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第二章 後悔

後悔2

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 エリスは馬車が多い通りへ出て、ルイットまで乗って行こうと考えて歩いていた。徒歩であれば2時間かかってしまうが、馬車であれば30分程度で行くことが出来る。何人乗っても値段は変わらないため、この暑さの中徒歩で時間をかけて行くよりも、お金はかかるが暑さが和らぐであろう馬車で行った方が良い。
 ヴェルリオ王国であっても選んだ馬車によっては、値段がとても高いものもあるため注意が必要である。そのためエリスが乗る馬車は、数回乗ったことがある者が馭者をしている信用のできる馬車のみだ。
 しかし、何故か今日に限ってその馬車が見当たらない。美しい白馬が引いている馬車が1台も見当たらないのだ。白馬は少し値段が高いため、お金に余裕のある者が連れているのだ。お金に余裕のある馭者は、信頼されているためお客が寄ってくる。休む時間すらないことも多い。
 そんな彼らがいないのは偶然休みなのか、他の客が乗ってしまったのか。今まで一度もなかったことに、エリスはどれに乗るか迷って立ち止まってしまった。
 だが、立ち止まってしまうと周りの馭者がうるさいのだ。客引きなのだが、悪質な者はストーカーのごとくついてくる。歩いてもどこまでもついてくるのだ。だからエリスは無視して考えていたのだ。どれが一番まともなのか。一番安いのか。
 残っているのは、多くの人が知っているような値段が高い馬車のみ。今日は偶然休みであったか、客が多かったのだろうということにした。そう考えなければ納得出来なかったのだ。仕方なくうるさい馭者は無視し、一番まともそうな馭者に声をかけようと歩きだそうとした。しかしそれは、目の前で止まった馬車によって出来なかった。
「何処かに行くのか?」
 聞き覚えのある声だった。だが、声の主は馭者ではない。彼が馭者をしている姿なんて、片手で数えることができる程しか記憶にない。顔を上げて声の主を確認するとそこには思っていた通りの者がいた。
「珍しいわね。アルトが馬車だなんて」
 馭者をしていたのはアルトだった。彼は自らの足で手紙を届けるため、馬車に乗ることはあまりない。ましてや馭者として馬車に乗ることの方が少ないのだ。
 ならば何故アルトが馭者として馬車に乗っているのか。その答えは一つだろう。
「重い荷物が多くて手が足りないらしくて、駆り出されたんだよ。せっかく休みを貰ったのに、別の日を休みにしてもらって今日は思い荷物の配達の手伝いさ」
 少し疲れているように見えるのは、休みに駆り出されたからだろう。アルトのことだから、前日まで手紙を配達するために走り回っていたのだろう。翌日が休みだと分かっていれば、多少無茶をしてもゆっくりと休むことが出来るから。だから翌日のことを考えずに、前日は頑張ったのだろうと予想がつく。
 だが、配達を終えて帰ってきたときに言われたのだろう。翌日も手伝ってほしいと。他の人が断っても、アルトが断ることは余程のことが無い限りないのだ。だからこそ、配達を頼んだのだろう。もちろん、アルトは断らなかった。だからこそ、ここにいるのだ。
 とても疲れている。それなのに休むことが出来ない。時間的にも今日の配達をはじめたばかりだろう。疲れているのはそれが理由だろう。欠伸を噛み殺し、涙を浮かべている。それでも、自分の仕事は全うする。
「それで、何処に?」
「ルイットに行こうと思ってるの」
 それを聞いたアルトは口元に笑みを浮かべた。まるで、丁度良かったとでも言いたげだ。その笑みの理由が分かったのかエリスも笑みを浮かべた。
「荷物が多くて2人しか座れないけど、それでも良かったら乗ってくれ。僕もルイットに行くんだ」
 帰りは送ってあげられないけど、と言って下りると扉を開いた。そこで白龍と目が合う。お互いはじめて会ったのだが、アルトは龍と白龍を見比べて1人納得するかのように頷いた。別に白龍が龍の子供と思ったわけではないだろう。見ただけで分かるのかは不明ではあるが、『黒龍』の対である『白龍』だろうと分かったのだろう。
