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5章 「なりたかった」ものと「なれなかった」もの
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まず最初の事件が起きたのは、その日の夕方の事だった。
9月第5水曜日、放課後。場所、東小の校庭。
9月も終わりに近づき、ようやく秋らしく涼しくなってきた校庭。いつも通り学童っ子達が元気に遊ぶ光景が広がるその中で、俺はいつものごとく、運動会の練習用に使った延長コードの回収に勤しんでいた。
「あ~……。この単純作業、やっぱり眠い~……」
キュイキュイ、と小動物の鳴き声のような金属音をたてながら、俺の手の中で太く長い延長コードがリールの中に巻き取られていく。
それをぼんやりと眺めながら、「ふぁ~あ」ともう何度目になるかわからない大きなあくびをする。
(とはいえ、さすがにバンドの練習と仕事のくり返しの日々を始めて、もうひと月程経つわけだしね。この眠気自体にも慣れましたよ)
慣れたというか、ひと月も付き合えばもう俺とお前もいい友達よ、みたいな感覚といいますか。
あれ? さては俺、まだ頭の中、深夜テンションだな? 寝不足が1周回って、変な感じに頭が活性化しちゃってるやつだな、これ。
(つっても1番の原因は、毎日の作詞勉強の方にあるんだろうけど……)
なんだかんだ、遅くまでいろいろ調べちゃってるからなぁ、と目が遠いところを向く。
まぁ、真の原因は、調べても調べても全然作詞のイメージがわかない、俺の貧困な脳みそなんでしょうけどね。ははははは…………、はぁ……。
オリジナル曲を作る――。そう決まってから、約2週間が経過した。
その間に行えたスタジオ練習は、楽曲制作を決めた日を含めての4回だけ。だけど練習日以外にもグループチャットを使ってのやり取りも行なわれているため、実質ほぼ毎日、何かしらの楽曲制作に関わる話しあいが行なわれている。
主な話しあいのメンバーは、たかのっぽくん、優作、拓弥の3人。
俺達3人がイメージする楽曲の雰囲気などをもとに、ひとまずたかのっぽくんが曲を制作し、それに優作、拓弥がそれぞれのパートの視点から意見を言っていく形で話しあいが行われている。
なお俺自身は、ほぼほぼ傍観状態である。時々あげられるサンプル音源を聴いては、自分なりの感想や意見を述べてるだけ。ちょっと寂しい。まぁ、俺は作曲もできなければ楽器もできないからね。致し方ないといえば致し方ない現状なんだけど。
しかしその分、遅くまで1人でやっている事が、作詞の勉強だった。
とりあえずスマホを使って、ネットに転がっていた作詞初心者向けのサイトやブログを巡りながら、日々いろいろな知識を搾取していっている感じ。けど正直、それが身になっているかと言われるとわからないところがある。
(実際に作詞してみたら何か変わるのかもしれないけど……。でもメロディーがちゃんとできてない状態で作詞ができるかって言われたら、う~んって感じだし。というか、歌詞のテーマはちゃんと決めましょうはまだわかるけど、倒置法とか反復法とか、説明はしすぎないとか、韻を踏むとかさっ、いろいろ制約が多すぎん⁉)
小学生用の文法テストだって、ここまでいろいろ一気につめこまんわ~っ、せいぜい「この文章のおかしいところを見つけて書き直しましょう」程度だわ~っ、と何度かキレ散らかしながら、スマホをぶん投げそうになった事も、数知れず。
1人、誰にも相談できない悩みを前に、うぉ~~~っ、と布団の上で転がる日々である。
そんな傍らで残る3人が、わーわーと話し合いながら楽曲を制作しているのだ。
そりゃあ、一抹の寂しさを感じるぐらい許して欲しいといったものである。はぁ~~~、とあくびとは全く違う、深い息が口からこぼれ落ちる。
(てかさ、優作も拓弥も最初はあんなにたかのっぽくんの事怪しんでたのにさ~。今じゃ、一番たかのっぽくんと話してるのアイツらじゃん。優作なんて、チャットする度に最初の一言が「たかのっぽくんさ~」「たかのっぽくんは~」みたいなとこあるし)
俺達の中で誰よりもたかのっぽくんの事入れるの嫌がってたのは、優作だったはずなんだけどなぁ。アイツ、懐に入れると途端一気に甘くなるタイプだったのか。年下に甘いとか、一体どの口が言いやがりましたんでしたっけねぇ~? 他人の事言えねぇじゃんか。
