僕と、君と、鉄屑と。

葉月零

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ミステイク

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「これ、かわいくない?」
僕は予定外に、麗子の退屈な買い物に付き合わされていた。
「靴など、歩き出すまで不要ですよ。人間の子供は、おおよそ一歳前後で……」
「もう、わかった! あー、あんたと買い物しても、全然楽しくない!」
ふむ。僕はもっと、楽しくないのだが。
「それより、マタニティドレスを買った方がよろしいのでは? そろそろ、お腹が大きくなってくるでしょう」
「まあ、それもそうね。パーティ用のワンピースを、何枚か買おうかしら」
 麗子は妊娠五ヶ月に入っていた。まだお腹はあまりわからないが、少しふっくらした麗子は、目の前でハンバーガーLセットを、美味しそうに食べている。
「よく、食べますね」
「うん。ツワリもないのよ」
「体重が増えすぎるとよくないようですよ。妊娠中毒症の危険もありますし、そもそも、ファストフードは塩分と脂肪の塊ですから……」
「あんたはもうちょっと、食べたほうがいいんじゃない? ガリガリじゃん」
「体質なんですよ」
気にしているのに。
「あっ……」
イライラして開けたナゲットソースが飛び散り、顔に飛んで、眼鏡が汚れてしまった。やはり、イライラしているときに行動してはならない。
 眼鏡を外し、レンズを拭う僕の顔を、麗子がじっと見ている。
「何ですか?」
「あんたさ、メガネなかったら、結構いけてんじゃん」
「お世辞など、結構です」
「なんで私があんたにお世辞言うのよ」
僕は子供の頃から、ド近眼で、ずっと眼鏡をかけている。家の中でも、眼鏡がないと歩けないくらいで、外すのは風呂と眠る時と……セックスの時くらい。
「コンタクトにしなよ」
「僕の視力だと、無理なんです」
告白すると、僕は自分の眼鏡のない顔を、はっきり見たことがない。なぜなら、眼鏡を外すと、何も見えないから。

 初めて僕達がキスを交わしたのは、僕の告白から一ヶ月後。そして、その一ヶ月後、初めてのセックスをした。直輝は、僕の服を脱がし、僕の眼鏡を外して、優しい目で、僕の全てを見た。いや、眼鏡のない僕は、はっきり直輝の顔が見えなかったけど、直輝は、僕の髪の先から、足の先までを、その陽に焼けた掌で撫で、きれいだ、と言った。僕は、男とのセックスのやり方を彼に教え、彼は、愛のあるセックスのやり方を僕に教えてくれた。直輝は、優しく、抒情的に、包み込むように、まるで繊細な硝子細工を扱うかのように、僕を抱いた。僕はそんなセックスを、初めて知った。そのセックスは、僕がずっと思い描いていた、崇高で、甘美で、僕は直輝に抱かれながら、泣いた。今までの穢れが、彼の愛で、流れていくような気がしたから。
 でも、一つだけ、僕は許せないことがあった。
「祐輔は、女の子みたいだな」
僕は、女じゃないのに、直輝は、僕を女として、抱いていた。僕は男として、男の直輝と愛し合いたいのに。
「どこが、女の子みたいなの?」
「顔も可愛いし、色も白いし、線も細いし」
幼いころ、僕はよく、女の子に間違えられていた。だから母親は、僕にスカートを穿かしたり、髪にリボンをつけたりした。僕は男なのに。女ではないのに。自分が男に生んだくせに。
「僕は、男だ」
「わかってるよ。祐輔は、男だよ」
直輝の指が、僕を辿る。僕の指も、直輝を辿る。僕達は同じ体で、同じ場所で、同じシステムで、同時に感じ合う。僕達は、何もかも、僕達で分け合い、愛し合った。僕達は、男と男で、愛し合っている。

「もったいないなあ」
「前々から気になっていたのですが、その、いけてる、という言葉遣い。もうご年齢もご年齢ですし、何より、母親になるのですから、そろそろおやめになられては」
「あんたとご飯食べてると、味がしないわ」
「なら、僕のナゲットを食べるのはやめてください」