「はじめまして。僕はアルト・スピーディム。郵便配達員だよ。君の名前を教えてもらっても良いかい?」
「……僕、白龍」
 エリスと仲良く話していたので、悪い人ではないと分かってはいるのだろう。それでも白龍にとっては、はじめて会った知らない人だ。少し怖いのか龍の服を強く握り、僅かに体を龍の後ろに隠している。
 アルトも無理に触れたりはせず、よろしくと言って馬車に入ると2人が座れるようにスペースを作る。向かい合わせに座れるように荷物を移動し、落ちてこないことを確認して下りてエリスたちに乗るように促す。
 先にエリスが乗ると扉のそばに空けた馭者側のイスに座った。そしていつの間にか九尾の姿となった白美が乗り込み、エリスの足元で邪魔にならないように座る。馬車の中は狭くはないのだろうが、荷物が多いため狭く感じられた。
 龍は白龍を抱き上げて馬車に乗ると、エリスの向かいのイスに座り、抱いていた白龍を膝に座らせる。それを確認してアルトは扉を閉めた。多くの積まれた荷物が落ちては来ないかと龍は不安になりながらも馬車はゆっくりと走り出す。荷物の全てがルイットなのかと箱を見ると、中にはクロイズ王国と書かれている荷物もあることから、ルイットで荷物を届けたらクロイズ王国へと向かうのだろう。
 アルトは積まれている荷物が倒れたりしないように注意しているのだろう。街から出ても速度があまり出ていない。馬車に乗ったのがはじめての白龍は黙って窓の外の景色を見ている。ヴェルオウルからは片手で数えることが出来る程度しか出たことがないため、見るもの全てが新鮮なのだ。ルイット方面へは一度も行ったことがないため、尚のことだろう。
 森を抜けて、ルイットへ入ると噴水のそばで止まった。前回ルイットへ馬車で来たときと同じ場所に止まったのだが、馬車が止まることが出来るのは決まっているのだろうか。二度しか訪れていないため、龍には分からなかったがそう思った。
 アルトが扉を開き、先に白龍を抱いて下りた龍は邪魔にならないように横へとずれて周りを見渡した。まだ10時になったばかりだからだろう。歩いている人は少ない。お昼になれば人が多くなるだろうが、今は大丈夫だろうと白龍を下した。人が多ければ幼い白龍が歩くのは危険だろうが、今はぶつかる程人は多くないのだ。
 それに、アルトがここにが馬車を止めたのは邪魔にならず危険ではないからだろう。建物の近くには馬車が止まっている。しかし、多くが荷物を運んでいるものであり、人が絶対に飛び出して来ないとでも思っているのか速いのだ。そんな所で下されたら、もしかするとぶつかるか、ぶつかりそうになり怪我をしてしまうかもしれない。
「それじゃあ、僕は行くよ。見ての通り、今の時間は宅配馬車が多いから気をつけて。自分たちが悪くても、相手が悪いって言うような人ばかりだから」
 そう言ってアルトはルイットに何をしに来たのか聞くかともなく馬車を走らせた。アルトが届ける荷物は全て店ではなく、一般の人たちへだったようで、住宅街の方へゆっくりと向かって行った。アルトの言葉から、配達という仕事はストレスが溜まる仕事なのかもしれないと龍は思いながらアルトの馬車を見送った。アルトももしかすると、何度か相手が悪いのに自分の所為にされたことがあるのかもしれない。
 馬車が見えなくなると、龍ははぐれないようにと白龍と左手を繋いだ。人が少ないとはいえ、何処かへ行ってしまうかもしれないからだ。幼い子供の行動力は凄まじく、ときに思いもよらないことをするものなのだ。
「それじゃあ行こう!」
 そう言ったのは、馬車を下りるときに人型に戻ったであろう白美だった。歩き出した白美の様子から、何度か食べに訪れているだろうであろうことが分かる。店は他にもあるが、そこへ立ち寄らないのはアイスがないからなのだろうか。それとも、他に美味しいアイスを売っているお店があるからなのだろうか。