まぁ、仲良き事は美しきかなだ。仲が良くて悪い事はないさ。……やっぱりちょっと寂しいけど。
気分転換に、寂しくなんてないさ~、寂しくなんてないさ~、と某童謡を替え歌したものを歌ってみる。ちょびっと涙声まじりになっている事は、知らんぷりだ。
――しかし、その時だった。
「「「「酒井先生ーーーーーーーーーっ‼‼‼」」」」
「うおっ」
突然の大声に、眠気も寂しさも全てが吹っ飛んだ。
な、なんだなんだ⁉ とびっくりしながら声がした方へ振り返る。
すると、顔に覚えがある数名の男女の児童達が、今にも泣き出しそうな様な顔とこちらに飛びつかんばかりの勢いで、俺の方へ駆けてきた姿が目についた。うちのクラスで学童に通っている子ども達である。
異常さバリバリの事態に、「どうした⁉」と思わず延長コードから手を離して立ち上がる。
「先生、やばいーっ!」
「瀬川くんがーっ!」
「瀬川くんと古河くんがけんかしてるーっ!」
「は⁉」
瀬川って……、瀬川賢人か⁉
古河くんってのが誰かはわからないが、多分学童の子だろう。
「あっちーっ!」と指さされた方を見ると、校庭の真ん中、ボコスカと取っ組み合いの喧嘩をしている子ども2名の姿が目につく。
そのすぐ傍には井上さんの姿。激しく殴り合っている2人を止めようとしているが、暴れる男子2人の力は女性1人じゃ止めるに止められないものがあるらしく、喧嘩が収まる気配は一向にない。周囲の学童っ子達も、どうすればいいかわからずにオロオロとしている。
(うわ~~~~~っ、マジか~~~~~っ)
さすがにあれを放置はまずい。
「と、とりあえず、先生はあっちに行くから、お前達は他の学童の職員さん呼んできなっ」
急いで、子ども達に指示を出す。「うんっ」「わ、わかったっ」と、わっと一斉に子ども達が学童室のある方へと走っていった。
よし、とその背中を見送った後、賢人と古河くんとやらが喧嘩している方へ向かう。「お前ら、何やってるんだっ」と、優作いわく考えて物を言えという声量をフル活用させながら、現場へ駆けつければ「あ」というように、井上さんがこちらを見た。
井上さんの方へは軽く目だけを向けた後、俺は子ども達の方へと駆け寄った。
とりあえず、まずは子ども達自身を引き剥がした方が良いだろう。見るとどうやら賢人の方が馬乗りになって、古河くん? とやらを殴りつけていた。古河くんの方も殴り返そうとしているようだが、賢人の方が一歩上らしく押さえつけられてしまっている状態だ。
ここまで興奮状態だと、何を言ってもこちらの言葉に聞く耳を持ってくれないのは明らかである。
一体どうしたらここまで激しい喧嘩になるのか。しかしそれを聞くためにも、とりあえずは子ども達を落ち着かせるのが先だ。
少し強引だが、賢人の脇に手を入れ、半ば引きずるように古河くんから剥がす。
「賢人、ほら、お前、とりあえず落ち着けっ」
声をかけながら、ずるずると賢人を引きずる。
が、やはり聞く耳は持っていないのか、自分をとっ捕まえる俺の腕を振り払おうと暴れている。そんな賢人の渾身の拳が顔に当たらないように気をつけつつ、俺は賢人を逃さないように腕に力を込めた。
と、古河くんが立ち上がった。そこで初めてちゃんと古河くんの姿を見た俺は、あ、と思わず心の中で声をあげた。
(この子、この間、校庭で1人で居た子だ)
井上さんが何度声をかけても、立ち上がろうとも顔をあげようともせずに、地面をずっと見ていた少年。どうやらあの時の彼が、古河くんとやらだったらしい。
ギロリと古河くが賢人を睨みつけた。と思うと、グッと拳を握り、そのまま賢人の方へと一歩を踏み出してくる。
賢人程の乱暴な動きはないが、その一歩や目には完全に怒りがこもっていた。あれだ、言うなれば蔵人じみた殺気。そんな感じの静かに、でもこれはまずいと一目でわかる空気が漂っている。
「こ、古河くんっ」と慌てたように井上さんが彼を止めた。「ダメですっ」と俺がそうしているのを真似るように、その両腕を使って古河くんを後ろから抱きかかえるように止める。
――次の瞬間だった。
「っ、うるさいっ」
古河くんが井上さんの腕を振り払おうともがいた。
固く握られた拳が大きく振り上げられ、
ごんっ!
