんだぞ。こんな状態でバンドなんてやって、まともな練習ができると思ってんのか」
「そ、れも、そうだけど……! でもどうにかすれば集まれないわけでもないし……」
「仮に集まれて練習できたとしてもだ。そのあとは? 仕事をしながらバンド活動をしていくってか? ライブに出演する事が決まった後に、どうしても抜け出せない仕事が入ったらどうする? バンドのライブがあるから仕事休みますって、お前上司に言えるか? 休日だって、場合によっちゃ突然仕事先から電話が来る事もあるんだぜ? そのせいで入れていたスケジュールがパァになったら? 練習やレコーディング用に借りてたスタジオのキャンセル料は誰が払う? パァにした奴か?
……そもそも、今ここいいる面子にはベースがいねぇ。バンドをやる上で確実に楽器が足りてねぇ。かといってそれを補ってくれる知り合いや誰かがいるわけでもない。お前、そういう細かい事全部考えて言ってるか?」
「お前らの仕事がどうだかは知らねぇけど、こっちは余裕で出張とかある身なんだよ」と優作が俺を睨んできた。容赦なく向けられる視線の圧に、うぅ……、と思わず体が縮こまってしまう。
そんな俺をどう思ったのか、ハッと優作が鼻を鳴らした。
「それとも何か?」と、嘲笑するような声で言葉が続けられる。
「今更になって、本気でバンドで食っていこうってか? それができなかったから、今ここに居るのに?」
テーブルの上の己の飲み物へと、優作が手を伸ばす。そうしてぐいっと、それを一気に飲み干す。
(まずい)
何も、言い返せない。
再び顔が下を向く。熱はもう完全に引いていた。心臓の高鳴りもない。
けれど先刻とは比べものにならないぐらいに頭の中はぐちゃぐちゃで、言いたい事が何も思いつかない。
(優作の言ってる事は正しい。仕事の事にしても練習の事にしても、そこまでちゃんと考えていたかって言われたら、全然だ)
やりたい。もう一度、バンドを。あの頃みたいに。
その気持ちばかりが先行していて、それ以外の事は何も考えていなかった。自分の仕事の事なんて頭の中からすっぽ抜けていたし、ライブだのCDだのなんて考えていなかった。働きながらバンドをする事の難しさなんて、1ミリも想像しちゃいなかった。
優作の言うとおりだ。3人がこうしてまた会うだけでも大変だったというのに、そんな状態でバンドなんてできる筈がない。
仕事か、バンドか。
もしバンドをやるというのなら、――きっと、その2択が迫られるのだろう。
でも、だけど、いや、でも、と、ぐちゃぐちゃぐるぐると頭が回る。
今まで使ったことのない部分が動き出しているような、今まで感じた事もない負荷に、頭がグラつきそうになる。
「透くん……」と、どこか気遣わしげに拓弥が俺の名を呼ぶ。
その横で「わかったなら、この話はもう終わりだ」と優作が容赦ない言葉を口にする。
――もう『終わり』。
その言葉を聞いた瞬間だった。
「~~~~~っ、だぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああっ‼‼」
「「⁉」」
何かが、ぶつりと切れる音がした。
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大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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