 サトリの店がある場所とは反対に進んで行く白美の後ろを、3人はついて行く。ヴェルオウルとは違い、ルイットでは飲食店などは建物の色で分かるようになっているわけではないようだった。ナイフとフォークが描かれた看板や、服が描かれた看板などがあり、それを見て判断するようだ。中にはハサミが描かれているものもあり、散髪をしてくれるお店であろうことが分かる。
 アイスを売っている店もナイフとフォークが描かれている看板があるのかと思っていると、白美が一軒の店の前で立ち止まり龍たちを振り返った。白龍のペースに合わせて歩いていたため、少々離れていたが、白美は大人しく待っていた。
「ここのお店だよ!」
 近づいた龍たちに嬉しそうに言う。龍は看板を見上げると、小さく「うん」と言った。
 その看板にはナイフとフォークは描かれていなかった。代わりに、ソフトクリームの上だけにスプーンだと思われる棒が刺さっているものが描かれていた。しかもそのソフトクリームは角張っており、柔らかそうには見えなかった。この世界のアイスはもしかするとそういうものなのかもしれない。木本来の色である看板に描かれているアイスが、もしも角張っていなかったら。そう思ってしまった龍だったが、小さく首を横に振った。
 一瞬別のものを想像した龍が大きく数度首を横に振った姿を見上げていた白龍が、不思議そうに首を傾げた。何でもないと言うと、白美とエリスが扉を開いて中へと入るのでそれに続く。先に白龍を入れて、木の扉が閉じないように押さえていたエリスに礼を言って中へ入る。
 店内は広かった。奥行きがあり、20人程の人が入店したとしても狭くは感じないのではないかと思える程だった。時間が関係しているのか、店員は1人しか見えない。他の店員はカウンター奥に見える扉の向こうにいるのだろうか。流石に店に店員1人とは考えられなかった。もしも何かあったときに対応出来ないからだ。
 ガラスケースの向こうに立つ店員は、エリスたちを「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えた。もしかすると、内心は龍に驚いているかもしれないが、見た感じそうは見えなかった。ルイットには様々な種族がいるため、見慣れているのかもしれない。
 ガラスケースは高さがあるため、白龍には見えないだろうと思った龍は白龍を抱き上げた。抱き上げられた白龍が右手をガラスケースに触れると、どうやら冷たかったようですぐに龍の服を掴んだ。
「いくつになさいますか?」
「子供1人、大人3人分でお願いします」
 白美にそう言われた店員はプラスチックのカップを四つ用意した。一つは子供用なのか小さい。ガラスケースの中には正方形の皿が五つ置かれていた。その上にはそれぞれ大きさの違う正方形のアイスが乗っている。そして、皿の左右には水色の10センチ程の玉が置かれていた。どうやら魔法玉のようで、冷気を封じ込めてアイスが融けない程度にそれから放出されているようだ。六つ置かれている魔法玉は1日何度取り替える必要があるのかと疑問に思ったが、龍は尋ねることはしなかった。
 皿に立てかけるように置かれている紙には、それぞれのアイスの大きさが書かれていた。全て高さ1センチ。そして大きさが、1センチから5センチの5種類。店員だけではなく、客にも分かるようにと置かれているそれは、注文の仕方によっては同じサイズを頼むことが出来るのかもしれない。
 店員はアイストングのようなもので5センチのアイスを掴むとカップに入れた。次に4センチと続き、最後に1センチを乗せて5段のアイスで完成のようだ。それに3段目あたりにスプーンを刺すと、次に取り掛かる。
 同じものを合わせて三つ作ると、次は3センチのアイスをカップに乗せた。子供用は3段のようだ。スプーンを2段目あたりに刺して、他の三つと同じように並べた。値段は何処にも書かれていないが、いくらになるのだろうか。
「四つで1944スピルトになります」
 大人用が540スピルトで、子供用が324スピルト。抱き上げていた白龍を左腕にもたれかけさせて、右手でポケットに入れていたお金を取り出しガラスケースの上に1万スピルトを置いた。財布を取り出そうとしていたエリスよりも早く置いたため、店員がすぐに会計をする。