「「「「⁉」」」」
大きく激しい音をたて、それが井上さんの鼻を直撃した。
「井上さんっ」と思わず俺の口から悲鳴に近い声があがった。
俺の腕の中で暴れていた賢人も、予想外の光景にびっくりしたらしく動きを止める。古河くんも予想だにしていなかったのか「え」と困惑したように声をあげ、井上さんの方を振り返る。
井上さんが思わずといったように古河くんから手を離し、自身の鼻を抑えた。数秒間を空けた後、「だ、大丈夫です……」と、あんまり大丈夫じゃなさそうな涙混じりの言葉が返される。
そうして、おそるおそると言ったように、その手が顔から離された瞬間だった。
「あ」
どろりと、赤い血がその鼻から流れてきた。
(ひょ……っ)
ひょぇ~~~~~~~~~っ。鼻血、出ちゃった~~~~~~~っ。
途端、周囲でオロオロしているだけだった子ども達が、ざわっと騒ぎ始めた。「井上さんが鼻血出したっ!」「古河くんが殴ったせいだっ」「井上さん、だいじょうぶーっ⁉」「古河どうするんだよーっ」ざわざわ、わーわー、思い思いに言葉を言っていく。
古河くんが「あ……」と口を開く。「ち、ちがう、そんなつもりじゃ……」と言葉を続ける。が、それ以上に続けられる言葉が見つからなかったのか、顔を青くして、鼻血を流す井上さんを見上げる。
(The・大・惨・事)
Oh……、と俺の目が遠くを見始めるのと、俺のクラスの子達が呼んできてくれた学童の職員さんが、「井上さんっ⁉ 大丈夫ですか⁉」と声をあげながらその場に駆けつけてきたのは、同じタイミングでの事だった。
9月第5水曜日、放課後。場所、東小の校庭。
9月も終わりに近づき、ようやく秋らしく涼しくなってきた校庭。いつも通り学童っ子達が元気に遊ぶ光景が広がるその中で、俺はいつものごとく、運動会の練習用に使った延長コードの回収に勤しんでいた。
「あ~……。この単純作業、やっぱり眠い~……」
キュイキュイ、と小動物の鳴き声のような金属音をたてながら、俺の手の中で太く長い延長コードがリールの中に巻き取られていく。
それをぼんやりと眺めながら、「ふぁ~あ」ともう何度目になるかわからない大きなあくびをする。
(とはいえ、さすがにバンドの練習と仕事のくり返しの日々を始めて、もうひと月程経つわけだしね。この眠気自体にも慣れましたよ)
慣れたというか、ひと月も付き合えばもう俺とお前もいい友達よ、みたいな感覚といいますか。
あれ? さては俺、まだ頭の中、深夜テンションだな? 寝不足が1周回って、変な感じに頭が活性化しちゃってるやつだな、これ。
(つっても1番の原因は、毎日の作詞勉強の方にあるんだろうけど……)
なんだかんだ、遅くまでいろいろ調べちゃってるからなぁ、と目が遠いところを向く。
まぁ、真の原因は、調べても調べても全然作詞のイメージがわかない、俺の貧困な脳みそなんでしょうけどね。ははははは…………、はぁ……。
オリジナル曲を作る――。そう決まってから、約2週間が経過した。
その間に行えたスタジオ練習は、楽曲制作を決めた日を含めての4回だけ。だけど練習日以外にもグループチャットを使ってのやり取りも行なわれているため、実質ほぼ毎日、何かしらの楽曲制作に関わる話しあいが行なわれている。
主な話しあいのメンバーは、たかのっぽくん、優作、拓弥の3人。
俺達3人がイメージする楽曲の雰囲気などをもとに、ひとまずたかのっぽくんが曲を制作し、それに優作、拓弥がそれぞれのパートの視点から意見を言っていく形で話しあいが行われている。
なお俺自身は、ほぼほぼ傍観状態である。時々あげられるサンプル音源を聴いては、自分なりの感想や意見を述べてるだけ。ちょっと寂しい。まぁ、俺は作曲もできなければ楽器もできないからね。致し方ないといえば致し方ない現状なんだけど。
しかしその分、遅くまで1人でやっている事が、作詞の勉強だった。
