Herec~一度音楽をやめた奴らが『社会人バンド』を組む話~

勝哉道花@みちなり文庫

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5章 「なりたかった」ものと「なれなかった」もの

5-3

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 結局その後、井上さんはやってきた学童職員さんと入れ替わる形で、学童室の方へと戻っていった。

 井上さんの代わりにやってきた職員さんは、あの夏休みの日に見たもう1人の女性職員さんだった。「お世話をかけました」と俺に頭をさげた後、賢人と古河くんを校庭の端の方へつれていく。たぶん、そこで喧嘩についての話を聞くのだろう。井上さんの事があったからか、賢人と古河くんはしょんぼりした様子で、女性職員さんにつれられていった。

 他の子ども達も、散り散りになって遊び始める。
 微妙な空気が完全に拭い去られたわけではないが、そこはまぁ子どもである。すぐに忘れたように、それぞれに楽しい校庭タイムを過ごし始めていた。

(井上さん、大丈夫だったかなぁ)

 延長コードを片付けて職員室に戻ってからも、その事がずっと頭の中を支配していた。

 自分の受け持ちの子が関わっているから、というのもあるが、それ以前に鼻血は人として心配してしまう。結構血も出てたし、大丈夫かな。そんな事を考えながら、明日の授業の用意やらなんやらを行っていく。

 17時30分過ぎ。退勤時間になり、職員室を後にした。

 いつもなら18時までが仕事時間なのだけど、今日は俺が職員室の鍵当番だった為、30分の早上がりとなった。東小では職員間にて、1日交代制で職員室の鍵の開け締めをする事が決められており、担当となった者は、朝は皆より早く来て職員室の鍵を開けなければならない。だがその分、退勤は他の人より早めにあがることができる。今日がちょうど、その日だったというわけだ。

 まぁ、普段もあくまで定時が18時ってだけで、絶対にその時間に帰れるわけじゃないんだけどね。授業の用意が終わらず残業とかよくある話だし。
 は~、もう1人自分がいればなぁ。そういうアイテム使えるロボットを所持している方、どこかにおりません?

 荷物を手に職員玄関へ向かう。途中、主事室に顔を出して主事さんに挨拶をした。その後、子ども達の昇降口よりも何回りも狭い職員玄関で上靴から外靴に履き替えて、校舎を後にする。

 とりあえず夜のバンド練に備えて、どっかで夕飯でも――、とぼんやりと考えながら、自転車置き場へと歩き出した時だった。

「「あ」」

 はたりと、校門の方から来る井上さんとはちあった。

「あー……っと……。お、お疲れさまです……?」
「あ、は、はいっ。お疲れさまです」

 ぺこりと頭を下げれば、ハッとしたように井上さんも頭を下げ返してきた。
 そうして顔をあげたかと思うと、「あのっ、先程はすいませんでしたっ」と、再びその頭が、勢いよく下げられた。

「学童の子がご迷惑をおかけしてしまい……」
「いやいや、そんな事ないですよ! むしろ、うちのクラスの子が迷惑をかけて申し訳ないとい
いますか……」
「へ。うちのクラス……」
「あ、俺、3年4組のクラス担任の酒井透っていいます」

 そういえば、自己紹介ってちゃんとしてなかったなぁ、と今さらながらに考える。
「瀬川賢人くんの担任です」とへらりと笑いながら言葉を続ければ、「瀬川くんの……」と、井上さんが小さく目を見開いた。

 黒いぱちりとした目と、長めの前髪越しに視線があう。こうしてじっくりと顔をあわせたのは初めてなので、思わずその顔立ちを眺めてしまう。

 夏休みの外遊びの結果か、日焼け気味の薄黒い肌が目につく。丸くて小さな鼻の辺りには、そばかすだろうと思われるものが転々と見えている。
 しわやしみと思われるものが一切ない、若さで満ちた顔立ち。学生にも見えなくない若い顔立ちに、もしかしたらまだ新しく来たばかりの職員なのかもしれない、とそんな印象を抱いた。

「す、すいません、私ったら全然気づかなくて……っ。まさか、担任の先生だったとは……」
「あはは。別にいいですよ。俺達、普段あんまり関わり合いがないですからね」

 学校側の教師が学童と関わる時なんて、子ども達経由で学童での話を聞くか、どうしても呼び出さないといけない子どもが学童室にいる時かぐらいなものだ。

 方や勉学の指導、方や放課後の預かり。
 仕事内容が違えば、自然と関わりあうタイミングも少なくなる。

「もう鼻血は大丈夫ですか」と気になっていた事を尋ねれば、「はい」と井上さんが頷いた。
 彼女の説明いわく、どうやらあの後すぐに止まってくれたらしい。
 その後はいつも通りに仕事を続け、今も17時30分帰りの子ども達を校門まで見送ってきたところ、との事だった。

「それはよかったです。結構血が出てたんで、大丈夫かなって思ってたんですよ」

「大怪我になっていないのであればよかった」とホッと胸をなでおろす。すると「ご心配をかけてしまい、すみません……」と井上さんがしょんぼりしたようにうなだれた。

「い、いや、そんな謝るような事じゃ……」

 まずい。俺、何か発言間違えたか? 慌てて言葉を続けるも、井上さんの顔があがる気配はない。
 ど、どうしよう、と冷や汗がタラリと俺の頬をつたっていく。

 ――その時、

「……私、ダメダメですね」

 ぽつりと、小さな言葉が井上さんからこぼされた。

「え」
「学童の子のクラス担任も覚えられなければ、子ども達の喧嘩も止められないどころか、自分ばかりが怪我しちゃって……。ううん、今日だけじゃない。いつもそう。子ども達には振り回されっぱなしだし、ダメって何度注意しても聞いて貰えない。しまいには酒井先生にもご迷惑をかけてしまう始末だし……。古河くんも、いつも話しかけても無視されちゃうし……」

「なりたくてなったはずなのに。むいてないのかな、私」そうポツポツと、井上さんが言葉を続けた。

「井上さ、」
「あっ! す、すいません、学校の先生にこんな愚痴みたいなお話……!」

「すいません、すいませんっ。忘れてくださって大丈夫です!」と、井上さんが勢いよく何度も頭を下げた。
 そうして「それじゃあ、お疲れさまでしたっ」と続けると、ぴゅっと逃げるように学童室の方へと走り去ってしまった。

「あ……」

 その光景に間抜けな声が、俺の口からこぼれ落ちる。
 が、それ以上の何かが出てくる事はなかった。いつもはバカみたいな大声で、感情的で直感的な言葉ばかりを発す筈の自分の口が、虚しいばかりの無音を吐き出し続ける。

 それが一体なぜなのか。その答えを得ることも、「待って」とも「お疲れさまでした」とも言葉を続ける事もできないまま、

『なりたくてなったはずなのに。むいてないのかな、私』

 ――そう言った井上さんの言葉ばかりが、俺の中でこだました。
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