頭ではわかっていても

雛田

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頭ではわかっていても

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   冬期、白い白い雪の中。隠されていた灰色の道路。久しぶりに目にしたそいつの上で私たちは。
「もう…限界だよ」
   毎日続いていたメール。たった一言で続けていい理由が崩れ去った。

「朝だよー。起きて!」
    二人の体温が混じり合った布団の中。彼に朝の訪れを知らせる。
「んー」
    眠気を吹き飛ばすように伸びをする。まだ目が開ききっていないけれど。赤ちゃんのような彼が言う。
「おはよ」
    目覚まし時計としての任務を終えた私が次の任務に取り掛かろうとしたとき。捕獲された。
「朝ご飯作るから邪魔」
「いいじゃん。ちょっとくらい」
「いや無理」
    冷たくあしらい台所へ向かう。向かいたいのに。力が性別の壁を越えてくれない。
    子犬のような目を存分に使い、母性を刺激してくる。この視線に弱い。勝てた記憶なんかない。
    目線を逸らし、再び台所へ向かおうとしたが。
「ねぇ。お願い」
「はぁ」
    愛おしさにほんのちょっとのスパイスとして、怒りを加えたため息を二人だけの空間に吐き出して。また二人の体温が布団の中で溶けていった。

    住所も籍もお揃いではないけれど。「好き」って気持ちはお揃いで。ただただ幸せだった。
    今までの人とは結婚なんて考えたことなかったけれど。科学的根拠とかはないから証明できるかわからないけれど。
    なんとなく漠然と。結婚できると思った。ずっと一緒にいると思った。
    幸せでいっぱいだったあの日々。今はもう。

    バルコニーから家の前が見える。肌に触れる風がほんのり冷たい。
    満開だった桜の木はいつの間にか葉桜になってしまった。桃色だけで彩られた木も良いが、散りゆく最期まで楽しませてくれる今が私の中で一番のお気に入り。
    優しく吹いている風が桜の花びらを水面に運ぶ。暗闇に包まれた川に月の光が反射する。花びらが流れゆく様を見ながら私は。
    口紅のついたたばこを置いた。

    彼の髪から滴り落ちる水滴。先にお風呂に入っていた私の髪の毛から香るものと同じ匂いをなびかせ、頬に触れてくる。
「お化粧してるのもかわいいけど、してなくてもかーわーいーいー」
「あ、ありがと」
    彼が何度も言ってくれるので最初よりは慣れてきた。慣れてきたけれど。照れるものは照れる。
「はぁ。本当にかわいい。俺の彼女こんなにかわいくていいのか?死にそう…」
「死なないでよ」
    テンションの上がった彼の表情がコロコロ変わる。彼は誰がどう見ても顔がいい。イケメンに褒められ続けたら嫌でも自己肯定感が上がる。メイクするにしてもナチュラル寄りで仕上げたし、素をきれいにしよう。
    その意識に変わった。

    メンタルが乱れるほどメイクが濃くなる。そう誰かが言った。
    あぁ。こういうことか。目線の先にあるたばこを見て納得する。
    引き算なんて知らない。足し算どころではない。掛け算しそうな勢い。
    自分を守るために濃くなったメイク。何から守るかなんてわからないけれど。ただひたすらに重ね合わせる色と色。
    あの頃の気持ちなんてもう。忘れ去ってしまった。

    ずっと続くと思っていた。私たちの辞書には終わりなんて言葉。持ち合わせてないと思っていた。
「ご飯作るから手伝って」
    ご飯を作るのは私の担当。洗い物は彼の担当。同棲しているわけではないから毎日ではないけれど。お邪魔させてもらっているからには恩返しを。ということで時々、手料理をごちそうしていた。
「洗い物は任せろ!」
    母親の手伝いをする五歳児のように気合いっぱい腕まくりをした彼がスポンジを手に取る。朝に使った食器類を一つ一つ丁寧に洗ってくれる。泡で汚れをぬぐい取り、水道から流れ出るぬるま湯で洗い流す。また次の食器を取り、同じことを繰り返す。
「な、なにやっているの?」
「お皿洗い!」
    私の知っている皿洗いよりも明らかに効率の悪いやり方を実行する彼。全部スポンジで汚れを取ってから、一気にぬるま湯で洗い流した方が。
「こっちの方が効率よくない?」
    私流のやり方を提案してみる。
「けど一回シンクに置いたら汚いじゃん」
「効率悪いじゃん」
「汚いより良くない?」
「えぇ…」
    効率重視の私ときれいさ重視の彼。お互いに一歩も譲らないので、いつまでも決着なんてもの。付くはずがなかった。

