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【2‐1】生と死と
満ちぬ想い
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ソロルに言われたように、来た道とは別の道を行く。瘴気が漂い、じりじりと体力が削られる。魔界は方向感覚も狂いそうな場所だ。
案内された道は明るく、魂も幽体も多かった。心なしか、瘴気は薄く感じられる。
圭白はここに詳しいようだ。この帰り道を見覚えのある場所だと言っていた。番人をしていた三人はティアマラント兄弟と親しい様子だったし、詳しいのも頷ける。
魔界に来てから言葉が少ないコーディは、執筆のためにこの場を目に焼きつけているようだ。確かに生きている人間が来る場所ではない。皆が知らないこと、真実を伝えるべきだと彼女なりの努力は認めたい。問題はその真実を持ち帰って広めたあとで魔界から怒られないかが心配だ。
ローズは抱えている恵子に解毒を試みていた。水を飲ませては吐かせている。獣医とは聞いていなかったが、医者のスキルから、ある程度は診れるのかもしれない。処置をしながら歩くので、少し遅れ気味だが気になる程度ではない。視界には入っているし、本人もはぐれまいと意識していた。
ジェフリーはミティアに何もできないのがもどかしかった。
今にも泣き出してしまいそうなミティアの手は、まだこんなにも暖かい。ほかの手を考えなければ、彼女は衰退していく。今は魔力を失った状態で、魔法が使えない。
次の変化が怖かった。歩けなくなるのだろうか。何かを忘れてしまうのだろうか。これから、何がミティアを壊すのだろうか。
追い詰められたのはジェフリーの方かもしれない。何か案はないかとこの段階で考え込んでいた。好きな人に何もできないのがもどかしい。
アイラの横でサキが暗い表情をしていた。
「サキや、どうしたんだい? さっきから暗い顔をして……気分が悪いのかい?」
ミティアを気にしているのかと思ったが、どうも違う。瘴気にあてられ、気分が悪いのか。いや、もっと思い詰めている様子だ。
「いえ、今は切り替えます。でも、あとで考えないと」
悔しそうな表情だ。やはり何か思い詰めている。それでもサキは、雑念をしまい込もうとしていた。
一行は明るい道を行く。違う道であるせいか、気にするものが多い。ソロルは正門を使えと言っていたが、黒い壁に途切れがある。その跡切れが門とでもいうのだろうか。漂う魂も幽体も、見知った者がいないかと自然に探していた。
圭白は帰り道のサポートもする。
「向かっているのは正門です。普段はこの近隣から来るので、わかるところでよかった。こちらは、最近亡くなった者と思えばいいかもしれません。時差や多少の優先順位はありますが、これから選定を待つ者でしょう。もしかしたら、自分が亡くなったとわかっていないかもしれません」
それにしては数が多い。ギルドで見た、世界の混乱と何か関係があるのかもしれない。
幽体の中には、特に見知った顔は見受けられない。都合のいい解釈だが、それだけは安心してしまった。
ふと、ミティアが足を止めた。つないでいたジェフリーの手から、するりと抜ける。
「どうし、た……?」
ジェフリーはミティアの視線の先に見知った姿を確認した。もう会わないと思っていた。
一同は警戒し、身構えている。ただ一人、アイラを除いて。
「ん? 何だってんだい?」
皆が警戒する理由をアイラは知らない。サキが事情を説明した。
「お師匠様、この人は二度も僕たちの行く手を阻みました。それに、ミティアさんを連れ去った人です」
「ふぅん、あの格好は……」
アイラは人物こそ知らないが、格好に見覚えはあった。
頭に巻いたターバンのような布、ピアスや指輪などのアクセサリーが派手なシフだ。
シフはこちらに気がついたのか、睨むまではいかないものの含みのある笑いをしている。歯を見せ、豪快で下品な笑い方をするのが彼だった気がするが。
ミティアが話しかけようとする。
「あのっ……」
当然だが、ジェフリーはミティアを遮った。シフを睨みつけ、警戒をしている。
シフは鼻で笑う。
「どうせここで争えねぇんだ。死にかけもいるが、生身の人間みてぇだな。お前らは生きてるんだろう?」
雑な言い方だが、歓迎しているように思える。
警戒したが、よく考えるとシフがここに存在する。彼は死んだと確定した。沙蘭で見た血溜まりと肉片、沈むアクセサリーはやはり彼のものだった。
ミティアは皆に振り返り、悲願した。
「お願い、ちょっとでいいの。この人と話をさせて」
ミティアはそっと前に出る。
シフは個人的にミティアに思い入れがあった。表に出すことも、告げることもなかったが、敵対してしまった自分の思いを汲み取ってくれた恩がある。今も仲間に嫌な顔をされながらミティアは自分と話をしたいと申し出た。シフは腕を組んでミティアの言葉に耳を傾けた。
「あなたがした行為、すべては許せない。だけど、わたしの兄さんに騙されていた。いけない知っていても引き返せないと言っていた。でも、どうして最後にわたしを助けようとしたのか教えてほしいです!」
この二人の間に何があったのかは、まだ知らない。だが、ミティアの言い分が正しければ、シフはさらっておきながら助けようとしたとなる。
ジェフリーや竜次を殺すと宣言し、キッドとも刃を交え、コーディを打ち落とし、ローズも怪我をさせられた。
ここにはいないが、竜次もキッドと生き埋めにされそうになっている。
皆にとってはいい思い出がない男だ。
シフはせっかく歩み寄ったミティアに冷たい態度を取った。
「くだらねぇ。過ぎたことだ。俺と違って、未来がある奴を助けようとして何が悪い」
「……」
敵対した。ひどい目に遭わされた。それでも、ミティアは涙を零す。
泣かれるとは思わず、シフは舌打ちをした。調子を狂わされる。
「俺は死んだが、別に後悔はしていない。お前は俺とは違う。道を誤ろうとしている奴がいたら注意してくれる。そういう仲間は大切にしろよ。踏み込み過ぎると後戻りができなくなる。大人ってのは、年を重ねる毎に変なプライドがついて来るからなぁ!?」
シフはミティアと話をしている。それなのに、ジェフリーにも心当たりがあった。何度か、仲間に注意された経験がある。シフも自分たちのように、心を許せる人に出会えていたら違っていたかもしれない。もしかしたら、一緒に歩めたかもしれない。
シフは腕を解き、手を払った。まるで厄介な動物を追い払うような仕草だ。もしくは、一行に早く行けと合図をしているのかもしれない。
「もういいだろ。いつまでも俺にかまうこたぁない」
「ありがとう、わたしに真実を教えてくれて」
「もうすぐ俺も選定される。意識はなかったが、最後にお前をぶっ飛ばして殺しかけたらしいからな。問答無用で転生の道だろう。できるなら、水鏡でこれからのお前らを眺めていたかったけどな?」
最期に見せたのは、歯を見せる下品な笑い方だ。この笑いには、何度も悪い思いをさせられた。
見える範囲で、大鎌のノアールの姿を確認した。何か言われる前にここを出ようと一行はまた歩き出す。
ジェフリーはしゃくり上げ、肩を揺らすミティアの手を握った。どうして彼女はこんなにも人のためを思えるのに、長く生きられないのだろうか。こんな理不尽なんてなくなればいいのにと、ジェフリーは心を痛めた。
シフは、去る一行の背中が見えなくなるまで追っていた。敵だったかもしれないが、泣いてくれる人がいてうれしかった。間違った道を歩み続けていたが、ミティアに救われた。後悔はないと言ったが、それは嘘だ。意地を張った。
シフが抱いていた後悔、それは、ミティアの心から笑った顔が見られなかったことだ。水鏡からひと目だけでも見られるのなら、それでもよかった。だが、見ない方がいいのかもしれない。シフは、ミティアの笑顔に溺れてしまうのではないかと恐れていた。
