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第二章 後悔

後悔3

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 龍はとても後悔していた。熱を出して倒れてしまったことにではない。白龍を1人、ベンチに座らせてしまったことに。たとえ白龍が言ったのだとしても、しっかりしている子供だとしても関係ない。1人にし、目を離してしまったのが悪いのだ。もしも本当に誘拐されたのであれば、子供ではどうすることも出来ないだろう。大人の力に子供がかなうはずもないのだから。
 全員が龍は悪くないと言っても、龍はそう思えなかった。自分がついていてあげれば良かったのだ。子供を1人にしたら危険だと、施設に住んでいたころに何度も経験しているはずなのに。突然何処かに行ってしまい、怪我をして帰ってくることもある。子供はただ遊びに行っていたのだとしても、何も知らない大人にとっては何かが起こったと思ってしまう。そんな経験を何度もしたことがあるのだ。たとえ無関係でも、怒られていたのは龍だった。施設の人間は全てを龍の所為にするのだ。どんなことであろうとも。龍がまったく関係ないとしても。
 もしも、白龍が怪我をしていたらと考えるだけで冷や汗が流れる。早く見つけなければと思う。だから、朝早く訓練ではなく白龍を探すために獣型となり、ルイットへと行っていたのだ。そして、帰ってくるのは夜中。毎日それを繰り返していたのだ。そうして、とうとう龍は倒れてしまった。
 朝、いつも通りルイットへ白龍を探しに行こうとしていた龍を止めたのはユキだった。僅かだが、いつもと様子が違うように感じられたのだ。行かない方が良いと言うユキに、龍は大丈夫だと答えて探しに行こうとした。しかし、騒ぎに気がついた黒麒が階段を下りてきたことにより、タイミングを失った龍はその場に留まってしまった。
 騒ぎといっても、朝早い時間だったので、小声で話していたため気がつくようなものではなかった。しかし、黒麒は朝食の準備をするために起床したのだ。騒ぎで目を覚ましたというわけではなかった。何かを話す2人に黒麒は部屋から出ると、静かに階段を下りたのだ。そして、話しの内容を聞いた黒麒は、自分が見てもいつもの龍とは違うと分かる程だったため止めたのだ。龍は1人と1匹に止められ、仕方なくソファに座った。そうして、どうやら耳の良い白美を起こしてしまったようでゆっくりと階段を下りてきた。龍は2人と1匹で話している間に、隙ができたら黙って出て行こうと考えていた。話しをしていても必ず誰かが龍を見ていた。それは、見ていない間に逃げられないようにと、お互い何も言わずに注意しているためだった。それでもいつかは隙が出来る。そう考えていつでも出て行けるようにと気を抜かずに様子を見ていた。しかし、家の外に出ることは出来なかった。
 ソファの背もたれに寄りかかり座っていただけなのに、そのままソファの上に倒れてしまったのだ。たしかに、少々体調が悪いようには感じていたが、倒れる程だとは思っていなかった龍は驚いた。回る視界に映るのは、慌てる黒麒たち。声をかけてくれているというのは、口元を見れば分かる。だが、声がこもって良く聞こえなかった。
 そして、それからの記憶はとても曖昧だった。冷静に対応する黒麒とは違い、騒ぐ白美。その騒ぎを聞いて、全員が起きてしまう。騒ぐ白美をユキが服を銜えて引っ張り大人しくさせて、黒麒が龍を部屋へ運びベッドに寝かせる。息苦しくないようにと、服のボタンを外す。その様子を龍は見ているが、熱が出てきたのかどこかぼんやりとしていた。
 龍を部屋へと連れてきた黒麒は部屋を見回した。この部屋はどちらかと言うと白龍の部屋なのではないかと思える程、龍の私物が少なかった。龍の私物は、本棚に入っている数冊の本。それ以外の本は全て白龍の本だ。本以外の龍の物は、部屋に置かれたままの3本の刀と、机上に置かれた財布くらいだろう。自分の為にお金を使っても良いのにと思う黒麒だが、どうやら龍はあまり物欲が無いようで手元に残るようなものをあまり買うことはない。
 それもそうだろう。施設にいたときには自分の為に物を買うということが出来なかったのだ。ときどき、施設にくる人からお小遣いを貰うことがあっても、施設の人間に取られるか他の子供たちの為にお菓子を買ってあげたりしていたのだ。だから、自分が欲しいと思った物は我慢していたのだ。今は我慢する必要はないのだが、自分の為に使わないことが癖になりつつあるのだ。だから、自分のためにではなく白龍の為に使いたいのだ。それに、自分の為に使うぐらいなら今後の為に貯めていた方が良い。そう考えて使わないのだ。
