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プロローグ. 学芸員、破損する
プロローグ-Ⅰ
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「あ」と間抜けな声を僕がこぼした時。その時にはもう、事はすべて終わっていた。
はらりと、僕の指の隙間からこぼれ落ちた小さな欠片。それは、茶色く焼けた紙の破片だった。
枯れた葉が木から落ちるように、紙の破片がひらひらと宙を舞い、呆然とする僕を前に静かに展示ケースの底に着地する。
突然すぎる出来事に、何が起こったのかを理解するまで時間を要した。我に返り、破片が落ちてきた先、自分の指先にある物へと恐る恐る目を向ける。
そこにあったのは、落ちた破片分の形を損なった収蔵品が、展示用のスタンドの上に鎮座している姿で――。
あ、これ、まずい。やらかした。
僕の顔から血の気が引いたのと、「あーーーーっ‼」というドデカい同期の声が特別展示室内にあがったのは、同じタイミングでのことだった。
「マ宮さーん、耕閲が収蔵品を壊しましたーっ!」
「げっ、板部っ」
後ろへ振り返れば、想像通り、同期の板部佑京が立っていた。腕の中には、半透明のコンテナボックスが1つ。どうやら荷運びの最中だったらしい。
くそっ、面倒な奴に見つかった。慌てて落ちた欠片を拾いあげながら、「壊してないっ」と反論する。
「自然に取れたんだよ、僕はやってない!」
「え~、でも俺、今見ました~。耕閲が触ったところが欠けたの~」
板部が不満げに唇を尖らせる。だが態度のわりには、声から不満さは感じられない。それどころか、むしろ面白がっているような感じさえする。
この男、普段は真面目のまの字もないくせに、どうしてこんな変なところばかり目敏いのか。
学芸員よりもカフェの店員でもやっていそうな軟派な顔を睨みつけた時、
「あらあら。収蔵品、欠けちゃったの?」
1人の女性が板部の横に並んだ。
「マ、マ宮さん……」
ぎくりと、思わず肩が竦んだ。
自分よりも頭が2つ分ほど低い、小柄な女性。けれどその肩書きは、僕のような新人学芸員とは比べものにならないぐらい大きい相手。
国立書籍博物館――、通称『書籍館』主任学芸員、マ宮加奈子。
書籍館で働く学芸員達のリーダーであり、自分や板部のような書籍館新米学芸員にとっては、上司にあたる人物である。
「うちの収蔵品?」
穏やかな顔立ちに見合う穏やかな声音で、マ宮さんが僕に訊ねる。
自分の母とほとんど年が変わらない上司からの質問に、内心冷や汗だらだらになりながらも、どうにか頷き返して僕は言葉を続ける。
「そうです。書籍館所蔵の『雑誌』です」
収蔵品がマ宮さんに見えるようにと、僕はケースの前から体をどかした。
モダンな洋装に身を包み、ポーズを決めて立つ女性が表紙の雑誌。
女性の頭上には、男の自分でも知っている有名な月刊ファッション誌の名前が綴られている。所謂『女性誌』と呼ばれる部類のものだ。
つい昨日まで、書籍館ではとある大手出版社とコラボした展示会が開催されていた。このファッション誌は、そのコラボ展の展示物として公開されていた収蔵品だ。
コラボ相手の出版社が刊行している人気ファッション誌、その貴重な、今はもう存在しない紙という遺物でできたバックナンバーとして、展示の見どころのひとつに数えられていた。
マ宮さんが収蔵品を手に取り、破損した箇所を確認する。
ページがめくられる度に、僕の背筋に緊張の2文字が走る。
マ宮さんの学芸員としての専門は『雑誌類』。書籍館において、雑誌の知識で彼女の右に出る者はいない。
事実、今回のコラボ展だって、彼女の企画・発案だ。彼女の知識と長年の学芸員としての仕事の中で築いてきたコネクションのおかげで、展開することができたと言っても過言ではない。一体今、彼女の目にはこの雑誌の破損はどんな風に見えているのだろうか。
懲戒免職とかになったらどうしよう、まだ働き始めて半年ぐらいしか経っていないというのに……心臓がバクバクと嫌な音を立て始める。
それにしても、僕が触った時はあんなにあっさり破損したというのに、なぜマ宮さんが触っている時は壊れないのだろう。不思議に思いながら眉をひそめていると、マ宮さんがページをめくる手を止めた。
「あぁ、このページね。あらあら、綺麗に欠けたわねぇ」
マ宮さんの言葉につられて、彼女の手元を覗き込む。雑誌中盤あたりのページ。確かにマ宮さんの言葉通り、左端部分が綺麗に欠けている。まるで真っ直ぐに裁断されてしまったかのように、綺麗な断面だ。
「欠けちゃったところはある?」
「これです」
欠片を乗せた手を、サッとマ宮さんの前に差し出した。
「ん~……、んっんっん、なぁるほど」
言いながらマ宮さんが雑誌を閉じて、その裏面を見る。そうして「まぁ、頃合いと言えば頃合いかぁ」と呟いたかと思うと、
「よし、ここは我らが書籍館の守護者の出番ね」
「「守護者?」」
ってなんだ?
