婚約破棄されるはずの悪役令嬢は王子の溺愛から逃げられない

辻田煙

文字の大きさ
7 / 52
第1章「悪役令嬢の無双」

第7話「メインヒロイン、ジャン・フリッド王子」

しおりを挟む
 ジャン王子が住んでいるのは王城だ。今日は週一の逢瀬の日。もっとも微妙な距離なので、今は逢瀬とは言い難い。どちらかというと、単に友達の家に遊びに行くと言う方が近い。相手は国のトップの家系ではあるが。ミラは、それにしても、と思う。

 王族って本当に城に住んでるんだ……。

 いや、何度も来ているので知ってはいるのだが、灯里の記憶を取り戻した今では違う感想になってしまう。

 荘厳さ、豪華さ、呆れるほどのスケール感に驚く。いくら魔法があるとはいえ、よく建築したものだと思う。その方面に明るいわけではないので、凄い、しか感想が浮かばないのがもったいないところかもしれない。そう考えると一周回って前世の建築物ってすごいのかもしれない。ミラは前世の自分のあまりの引きこもりぶりに少しだけ後悔した。もう少し外を見て回ればよかったかもしれない。今はもう見られないのだから。

 王城へは正門への橋でしか通れない。そこには衛兵が橋の両端で二十四時間見張っているらしい。橋以外の周りは堀になっており、水がたっぷり入っている。噂では『死の水』らしく、毒が混入されているのだとか。おまけにそんな水なのでなにも生息していない様に見えるのだが、毒にも耐えられる魚がいるのだという。魚は侵入者を発見するともの凄い勢いで鳴き出し、かつ侵入者に群がってピラニアのごとく噛み付いてくる、らしい。もっとも一度も実物を見たことのないミラには上手い想像が出来なかった。

 魚が鳴き出すってなんなのだろう? まあ、気にしてもしょうがないか。ここに忍び込むことなんて無いんだから。

 ミラは馬車に揺られ、王城への橋を渡っていた。結果的にはただ楽しく終わったニアのお茶会から数日経っている。

 お茶会ではニアの一悶着があったが、ジャン王子とより仲良くなったというのは無かった。やはり二人きりで仕掛けないとそうそう簡単には変わらないらしい。いくらゲームではチョロインといえども。

 今のミラは外行きの格好だった。婚約相手、それもこの国の第一王子に会いに行くのだから、おめかしはしておかないとお母様に怒られる。今のミラにとっては戦装束でもある。ジャン王子を惚れさせないと自分の命が危ういのだから、この逢瀬はある意味戦争でもある。相手を惚れさせる戦争。

 前回か前々回か。ジャン王子からは毎回そんなに着飾ってこなくていいと、女心をまるで理解してなさそうな発言が飛び出していた。ミラの記憶では幼いながらに腹立たしかったようだが、特に何も言わなかった。だが、そこまで言われると火がつき、ミラは可愛いといってもらえるまで服装に精を出しているようだった。

 過去のミラのためにも、今後そんなことをジャン王子がのたまうようであれば、説教してあげなければ。その前に言わせないような仲にしたいが。

 それにしても、ジャン王子に褒めてもらうために服を選んでいるミラ可愛いらしかった。自分の記憶でもあるのでいくらでも振り返れる。

 こう、頭を撫で回したい感情に囚われる。もっとも今は自分のことでもあるのでそんなことは出来ない。

 今日、屋敷を出る前――全身鏡でミラは自分の服装を確認していた。ジャン王子をたじたじにさせるためにも準備は入念にしたのだ。

 それなりに可愛い服装。華美すぎず、あくまで子供らしさと可愛さを強調した服。精神年齢的にはフリフリのスカートが少々きついが、今の実年齢なら問題ない。お付きのメイドは可愛いですよと褒めてくれていた。体に精神年齢が引っ張られているのか、照れくささよりも嬉しさの方が勝った。全身鏡で自分の姿を見た時には見惚れそうにもなった。

 いくら悪役令嬢と言っても、いや、だからこそ美人であることには変わらない。今はまだ幼いが、それはそれで代わりに可愛さが勝っている。

 ミラのやや褐色の肌に対して、服は全体的に黒を基調としたものだった。シースルーのフリフリのせいか、ミラの美貌のせいか、この年にして若干の妖艶さを醸し出してしまっているのはもはや事故だ。