「おはよう」
    誰もいない空間に挨拶をする。当然返事なんて返ってこない。返ってきたら困ってしまう。警察や霊媒師など、然るべきところに連絡しなければいけないはめになるなんてこと避けたい。無駄なことを考えているうちに時間が刻一刻と過ぎていく。
    毎朝起きて一番にすること。洗濯機を回す。夜に洗濯物を干すのはとても面倒くさいので、朝の自分に任せる。
    顔を洗って、スキンケアをして、大学向きのメイクを施して。ご飯を胃に入れてから洗濯物干しに手を付ける。これが一番効率がいい。効率の悪いことは大嫌いだ。
    一人になってから自分のやり方にケチをつけてくる人などいないからとても気楽。
 けどほんのちょっと。ほんのちょっとだけ。過去に恋する。

「ゲームしないの?」
    ゲーム好きの彼が問う。
「うーん。上手じゃないしな」
「えー、そっかぁ。じゃあやった事あるゲームは!」
「あー、あれ昔好きだったな」
    一昔前、一部の界隈で流行ったゲームの名を口にする。
「え!俺も!」
    共通のゲームの話ができるのは珍しい。テンションの上がった私たちは久しぶりにそれをインストールしていた。
「俺の名前あまてらすだからフレンド申請して!」
    あまてらす。フレンド検索の欄にその五文字を打ち込む。そして私の目に飛び込んできたのは。
「え、信じたくないんだけどさ?もしかしてこれだったりする?」
    一番上に出てきたプロフィールを彼に見せる。
「そう!これ!」
「えぇ…」
    困惑の表情を浮かべるのも無理は無い。彼の自己紹介の欄に書かれていたのは。
『さくらがすきです』
    さくらって…もしかして。もしかしなくても。
「これって私の事?」
「花の桜かもしれないじゃん!?」
    よくわからない言い訳をした彼。本当によくわからない。けど。
    恥ずかしげもなく好きを公言してる彼にまた。恋をする。

「そういえば、」
    久しぶりに彼といれたゲームを開いてみることにした。
    別れてから当然開く気にもなれず。しかしながら、消す気にもなれず。
    最終ログイン日。
    彼のプロフィールに綴られたその文字はあの日から止まっていた。止まっていたのは私の気持ちだけでなく。
『さくらがすきです』
    その文も何も変わらず。あの日のままずっと。ゲームの中では私たちの世界。それは動いていなかった。
 あの時の思い出が脳に流れ込んでくる。
 一緒にゲームをインストールして。夜通しレベル上げをして。
『私もすきです』
    こんな文。私もプロフィールに打ち込んでみたり。
    久しぶりに見たその文を私は。消去するなんてこと。できるわけがなかった。
    あぁ、甘ったるい。
    初期化できない現実世界にそっと吐き出した。

「もうすぐ出れそうー?」
「うん!」
    髪を巻いて、メイクをして、待ちくたびれそうと言いたげな彼の前に飛び出す。
「今日もかわいい!」
    口角を上げて、目尻とくっついてしまいそうな彼の顔。何も発さずただ見つめてくる。満足。堪能した。という表情を浮かべた彼は。
    プシュッ。
    鎖骨に振りかけられた香水は体温でとろけ、いつもの彼を包んでいく。
「それ好き」
    優しい柔軟剤のような匂いに好意を示す。
    プシュッ。
    私の首元にも同じ香りを振りかけてくれた。
    お揃いが増えたこの瞬間。好きの濃度が濃くなった

「ごめん。今日のデートパスで」
    文面に並んだ十三文字。すれ違いが始まる合図。
    けど我慢。私が我慢しておけば大丈夫。

「電話したい」
    甘えてくる五文字。了承の意を示したら。
「じゃあゲームしたいから二時まで待ってて」
    二十三時四十五分を指す時計を見ながら私は。
    んーん。大丈夫。私さえ我慢すれば。