きっと眩しい笑顔だろう。自分だけのものにしたいと欲を出してしまうのではないだろうか。それこそ本当に悪党だ。
シフは最後に自分のために泣いてくれたミティアの幸せを願った。
圭白はカバンの中から顔を出し、アイラを見上げていた。シフとは初対面だが、アイラは意味深な発言をしていた。
「アイシャ様?」
「邪神龍と津波で消えた南の島の部族でしょ、あの格好……」
残っていない記録。ほとんどの者が知らない、忘れ去られてしまった人たち。
コーディがアイラを見上げた。きっとこの話は、コーディが知りたがるだろう。知識人のアイラだからこそ、持っている情報だってあるはずだ。
「別にいけどね。時間あったら聞かせてあげよう」
「ほんと?」
何も言わなくても、アイラが答えた。
また一つ、書きたいものが増え、コーディの表情が明るくなった。
正門は黒い壁が途切れていただけの簡素なものだった。いつか死んだらここに来るだろうが、しばらくは縁がないと願いたい。
門を出てすぐに景色が歪んだ。本来在るべき場所へ体を戻そうとしているのだろう。
鈍い頭痛が、刺すように強くなる。
一瞬白く、眩しく光った。目の奥にじりじりとした痛覚が走る。ローズが持ち出したトランスポーターに似ているが、体に対する負担はこちらが大きい。
開けた視界にはぼんやりと森の景色。温かい風、木々のざわめき、地面を踏み締める足から重力を感じ、めまいを生じさせる。生きていないと、この気分の悪さは感じない。
ジェフリーはかぶりを振って確認をする。ここは幻獣の森、湖畔だ。屋敷のシルエットが見える。
薄暗いが、夜明け前のようだ。サキが時計を取り出し、時間を気にしていた。
歪みはなくなっていた。何事もなかったように閉じられている。
幻獣の森の瘴気は消え去っていた。満ちた魔力、聖域に戻った。
圭馬と圭白が人の姿に変化した。
出会ったときと魔力解放の際にしか見ていないが、藤色のローブの姿は見慣れない。ウサギの化身の姿が神秘的に思える。
静けさの中、圭馬が湖の向こうを見やった。
「あの人、守護者を蹴散らしたんだね。今度、閻魔様に弱っちいって言っとこ。人が蹴散らせるなんて警備に向かないからね……」
クディフの姿は見当たらなかった。禍々しい空気もない点から、蹴散らしたという判断は間違っていないだろう。
現実に戻された気分で、急に虚しくなった。魔界に行ったのは、夢だったのではないだろうかと錯覚を起こす。
ローズの腕の中の恵子、サキの胸に光るユリのブローチ。夢ではない。
無事地上に戻れた。圭馬が一同を気遣う。
「すぐにでも沙蘭に帰りたいだろうけど、恵ちゃんも心配だし。瘴気にあてられて疲れたでしょ。明るくなるまでは屋敷で休んで行こうよ?」
悪くない提案だ。魔界で感じた体の負担もそうだが、少し情報の整理も必要だ。仲間の安全も考えると、暗い森を歩かせたくはない。ジェフリーは皆に確認を取る前に、表情から即決した。
圭白の赤いマントがふわりと夜風になびいた。
「お茶でも飲んで、ゆっくりしてください。お疲れでしょう?」
圭白は先頭に立ち、一同を屋敷へ招いた。
屋敷の構造は覚えていない。だが立派で、部屋もたくさんある構造だったのを思い出せた。稽古をつけてもらった大きい部屋も確かあったはずだ。休ませてもらった。この屋敷にも思い出がある。
恵子が完全に回復するにはもう少しかかるようだ。
圭馬が人数分のハーブティーを淹れてくれた。
魔界の探索に疲れたのか、コーディはソファーで横になって仮眠している。
落ち込んでいたミティアは、お茶を飲んだら少し元気になってくれた。結局、彼女の半分は取り戻せなかったし、手がかりは途切れた。何度もぶつかる壁、今回は一番の痛手だ。
圭白は不慣れな右手で、お茶を飲みながら言う。
「恵子の意識が戻れば、誰がやったのかわかるでしょう。想像の通りかもしれませんけれどね……」
ここから先は、あまり口出しをしないで見守る姿勢のようだ。圭馬も圭白の隣に座って聞く体制に入った。この二人が気にしているのは『これから』だ。
せっかくゆっくりと話をしようとなったのだから、この機会にジェフリーも聞きたいことがある。
「おばさんに聞きたい。なぜ、俺に『あの』情報をよこしたんだ?」
ずっと気になっていた。ミティアの秘密をどうして手厚い手紙で伝えようとしたのか。
アイラはお茶に手をつけないまま、サキの様子をうかがっている。
「確かにあたしゃ、ジェフリーと交換条件であの情報を渡すつもりでいた。だけど、あんたが選んだのは、サキを自由にする方法だった。喉から手が出るほど、ほしかった情報だったはずなのに」
「確かに俺はフィラノスで、ミティアの不思議な力の情報を集めていた。あのクディフって奴に連れて行かれるのが嫌だったからだ。だけど、サキは知り合って間もない俺たちの力になりたいと、一緒になって情報収集してくれた。俺はあのとき、間違った判断をしたと思っていない。それは、絶対だ……」
軽い言い合いかもしれないが、いがみ合っているわけではない。
そんな中、サキは思い詰めた表情をしながら立ち上がり、席を外した。
「ごめんなさい、少し疲れたかも……まとまったお話、あとで聞かせてください」
サキは疲れたと申し出た。この表情だと、こちらから深追いしても何も答えないだろう。
アイラはサキの落ち込み具合に疑問を持った。
「白ちゃん?」
心を読めという合図だった。圭白はアイラが言わずとも、すでに目で追っていた。それでもあまり多くを語ろうとしない。
「誰にでも訪れる『試練』ですね……」
圭白は大真面目に答えた。そう滅多に冗談を吐く性格ではない。思い悩んでいるのはわかっていたが、詳しく触れないのは、圭白なりの導きだと察した。
「まぁいいさ、あの子だって人間なんだから、成長するだろうね」
アイラも気にはしていたが、察しがついて話を戻した。
「脱線したけど、あの情報はケーシスさんの論文からもらったのさ。あの人が書いたものは、重要な書物としてフィラノスの大図書館に厳重に保管されているからね。鍵つきで、外部に漏れないように情報を埋めさせているのさ。フィラノスのやり方なら、もう知っているだろう?」
その話は、ジェフリーにも心当たりがある。サキの卒業論文もいい例だ。貴重な書物と一緒の扱いで、深部にあったのを思い出した。知られたくない情報は埋もれさせる。
「だから、ミティアを助けたかったら、フィラノスの大図書館に行けって書いてあったんだな?」
ジェフリーの視界に、物悲しい顔をしたミティアの表情が入った。彼女にこんな顔してもらいたくないのに、心が痛い。
今まで口数の少なかったローズが反応した。ケーシスの論文と聞いて心当たりがあるようだ。
「以前、ケーシスは世界に論文を発表したと聞いたことがあります。それで多くの批判を受けました。彼が汚名を背負うキッカケとなった根本です。ワタシ、誰にも認めてもらえず、堕ちてゆくそんな彼を見ていた……」
独特な口癖が少ない。それだけ重要な訴えなのだろう。さらにローズはとある可能性の話をする。
「もしかしたら、大図書館にまだほかのヒントが埋もれている可能性、あるかもしれないですね。可能性の話はあまり好きではないデス……ケド」
ローズの考えにジェフリーは反応した。だが、別の考えもある。
「今はどんな些細な可能性にも縋りたい。一番は、その頭のいかれた野郎をぶちのめしに天空都市に殴り込めばいいのかもしれないが」
「ルーと戦ってわかったでしょうに。己の思想のためなら、どんな汚い手でも使う。今度は誰かが命を落とすかもしれない。ミティアちゃんをどうしようもなくして、おびき寄せたいのでしょう。なぜなら、自分の陣地にさえ入ってしまえば、潰すのは簡単だから……デス」
ローズはジェフリーを抑止するような発言をした。まだそのときではない、と判断していいのものだろうか。
ジェフリーは今一度、冷静になって考え、自分の状況を把握した。
「わかった。ミティアの安泰が最優先だ。天空都市に行く考えは最後に回そう。博士、ありがとう……」