「1万スピルトいただきましたので、8056スピルトのお返しとなります」
 そう言った店員だったが、龍はガラスケースに置かれた子供用のアイスを白龍に渡し、大人用も一つ取ったため両手が塞がっていた。代わりにエリスが受け取り、財布に仕舞う。財布を購入するときにでも渡せば良いと考えながら。
 白美とエリスもカップを取り、礼を言うと白美が扉を開けて店から出た。店の外で白龍を下し、美味しそうにアイスを食べる白龍の頭を撫でてから龍も一口食べてみた。
 看板と同じように角張っているアイスは、柔らかくはなかったが固くもなく、口の中に入れると溶けるようだった。白龍が美味しそうにして食べているのも納得がいく。
 味はバニラに近い。しかし、そこまで甘くはなく癖もない。これならば、あと数個は食べられるだろう。カロリーや体が冷えることを気にしなければ、だが。
「美味しいな」
「龍のいた世界のとどっちが美味しい?」
「俺のいた世界は種類が多くて、色も一色じゃなかったからな。このアイスと似た色のものならもっと甘かった。それに、もっと柔らかい。どっちが美味しいかと聞かれると、決められないな」
 このアイスも美味しいし、元の世界のアイスも美味しかった。ただ、施設に入ってからは一度しか食べていないのだが。記憶を遡り、元の世界のアイスを思い出しながら言った。
 そう話してる間に白美はアイスを食べてしまったようだ。一気に食べて頭が痛くないのかと聞きたくなるが、白美は氷を操るのだ。もしかしたら、痛くなることがないのかもしれない。そう考えると、氷を操る者は羨ましい。たとえかき氷を食べても頭が痛くならないのだろうから。
「みんなが食べ終わったら龍の財布を買いに行きましょう」
 食べ終わった白美を見ながらエリスはそう言った。龍は今現在、お金をポケットに入れている。そのため、財布の購入も目的の一つだったのだ。忘れてはいなかったのだが、龍はこのまま帰っても良いと思っていた。
「このアイスより美味しいのを知ってるんだけど、そのアイスって気まぐれで売りに来るから食べたいって思ったときに食べられるとは限らないんだよね」
 白美が言うのだから余程美味しいのだろう。食べてみたいが、気まぐれで売りにくるということは、店はないということなのだろう。少々残念ではあるが、仕方がない。
 もしもまたルイットに来たときに、アイスを売る人物がいれば、そのときに購入すれば良い。しかし、アイスを売っている人物が誰かは分からないので白美を連れてこなければいけない。エリスも知っているかもしれないが、白美ならルイットへ行く場合はついてくるだろう。もしも食べたいと思ったときに、ルイットへ誘ってみるのも良いかもしれない。
 カップに残っていた最後の一口を龍も食べ終わった。
「龍、アイス、食べ終わった」
 どうやら白龍も食べ終わったようで、服を引っ張る白龍からカップを受け取り、自分が持っているカップに重ねる。何処かにゴミ箱があればそこに捨てれば良いと考えて持ったまま移動するつもりだった。しかし、白美がアイスを食べ終わったエリスのカップと龍が持つカップを回収すると、先程のお店の中へと入って行った。
 龍は気がつかなかったが、店内にゴミ箱があったのかもしれない。もしかすると、店員に渡しているのかもしれない。ゴミ箱が無ければ店員が受け取り、ゴミを捨ててくれる場所もあるのだ。
「さて、それじゃ行きましょうか」
 そう言ったエリスの向かう場所は、財布が売っているお店だ。アイス屋へ向かっている途中に、財布を売っているお店があったのだが、どうやら目的はそのお店ではないようで通り過ぎてしまう。
 小走りで追いかけてきた白美と合流し、たどり着いた場所は、馬車から下りた噴水の見えるお店だった。噴水の近くにある数軒のお店は、店内が見えるように通路に面している壁の一部がガラス張りになっていた。子供には見えないが、大人であれば見えるであろう上半分がガラス張りだった。