「お皿洗い手伝ってー」
    彼を呼ぶ八文字。
「めんどいからやっといて」
    大丈夫。我慢。我慢…。
「……よ」
「ん?」
「私のこと…都合のいい女扱いしないでよ」
「…ごめん」
    我慢しなきゃ。頭ではわかっているのに。口が思考を追い抜かす。
「そっちが誘ってきたくせにデートドタキャンって何?」
「電話もゲームもってわがまま過ぎない?」
「お皿洗いのやり方も効率悪すぎるし」
    目の奥が笑っていない彼が目の前にいる。あぁ。言い過ぎた。
    どうすればいいのか。最善策にたどりつけなかった私は。
「ごめん」
    最悪な空気を醸し出すこの空間にそれだけを言い残して彼の家を飛び出した。

    寒い。さっきまで怒りで熱せられていた身体は冬の気温には勝てず、すっかり冷えてしまっていた。所々灰色の道が姿を現している。
「言い残して逃げてんじゃねーよ」
    私の背中を追いかけてきた彼。間髪入れずに続ける。
「前々から思ってたけどさ」
    関係の壊れる音がする。
「被害者意識強すぎて疲れる」
「そっか」
「うん」
    沈黙の隙間を埋めるように割合の多くを水分が占めた雪が降る。
「別れよっか」
    言いたくなかった言葉。言う予定のなかった言葉。
「え。別れるの?」
    言われる予定のなかった言葉。思わず間抜けな声を出す彼。
「もう…限界だよ」
    性格が合わない。そんなこと二人ともとっくのとうに気付いていた。口にしなかっただけ。目に見えない溝が深くなって。
    今。決別してしまった。

    あっ。この匂い。
    残り少なくなってしまった深い深い赤色の口紅。そいつを買い足すために歩いていた私の中に飛び込んできた匂い。
    鼻腔に染みついた香り。大好きだったあの香り。
    思い出と共にほんのちょっとの吐き気も押し寄せてくる。胸焼けしそうなくらい甘い匂い。
    同じ香水使っている人いるんだ…。香りの持ち主を探すとそこには。
    少女漫画の主人公にでもなった気分だった。街中で。すれ違う瞬間。周りがスローモーションに見えて。彼だけがきらめいていて。足が止まる。
    息をするのも忘れてしまって。自分でも笑っちゃうくらい主人公気取り。
「あっ」
    向こうも私の存在に気が付いてしまった。

「久しぶりだね」
    何故ここにいるのか。わからない。流れに身を任せていたらいつの間にか彼と二人で近くのカフェに来ていた。
    前髪が伸びて分けるようになった彼とメイクが濃くなった私。
    苦味で構成された茶色の飲み物と白と赤が混ざって桃色になった飲み物。
    私たちは向かい合って思い出話に色を付ける。
「雰囲気変わったね」
    あなたと別れたからだよ。自分を守るために濃いメイクが得意になっただけだよ。なんて本音を隠して。
「変わったかもー」
    当たり障りのない返事をしてみたりする。
    あれが楽しかった。これも楽しかった。二人でただ過去に浸る。
「一年半くらいだっけ。別れてから」
「たぶん?」
「あっという間だったなぁ」
「そうだね」
    また当たり障りのない返事をしてみる。
    君の中ではもう一年半。私の中では。まだ一年半しか。
    君のいない時間は長かった。退屈すぎて。
「戻りたいな」
    ボソッと呟く。
「んね」
    切なそうな表情で同意してくれる彼。
「復た縁を戻そう」
    どちらもその言葉を言わずに解散した。
    復た付き合いたいわけではない。ただ。ただ。こんな結末になるなんて想像もせず、幸せだけを更新し続けていた私たちに。あの日々に。戻りたい。
    当初の予定通りドラッグストアに足を運んでみたけれど。手に取ったリップを見て私は思う。
    こんなのいらない。買ってももう使わなくなりそうだから。

    一人でたばこを吸いながら思い出す。過去を。
『未練』
    この気持ちは未練なのだろうか。答え合わせのやり方がわからないこの問い。全てを終わらせてしまったあの日から。ずっと。考え続けていた。
    未練は過去に恋するから生まれる。
    過去はもう戻ってこないのに。昔とはすっかり変わり果ててしまっている今があるというのに。
    未練は縁がない人を追いかけ続けるから生まれる。
    縁がある人とはまたどこかで巡り逢える。縁がある人を大切にするべきなのに。
    無駄な恋心を追い求めるから一番大事なことに気が付けない。
     恋する人間はおろかだ。大事なことに気づかず毎日毎日。今日という日を消費する。思い出はすべてきれいにして。
    記憶に。過去に。恋する。
「ほんと馬鹿みたい」
    口紅が付いてしまったたばこの火を消して。思い出と一緒にしまい込んでいた粘膜色のリップを手に取った。
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