 将来のジャン王子の性癖が少しばかり心配にもなった。

 ミラは馬車の中で一人意気込む。

「これなら……」

 さすがにこういう格好なら、朴念仁なあの王子様でも多少は動揺してミラを見るだろう。

 ――そう思っていた時もあった。

 馬車が王城内に入り、メイドに案内されること数分。

 ジャン王子は自分の部屋で本を読んで待っていたようだった。メイドが開けた扉から中に入ったが、彼は特に何も言わなかった。見向きもしない。ミラがジャン王子の対面に座るまで特に喋りもしないし、服装についても褒めることもしない。ないない尽くしだった。ミラは若干イラっとする。

 うーん、せめてこっちを見てくれても良くないかなー?

 ミラは読書に夢中なジャン王子の横に移動した。ここにきて彼はようやく顔を上げる。ミラはジャン王子の顔面の良さに悶えた。

 やっとこっち見た。うーん、改めて見るとイケメンだなー。

 これが将来の旦那様か。きちんと振り向いてもらわないとそうはならないが。

「ジャン。何か言うことはないですか?」

「な、なんだよ」

 ジャン王子は本で顔を隠す。だが、持っている本が逆さまだった。

 意識してもらうためにわざと近付いたのだが、この反応。もしかして、幼いミラのジャン王子に対する印象がツンケンしていただけで、脈ありだったのか。ミラの中で徐々に確信に変わっていく。そう考えると彼が可愛くてたまらない。彼のうるうるとした目で見つめられると、きゅんきゅんしてくる。それにしても、照れているのだろうか? 耳も赤い。

 ふと、思い出す。そういえば今日は香水をつけてきたのだ。可愛らしいバラの香り。その香りに気付いているのかもしれない。お子様には少々早いと思ったのだが、お付きのメイドが薦めるのものだから大丈夫だろうと考えて身に纏ったのだが、上手くいったようだ。

 思っていたよりも脈ありだった。でも、油断は出来ない。いつ、どこの馬の骨――『悲劇のマリオネット』の主人公、ハンナ・ロール――に掻っ攫われるのか分かったものではない。

 じっとジャン王子の様子を観察して、ミラはもう少し反応が欲しくなった。ジャンってわざと呼び捨てにもしているのに気付いているのだろうか。二人だけの時はその方が雰囲気が出ると思ったのだが。この年で雰囲気も何も無いとは思うけど。

「本、逆さまですよ、ジャン」

「……っ。今日、おかしいぞ、ミラ」

 王子は常に呼び捨てだ。基本的に誰にでもそうだからしょうがない。立場上仕方ないのは分かってはいる。それでも名前で呼ばれるというのは、ジャン王子なら嬉しい。

「なーんにも、おかしくないですよ。それより、ほら、どうですか」

 ミラはソファを降り、ジャン王子の前でくるっと一回転する。ついでに香水の香りもふわっと彼に香るように。

 さて、効果のほどは、とジャン王子をちらっと見ると、顔を真っ赤にしていた。どうやら少しは効果があったようだ。ミラは、ジャン王子の口からの褒め言葉が欲しくなった。ジャン王子をじっと見て、名前を呼ぶ。