 それには理由がある。お店の多い通りは、よく馬車が通るのだ。速度を落とさない馬車も多い。そのため下半分もガラス張りにしてしまうと石が飛んできて、ガラスが割れてしまうことがあるのだ。そのため上半分だけをガラス張りにして、店内を見えるようにして興味を持った人が入りやすくしたのだ。上半分だけをガラス張りにして、ガラスが割れないということはない。石が高く飛び、ガラスに当たれば割れることもあるのだ。この世界のガラスはあまり丈夫ではないのだ。少しの強い衝撃でも割れてしまう程に。
 店内の様子を伺いながら歩いていると、あるお店の前でエリスは立ち止まった。そのお店の店内を見てみると、多くの財布が並んでいた。数人の客もおり、財布しかない様子からこのお店は財布専門店だと分かる。
「さあ、ここよ。好きなのを選ぶと良いわ」
 そう言って店の扉を開いた。店内へ入ると、店員が声をかけてきた。どんな財布が良いのか、誰が購入するのか。正直龍は、店員に声をかけられることが苦手だった。自分のものは自分で決めたいのだ。わざわざ商品を勧めて、それを購入するように促されるのは嫌だった。
 どうやらエリスも同じだったようで、然り気無く断っている。店員がいればゆっくり見ることが出来ないし、選ぶこともできないのだ。エリスの言葉を聞いて、頭を下げると店員は離れていった。
 正直な所、龍は長財布が良かった。しかし、長財布が入るようなものは持っていない。ポケットに持ち歩くことを考えると、二つ折りの財布が良いだろう。そう考えて、二つ折りの財布が並べられている棚へと近づいた。種類が多く、子供用も含めて見やすいように綺麗に並べられていた。
 水色の財布もあったが、水の色のためお金が流れると聞いたことがある。そのため手に取ることはしなかった。黄色や金色は金回りが良くなるというが、入ってくるが出ていくということでもあるため、手に取り見てから元の場所へと戻してしまう。もしも良いのがなければ、今手に取った財布にしようと考えた。入ってくると考えれば黄色は魅力的ではあった。出て行くということを考えなければだが。
 しかし、ある財布が目に入った。それは、黒色の財布。良いとも悪いとも聞かない色。それに、たとえ汚れてしまっても汚れは目立たないだろう。だが、目に入った一番の理由は黒色だからというわけではない。
 財布の右下に刺繍がしてあったのだ。それは、白い龍だった。黒龍の対となる白龍が姿をかえたらなるであろう姿。翼を広げて、今にも飛び立つのではないかと思ってしまうその姿は、とても龍を引きつけるものだった。
 財布を手に取り、値段を確認する。今の手持ちで購入することができる金額だった。手に取った黒い二つ折りの財布に決めると、他の財布には見向きもせず歩き出した。
 白美は白龍と一緒に財布を見ており、エリスは何も言わずに龍の後ろに続く。会計には誰も並んでいなかったので、支払いには時間はかからなかった。
「1万2420スピルトになります。今新しいものを出しますね。こちらは、プレゼント用ですか?」
「いいえ、自分用です。すぐに使いますので、袋に入れなくても大丈夫です」
「では、タグを外させていただきますね」
 店員の言葉に龍はそう答えると、ポケットからお金を取り出した。それは1万スピルトだった。そこで龍は思い出した。先程アイスを購入して、おつりを貰っていないことを。これでは払うことが出来ない。
 そう思っていると、背後から手が伸びてきた。その手はエリスだった。龍が置いた1万スピルトの上に3千スピルトを置いた。
 そのやり取りを視界の端で確認しながら、店員はカウンターの下から5個の箱を取り出した。中身を確認し、4個の箱をカウンターの下に戻してしまう。そして残った箱の蓋をカウンターの上に置いて、財布が同じものであるかを龍に確認して貰うために取り出した。間違いがないことに頷くと、店員はハサミを取り出してタグを外した。
「1万3千スピルトでよろしいですか?」
「はい」
 タグを外した財布をカウンターに置いて尋ねる店員に答えたのはエリスだった。店員は間違いがないか、金額をもう一度確認する。
「580スピルトのお返しです。おつりに間違いがないかご確認ください。それと、こちら品物になります」