 衣食もこの家にいれば与えられるし、最近ではエリスにも月いくらか払っているようだ。それでも、龍はときどき本を購入してくる程度であまりお金を使わない。自分が食べたい物の材料をお店で買ってくることはあるが、全員分を購入すので自分のための買い物ともいえない。
 ――これじゃあ、まるで……いつでも自分がいなくなっても大丈夫とでも言いたげだな。
 もしも龍がいなくなってしまったら、彼の私物がほとんどないのだから片づけも簡単だし、片づけをしなくても他の人がそのまま使うことも出来るだろう。そんなことは考えてはいないのだが、私物の少なさに思わずそう思ってしまう。黒麒でさえ、もっと私物はある。龍よりも、黒麒の方が突然消えてしまってもおかしくはないと言うのに。荒く呼吸をする額に触れ、濡れタオルを持って来たほうが良いと思い静かに部屋から出た。
 黒麒が龍を部屋に運んでいる間に、悠鳥は病院まで飛んでいた。それは、メモリアを連れてくるためだ。朝早かったが、開院の準備をしていたため起きていたメモリアを見つけて悠鳥は窓の外から声をかけた。事情を話すとメモリアはすぐに荷物の中に数種類の薬を入れて、他の職員たちに声をかけて病院から出てきた。数種類の薬を入れたのは、どんな症状にも対応できるようにと考えてだった。不死鳥となった悠鳥の背に乗ってメモリアはエリスの家へとやって来た。
 彼女が龍の部屋へ入ったとき、龍の意識はすでになかった。そのため、龍はメモリアが来たことを知らなかった。メモリアは無言で龍を診察する。彼女は人間を診察することが多いが、それ以外も診察することができる。動物や獣人など、彼女の診察は関係ないのだ。診察を終えて、メモリアはエリスを見て言った。
「風邪デスネ」
 倒れた原因は、疲労と寝不足からくる風邪だった。風邪と言っても、症状は人間とかわらない。人間ではないのだから、症状が重いとか軽いとかはないのだ。これから熱が上がるだろうと言って、解熱剤と他に3種類の薬を置いていった。診察料や薬代をメモ用紙に書き、それも置いていった。どうやら今ではなく、元気になったら龍が払いに来いということらしい。元気になった患者を自分の目で確認したいということもあるのだろう。
 静かに部屋を出て、病院へと帰ろうとするメモリアに悠鳥が送って行こうかと声をかけたが、彼女は首を横に振った。どうやら少し買い物をして行きたかったようで、徒歩で病院へ向かって行った。その後ろ姿が見えなくなるまで、エリスと悠鳥は家の前で見送っていた。
 メモリアが帰宅してから、龍は数度目を覚ました。高熱で歩くことも出来ず、薬を飲むためには何かを食べさせなければいけない。ベッドに体を起こし、お粥を食べさせる。それを、黒麒がやっていた。しかし龍はそのときの記憶が全くなかった。大人しくされるがままの龍に、黒麒は食べさせることに関しては楽ではあったが心配になった。座っていてもふらふらしている龍に声をかけても返事は返ってこない。難無く食べ終えてしまったお粥に、食欲があることに安心して薬を飲んだことを確認すると、龍をベッドに横たえて黒麒は部屋から出て行った。
 龍の意識がはっきりしたのは、倒れてから3日たった頃だった。まだ歩くことは出来なかったが、ベッドに起き上がることは自分1人でも出来るようになっていた。ふらふらすることもなく、座っていられる。薬も飲むが、ただ一言「粉じゃなければ良い」と渡す前に言われたため、今後何かがあったときは粉薬の処方はやめてもらおうと黒麒は思った。今回は粉薬はない。大人しく薬を飲んだのもそれが理由だったのだろう。
 龍はメモリアの診察を受けたことや、黒麒に面倒をかけてしまったことを聞いて申し訳ないと頭を下げる。黒麒は面倒をかけるのは別に構わない。だが、1人で頑張って探すのではなく、他の人も頼れと静かに怒り、その言葉を聞いた龍は頷いた。
 龍が倒れてからもエリスたちは白龍を探していた。その報告にエリスたちは龍の部屋へとやって来た。しかし、手がかりはないと言うと、龍は見るからにがっかりしてしまった。だが、そのあとに続いた言葉に驚いた顔をしてエリスを見上げた。
 リシャーナが帰ってこない。それを聞いての反応だった。確かに、部屋にはリシャーナ以外の全員が集まっていた。ただ1人、リシャーナがいない。今まで長くリシャーナが帰ってこないということは一度もなかった。だが、白龍がいなくなった日。探しに出かけてから一度も帰ってきていないのだ。それはリシャーナが、白龍を心配しているということなのだろう。帰ってくるくらいなら、何処かの宿に泊まりすぐに情報収集出来るような場所にいたいのだろう。それに、彼女のことだ。何か重要な情報が聞けたのなら帰ってくるだろう。