 もちろん、僕の部屋に直輝が帰って来る回数が減ったことは、心苦しい。だけど、それは僕のシナリオで、直輝は僕のシナリオ通りに行動しているだけで、彼にも、この目の前の妊婦にも、責任はない。懐妊を知った時は、偽りではあるものの、やはり、生殖行為の現実を知らされたようなもので、僕は、この妊婦に耐え難い嫉妬を覚えたけれど、こうやって対面していると、この女はとても素直で、明るく、愛らしく、なぜか憎めない。それに、なにより、僕の愛する直輝の分身を、宿している。彼女のお腹の中には、彼の、赤ん坊がいる。僕の代わりに、彼女は彼の、子供を生もうとしている。全ては僕のシナリオ通りに、進んでいる。

「まだ何か、お買い物されますか?」
「うーん、もういいかな」

 僕は麗子の部屋へ荷物を運び、では、と出ようとすると、麗子がいつものように、上がっていって、と言った。次の予定まで少し時間がある。コーヒーくらいは、つきあってやってもいい。
「妊娠中はコーヒーとかダメなんだって。だから、お茶ね」
僕は、妊娠中ではない。
 部屋の中はすっかり変わっていて、マタニティ雑誌だとか、名付けの本だとか……二人の写真だとかが飾られている。まるで、新婚夫婦の家に来たみたいだ。
「それね、腹帯もらいに行った時の写真」
クリスチャンのはずの直輝が、寺の前で微笑んでいる。まあ、クリスチャンが寺に参ってはならない、という決まりはない。その隣に、聴診器のようなものが置いてある。
「ああ、それ、直輝が買ってきたの。お腹の中の赤ちゃんと会話するの」
こんなもので会話ができるわけない。そもそも、胎児というのは羊水の中にいるわけだから、音などほとんど聞こえないはずだ。 
「心臓の音が聞こえるのよ。聞いてみたい?」
「遠慮いたします」
ふむ。これで、直輝はあの女の腹の中の音を聞いているのか。なんだか……夫婦のようだ。まあ、これも僕のシナリオ通りだけど、ちょっとアドリブが効きすぎじゃないかな。
 麗子は楽しそうに、直輝の話をしている。まだ早いのに、スタイ(どうやら、これはよだれかけのことらしい)を買ってきただとか、車をワンボックスにした方がいいんじゃないかとか、育児の便利グッズのカタログを持って帰って来ては、あれがいいこれがいいと騒いでいるとか。まあ、それはそうだ。直輝は優しい男だから、子供が生まれるのが本当に楽しみなんだろう。それは人として当然だ。子供の誕生ほど、喜ばしいことはない。麗子のために帰っているのではなく、子供のために帰っている。おかしな嫉妬してしまった、僕としたことが。

 麗子の話の相手をしていると、インターホンが鳴った。
「あれ? 直輝? どうしたのかしら」
直輝? この時間は会議のはずだけど……
「おかえりなさい。どうしたの? こんな時間に」
「予定の会議がなくなったんだ」
玄関で、二人は、ハグをしている。まるで本当の夫婦のように、笑いながら、ただいま、のハグをしている。
「村井が来てるのか?」
「うん。お買い物の帰りにね、上がってもらったの」
リビングに入ってきた直輝は、少し、気まずそうな顔をした。
「社長、お疲れさまです」
「あ、ああ、ご苦労だったな」
「会議がなくなったとは、聞いていませんでした」
「先方が、インフルエンザにかかったみたいで……」
「そうでしたか」
僕達はまるで、オフィスにいるように会話をする。
「もう、戻らなくていいの?」
「ああ。……村井、飯食って行けよ」
「いえ、まだ予定がありますので、私はこれで」
立ち上がる僕に、残念ね、と、全く残念でなさそうに、麗子が言った。
「では、社長、失礼いたします」
こんなことは、しょっちゅうある。僕達は、あくまで、社長と秘書であり、上司と部下。それ以外の関係は、ない。麗子が玄関で見送ってくれて、また、お買い物つきあってね、と言った。僕と買い物してもつまらないんじゃなかったのか? 本当に、女というものはよくわからない。

 エンジンをかけ、駐車場から出て、しばらく走っていると、急に、視界がぼやけた。
「おかしいな……」
ハンドルを握る手に、水滴が落ちてきた。それは紛れもなく、雨漏りでも、結露でもなく、僕の、涙だった。僕は、認めたくない現実に、打ちのめされていた。
 わかっている。それはもう、僕のシナリオでも、直輝の過剰なアドリブでも、ない。直輝は、愛している。僕ではなく、あの女を。あの女の胎内の生命を。こんなこと、容易に予想できたはずなのに。僕としたことが……

 何を、間違えたんだろう。どこが、良くなかったんだろう。僕は、何を、見逃したんだろう。
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