勇み足のあまり、早まって道を誤るところだった。追い込まれると何が正しいのか、判断が鈍る。視野も狭まる。この抑止には感謝したい。
「これから沙蘭に戻って、態勢を整えつつ、フィラノスへ向かう形だな」
ジェフリーが取りまとめる。これからの動き方はこんなものだろう。
次の行き先はフィラノスになるようだ。アイラは小さく唸った。
「フィラノスに行くなら、もう少し同行してもいいんだけど。あんたたち、アリューン界に行きたいって言ってなかったかい?」
アイラは首を傾げた。主にサキが興味を抱いていたが、一行としてその目的もあったのではないかと思い出していた。
この話に関しては、ローズも気になっている部分がある。
「それは天空都市に行く手段がアリューン界にあるのではないか、アリューン神族の技術が必要だと思っていたからデス。優先順位が前後しただけで、いずれは世話になるとは思うデス……」
「あぁ、なるほど。だけどアリューン界は、外部からの出入りをお断りしてるんだよ。妹が白狼の裏切りに強くお怒りだったからね」
アイラは技術がほしいと聞き、アリューン神族の世界に行きたいという理由に納得した。だが、厳しい表情だ。
「はぁ、ここまで来ちゃったら仕方ないね。金にならないが、その情報収集を引き受けよう」
アイラは深めの息をつき、あくびをしながら立ち上がった。疲れているようにも見えるが、行動を早めに起こそうという姿勢だ。そして、決意を固めた。
「白ちゃん、契約を解除してここに置いて行くつもりだったけど、まだ付き合ってもらうよ。いいかい?」
「アイシャ様……」
「ずっと一緒だと、離れるのがしんどくなりそうだね。まったくさ」
アイラが言う『しんどい』は二重の意味だ。この一行と、圭白と、腐れ縁になりつつある。
話がまとまり、一行の方針も聞いた。アイラは夜が明けるのを待たずにここを出るつもりのようだ。圭白を連れて出て行こうとする。
アイラはジェフリーに別れを告げた。
「うちの子をよろしくね」
「おばさん、いいのか……?」
「いいさ、あの子を信じよう。もちろん、あんたたちもね。いつか、ゆっくり話ながら食事をしてみたいね」
以前のようにばたついた別れでも、いがみ合っての別れでもなかった。
強いからこその約束。いい大人として、また会おうと約束する。
後腐れがなかったせいで、あっさりと味気なくも感じた。
出て行ったアイラと圭白。圭馬は頭の後ろで手を組んで、呆れていた。
「白兄ちゃん、変わったなぁ。人間に対してあんまり期待していなかったくせに」
残った五人で話が再開した。と、いってもコーディは仮眠している。
まだ希望は捨てない。次の手を考えている。だが、ミティアは膝の上で手を組み、涙ぐんでいる。
「わたしのせいでみんながつらい思いをするなら、こんな旅、しなくてもいいのに……」
悲痛な表情だ。落ち込んでいるようにも見える。
圭馬は呆れたまま顔を合わせ、お茶を口に含んでいた。そしてわざとらしく、大きな声で言う。
「まだわかんないかな? 今までしていたものの跳ね返り。お姉ちゃんが配った優しい気持ちが、返って来てるの。だから、誰もつらくないし苦しくない」
ミティアは顔を上げ、圭馬を見た。
「お姉ちゃんは、ボクをいい人って言ってたよね?」
圭馬はにやりと口角を上げる。八重歯まで見えて、やんちゃな気質が垣間見えた。
ローズも発言権を求めるように、小さく手を上げている。
「ワタシに忌まわしい過去があっても、ミティアちゃんは抵抗なく受け入れてくれた。どんなにありがたかったか……」
あまり自分から話さないローズが、ミティアに対する感謝の気持ちを述べた。彼女なりに励ましているつもりのようだ。
「場馴れしていないワタシに世間話をしてくれたり、心配してくれたり、凄くうれししかったデス。けーま君に同じく、恩返しさせてくださいデス」
「ローズさん……」
ミティアは意識していたわけではない。それなのに、うれしいなんて、どう受け止めていいのかわからない。
動揺の中、ジェフリーも告白する。
「ミティアは、ずっと閉ざしていた俺を助けてくれた。誰かに親しまれ、受け入れられ、今がこんなに充実している。まだまだ生きてみんなと一緒にいい景色を見て、うまいものを食べて、また笑ってほしい」
「ジェフリー……わ、わたし……」
「どうせ泣くなら、うれし泣きをさせたいんだけどな……」
泣くなと言われても無理に決まっている。ミティアはむせび泣いた。
「今度は、俺たちがミティアを助ける番だ」
ジェフリーは大胆にもミティアを抱き寄せ、逞しい胸に埋もれさせた。その様子を見た圭馬がため息をつく。
「イチャつくのもいいんだけどさぁ、お姉ちゃんを助ける方法はほぼ手探りだよ。わかっているのは、向かうべき場所だけ。これから頑張らないとね!!」
「デスネ……」
あてられたような気分の圭馬とローズが、気まずそうにお茶を含む。
絶対に諦めないとあらためて誓った。
森の木の葉の音、虫の声、夜風が髪を撫でる。
サキは疲れたのかもしれないといい加減な理由で退室し、屋敷の玄関から外に出た。階段の手すりに肘を乗せ、顔を沈める。
いつもはのん気でマイペースなショコラだが、カバンの中から心配している。
「のぉん、主ぃ……」
ここ数日の出来事が、サキを苦しめていた。
魔法を封じられたら戦う術がない。自分の弱さに向き合った。知識だけではどうにもならない挫折だ。早々に魔力解放をしてしまう不手際が二日も続き、先ほどの魔界では魔法を封じられた。物理でも体力でも劣る自分が、どうしても足を引っ張ってしまう。
役に立ちたいと思い、知識と魔法を奮って来た。今は、悲しいよりも、悔しい気持ちが勝る。サキはどうしようかと思い詰めていた。
「魔導士が単独とは、戦場で好ましくない」
澄んだ声に顔を上げる。勢いと夜風で帽子を落としかけ、押さえた。
気がついたら隣にクディフが立っていた。
「わっ……」
余りに不意をつかれ、サキは倒れそうになった。平然を装いながら苦笑いする。
どうでもいいかもしれないが、クディフの身形は、漫画やアニメで言う『悪役』にしか見えない。気配は風のよう。いつも鈴の音で判断する。
「えっと、シルバーリデンスさん。ご無事でしたか……」
幻獣の森で守護者を引き受けてくれたはずだ。サキは礼を言うべきかと思った。だが、クディフから塞ぎに入った。
「つまらん前振りはいい。今ここで、一人でいる理由を問いたい」
誤魔化しが通用する人ではないのは、以前話して理解している。サキは考え方を変えた。
仲間に話すと気を遣われそうで抱え込んでいた。クディフになら話してもいいだろうか。簡単に警戒を解いていいのか疑問にも思ったが、心理戦をするのもおかしい。
サキは向き直って話す姿勢を示す。すると、クディフはサキの格好に変化があるのに気が付いた。
「ヒアノスのブローチ……」
「えっ? あ、これは、その……」
人の変化を見極めるなど驚いたが、よく考えたらこの人はヒアノスの王女の護衛だった人だ。かえってこれを見逃す方がどうかしているかもしれない。
サキはブローチについて話す。
「魔界でセティ王女と契約しました」
「ほぅ……」
「あなたは、セティ王女の側近でしたよね?」
クディフの目つきが厳しいものに変わった。機嫌を損ねる質問だったかもしれない。クディフはサキをじっと見つめ、しばらくすると優しい笑みを浮かべた。彼のこんな表情を見たのは初めてだ。
「我が主君がお前を選んだのなら、守る理由ともなるな」
意外だった。そんなに心を許されるような器ではない。自覚しているサキは首を振って悲観する。
「僕は魔法以外に誇れるものがありません。戦場で魔法を封じられたら、僕は真っ先に標的となります。守ってほしいわけではないですが、守ってもらう価値がないのも事実かと……」
「だから、己も剣を持ちたいと思った。違うか?」
図星だ。サキはその弱みを隠したかった。項垂れたまま、クディフの説教を受ける。