とりあえずスマホを使って、ネットに転がっていた作詞初心者向けのサイトやブログを巡りながら、日々いろいろな知識を搾取していっている感じ。けど正直、それが身になっているかと言われるとわからないところがある。
(実際に作詞してみたら何か変わるのかもしれないけど……。でもメロディーがちゃんとできてない状態で作詞ができるかって言われたら、う~んって感じだし。というか、歌詞のテーマはちゃんと決めましょうはまだわかるけど、倒置法とか反復法とか、説明はしすぎないとか、韻を踏むとかさっ、いろいろ制約が多すぎん⁉)
小学生用の文法テストだって、ここまでいろいろ一気につめこまんわ~っ、せいぜい「この文章のおかしいところを見つけて書き直しましょう」程度だわ~っ、と何度かキレ散らかしながら、スマホをぶん投げそうになった事も、数知れず。
1人、誰にも相談できない悩みを前に、うぉ~~~っ、と布団の上で転がる日々である。
そんな傍らで残る3人が、わーわーと話し合いながら楽曲を制作しているのだ。
そりゃあ、一抹の寂しさを感じるぐらい許して欲しいといったものである。はぁ~~~、とあくびとは全く違う、深い息が口からこぼれ落ちる。
(てかさ、優作も拓弥も最初はあんなにたかのっぽくんの事怪しんでたのにさ~。今じゃ、一番たかのっぽくんと話してるのアイツらじゃん。優作なんて、チャットする度に最初の一言が「たかのっぽくんさ~」「たかのっぽくんは~」みたいなとこあるし)
俺達の中で誰よりもたかのっぽくんの事入れるの嫌がってたのは、優作だったはずなんだけどなぁ。アイツ、懐に入れると途端一気に甘くなるタイプだったのか。年下に甘いとか、一体どの口が言いやがりましたんでしたっけねぇ~? 他人の事言えねぇじゃんか。
まぁ、仲良き事は美しきかなだ。仲が良くて悪い事はないさ。……やっぱりちょっと寂しいけど。
気分転換に、寂しくなんてないさ~、寂しくなんてないさ~、と某童謡を替え歌したものを歌ってみる。ちょびっと涙声まじりになっている事は、知らんぷりだ。
――しかし、その時だった。
「「「「酒井先生ーーーーーーーーーっ‼‼‼」」」」
「うおっ」
突然の大声に、眠気も寂しさも全てが吹っ飛んだ。
な、なんだなんだ⁉ とびっくりしながら声がした方へ振り返る。
すると、顔に覚えがある数名の男女の児童達が、今にも泣き出しそうな様な顔とこちらに飛びつかんばかりの勢いで、俺の方へ駆けてきた姿が目についた。うちのクラスで学童に通っている子ども達である。
異常さバリバリの事態に、「どうした⁉」と思わず延長コードから手を離して立ち上がる。
「先生、やばいーっ!」
「瀬川くんがーっ!」
「瀬川くんと古河くんがけんかしてるーっ!」
「は⁉」
瀬川って……、瀬川賢人か⁉
古河くんってのが誰かはわからないが、多分学童の子だろう。
「あっちーっ!」と指さされた方を見ると、校庭の真ん中、ボコスカと取っ組み合いの喧嘩をしている子ども2名の姿が目につく。
そのすぐ傍には井上さんの姿。激しく殴り合っている2人を止めようとしているが、暴れる男子2人の力は女性1人じゃ止めるに止められないものがあるらしく、喧嘩が収まる気配は一向にない。周囲の学童っ子達も、どうすればいいかわからずにオロオロとしている。
(うわ~~~~~っ、マジか~~~~~っ)
さすがにあれを放置はまずい。
「と、とりあえず、先生はあっちに行くから、お前達は他の学童の職員さん呼んできなっ」
急いで、子ども達に指示を出す。「うんっ」「わ、わかったっ」と、わっと一斉に子ども達が学童室のある方へと走っていった。
よし、とその背中を見送った後、賢人と古河くんとやらが喧嘩している方へ向かう。「お前ら、何やってるんだっ」と、優作いわく考えて物を言えという声量をフル活用させながら、現場へ駆けつければ「あ」というように、井上さんがこちらを見た。