 おつりは龍が受け取り、財布はエリスが受け取る。お礼を言って歩き出すと、白美と白龍に声をかけてエリスは扉を開いた。財布を見ていた2人はすぐに追いかけてきて、全員が店から出たことを確認して扉を閉めた。
「ほら、小銭をずっと持っていないで財布に入れなさい」
「ああ」
 財布のファスナーを開いて渡すエリスから受け取ると、小銭を入れてファスナーを閉めた。ポケットに財布を仕舞おうとしたが、エリスに差し出されたものを見て動きを止めた。
 それは5千スピルトだった。何故エリスがそれを差し出しているのか分からず、受け取らずにエリスの目を見た。何が言いたいのか分かったようで、エリスは小さく溜息をついた。
「これは、さっきアイスを買ったときのおつりよ。それに、さっき出した3千スピルトもね」
 おつりのことを忘れていたのだと知って、エリスは溜息を吐いた。アイス屋で受け取らなかったのはわざとではなかったのだ。ただ、おつりのことを忘れていただけなのだ。
 差し出された3千スピルトを受け取り、財布の中に仕舞う。結局白龍のためにお金を使おうと思っていたのに、アイス以外何も買ってあげていない。
 今すぐ買わないといけないというわけではないが、帰る前に何か買ってあげたいという気持ちはあるのだ。白美と一緒にいた白龍が、突然龍に抱きついてくる。少々勢いが良かったため痛かったのだが、龍が頭を撫でてあげると嬉しそうな顔して見上げてきた。
「白龍、何か欲しいものはないか?」
「欲しい、もの?」
 突然欲しいものを聞かれても思い浮かばなかったのだろう。首を傾げて考える白龍だったが、欲しいものが思い浮かんだのか龍の服を引っ張った。
「本、欲しい」
 白龍は本が好きだった。知識を得るために必要なものの一つで、龍の部屋にある本棚は白龍の絵本やノートが多く並んでいる。子供が読むような本もあるが、大人が読むような難しい本の方が多い。数冊のノートは全ページが埋まっており、一冊目と今使用しているノートを見比べると文字もしっかりと書けており内容も難しくなっている。正直、知識は龍よりも白龍の方が豊富かもしれない。
 ページが全て埋まると、アレースが買ってくれるようで、新しいノートは必要ないようだった。白龍が欲しいと思う前に、アレースが何も言わずに購入してくるのだ。まるで初孫を喜ぶかのようだ。だから、白龍がそれ以外で欲しいものは本だったのだ。
 本もアレースが白龍のためにと購入したり、図書室や図書館で不要になったものをプレゼントしてくれることもある。しかし、白龍が本を自分で選んではいないのだ。だから、自分で本を選びたいのだろう。もしかすると、今欲しい本があるのかもしれない。
「本か。それじゃあ、帰る前に本屋にでも寄ろうか」
「買って、くれるの?」
「ああ。白龍が欲しい本を買ってあげる」
 余程嬉しいのか、目を見開いて口元に弧を描く白龍は僅かに震えている。それは、表情を見れば寒いというわけではないと分かる。口元に笑みを浮かべて頭を撫でてあげれば、目を閉じて大人しくしている。撫でられることが好きなのか、嫌がることもなく大人しくしている。
 いったい何冊強請られるのか、いくらの本なのかは分からないが、もしも足りなければエリスに少し借りて、帰宅したらすぐに返せば良いと考えた。正直お金は借りたくはないのだが、すぐに返すのであればエリスも借りることについて怒ることはしないだろう。
「あれ? あれは……」
 頭を撫でている龍の横に移動した白美が噴水の方を見て声を洩らした。何かを見つけたのか、白美は小走りで噴水広場へと向かって行ってしまった。エリスが白美に声をかけるが、気がつかなかったのか走って行ってしまう。
 何を見つけたのかと龍とエリスは顔を見合わせた。2人共白美が走って行ってしまった理由が分からなかった。先にエリスが歩いて白美を追いかけて行く。その後ろを、手を繋いだ龍と白龍が追う。もしかすると、手を繋ぐのは白龍ではなく、白美の方が良かったかもしれないと走って行った白美を見たあとに思ってしまう。彼女は大人ではあるが、行動や言動が子供のようなことが多いのだ。だからといって、今後白龍ではなく白美と手を繋ぐのかと問われても、龍は決してしないだろう。それに、白美も嫌がるであろうことが目に見えて分かる。