「ほかの者のように小細工を身につける手も悪くはなかろう。だが、お前が誇れるものは、努力で積み重ねられ、鍛錬され、磨かれた魔法だ。迷いを捨てるがいい」
「ま、よい……?」
指摘を受け、自分を見つめ直す。確かにサキは迷っていた。体力も力もない自分が、今から何を身につければいいものかと。
「あまり自分を低く見るな。ほかが劣っていたところで、それを凌ぐものを持っているではないか」
サキは思わず頷いてしまった。
まるで指導を受けている気分だ。実際、そうかもしれない。
「倒れたところで誰かが迷惑がっていたか? 魔法を封じられた程度で、切り捨てられたか? お前の周りにそんな者はいたか?」
「いえ……」
「答えは見えていて無駄に思い悩むならば、封じられぬように先制の手を考えろ。それでも武器で戦いたければ、身を守る振り方を学ぶがいい。だが、それで人を守ろうとは思うな。ものには分別も必要だ」
靄がかかっていた悩みが晴れた。気持ちがぐっと楽になった。
恵まれた環境なのだから、無駄な高望みをするな。皆が力をつけているから、自分も便乗するのは違う。と、いう導きだ。
「僕は皆さんに、いつ見捨てられてもおかしくないと思っていました。勝手な思い込みでしたね」
「あの男が一国の兵士だったら、違っていただろうな」
意味深な言葉だ。国の兵士になりそうな人、サキの身近で思いつくのは一人だ。
「ジェフリーさん……か」
例え方が竜次なら、沙蘭の王と言うだろう。
ジェフリーは厳しいクラスを卒業したと話していた。だが、仕事に就かないと、竜次にも苦言されていたはずだ。
仲間を見捨てたりしない、そんな人は兵士に向かない。戦ともなれば人を殺める。近年では戦争などといった物騒な話は聞かないが、種族戦争に触れたサキは他人事のようには思えなかった。
乾いた足音が聞こえた。屋敷の玄関からアイラが姿を見せる。腕の中にはウサギの姿で眠たげな圭白がいた。アイラは出かけるようだ。
アイラはクディフと目が合い、鋭く睨みつけた。
「ふん、うちの子に何、吹き込んでんだい?」
アイラの登場に、クディフは鼻で笑う。
「秘密主義のアリューン神族が、こうも人間に深く関わるのは意外だな」
「人のことは言えんのかい? 古い考えは捨てるんだよ」
この二人の間には深い因縁がある。殺し合いをするような仲だ。決して埋まることはないが、もしかしたら、浅くすることは可能かもしれない。
「あたしゃちょいと国に帰る。この子に変なことをするんじゃないよ」
「貴女には誓えぬが、この者になら誓ってもいい」
「気に食わない言い方だが、この子に目をつけるなんざ、お目が高いね……」
アイラは気に食わない様子でクディフを横切った。いずれ和解するときが来るか、それとも再び刃を交えて決着をつけるのかは定かではない。
サキはアイラがまた離脱してしまうことに不満を感じていた。
「お師匠様、また……別行動ですか」
今度こそ一緒にいられると思っていた。だが、それは難しいようだ。
「コーディに土産話をたくさんこさえてまた来るさ? 金にならないんだがねぇ」
アイラは金を主張した。それは建前で、目的の主軸とは違う。クディフはそれを見逃さずに、睨みながら食らいついた。
「銭ゲバ王女め……」
「クソ白狼が、まるでストーカーだね。気色悪いったらありゃしない……」
アイラはひどい捨て台詞を吐き、緑色の魔石を弾いた。音もなく、スッと姿が消える。風の上位魔法、テレポートだ。
サキは疑問に思った。クディフは何人から恨みを買っているのだろうか。話し方は嫌味を含むが、厳しくもどこかに思いやりがある。それをうまく汲み取れるかの問題なのかもしれない。少なくともサキは、クディフを悪い人ではないと思っていた。
クディフはバサッとと音を立て、マントを持ち上げた。
「ともに行動はしない。だが、要所では助けとなろう」
サキは慌てて引き止める。
「待って、あの……! ありがとうございます!!」
「くだらん悩みは捨てろ。戦に持ち込む槍は一本でじゅうぶんだ」
「はいっ!!」
そうだ。きっとくだらない。だが、自分が持つ刃はもっと磨かなければ。サキは一層奮い立たせた。
場を重ねて反省はした。これから生かせばいい。
クディフはサキを見て目を細めた。それはまるで自分の子どもを見るような目だ。
「いい顔になったな」
「えへへ……」
サキは凛々しくなった顔を解き、あどけないはにかみ笑いをする。
クディフは夜闇に消えて行った。
認めてもらえた、と思えばいいのだろうか。仲間ではない視点からの助言にサキは素直にうれしかった。自分はまだやれるはずだ。決意を新たに、空を見上げた。空がほんのりと明るい。夜が明け、新しい朝の訪れだ。
拳を握り、深呼吸をする。冷たい空気が肺に染み渡ると、引き締まる思いだった。
サキはまだ、自分の高みの限界を知らない。
日が昇ろうとしている。あたりはまだ薄暗い。
竜次は城の客間が落ち着かず、浅い睡眠だった。城の玄関脇の縁側で抹茶を飲み、白い息を吹いた。
あれから動物が襲って来た話はあったが、昼間よりも小さいものだった。
慣れない場所での仮眠に眠気と気だるさを感じながら、今は抹茶の苦味で意識をつないでいる。
仕事をしていたときは三日に一回、六時間眠れたらと切り詰めていたが、旅路で辞めてしまった。ある程度の無理こそ押したが、最近は眠れていた。
起きればたまに騒がしく一日がはじまるが、沙蘭で過ごしていた平穏な日々には有り得なかった。
幼き頃にジェフリーと二人だけで、スプリングフォレストの冒険に出たやんちゃを思い出した。ジェフリーは旅や冒険に憧れたが、あれはひどいものだった。竜次がついていながらバネ草で怪我をし、オオカミの群れにも遭遇した。沼の主にも遭遇し、ジェフリーは捻挫をして竜次も利き手を傷めた。よくトラウマにならなかったものだ。
これから死ぬわけでもないのに、思い出を振り返る機会が増えた。今は生きていて楽しいだとか、充実していると感じているせいかもしれない。
一度は死んだ。愚かなことをしたと、心から悔いている。国を捨てた、自分の命も捨てた、自分はこれから何をして前を向けばいいものかを考えてしまう。
医者か、国の下に就くか、今からでも王になるべきか、剣神と呼ばれた腕を生かすのか。自分が何をすべきなのか、何がしたいのか、見失いつつある。
ジェフリーは、不甲斐ない兄をどう思っているだろうか。彼だって将来的にやりたいことが定まっていない。それ以前に、好きな人のために一生懸命で、将来を考える余裕がないだろう。
苦い笑いが込み上げてくる。これでは、兄弟とも揃ってあまり変わらない。
しっかりしているつもりだった。
実際は、何もお手本になれていない。ジェフリーだけではなく、仲間の皆にも。
欠けていい仲間はいない。弟の、強く逞しい言葉が胸の奥に響く。
「お兄様、おはようござい、ます……?」
うつらうつらしながら思い耽っていたところを、毛皮の上着を羽織った正姫に声をかけられた。挨拶が疑問形なのは、竜次が眠っていると思っていたようだ。
「あぁ、おはよう、姫子。まだ暗いですよ?」
「いえ、頑張っている者に差し入れをと思いまして」
国を治める者が、下々に混じって痛みを分かち合う。沙蘭らしさがうかがえるが、正姫は無理をしていないだろうか。竜次は心配になった。
「姫子らしい。どれ、私も手伝いましょうか」
「い、いけません! お兄様はゆっくりなさってください」
「ふふっ、将来のためにもお勉強ですよ」
竜次は意味深なことを言い、笑いながら立ち上がる。少しは力になりたい。仲間と故郷との板挟みだが、深く考えずとも、ここに自分の居場所はない。
竜次は正姫のあとをついて歩くが、実は城の構造を把握していない。まだまだ知らない場所がありそうだが、とりあえずは必要以上に頭には入れないようにしていた。
実は竜次、家事はまったくできない。気持ちだけでついて来たが、本当にそれだけだ。
正姫は手伝ってくれるのが素直にうれしいと思っているだけで、竜次の本性を知らない。
明るくなって判明したが、案の定、大惨事に展開した。
