国立書籍博物館学芸員の繫雑な日常Ⅱ

勝哉道花@みちなり文庫

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Ⅱ. 学芸員、戸惑う

Ⅱ-Ⅱ

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「練習です。学生時代の先輩の私物でして。修復するのを前提にお借りして、練習台にさせてもらっているんです」
「え⁉ 紙の本を持ってる知り合いがいるの⁉」

 板部が驚きで大声をあげた。僕も思わず目を丸くし、二ノ前さんを見る。

 紙の本がなくなって100年。未だ紙の本を愛する者はそれなりにいれど、実際に持っている者は多くない。かつては高くても数千円あれば買えたとされる紙の本も、今の時代においては破格の値がつく文化財なのだ。

 一部の愛好家や収集家がいるにはいると聞くが、その数だってそう多くはないはずだ。
 紙の本専門の学芸員と、人口はどっこいどっこいといったところだろう。

「亡くなったおじいさまの物なんだそうです」僕らの反応に苦笑まじりの声で二ノ前さんが言った。

「普段は蔵に仕舞ってあるのだそうですが、定期的に展示会への貸し出しなんかもしていて、出し入れが多い関係からか破損してしまうこともままあるんだそうです。その中でもあまり損傷が激しくないものをお借りして、僕の方で修復させてもらってるんです。今はちょうど、表紙の糊付けをさせてもらっていたところでした」

 だから、あんなに本と糊のことを気にしていたのか、と先刻の二ノ前さんを思い出して納得する。

 確かに糊を塗っている最中にあんなことが起きれば、慌てるのも致し方ないか。
 掃除している間に、せっかく塗った糊が乾いてしまうかもしれないもんな。

「でも結局その糊付けも上手くいかないし、それどころかせっかくカミ代さんに用意してもらった糊すら台無しにする始末ですし……あぁ、どうして僕ってこうなんだろう。こうやってすぐに全てを台無しにする。いろんな人が僕のためにってやってくれたことを全部ダメにしてしまう」
「に、二ノ前さん?」
「本当、どの面下げて生きてるんだろう。どうせ糊塗れになるなら、そのまま床に顔を接着させとけばよかったのに。そうだ。どうしてそうしなかったんだろう。下げられる面なんてないんだから、一生床に頭をこすりつけて生きてるぐらいが僕にはちょうどいいんだ」

 混乱する僕を置いて、ブツブツと早口で続けていく二ノ前さん。そのさまは、先刻の僕らに気づかずに頭を抱えていた時にそっくりだ。

 ……もしかしてこの人、普段から"こう"なのだろうか。

 どうやら、自分が想像する云倍、アクが強い人だったようだ。
 この状態じゃ、例の収蔵品の修復についてお願いすることは難しいかもしれない。ここは一旦帰って、カミ代さんという職員が戻ってきてから出直した方がよさそうだ。

 というか、よく考えれば、ここに持ってきた時点で修復が行われることは確定なのだから、破損の経緯を告げる必要はないのでは。

 何も言わずに去れば、あれを破損させたのが僕だと知られることなく、雑誌は無事に修復されて返ってくるんじゃないだろうか。
 ちょうど板部も雑巾を洗い終えてこっちに戻ってきているところだし、帰るなら今だろう。

 何も言わぬが花。卑怯だと言うなら、そう言え。
 こっちには将来がかかっているのだ。誰だって自分が可愛い。

「僕は糊すらも使えない男……」
「あ、あの二ノ前さん。僕ら収蔵品も届けたので、ここら辺でそろそろお暇し、」
「え、耕閲。破損させた収蔵品のこと言わなくていいの?」

 キョトンと不思議そうに、板部が僕の言葉を遮った。

 ……誰か、この男に空気を読むというスキルを教えてやってくれ。

 板部の首根っこを掴んで、二ノ前さんから距離を取る。
 そうして「どう見ても、今話せる状況じゃないだろっ」と小声で怒鳴れば、「えー」と不満げな小声が返された。

「でもだからってさ、何も言わずに去るのはダメじゃね?」
「ぐっ」

 くそっ、今回ばかりはコイツが正しい。何も言い返せない。
 僕が言葉に詰まった時、

「――破損させた収蔵品?」

 二ノ前さんの呪詛が、ピタリと止まった。
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