 てっきり何処かへ行ってしまったのだと思っていた白美は、広場にいた。首を傾げて一点を見つめている。見つめる先にいるのは、台車を引いて来たであろう1人の男性。台車の上には一つの大きな銀色の箱。その箱は太陽の光を反射して、とても眩しい。何が入っているのか龍には分からなかったが、エリスには分かったようだ。
「あら、今日はあのアイス売りの人じゃないのね」
 どうやら、あの人はアイス売りのようだ。この世界のアイス売りはどうやら銀色の箱にアイスを入れて、溶けないようにしているようだ。もしかすると中には先程のアイス屋と同じように魔法玉が入っており、冷気を封じ込めて少しずつ放出しているのかもしれない。箱の大きさからも二つ程あれば充分中は冷えるだろう。
「うん、違う人。でも、せっかくだから食べてみようよ。ね、いいでしょ?」
「そうね……。さっき言っていたアイスとは違うのだけれど、食べる?」
「ああ、食べる。白龍はどうする?」
「僕、食べる。でも、疲れた。休む」
 白龍が指差したのは、噴水のそばにあるベンチだった。エリスと白美が言うアイス売りの人から直線にある噴水のそばのベンチ。自分たちがアイスを購入するときは後ろに白龍がいることになってしまうが、大丈夫だろうと判断して龍は頷いた。ベンチへと向かう白龍を見て、龍は広場を見回した。
 自分たちとアイス売り以外には、数人が歩いていた。武器を携えている男2人組や、パティシエ衣装の男女。それと、仕事中なのか少し離れた住宅街に止まっている馬車。1人の馭者が乗っており、他の者が荷物を運んでいるのだろう。馭者が下りる様子はないので、他の人もいるだろうと考えたのだ。2人組の男と馭者の男の右腕に腕章がつけられているのを確認することが出来たが、気にすることはなかった。
 見回してとくに問題はないだろうと判断をして、白美とエリスの元へと向かう。数度振り返り、白龍がベンチに座っていることを確認した。白龍の近くには誰もいないし、大人しく座っている。
 2人は龍が来るまでアイスを購入するのを待っているのかと龍は思っていた。何故なら、アイス売りの男性は準備をしていないからだ。しかし、近づいてみるとそうではないようだ。龍は近づいて声をかける。
「どうした?」
「あ! 龍くん龍くん。聞いてよ」
 勝手に話し出す白美が言うには、どうやら男性がアイスを売ってはくれないのだという。それで少々不機嫌になっているようだ。しかし、売ってくれないのには理由があったのだ。それを話してくれたのは男性本人だ。箱の中には確かにアイスがあるのだ。だが、そのアイスは他の人に渡すものなのだ。
 ルイットには病気の子がおり、その子のためにアイスを持ってきたのだ。いつもは別の場所でアイスを売っているためルイットには来ない。しかし、偶然ルイットへ来たときに病気の子に会ったのだという。病院帰りで、いつもは家から出ないため外出しないとアイスが食べれないというその子に、男性はアイスをあげたという。その日から必ずアイスを売る日は、その子の分を残して届けるのだ。
 だが今日は暑さのため、この広場で休憩をしていたという。そこへ白美にアイスを売ってくれと言われても、売れなかったのだ。残ってはいるが、その子供のためのアイスしか残っていない。それでもアイスを食べたい白美は納得がいかない。そのため不機嫌になっていたのだ。白美本人はその子供のために売れないと理解しているのだが、どうしても食べたかったのだ。食べたいと思っていたものが食べれない。
 男性は数回謝るとゆっくりと台車を引っ張りながら住宅街へと姿を消した。アイスを食べれなかったことに残念がる白美に、龍とエリスは小さく笑う。そして、ベンチに座る白龍の元へ向かおうと振り返ったとき、龍は足を止めた。不思議がるエリスと白美には気がつかない。
「白龍?」
 龍の小さな声に2人もベンチを見た。そこには白龍が座っているはずだった。座っているところを龍は確認していたのだから。しかし、そこに白龍の姿はなかった。