案内された道は明るく、魂も幽体も多かった。心なしか、瘴気は薄く感じられる。
圭白はここに詳しいようだ。この帰り道を見覚えのある場所だと言っていた。番人をしていた三人はティアマラント兄弟と親しい様子だったし、詳しいのも頷ける。
魔界に来てから言葉が少ないコーディは、執筆のためにこの場を目に焼きつけているようだ。確かに生きている人間が来る場所ではない。皆が知らないこと、真実を伝えるべきだと彼女なりの努力は認めたい。問題はその真実を持ち帰って広めたあとで魔界から怒られないかが心配だ。
ローズは抱えている恵子に解毒を試みていた。水を飲ませては吐かせている。獣医とは聞いていなかったが、医者のスキルから、ある程度は診れるのかもしれない。処置をしながら歩くので、少し遅れ気味だが気になる程度ではない。視界には入っているし、本人もはぐれまいと意識していた。
ジェフリーはミティアに何もできないのがもどかしかった。
今にも泣き出してしまいそうなミティアの手は、まだこんなにも暖かい。ほかの手を考えなければ、彼女は衰退していく。今は魔力を失った状態で、魔法が使えない。
次の変化が怖かった。歩けなくなるのだろうか。何かを忘れてしまうのだろうか。これから、何がミティアを壊すのだろうか。
追い詰められたのはジェフリーの方かもしれない。何か案はないかとこの段階で考え込んでいた。好きな人に何もできないのがもどかしい。
アイラの横でサキが暗い表情をしていた。
「サキや、どうしたんだい? さっきから暗い顔をして……気分が悪いのかい?」
ミティアを気にしているのかと思ったが、どうも違う。瘴気にあてられ、気分が悪いのか。いや、もっと思い詰めている様子だ。
「いえ、今は切り替えます。でも、あとで考えないと」
悔しそうな表情だ。やはり何か思い詰めている。それでもサキは、雑念をしまい込もうとしていた。
一行は明るい道を行く。違う道であるせいか、気にするものが多い。ソロルは正門を使えと言っていたが、黒い壁に途切れがある。その跡切れが門とでもいうのだろうか。漂う魂も幽体も、見知った者がいないかと自然に探していた。
圭白は帰り道のサポートもする。
「向かっているのは正門です。普段はこの近隣から来るので、わかるところでよかった。こちらは、最近亡くなった者と思えばいいかもしれません。時差や多少の優先順位はありますが、これから選定を待つ者でしょう。もしかしたら、自分が亡くなったとわかっていないかもしれません」
それにしては数が多い。ギルドで見た、世界の混乱と何か関係があるのかもしれない。
幽体の中には、特に見知った顔は見受けられない。都合のいい解釈だが、それだけは安心してしまった。
ふと、ミティアが足を止めた。つないでいたジェフリーの手から、するりと抜ける。
「どうし、た……?」
ジェフリーはミティアの視線の先に見知った姿を確認した。もう会わないと思っていた。
一同は警戒し、身構えている。ただ一人、アイラを除いて。
「ん? 何だってんだい?」
皆が警戒する理由をアイラは知らない。サキが事情を説明した。
「お師匠様、この人は二度も僕たちの行く手を阻みました。それに、ミティアさんを連れ去った人です」
「ふぅん、あの格好は……」
アイラは人物こそ知らないが、格好に見覚えはあった。
頭に巻いたターバンのような布、ピアスや指輪などのアクセサリーが派手なシフだ。
シフはこちらに気がついたのか、睨むまではいかないものの含みのある笑いをしている。歯を見せ、豪快で下品な笑い方をするのが彼だった気がするが。
ミティアが話しかけようとする。
「あのっ……」
当然だが、ジェフリーはミティアを遮った。シフを睨みつけ、警戒をしている。
シフは鼻で笑う。
「どうせここで争えねぇんだ。死にかけもいるが、生身の人間みてぇだな。お前らは生きてるんだろう?」
雑な言い方だが、歓迎しているように思える。
警戒したが、よく考えるとシフがここに存在する。彼は死んだと確定した。沙蘭で見た血溜まりと肉片、沈むアクセサリーはやはり彼のものだった。
ミティアは皆に振り返り、悲願した。
「お願い、ちょっとでいいの。この人と話をさせて」
ミティアはそっと前に出る。
シフは個人的にミティアに思い入れがあった。表に出すことも、告げることもなかったが、敵対してしまった自分の思いを汲み取ってくれた恩がある。今も仲間に嫌な顔をされながらミティアは自分と話をしたいと申し出た。シフは腕を組んでミティアの言葉に耳を傾けた。
「あなたがした行為、すべては許せない。だけど、わたしの兄さんに騙されていた。いけない知っていても引き返せないと言っていた。でも、どうして最後にわたしを助けようとしたのか教えてほしいです!」
この二人の間に何があったのかは、まだ知らない。だが、ミティアの言い分が正しければ、シフはさらっておきながら助けようとしたとなる。
ジェフリーや竜次を殺すと宣言し、キッドとも刃を交え、コーディを打ち落とし、ローズも怪我をさせられた。
ここにはいないが、竜次もキッドと生き埋めにされそうになっている。
皆にとってはいい思い出がない男だ。
シフはせっかく歩み寄ったミティアに冷たい態度を取った。
「くだらねぇ。過ぎたことだ。俺と違って、未来がある奴を助けようとして何が悪い」
「……」
敵対した。ひどい目に遭わされた。それでも、ミティアは涙を零す。
泣かれるとは思わず、シフは舌打ちをした。調子を狂わされる。
「俺は死んだが、別に後悔はしていない。お前は俺とは違う。道を誤ろうとしている奴がいたら注意してくれる。そういう仲間は大切にしろよ。踏み込み過ぎると後戻りができなくなる。大人ってのは、年を重ねる毎に変なプライドがついて来るからなぁ!?」
シフはミティアと話をしている。それなのに、ジェフリーにも心当たりがあった。何度か、仲間に注意された経験がある。シフも自分たちのように、心を許せる人に出会えていたら違っていたかもしれない。もしかしたら、一緒に歩めたかもしれない。
シフは腕を解き、手を払った。まるで厄介な動物を追い払うような仕草だ。もしくは、一行に早く行けと合図をしているのかもしれない。
「もういいだろ。いつまでも俺にかまうこたぁない」
「ありがとう、わたしに真実を教えてくれて」
「もうすぐ俺も選定される。意識はなかったが、最後にお前をぶっ飛ばして殺しかけたらしいからな。問答無用で転生の道だろう。できるなら、水鏡でこれからのお前らを眺めていたかったけどな?」
最期に見せたのは、歯を見せる下品な笑い方だ。この笑いには、何度も悪い思いをさせられた。
見える範囲で、大鎌のノアールの姿を確認した。何か言われる前にここを出ようと一行はまた歩き出す。
ジェフリーはしゃくり上げ、肩を揺らすミティアの手を握った。どうして彼女はこんなにも人のためを思えるのに、長く生きられないのだろうか。こんな理不尽なんてなくなればいいのにと、ジェフリーは心を痛めた。
シフは、去る一行の背中が見えなくなるまで追っていた。敵だったかもしれないが、泣いてくれる人がいてうれしかった。間違った道を歩み続けていたが、ミティアに救われた。後悔はないと言ったが、それは嘘だ。意地を張った。
シフが抱いていた後悔、それは、ミティアの心から笑った顔が見られなかったことだ。水鏡からひと目だけでも見られるのなら、それでもよかった。だが、見ない方がいいのかもしれない。シフは、ミティアの笑顔に溺れてしまうのではないかと恐れていた。
きっと眩しい笑顔だろう。自分だけのものにしたいと欲を出してしまうのではないだろうか。それこそ本当に悪党だ。
シフは最後に自分のために泣いてくれたミティアの幸せを願った。
圭白はカバンの中から顔を出し、アイラを見上げていた。シフとは初対面だが、アイラは意味深な発言をしていた。
「アイシャ様?」
「邪神龍と津波で消えた南の島の部族でしょ、あの格好……」