井上さんの方へは軽く目だけを向けた後、俺は子ども達の方へと駆け寄った。
とりあえず、まずは子ども達自身を引き剥がした方が良いだろう。見るとどうやら賢人の方が馬乗りになって、古河くん? とやらを殴りつけていた。古河くんの方も殴り返そうとしているようだが、賢人の方が一歩上らしく押さえつけられてしまっている状態だ。
ここまで興奮状態だと、何を言ってもこちらの言葉に聞く耳を持ってくれないのは明らかである。
一体どうしたらここまで激しい喧嘩になるのか。しかしそれを聞くためにも、とりあえずは子ども達を落ち着かせるのが先だ。
少し強引だが、賢人の脇に手を入れ、半ば引きずるように古河くんから剥がす。
「賢人、ほら、お前、とりあえず落ち着けっ」
声をかけながら、ずるずると賢人を引きずる。
が、やはり聞く耳は持っていないのか、自分をとっ捕まえる俺の腕を振り払おうと暴れている。そんな賢人の渾身の拳が顔に当たらないように気をつけつつ、俺は賢人を逃さないように腕に力を込めた。
と、古河くんが立ち上がった。そこで初めてちゃんと古河くんの姿を見た俺は、あ、と思わず心の中で声をあげた。
(この子、この間、校庭で1人で居た子だ)
井上さんが何度声をかけても、立ち上がろうとも顔をあげようともせずに、地面をずっと見ていた少年。どうやらあの時の彼が、古河くんとやらだったらしい。
ギロリと古河くが賢人を睨みつけた。と思うと、グッと拳を握り、そのまま賢人の方へと一歩を踏み出してくる。
賢人程の乱暴な動きはないが、その一歩や目には完全に怒りがこもっていた。あれだ、言うなれば蔵人じみた殺気。そんな感じの静かに、でもこれはまずいと一目でわかる空気が漂っている。
「こ、古河くんっ」と慌てたように井上さんが彼を止めた。「ダメですっ」と俺がそうしているのを真似るように、その両腕を使って古河くんを後ろから抱きかかえるように止める。
――次の瞬間だった。
「っ、うるさいっ」
古河くんが井上さんの腕を振り払おうともがいた。
固く握られた拳が大きく振り上げられ、
ごんっ!
「「「「⁉」」」」
大きく激しい音をたて、それが井上さんの鼻を直撃した。
「井上さんっ」と思わず俺の口から悲鳴に近い声があがった。
俺の腕の中で暴れていた賢人も、予想外の光景にびっくりしたらしく動きを止める。古河くんも予想だにしていなかったのか「え」と困惑したように声をあげ、井上さんの方を振り返る。
井上さんが思わずといったように古河くんから手を離し、自身の鼻を抑えた。数秒間を空けた後、「だ、大丈夫です……」と、あんまり大丈夫じゃなさそうな涙混じりの言葉が返される。
そうして、おそるおそると言ったように、その手が顔から離された瞬間だった。
「あ」
どろりと、赤い血がその鼻から流れてきた。
(ひょ……っ)
ひょぇ~~~~~~~~~っ。鼻血、出ちゃった~~~~~~~っ。
途端、周囲でオロオロしているだけだった子ども達が、ざわっと騒ぎ始めた。「井上さんが鼻血出したっ!」「古河くんが殴ったせいだっ」「井上さん、だいじょうぶーっ⁉」「古河どうするんだよーっ」ざわざわ、わーわー、思い思いに言葉を言っていく。
古河くんが「あ……」と口を開く。「ち、ちがう、そんなつもりじゃ……」と言葉を続ける。が、それ以上に続けられる言葉が見つからなかったのか、顔を青くして、鼻血を流す井上さんを見上げる。
(The・大・惨・事)
Oh……、と俺の目が遠くを見始めるのと、俺のクラスの子達が呼んできてくれた学童の職員さんが、「井上さんっ⁉ 大丈夫ですか⁉」と声をあげながらその場に駆けつけてきたのは、同じタイミングでの事だった。
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