 3人は急いでベンチまで走る。周りを確認しても、何処にも白龍の姿はない。噴水やベンチの下。1分程度目を離していただけで遠くへ行っているとも思えなかったが、先程通ってきた道や店へも行った。それでも白龍は見つからなかった。
 たった1分程目を離しただけ。それなのに白龍は姿を消してしまったのだ。
「白龍ー!!」
 噴水の広場へと戻って来た龍は、涙を流しながら叫んだ。その声は震えていた。住宅街や路地裏を探していたエリスと白美にも、龍のその悲痛な叫びは聞こえていた。それだけ大声だったのだ。
 まだ子供である白龍を1人でベンチに座らせて、離れたことを後悔した。目を離してはいけなかったのだ。しっかりしているといっても子供なのだ。子供は興味があるものを見たら、そちらへ歩いて行ってしまうこともある。1分で遠くへ行けるかは分からない。だとしても、目を離してはいけなかったのだ。
 もしも誘拐されたのだとしても、1人にしなければ良かったという後悔しかなかった。龍は気をつけていたのに最悪な結果になったことにショックを隠せなかった。
 その場に両手と両膝をついて泣く龍。その翼は、まるで龍の体を包むかのように広がり姿を隠していた。泣く姿を見せたくないと言う無意識の行動のようだ。
 エリスに声をかけられて、別々に白龍を探していたサトリ。彼が近づき右手で頭を撫でられ、名前を呼ばれるまで龍はずっとその場で泣いていた。
「大丈夫よ。白龍ちゃんは絶対見つかる。泣いていても良い。後悔しても良い。けれど、ここで立ち止まっているのはダメ。私と一緒に白龍ちゃんを探しましょう」
 そう言って左腕を掴まれ、優しく引き起こされる。抵抗することなく立ち上がると、掴まれていない方の腕で涙を拭った。泣いているだけではダメだと自分に言い聞かせながら。
 サトリに腕を引かれ、まだ探していない道へと向かう。龍はエリスたちと訪れていない場所へは行ったことがない。それを聞いていたのか、それともエリスに言われたのか。どうやらサトリは龍と行動するつもりのようだ。
 白龍が入れそうな物陰やお店、すれ違った人に白髪の子供を見なかったかを尋ねながら探したが、誰も白龍の姿を見た者はいなかった。いったい白龍は何処に行ったのか。それは分からなかった。
 噴水の広場へと戻ると、そこにはエリスと白美がいた。しかし、白龍の姿はない。そのことから、2人が探していた場所にも白龍がいなかったことが分かる。
 これだけ探してもいないということは、ルイットにいないか近くにいない可能性が高い。ルイットでの白龍探しはサトリに任せて、3人は馬車に乗りヴェルオウルへと帰って行った。
 エリスはそのまま馬車に乗り城へと向かい、白龍がいなくなったことを話した。すぐに探してくれるようアレースは手配をしてくれた。
 そして家へ帰った龍は俯いたまま何も言わずに階段を上ると部屋へと入ってしまったため、白美が説明をした。話しを聞いても誰も龍を責めるようなことはしなかった。もし責めるのなら、それは龍だけではなくエリスと白美も責めなければいけないと思ったのもある。だが一番は、責めても仕方がないということだ。
 起こってしまったことは、なかったことには出来ない。それに一番龍が傷つき、後悔しているのだ。誰が責めるというのだろうか。家にユキを残し、龍のことを任せて白美と黒麒は城へと向かった。
 悠鳥は不死鳥に姿を変えると、空を飛び何かを見ていないか鳥たちに聞いてまわる。鳥は様々な場所を飛び回るのだ。ルイットにいた鳥もいるかもしれない。リシャーナは自分の得意とする情報収集をするために街を歩きまわった。多くの知り合いに聞いて回っているのだ。
 だが、手掛かりは何もない。龍はアレースからの仕事を全て断り、毎日朝早くから夜遅くまで白龍を探しにルイットへと飛んで行っていた。エリスたちもヴェルリオ王国を探したが、白龍は見つからなかった。
 そして白龍が行方不明になって1週間がたった。白龍を探すために、自分のことを考えずに朝から晩まで動いていた龍だったがとうとう倒れてしまったのだ。






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