残っていない記録。ほとんどの者が知らない、忘れ去られてしまった人たち。
コーディがアイラを見上げた。きっとこの話は、コーディが知りたがるだろう。知識人のアイラだからこそ、持っている情報だってあるはずだ。
「別にいけどね。時間あったら聞かせてあげよう」
「ほんと?」
何も言わなくても、アイラが答えた。
また一つ、書きたいものが増え、コーディの表情が明るくなった。
正門は黒い壁が途切れていただけの簡素なものだった。いつか死んだらここに来るだろうが、しばらくは縁がないと願いたい。
門を出てすぐに景色が歪んだ。本来在るべき場所へ体を戻そうとしているのだろう。
鈍い頭痛が、刺すように強くなる。
一瞬白く、眩しく光った。目の奥にじりじりとした痛覚が走る。ローズが持ち出したトランスポーターに似ているが、体に対する負担はこちらが大きい。
開けた視界にはぼんやりと森の景色。温かい風、木々のざわめき、地面を踏み締める足から重力を感じ、めまいを生じさせる。生きていないと、この気分の悪さは感じない。
ジェフリーはかぶりを振って確認をする。ここは幻獣の森、湖畔だ。屋敷のシルエットが見える。
薄暗いが、夜明け前のようだ。サキが時計を取り出し、時間を気にしていた。
歪みはなくなっていた。何事もなかったように閉じられている。
幻獣の森の瘴気は消え去っていた。満ちた魔力、聖域に戻った。
圭馬と圭白が人の姿に変化した。
出会ったときと魔力解放の際にしか見ていないが、藤色のローブの姿は見慣れない。ウサギの化身の姿が神秘的に思える。
静けさの中、圭馬が湖の向こうを見やった。
「あの人、守護者を蹴散らしたんだね。今度、閻魔様に弱っちいって言っとこ。人が蹴散らせるなんて警備に向かないからね……」
クディフの姿は見当たらなかった。禍々しい空気もない点から、蹴散らしたという判断は間違っていないだろう。
現実に戻された気分で、急に虚しくなった。魔界に行ったのは、夢だったのではないだろうかと錯覚を起こす。
ローズの腕の中の恵子、サキの胸に光るユリのブローチ。夢ではない。
無事地上に戻れた。圭馬が一同を気遣う。
「すぐにでも沙蘭に帰りたいだろうけど、恵ちゃんも心配だし。瘴気にあてられて疲れたでしょ。明るくなるまでは屋敷で休んで行こうよ?」
悪くない提案だ。魔界で感じた体の負担もそうだが、少し情報の整理も必要だ。仲間の安全も考えると、暗い森を歩かせたくはない。ジェフリーは皆に確認を取る前に、表情から即決した。
圭白の赤いマントがふわりと夜風になびいた。
「お茶でも飲んで、ゆっくりしてください。お疲れでしょう?」
圭白は先頭に立ち、一同を屋敷へ招いた。
屋敷の構造は覚えていない。だが立派で、部屋もたくさんある構造だったのを思い出せた。稽古をつけてもらった大きい部屋も確かあったはずだ。休ませてもらった。この屋敷にも思い出がある。
恵子が完全に回復するにはもう少しかかるようだ。
圭馬が人数分のハーブティーを淹れてくれた。
魔界の探索に疲れたのか、コーディはソファーで横になって仮眠している。
落ち込んでいたミティアは、お茶を飲んだら少し元気になってくれた。結局、彼女の半分は取り戻せなかったし、手がかりは途切れた。何度もぶつかる壁、今回は一番の痛手だ。
圭白は不慣れな右手で、お茶を飲みながら言う。
「恵子の意識が戻れば、誰がやったのかわかるでしょう。想像の通りかもしれませんけれどね……」
ここから先は、あまり口出しをしないで見守る姿勢のようだ。圭馬も圭白の隣に座って聞く体制に入った。この二人が気にしているのは『これから』だ。
せっかくゆっくりと話をしようとなったのだから、この機会にジェフリーも聞きたいことがある。
「おばさんに聞きたい。なぜ、俺に『あの』情報をよこしたんだ?」
ずっと気になっていた。ミティアの秘密をどうして手厚い手紙で伝えようとしたのか。
アイラはお茶に手をつけないまま、サキの様子をうかがっている。
「確かにあたしゃ、ジェフリーと交換条件であの情報を渡すつもりでいた。だけど、あんたが選んだのは、サキを自由にする方法だった。喉から手が出るほど、ほしかった情報だったはずなのに」
「確かに俺はフィラノスで、ミティアの不思議な力の情報を集めていた。あのクディフって奴に連れて行かれるのが嫌だったからだ。だけど、サキは知り合って間もない俺たちの力になりたいと、一緒になって情報収集してくれた。俺はあのとき、間違った判断をしたと思っていない。それは、絶対だ……」
軽い言い合いかもしれないが、いがみ合っているわけではない。
そんな中、サキは思い詰めた表情をしながら立ち上がり、席を外した。
「ごめんなさい、少し疲れたかも……まとまったお話、あとで聞かせてください」
サキは疲れたと申し出た。この表情だと、こちらから深追いしても何も答えないだろう。
アイラはサキの落ち込み具合に疑問を持った。
「白ちゃん?」
心を読めという合図だった。圭白はアイラが言わずとも、すでに目で追っていた。それでもあまり多くを語ろうとしない。
「誰にでも訪れる『試練』ですね……」
圭白は大真面目に答えた。そう滅多に冗談を吐く性格ではない。思い悩んでいるのはわかっていたが、詳しく触れないのは、圭白なりの導きだと察した。
「まぁいいさ、あの子だって人間なんだから、成長するだろうね」
アイラも気にはしていたが、察しがついて話を戻した。
「脱線したけど、あの情報はケーシスさんの論文からもらったのさ。あの人が書いたものは、重要な書物としてフィラノスの大図書館に厳重に保管されているからね。鍵つきで、外部に漏れないように情報を埋めさせているのさ。フィラノスのやり方なら、もう知っているだろう?」
その話は、ジェフリーにも心当たりがある。サキの卒業論文もいい例だ。貴重な書物と一緒の扱いで、深部にあったのを思い出した。知られたくない情報は埋もれさせる。
「だから、ミティアを助けたかったら、フィラノスの大図書館に行けって書いてあったんだな?」
ジェフリーの視界に、物悲しい顔をしたミティアの表情が入った。彼女にこんな顔してもらいたくないのに、心が痛い。
今まで口数の少なかったローズが反応した。ケーシスの論文と聞いて心当たりがあるようだ。
「以前、ケーシスは世界に論文を発表したと聞いたことがあります。それで多くの批判を受けました。彼が汚名を背負うキッカケとなった根本です。ワタシ、誰にも認めてもらえず、堕ちてゆくそんな彼を見ていた……」
独特な口癖が少ない。それだけ重要な訴えなのだろう。さらにローズはとある可能性の話をする。
「もしかしたら、大図書館にまだほかのヒントが埋もれている可能性、あるかもしれないですね。可能性の話はあまり好きではないデス……ケド」
ローズの考えにジェフリーは反応した。だが、別の考えもある。
「今はどんな些細な可能性にも縋りたい。一番は、その頭のいかれた野郎をぶちのめしに天空都市に殴り込めばいいのかもしれないが」
「ルーと戦ってわかったでしょうに。己の思想のためなら、どんな汚い手でも使う。今度は誰かが命を落とすかもしれない。ミティアちゃんをどうしようもなくして、おびき寄せたいのでしょう。なぜなら、自分の陣地にさえ入ってしまえば、潰すのは簡単だから……デス」
ローズはジェフリーを抑止するような発言をした。まだそのときではない、と判断していいのものだろうか。
ジェフリーは今一度、冷静になって考え、自分の状況を把握した。
「わかった。ミティアの安泰が最優先だ。天空都市に行く考えは最後に回そう。博士、ありがとう……」
勇み足のあまり、早まって道を誤るところだった。追い込まれると何が正しいのか、判断が鈍る。視野も狭まる。この抑止には感謝したい。
「これから沙蘭に戻って、態勢を整えつつ、フィラノスへ向かう形だな」
ジェフリーが取りまとめる。これからの動き方はこんなものだろう。
次の行き先はフィラノスになるようだ。アイラは小さく唸った。