聞き慣れない単語の登場に、思わず板部と声を揃えて顔を見合わせる。
疑問符を頭上に浮かべる部下達の姿に、マ宮さんがどこか含みのある笑みを顔に浮かべた。
はらりと、僕の指の隙間からこぼれ落ちた小さな欠片。それは、茶色く焼けた紙の破片だった。
枯れた葉が木から落ちるように、紙の破片がひらひらと宙を舞い、呆然とする僕を前に静かに展示ケースの底に着地する。
突然すぎる出来事に、何が起こったのかを理解するまで時間を要した。我に返り、破片が落ちてきた先、自分の指先にある物へと恐る恐る目を向ける。
そこにあったのは、落ちた破片分の形を損なった収蔵品が、展示用のスタンドの上に鎮座している姿で――。
あ、これ、まずい。やらかした。
僕の顔から血の気が引いたのと、「あーーーーっ‼」というドデカい同期の声が特別展示室内にあがったのは、同じタイミングでのことだった。
「マ宮さーん、耕閲が収蔵品を壊しましたーっ!」
「げっ、板部っ」
後ろへ振り返れば、想像通り、同期の板部佑京が立っていた。腕の中には、半透明のコンテナボックスが1つ。どうやら荷運びの最中だったらしい。
くそっ、面倒な奴に見つかった。慌てて落ちた欠片を拾いあげながら、「壊してないっ」と反論する。
「自然に取れたんだよ、僕はやってない!」
「え~、でも俺、今見ました~。耕閲が触ったところが欠けたの~」
板部が不満げに唇を尖らせる。だが態度のわりには、声から不満さは感じられない。それどころか、むしろ面白がっているような感じさえする。
この男、普段は真面目のまの字もないくせに、どうしてこんな変なところばかり目敏いのか。
学芸員よりもカフェの店員でもやっていそうな軟派な顔を睨みつけた時、
「あらあら。収蔵品、欠けちゃったの?」
1人の女性が板部の横に並んだ。
「マ、マ宮さん……」
ぎくりと、思わず肩が竦んだ。
自分よりも頭が2つ分ほど低い、小柄な女性。けれどその肩書きは、僕のような新人学芸員とは比べものにならないぐらい大きい相手。
国立書籍博物館――、通称『書籍館』主任学芸員、マ宮加奈子。
書籍館で働く学芸員達のリーダーであり、自分や板部のような書籍館新米学芸員にとっては、上司にあたる人物である。
「うちの収蔵品?」
穏やかな顔立ちに見合う穏やかな声音で、マ宮さんが僕に訊ねる。
自分の母とほとんど年が変わらない上司からの質問に、内心冷や汗だらだらになりながらも、どうにか頷き返して僕は言葉を続ける。
「そうです。書籍館所蔵の『雑誌』です」
収蔵品がマ宮さんに見えるようにと、僕はケースの前から体をどかした。
モダンな洋装に身を包み、ポーズを決めて立つ女性が表紙の雑誌。
女性の頭上には、男の自分でも知っている有名な月刊ファッション誌の名前が綴られている。所謂『女性誌』と呼ばれる部類のものだ。
つい昨日まで、書籍館ではとある大手出版社とコラボした展示会が開催されていた。このファッション誌は、そのコラボ展の展示物として公開されていた収蔵品だ。
コラボ相手の出版社が刊行している人気ファッション誌、その貴重な、今はもう存在しない紙という遺物でできたバックナンバーとして、展示の見どころのひとつに数えられていた。
マ宮さんが収蔵品を手に取り、破損した箇所を確認する。
ページがめくられる度に、僕の背筋に緊張の2文字が走る。
マ宮さんの学芸員としての専門は『雑誌類』。書籍館において、雑誌の知識で彼女の右に出る者はいない。
事実、今回のコラボ展だって、彼女の企画・発案だ。彼女の知識と長年の学芸員としての仕事の中で築いてきたコネクションのおかげで、展開することができたと言っても過言ではない。一体今、彼女の目にはこの雑誌の破損はどんな風に見えているのだろうか。
懲戒免職とかになったらどうしよう、まだ働き始めて半年ぐらいしか経っていないというのに……心臓がバクバクと嫌な音を立て始める。
それにしても、僕が触った時はあんなにあっさり破損したというのに、なぜマ宮さんが触っている時は壊れないのだろう。不思議に思いながら眉をひそめていると、マ宮さんがページをめくる手を止めた。
「あぁ、このページね。あらあら、綺麗に欠けたわねぇ」
マ宮さんの言葉につられて、彼女の手元を覗き込む。雑誌中盤あたりのページ。確かにマ宮さんの言葉通り、左端部分が綺麗に欠けている。まるで真っ直ぐに裁断されてしまったかのように、綺麗な断面だ。
「欠けちゃったところはある?」
「これです」
欠片を乗せた手を、サッとマ宮さんの前に差し出した。
「ん~……、んっんっん、なぁるほど」
言いながらマ宮さんが雑誌を閉じて、その裏面を見る。そうして「まぁ、頃合いと言えば頃合いかぁ」と呟いたかと思うと、
「よし、ここは我らが書籍館の守護者の出番ね」
「「守護者?」」
ってなんだ?
聞き慣れない単語の登場に、思わず板部と声を揃えて顔を見合わせる。
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