「ジャン」

「……可愛い」

 彼はぼそっとそう呟いて、そっぽを向いてしまった。この婚約者ちょっとあざと可愛すぎないだろうか。

 やり過ぎたかもしれない。ジャン王子はそっぽを向いたまま元に戻らない。どうしよう。とうとうこっちを見なくなってしまった。

 ミラは不思議に思う。ゲームでは、ここまで純情じゃなかった。子供の頃のジャン王子がここまで可愛いとは。

 でも、これでは話が出来ない。なにか、ジャン王子の興味のあることは――

 ミラはジャン王子の隣に座り直し、話しかけた。

「ジャン、剣に興味はある?」

「なんだよ、急に」

「こないだ、ニアに剣でぼこぼこにされちゃったのよね」

「なっ、おい大丈夫なのか、それは」

 ジャン王子がようやくこちらを見る。だが、ミラの顔を見るなり、すぐに逸らしてしまった。

 男の子なら剣に興味を持つかなと思ったが、予想以上に反応が良い。もっと仲良く、というか交流を深めるためにもこれがいいかもしれない。

「大丈夫か、は微妙ですが……。私は悔しいんですよ」

 ずいっとジャン王子に近付くと、彼が狭いソファーの中で後ずさる。

「ですので、ぜひともジャンに剣の稽古をしてほしいなーっと」

「剣の稽古?」

「ダメですか?」

 ミラはジャン王子の腕を掴んだ。さらに上目遣いで彼を見る。

 ここでダメ押しの上目遣い。ミラは必殺技を決めた気持ちだった。

「~~っつ。……ダメなんて言ってないだろっ! いいから離せ」

「じゃあ、稽古してくれる?」

「する、するからっ」

「よろしくお願いします。ジャン」

 パッと手を離すと、すぐさま本でまた顔を隠される。実に残念だ。照れているジャン王子は可愛らしいというのに。

「なんで顔を隠すの? ふふっ」

「うるさい。ミラはもう少し……」

「もう少し何?」

「……なんでもない」

 ジャン王子はそのまま押し黙ってしまう。こういう反応をされるとミラであることも忘れて、ついついいじめたくなってしまう。楽しくてしょうがない。

 だが度が過ぎると嫌われかねないので、この辺にしておかなければ。

「そう? それじゃ、早速稽古して」

「え? 今からか?」

「してくれないの?」

「だって、ミラのその服装……」

 ジャン王子はちらちらっとミラを見る。そんな風に見るなら、しっかりこっちを向いてくれればいいと思う。

 それにしても服装か。ミラは少しだけ考え――

 まぁ、破かなければ大丈夫でしょ、と自身を納得させた。

「汚したらジャンが綺麗すればいいよ」

「なんで、俺が……」

「だって、私、綺麗にする魔法使えないんだもん」

「……やっぱり別の日の方がよくないか」

「えー? あっ、ジャンは私に負けるのが嫌なんでしょー」

「なっ、負けるわけないだろ」

 男の子らしい。挑発に簡単に乗ってくれる。こういう単純な所もいい。可愛らしくて好きだ。

「本当ー?」

「……今からするぞ、稽古」

「うんっ!」

 ジャン王子はさっきとは一転して、ぶすっとした顔だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。 そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。 ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。 イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。 ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。 いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。 離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。 「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」 予想外の溺愛が始まってしまう! (世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!

逃げたい悪役令嬢と、逃がさない王子

ねむたん
恋愛
セレスティーナ・エヴァンジェリンは今日も王宮の廊下を静かに歩きながら、ちらりと視線を横に流した。白いドレスを揺らし、愛らしく微笑むアリシア・ローゼンベルクの姿を目にするたび、彼女の胸はわずかに弾む。 (その調子よ、アリシア。もっと頑張って! あなたがしっかり王子を誘惑してくれれば、私は自由になれるのだから!) 期待に満ちた瞳で、影からこっそり彼女の奮闘を見守る。今日こそレオナルトがアリシアの魅力に落ちるかもしれない——いや、落ちてほしい。

【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。

樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」 大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。 はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!! 私の必死の努力を返してー!! 乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。 気付けば物語が始まる学園への入学式の日。 私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!! 私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ! 所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。 でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!! 攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢! 必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!! やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!! 必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。 ※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。

彼女が高級娼婦と呼ばれる理由~元悪役令嬢の戦慄の日々~

プラネットプラント
恋愛
婚約者である王子の恋人をいじめたと婚約破棄され、実家から縁を切られたライラは娼館で暮らすことになる。だが、訪れる人々のせいでライラは怯えていた。 ※完結済。

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

【完結】モブの王太子殿下に愛されてる転生悪役令嬢は、国外追放される運命のはずでした

Rohdea
恋愛
公爵令嬢であるスフィアは、8歳の時に王子兄弟と会った事で前世を思い出した。 同時に、今、生きているこの世界は前世で読んだ小説の世界なのだと気付く。 さらに自分はヒーロー(第二王子)とヒロインが結ばれる為に、 婚約破棄されて国外追放となる運命の悪役令嬢だった…… とりあえず、王家と距離を置きヒーロー(第二王子)との婚約から逃げる事にしたスフィア。 それから数年後、そろそろ逃げるのに限界を迎えつつあったスフィアの前に現れたのは、 婚約者となるはずのヒーロー(第二王子)ではなく…… ※ 『記憶喪失になってから、あなたの本当の気持ちを知りました』 に出てくる主人公の友人の話です。 そちらを読んでいなくても問題ありません。

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

田舎娘をバカにした令嬢の末路

冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。 それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。 ――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。 田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

処理中です...