「フィラノスに行くなら、もう少し同行してもいいんだけど。あんたたち、アリューン界に行きたいって言ってなかったかい?」
アイラは首を傾げた。主にサキが興味を抱いていたが、一行としてその目的もあったのではないかと思い出していた。
この話に関しては、ローズも気になっている部分がある。
「それは天空都市に行く手段がアリューン界にあるのではないか、アリューン神族の技術が必要だと思っていたからデス。優先順位が前後しただけで、いずれは世話になるとは思うデス……」
「あぁ、なるほど。だけどアリューン界は、外部からの出入りをお断りしてるんだよ。妹が白狼の裏切りに強くお怒りだったからね」
アイラは技術がほしいと聞き、アリューン神族の世界に行きたいという理由に納得した。だが、厳しい表情だ。
「はぁ、ここまで来ちゃったら仕方ないね。金にならないが、その情報収集を引き受けよう」
アイラは深めの息をつき、あくびをしながら立ち上がった。疲れているようにも見えるが、行動を早めに起こそうという姿勢だ。そして、決意を固めた。
「白ちゃん、契約を解除してここに置いて行くつもりだったけど、まだ付き合ってもらうよ。いいかい?」
「アイシャ様……」
「ずっと一緒だと、離れるのがしんどくなりそうだね。まったくさ」
アイラが言う『しんどい』は二重の意味だ。この一行と、圭白と、腐れ縁になりつつある。
話がまとまり、一行の方針も聞いた。アイラは夜が明けるのを待たずにここを出るつもりのようだ。圭白を連れて出て行こうとする。
アイラはジェフリーに別れを告げた。
「うちの子をよろしくね」
「おばさん、いいのか……?」
「いいさ、あの子を信じよう。もちろん、あんたたちもね。いつか、ゆっくり話ながら食事をしてみたいね」
以前のようにばたついた別れでも、いがみ合っての別れでもなかった。
強いからこその約束。いい大人として、また会おうと約束する。
後腐れがなかったせいで、あっさりと味気なくも感じた。
出て行ったアイラと圭白。圭馬は頭の後ろで手を組んで、呆れていた。
「白兄ちゃん、変わったなぁ。人間に対してあんまり期待していなかったくせに」
残った五人で話が再開した。と、いってもコーディは仮眠している。
まだ希望は捨てない。次の手を考えている。だが、ミティアは膝の上で手を組み、涙ぐんでいる。
「わたしのせいでみんながつらい思いをするなら、こんな旅、しなくてもいいのに……」
悲痛な表情だ。落ち込んでいるようにも見える。
圭馬は呆れたまま顔を合わせ、お茶を口に含んでいた。そしてわざとらしく、大きな声で言う。
「まだわかんないかな? 今までしていたものの跳ね返り。お姉ちゃんが配った優しい気持ちが、返って来てるの。だから、誰もつらくないし苦しくない」
ミティアは顔を上げ、圭馬を見た。
「お姉ちゃんは、ボクをいい人って言ってたよね?」
圭馬はにやりと口角を上げる。八重歯まで見えて、やんちゃな気質が垣間見えた。
ローズも発言権を求めるように、小さく手を上げている。
「ワタシに忌まわしい過去があっても、ミティアちゃんは抵抗なく受け入れてくれた。どんなにありがたかったか……」
あまり自分から話さないローズが、ミティアに対する感謝の気持ちを述べた。彼女なりに励ましているつもりのようだ。
「場馴れしていないワタシに世間話をしてくれたり、心配してくれたり、凄くうれししかったデス。けーま君に同じく、恩返しさせてくださいデス」
「ローズさん……」
ミティアは意識していたわけではない。それなのに、うれしいなんて、どう受け止めていいのかわからない。
動揺の中、ジェフリーも告白する。
「ミティアは、ずっと閉ざしていた俺を助けてくれた。誰かに親しまれ、受け入れられ、今がこんなに充実している。まだまだ生きてみんなと一緒にいい景色を見て、うまいものを食べて、また笑ってほしい」
「ジェフリー……わ、わたし……」
「どうせ泣くなら、うれし泣きをさせたいんだけどな……」
泣くなと言われても無理に決まっている。ミティアはむせび泣いた。
「今度は、俺たちがミティアを助ける番だ」
ジェフリーは大胆にもミティアを抱き寄せ、逞しい胸に埋もれさせた。その様子を見た圭馬がため息をつく。
「イチャつくのもいいんだけどさぁ、お姉ちゃんを助ける方法はほぼ手探りだよ。わかっているのは、向かうべき場所だけ。これから頑張らないとね!!」
「デスネ……」
あてられたような気分の圭馬とローズが、気まずそうにお茶を含む。
絶対に諦めないとあらためて誓った。
森の木の葉の音、虫の声、夜風が髪を撫でる。
サキは疲れたのかもしれないといい加減な理由で退室し、屋敷の玄関から外に出た。階段の手すりに肘を乗せ、顔を沈める。
いつもはのん気でマイペースなショコラだが、カバンの中から心配している。
「のぉん、主ぃ……」
ここ数日の出来事が、サキを苦しめていた。
魔法を封じられたら戦う術がない。自分の弱さに向き合った。知識だけではどうにもならない挫折だ。早々に魔力解放をしてしまう不手際が二日も続き、先ほどの魔界では魔法を封じられた。物理でも体力でも劣る自分が、どうしても足を引っ張ってしまう。
役に立ちたいと思い、知識と魔法を奮って来た。今は、悲しいよりも、悔しい気持ちが勝る。サキはどうしようかと思い詰めていた。
「魔導士が単独とは、戦場で好ましくない」
澄んだ声に顔を上げる。勢いと夜風で帽子を落としかけ、押さえた。
気がついたら隣にクディフが立っていた。
「わっ……」
余りに不意をつかれ、サキは倒れそうになった。平然を装いながら苦笑いする。
どうでもいいかもしれないが、クディフの身形は、漫画やアニメで言う『悪役』にしか見えない。気配は風のよう。いつも鈴の音で判断する。
「えっと、シルバーリデンスさん。ご無事でしたか……」
幻獣の森で守護者を引き受けてくれたはずだ。サキは礼を言うべきかと思った。だが、クディフから塞ぎに入った。
「つまらん前振りはいい。今ここで、一人でいる理由を問いたい」
誤魔化しが通用する人ではないのは、以前話して理解している。サキは考え方を変えた。
仲間に話すと気を遣われそうで抱え込んでいた。クディフになら話してもいいだろうか。簡単に警戒を解いていいのか疑問にも思ったが、心理戦をするのもおかしい。
サキは向き直って話す姿勢を示す。すると、クディフはサキの格好に変化があるのに気が付いた。
「ヒアノスのブローチ……」
「えっ? あ、これは、その……」
人の変化を見極めるなど驚いたが、よく考えたらこの人はヒアノスの王女の護衛だった人だ。かえってこれを見逃す方がどうかしているかもしれない。
サキはブローチについて話す。
「魔界でセティ王女と契約しました」
「ほぅ……」
「あなたは、セティ王女の側近でしたよね?」
クディフの目つきが厳しいものに変わった。機嫌を損ねる質問だったかもしれない。クディフはサキをじっと見つめ、しばらくすると優しい笑みを浮かべた。彼のこんな表情を見たのは初めてだ。
「我が主君がお前を選んだのなら、守る理由ともなるな」
意外だった。そんなに心を許されるような器ではない。自覚しているサキは首を振って悲観する。
「僕は魔法以外に誇れるものがありません。戦場で魔法を封じられたら、僕は真っ先に標的となります。守ってほしいわけではないですが、守ってもらう価値がないのも事実かと……」
「だから、己も剣を持ちたいと思った。違うか?」
図星だ。サキはその弱みを隠したかった。項垂れたまま、クディフの説教を受ける。
「ほかの者のように小細工を身につける手も悪くはなかろう。だが、お前が誇れるものは、努力で積み重ねられ、鍛錬され、磨かれた魔法だ。迷いを捨てるがいい」
「ま、よい……?」
指摘を受け、自分を見つめ直す。確かにサキは迷っていた。体力も力もない自分が、今から何を身につければいいものかと。
「あまり自分を低く見るな。ほかが劣っていたところで、それを凌ぐものを持っているではないか」
サキは思わず頷いてしまった。
