年神印の年の瀬珈琲

勝哉道花@みちなり文庫

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EP.2 抹茶珈琲

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 ――それから数時間後。

「まったく、言伝なんて……どうして私がそんなことをしなくちゃいけないのよ」

 しかも、こんな寒い年の瀬の夜に――。ブツブツと愚痴を漏らしながら、敏子は誰もいない住宅街を歩いていた。

 時刻は夜の22時を過ぎた頃だった。

 午前に敏子が敬三の病室を訪ねてから、ずいぶんの時間が経っている。
 ただでさえ、日に何度も外出するのはしんどい歳になってきたというのに、そこに冷たい冬の空気も加わって、一歩歩く度に気が滅入っていく。愚痴でも呟いていないとやっていられない。

「第一、本当にこんなところに珈琲店なんてあるのかしら。家ばかりでお店なんて一軒もないじゃない」

『年の瀬にだけ開く珈琲店なんだ』――病室で敬三に言われた言葉が、敏子の脳裏によみがえる。

 敬三いわく、彼が約束した相手というのは、とある珈琲店の店主なのだという。
 年の瀬だけに開店する個人経営店らしく、ここ数年、敬三は毎年年の瀬になるとその珈琲店に通っていたらしい。

『たまたま見つけたお店でね。親子で経営してるんだって。毎年面白いアレンジの珈琲を出してくれるんだよ』

『昨年は蜂蜜を使った珈琲だったかな』と、過去を懐かしむように微笑みながら敬三は話を続けた。

 敬三が珈琲を好む人間であることは、敏子も知っていた。若い頃にしたデートでも、家族で行ったファミレスでも、彼はいつも珈琲を喫していた記憶がある。

 とはいえ、それはあくまでもただの嗜好で、「緑茶と珈琲、どちらがいい?」と訊かれたら「珈琲」と答える程度の些細な好みの話だったはずだ。
 それが、常連になる珈琲店ができるほどに、珈琲にのめり込むまでになっていたとは。
 一体いつから、あの人はそんなに珈琲にハマったのだろう。

(あの子は……栄一えいいちは知っているのかしら)

 今度は息子の姿が敏子の頭に浮かぶ。
 印象が薄い顔立ちの父と違い、母である己似の鋭利な雰囲気がある顔立ちに育った息子。しかし似ているのは顔だけで、中身はどちらかといえば父に寄っている節がある。

 昔から母よりも父の方に懐いていたことが所以だろう。大学入学と共に家を出た後ですら、度々父の様子を見にこちらへ帰省するぐらいには、息子は父を慕っている。
 それは家庭を持つ身になった今も健在だ。敬三の珈琲店通いのことを知っていてもおかしくはない。

 けどそれならば、自分ではなく栄一に言伝を頼んだ方がよかったのではないだろうか。
 何も知らない自分よりも、事情を把握している息子であればすんなりと言伝を受け入れたはずだ。

 一体なぜ、敬三は敏子に頼んできたのだろう。そんな疑問が頭をもたげた時、冷たい風が道の向こうから吹き込んできた。

 うっ、と思わず内心声をこぼしながら、敏子は首に巻いたストールに顔をうずめた。

(やっぱり冷え込んできたわね)

 防寒対策をしっかりしてきてよかったと思いつつ、己の姿勢が縮こまっていることに気づきハッとする。

 いけない、いけないと、慌てて背筋を伸ばす。

(どんな時でも背筋は真っ直ぐに。いつ何時、どなたが見ているのかわからないのですから)

 茶道の講師として働く敏子は、日常生活においても着物で生活をしている。
 なにも茶道家だから普段から着物を着なくてはならないというルールはないのだが、着物というのは普段の振る舞いが露になる衣服だ。特に着崩れは、その最大の証明。振る舞いが雑なものであるほど、着物は崩れやすくなる。

 そうした所作は、一朝一夕でつくものではない。外見は着飾れても、長年積み重ねてきた、染みつけてしまったものは簡単には隠せない。だから普段から着物を身に着け、身体に染みこませる必要がある。

 着物の着崩れはもちろん、いつ何時誰に見られても誇れる自分であるように。背筋を伸ばしておくことは大事なマナーだ。

 足を止め、敏子は着物が着崩れしていないか、軽くチェックをする。
 実際のところ、今日は防寒対策に専用のコートを着てきているので、着崩れしたところであまり人目にはつかないのだが、そんなことは関係ない。見えてる、見えていないではなく、自分の振る舞いに乱れを感じさせるものがあるのが許せないのだ。

 そういえば、そんな自分のさまを、敬三はよく苦笑しながら見ていたっけ――。『大丈夫、どこも問題ないよ』と、まったく根拠のないことを言いながら。

(本当に適当な人。まぁだからこそ、年の瀬なんて忙しい時期に、約束事を取り付けられるんでしょうけど)

 しかも関係ない敏子まで巻き込む結果になって。我が夫のことながら、情けないったらありゃしない。

 どうしてあんな人と結婚してしまったのだろう。ふぅ、と呆れの息が、白い息になって敏子の口から吐き出された。

「……帰ってしまおうかしら」

 件の珈琲店は全然見つからないし、身体も冷えるばかりだし。
 明日も早いのだ。仕事こそないものの、正月である以上初詣をするのは必須だし、親戚の集まりにだって顔を出す必要がある。敬三が入院してしまった以上、親戚周りへの挨拶は敏子1人の仕事だ。

 くわえ、年明け最初の仕事では『初釜』を行わなければならない。

 初釜とは、新年が明けて最初に行う茶会のことだ。
 通常の茶会と違い、特別な趣向を凝らした会にする必要があり、毎年正月は、その準備に追われるのが敏子の常となっている。

(どうせあの人のことよ。その約束というのも、きっとロクな内容じゃないわ。こんな寒空の下、凍えながら見つからない店を探し続けて風邪を引いてでもみなさい。そんなことで初釜の準備ができないなんてなったら、茶道家としての沽券に関わるわ)

 敬三には適当に「見つからなかった」とでも言っておけばいい。そう言われて、それでも無理を言えるほど、敬三は気が強い人間ではない。

 そうと決まればと、敏子が踵を返そうとした時、

『母さんがそんなんだから、父さんは何も言えなかったんじゃないか』

 ふいに脳裏を、"あの時"の光景が駆けて行った。

「…………はぁ」

 あぁ、嫌なことを思い出した。首を横に振って、記憶を頭から追い出す。

 しかし、その嫌な記憶が、なぜ自分がこんな面倒事を敬三から引き受けてしまったのか、その理由を敏子に思い出させる。
 途端、茶の苦みとはまた違った苦みが、彼女の口内に広がった。

 しばしの逡巡。

 何度か迷った末に、引き返そうとしていた足の先を、敏子は再び前に向き直した。

「仕方なく……仕方なくよ」

 別に敬三のためではない。ただ約束をしてしまったから、言伝をすると。自分から是としたことを反故するのは、それこそ適当な人間がやることだ。

 自分は真っ直ぐに生きなければならない。適当な生き方なんて、そんな生き方は己に相応しくない。

 そういう風になろうと、決めたのだ。――茶の道を行くと決めた時に。

 再び道の向こうから冷たい風が吹く。しかし今度は、ストールに首をうずめることも、寒さに背中を縮こめることもなく、敏子は真っ直ぐに風が吹く方へと歩みを進めた。
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