 白龍とは話しをしている様子は少なかったが、リシャーナなりに心配はしているようだ。それらを話すと、しっかりと休んで風邪を治せとだけ言ってエリスたちは部屋を出て行った。龍は大人しくベットに横になり目を閉じた。リシャーナが戻ってこないというのは少々驚いたが、彼女の情報収集能力は分かっているので、早く何か重要な情報を入手して帰ってくることを待つしかない。
 龍は目を閉じると、白龍を感じることが出来た。それは、離れてからはじめて知ったことだった。目を閉じることで離れている白龍の存在を感じられるのだ。これは『黒龍』の対が『白龍』だから分かるのか。そうだとしたら、白龍も分かるのだろうか。それだけじゃない。もしも、他に『龍』がいるのならば。彼らも分かるのだろうか。今の龍には白龍しか感じ取ることが出来ないが、そのうち分かるようになるのだろうか。それとも、知り合っていなければいけないのだろうか。今の龍には分からない。この力もいったい何なのかも分からないのだから。
 白龍が何処にいるのか、何をしているのかは分からない。それでも、生きているということだけは分かった。だからこそ、早く見つけてあげなければいけないと焦ってしまっていたのだ。こんなときだからこそ、他の人も頼らなければいけないというのに。まだルイットにいるのではないかと考え、ルイットに行っていたのだ。もしも、この世界に監視カメラでもあれば白龍が何処へ行ったのかが分かったかもしれない。誰かに誘拐されたのであれば、それが誰か分かったかもしれない。だが、この世界に監視カメラなんか存在しないのだ。確認なんか出来るはずもない。
 もしも、自分が『黒龍』の力を使うことが出来れば。前代『黒龍』の生まれ変わりだったら。『白龍』の居場所が分かったのではないかと考え首を横に振る。
 ――もしもなんて考えても、どうすることもできない。
 とにかく今は、ゆっくり休もうと考えて体から力を抜いた。すると、体はやはり休息を欲していたようですぐに眠りの世界へと誘われて行った。早く白龍が見つかれば良いと考えながら夢の世界へと誘われて行ったのだった。







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 嬉しそうに笑顔を浮かべた男は私の前に現れた。その顔は気味が悪い程の笑顔。私に危害を加えないとはいっても、その顔は好きではなかった。
「あれから2日がたったけれど、今から君のお友達になる子を連れてくるよ。大丈夫。心配しないで。私が連れて来るあの子は、とても可愛い子だよ。だから大人しく待っていて、私のツェルンアイ」
 そう言って男は牢屋から離れた。階段を上る足音が聞こえ、扉を開いて地上へと出て行った。静かに扉の閉まる音が聞こえ、地上へと出て行った男の足音は聞こえなくなった。彼に連れて来られるのは一体誰なのか。教えてくれることはなかった。私の友達になる子と言っていたが、もしかして同じ牢屋に入れられるのだろうか。
 知らない子とに一緒の牢屋は正直嫌だ。もしその子が私のいた群れの仲間であれば。誰かが偶然生きていれば。そんなことはないと分かっている。誰も生きてはいないのだから。たとえ生きていたとしても、自由であるはずがない。奴隷として買われるのならばあり得ない話しではないが、連れて来られる子のように誰かに頼むようなことはないだろう。余程欲しい奴隷であれば、直接主人に交渉すれば良いのだから。
 それに、連れて来られる子に仲間はいないのだろうか。もしも仲間がいるのなら、きっと私のときと同じように突然捕まり連れて来られるのだろう。私のように多くの人たちの前で、売られるわけではないのだろうとは思うけれど、知らない場所へ来るのは怖いだろう。仲間がいれば、仲間の元へ帰りたいと願うだろう。
 私には帰る場所はないけれど、もしもその子が安全な子であるならば、その子を守ってでも仲間の元に返してあげたいと思った。仲間がいるのならば、その子は私と違って1人ではないということなのだから。何としてでも返してあげたい。仲間だって心配しているのだろうから。私に出来るかは分からないけれど、仲間の元に返してあげたいと思った。きっと、私とは違うのだから。
 私の名前は、ツェルンアイ・ガリン・ゲンファー。仲間を失い、同時に群れを失った災いをもたらす孤独な一匹狼。





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