まるで指導を受けている気分だ。実際、そうかもしれない。
「倒れたところで誰かが迷惑がっていたか? 魔法を封じられた程度で、切り捨てられたか? お前の周りにそんな者はいたか?」
「いえ……」
「答えは見えていて無駄に思い悩むならば、封じられぬように先制の手を考えろ。それでも武器で戦いたければ、身を守る振り方を学ぶがいい。だが、それで人を守ろうとは思うな。ものには分別も必要だ」
靄がかかっていた悩みが晴れた。気持ちがぐっと楽になった。
恵まれた環境なのだから、無駄な高望みをするな。皆が力をつけているから、自分も便乗するのは違う。と、いう導きだ。
「僕は皆さんに、いつ見捨てられてもおかしくないと思っていました。勝手な思い込みでしたね」
「あの男が一国の兵士だったら、違っていただろうな」
意味深な言葉だ。国の兵士になりそうな人、サキの身近で思いつくのは一人だ。
「ジェフリーさん……か」
例え方が竜次なら、沙蘭の王と言うだろう。
ジェフリーは厳しいクラスを卒業したと話していた。だが、仕事に就かないと、竜次にも苦言されていたはずだ。
仲間を見捨てたりしない、そんな人は兵士に向かない。戦ともなれば人を殺める。近年では戦争などといった物騒な話は聞かないが、種族戦争に触れたサキは他人事のようには思えなかった。
乾いた足音が聞こえた。屋敷の玄関からアイラが姿を見せる。腕の中にはウサギの姿で眠たげな圭白がいた。アイラは出かけるようだ。
アイラはクディフと目が合い、鋭く睨みつけた。
「ふん、うちの子に何、吹き込んでんだい?」
アイラの登場に、クディフは鼻で笑う。
「秘密主義のアリューン神族が、こうも人間に深く関わるのは意外だな」
「人のことは言えんのかい? 古い考えは捨てるんだよ」
この二人の間には深い因縁がある。殺し合いをするような仲だ。決して埋まることはないが、もしかしたら、浅くすることは可能かもしれない。
「あたしゃちょいと国に帰る。この子に変なことをするんじゃないよ」
「貴女には誓えぬが、この者になら誓ってもいい」
「気に食わない言い方だが、この子に目をつけるなんざ、お目が高いね……」
アイラは気に食わない様子でクディフを横切った。いずれ和解するときが来るか、それとも再び刃を交えて決着をつけるのかは定かではない。
サキはアイラがまた離脱してしまうことに不満を感じていた。
「お師匠様、また……別行動ですか」
今度こそ一緒にいられると思っていた。だが、それは難しいようだ。
「コーディに土産話をたくさんこさえてまた来るさ? 金にならないんだがねぇ」
アイラは金を主張した。それは建前で、目的の主軸とは違う。クディフはそれを見逃さずに、睨みながら食らいついた。
「銭ゲバ王女め……」
「クソ白狼が、まるでストーカーだね。気色悪いったらありゃしない……」
アイラはひどい捨て台詞を吐き、緑色の魔石を弾いた。音もなく、スッと姿が消える。風の上位魔法、テレポートだ。
サキは疑問に思った。クディフは何人から恨みを買っているのだろうか。話し方は嫌味を含むが、厳しくもどこかに思いやりがある。それをうまく汲み取れるかの問題なのかもしれない。少なくともサキは、クディフを悪い人ではないと思っていた。
クディフはバサッとと音を立て、マントを持ち上げた。
「ともに行動はしない。だが、要所では助けとなろう」
サキは慌てて引き止める。
「待って、あの……! ありがとうございます!!」
「くだらん悩みは捨てろ。戦に持ち込む槍は一本でじゅうぶんだ」
「はいっ!!」
そうだ。きっとくだらない。だが、自分が持つ刃はもっと磨かなければ。サキは一層奮い立たせた。
場を重ねて反省はした。これから生かせばいい。
クディフはサキを見て目を細めた。それはまるで自分の子どもを見るような目だ。
「いい顔になったな」
「えへへ……」
サキは凛々しくなった顔を解き、あどけないはにかみ笑いをする。
クディフは夜闇に消えて行った。
認めてもらえた、と思えばいいのだろうか。仲間ではない視点からの助言にサキは素直にうれしかった。自分はまだやれるはずだ。決意を新たに、空を見上げた。空がほんのりと明るい。夜が明け、新しい朝の訪れだ。
拳を握り、深呼吸をする。冷たい空気が肺に染み渡ると、引き締まる思いだった。
サキはまだ、自分の高みの限界を知らない。
日が昇ろうとしている。あたりはまだ薄暗い。
竜次は城の客間が落ち着かず、浅い睡眠だった。城の玄関脇の縁側で抹茶を飲み、白い息を吹いた。
あれから動物が襲って来た話はあったが、昼間よりも小さいものだった。
慣れない場所での仮眠に眠気と気だるさを感じながら、今は抹茶の苦味で意識をつないでいる。
仕事をしていたときは三日に一回、六時間眠れたらと切り詰めていたが、旅路で辞めてしまった。ある程度の無理こそ押したが、最近は眠れていた。
起きればたまに騒がしく一日がはじまるが、沙蘭で過ごしていた平穏な日々には有り得なかった。
幼き頃にジェフリーと二人だけで、スプリングフォレストの冒険に出たやんちゃを思い出した。ジェフリーは旅や冒険に憧れたが、あれはひどいものだった。竜次がついていながらバネ草で怪我をし、オオカミの群れにも遭遇した。沼の主にも遭遇し、ジェフリーは捻挫をして竜次も利き手を傷めた。よくトラウマにならなかったものだ。
これから死ぬわけでもないのに、思い出を振り返る機会が増えた。今は生きていて楽しいだとか、充実していると感じているせいかもしれない。
一度は死んだ。愚かなことをしたと、心から悔いている。国を捨てた、自分の命も捨てた、自分はこれから何をして前を向けばいいものかを考えてしまう。
医者か、国の下に就くか、今からでも王になるべきか、剣神と呼ばれた腕を生かすのか。自分が何をすべきなのか、何がしたいのか、見失いつつある。
ジェフリーは、不甲斐ない兄をどう思っているだろうか。彼だって将来的にやりたいことが定まっていない。それ以前に、好きな人のために一生懸命で、将来を考える余裕がないだろう。
苦い笑いが込み上げてくる。これでは、兄弟とも揃ってあまり変わらない。
しっかりしているつもりだった。
実際は、何もお手本になれていない。ジェフリーだけではなく、仲間の皆にも。
欠けていい仲間はいない。弟の、強く逞しい言葉が胸の奥に響く。
「お兄様、おはようござい、ます……?」
うつらうつらしながら思い耽っていたところを、毛皮の上着を羽織った正姫に声をかけられた。挨拶が疑問形なのは、竜次が眠っていると思っていたようだ。
「あぁ、おはよう、姫子。まだ暗いですよ?」
「いえ、頑張っている者に差し入れをと思いまして」
国を治める者が、下々に混じって痛みを分かち合う。沙蘭らしさがうかがえるが、正姫は無理をしていないだろうか。竜次は心配になった。
「姫子らしい。どれ、私も手伝いましょうか」
「い、いけません! お兄様はゆっくりなさってください」
「ふふっ、将来のためにもお勉強ですよ」
竜次は意味深なことを言い、笑いながら立ち上がる。少しは力になりたい。仲間と故郷との板挟みだが、深く考えずとも、ここに自分の居場所はない。
竜次は正姫のあとをついて歩くが、実は城の構造を把握していない。まだまだ知らない場所がありそうだが、とりあえずは必要以上に頭には入れないようにしていた。
実は竜次、家事はまったくできない。気持ちだけでついて来たが、本当にそれだけだ。
正姫は手伝ってくれるのが素直にうれしいと思っているだけで、竜次の本性を知らない。
明るくなって判明したが、案の定、大惨事に展開した。
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「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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