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戯れる
しおりを挟む一つ、長く息を吐いた後、シヅキはゆっくりとその上体を起こした。
腕と、胸の中にあった温もりが離れていく。すぐに視線の先に映ったのは、何とも言えない表情を浮かべたトウカだった。
「も、もう大丈夫そう……?」
少しだけ首を傾げて、恐る恐るの口調で訊いたトウカ。シヅキは返答の代わりに、その腕を徐に伸ばした。
「……え?」
そして――
「いてっ!」
軽い力で弾いた指は、見事にトウカの額を捉えた。テチ、という間の抜けな音が響く。
トウカはいつかのように額を抑えながら叫ぶように言った。
「な、なんで私デコピンされたの!?」
「うるせ。病室だぞここ」
「ひ、酷すぎる……」
睨むように見てくるトウカを目の端に捉えつつ、シヅキはそっぽを向いた。
「ねぇ、シヅキ?」
そんなシヅキに声を掛けたのは、ソヨだった。やけに声が高く、機嫌が良さげだ。
「んだよ」
そのことを訝しく思いつつも、無防備に振り向いたシヅキ。彼のおでこにピトリと何かが当たった。目の前に映ったのは、満面の笑みのソヨだ。
「おい待て。何を……」
バチン
乾いた破裂音とともに、脳天が揺れた。少し遅れて鋭い痛みが走る。
「いっっってぇ!!!」
「当然よ? 本気で額を弾いたんだから」
「何すんだよ!」
「こっちのセリフだけど?」
「あぁ?」
涙目で見上げたソヨは、随分と冷めた目をしていた。
「着替えしているかもしれないのに、いきなりカーテン開けて? トウカちゃんに抱きついて? かと思ったらデコピンって……あらあらまあまあ」
「ソヨが怒ることじゃねーだろ。それ」
「うっさい。懲戒免職ね」
「イカれてるだろ」
「い、いくら何でもやりすぎですよ……それは」
トウカは眉を潜めてを言った。
「……でも釈然としないので、次は指3本でデコピンしてください」
「おっけー。任せて!」
「おい」
片目を瞑り、右指をパチパチと弾くソヨ。向けられたその先にあるのは、無論シヅキの額だ。
シヅキはハァ、と溜息をついて、その場からサッと移動した。
「あ、コラ! 逃げないでよ!」
「わざわざやられる訳ねーだろ」
「やられる義務があるから言ってんだけど」
「んなもん行使してんじゃねぇよ」
「誇張して上司にチクるわよ?」
「権力に訴えようとするな」
その時、パチンと大きな音が鳴った。シヅキとソヨは反射的にその方向を見る。
「2体ともいい加減にして。ここは病室で、ましてやシヅキは病人。分かってる?」
その眉間にシワを寄せて、呆れた表情をしているヒソラ。ソヨはその姿勢をただし、サッと身を退いた。
「すみませんでした……」
「シヅキくんも、トウカちゃんに謝ってね」
「……チッ、わーったよ」
バツが悪そうな表情を浮かべながら、トウカに向き直ったシヅキ。鼻から一つ息を吐き、言った。
「その……すまなかった。急によ」
「べ、別にそんなに怒ってはないよ? デコピンもそんなに痛くなかったから」
「トウカちゃん。抱きつかれたことはいいの?」
「おい、掘り返すなよ」
横目で睨んだソヨは、ヒソラに気づかれないように、小さく舌を出していた。
(あいつめ)
さらに眉間にシワを伸ばしたシヅキ。一方で、そんなやりとりをツユも知らないトウカはというと、その首を傾げつつ、こう言ったのだ。
「抱きつかれたのはちょっとビックリしたけど……そんなに嫌ではなかった、かな」
「「え?」」
「え! そ、そんなおかしなこと言ったかな……私?」
慌ただしく、シヅキとソヨへ交互に視線を向けるトウカ。対する彼らは間抜けに口を半開きに開けていた。
…………。
「とにかく。2体ともしっかりと謝罪したってことで。そうやって戯れるのもいいけど、そろそろ話を進めよう」
場に流れた変な空気を遮ったのは、ヒソラだった。年長者の彼らしい立ち振る舞いだが、如何せん容姿のせいで強烈な違和感があった。
「? どうしたの、シヅキくん?」
そのクリクリとした大きな瞳でシヅキを見上げるヒソラ。シヅキは自身の唇を舐めた後、後ろ髪を掻きながら言った。
「……いや、何でもねーよ。続けてくれ」
「うん。そうさせてもらう。 ……ということで、シヅキくんとトウカちゃん。2体とも植物形状の魔人、通称“絶望”に遭っておきながら、よく帰ってきてくれたね。まずはそのことについてお礼をしたいと思うよ。ありがとう」
ペコリと頭を下げたヒソラ。カクンと深く折れ曲がった背中が、彼の感謝の大きさを物語っていた。
「わ、私は……何も出来なかったです。お礼なら、シヅキへと全部……」
「トウカちゃん、そんな真似できないね。出来た出来なかったなんてこと、どうでもいいんだ。今あることが全てだから……分かるかな?」
「は、はぁ……」
トウカは自身の前髪を人差し指に巻き付けた。くるくると回し、解くのを繰り返す。
「シヅキも、トウカちゃんを守ってくれてありがとうね」
「……ああ」
そうやって謝辞を受け取りながらも、シヅキの中では1つの記録が思い返されていた。 ……それを思うと、胸を張ることなんてとてもじゃないが出来やしなかった。
「そのことについては、わたしからも言わしてね? ……シヅキ、トウカちゃん。よく帰ってきてくれたね……おかえり」
珍しくソヨが素直にそんな言葉を投げかけてきたことに、シヅキは眼を丸くした。揶揄おうかとも思ったが、寸で辞めた。
「た、ただいま?」
トウカはというと、少しだけぎこちなく、そんな返事をしてみせた。
(律儀なもんだ)
パン、と音が響く。先ほどのように、ヒソラが手を叩いた音だ。
「さて。漸く当事者が揃ったから、色々と話さないといけないことがあるんだ。 ……ちょっとだけ、長い話になるし、きみたちに訊きたいことも多い。でも、きみたちは病み上がりもいいところだし、何より頭を整理する時間が欲しいと思うんだけど……」
ヒソラはハァ、と小さく溜息を吐いた。代わりに話を続けたのはソヨだった。
「わたしたちに命令が下されているのよ。シヅキとトウカ……2体が眼を覚まし次第、早急に“絶望”に関する全データを回収するようにってね。 ……だから、悪いんだけど――」
「その話を今からしろってことだろ? ああ、俺はいいぜ」
ソヨの話を遮って、シヅキが返事をしてみせた。トウカほどとは言わないが、ソヨも他者のことを気にしすぎる節がある。シヅキはそのことを十分に知っていた。
「わ、私も! 上手くお力添え出来るかは分かりませんが……」
両手の拳をギュッと握り、そう答えたトウカ。シヅキが見るに、今のところそこまで疲れ切っているようには見えなかった。
「……そっか。うん、分かった」
シヅキとトウカの表情を交互に見比べたヒソラ。彼は大きく、そしてゆっくり頷いた。
「出来るだけ短くなるようには努力するよ。 ……じゃあ、まずは一番大きなところからいこうか。“絶望”の存在有無についてだね」
ヒソラはゆっくりとその瞳を閉じて、長く息を吐いた。そして、一息に言ってみせる。
「朗報だよ。ちょうど昨日、浄化型コクヨと彼女が率いる大隊の一部によって“絶望”はものの見事に浄化されたよ」
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