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【2‐1】生と死と

れべるあっぷがしたいのです

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 ローズの処置のおかげで、恵子は意識を取り戻した。しばらく状況が理解できず、泣きながら謝った。だがここは、無事であったのを喜びたい。
 恵子は圭馬になぐさめられ、落ち着いた。彼女の記憶は断片的に抜けていた。話によると、『赤茶色っぽい髪をした、美形で白衣の男の人に道を聞かれた』ようだ。『美形』というのに引っかかりを感じたが、確かに黙っていれば人当たりがよさそうな印象は抱くだろう。左手に怪我をして、銃のようなものと剣を下げていたと言っている。
 よく覚えていてくれたものだ。ほぼ、正解が見えた。
 予想が当たってしまい、ミティアは両手で顔を覆って下を向いた。泣くまでしないも、悲痛な声を上げる。
「兄さんだ……どうして、どうして……何が、目的なの?」
 ルッシェナの目的は何だろう。天空都市で待っていると言っていた。ついに自分たちだけではなく、周りを巻き込んでしまったと確定した。ジェフリーはなぜルッシェナがここまで手を回すのか、疑問に思った。
「目的、か……」
 目的は仮説でしかないが、ミティアをどうしようもなくして、壊したいのだろう。天空都市の情報もフィラノスで得られたりしないだろうかと、思考を巡らせている。
 ジェフリーだけで考えるには限界だ。目的に関しては、それこそ、幼いころからのミティアやルッシェナを知るキッドから情報を得た方がいいかもしれない。天空都市についてはもう少し勉強が必要だろう。
 煮え切らないが、これからの動き方と、調べなければいけないものは定まった。
 ミティアにとってはつらい思いが続いただろう。もしかしたら、精神的に参っているかもしれないとジェフリーは心配した。
 ミティアは何かにとりつかれたように、誰とも目を合わせないままぽつりと言う。
「止めないと。わたし、兄さんが間違ったことをしているって、言わないと……」
 シフを止めるような感覚なのだろう。自分が助けられなかったことに責任を感じているのかもしれない。
「これ以上、誰も悲しませたくない。わたしは生きて、絶対に兄さんを止める……」
 ミティアは膝の上で拳を震わせている。
 ジェフリーは止めるよりもその先を考えていた。つまり、命のやり取りをする。
「厳しい言い方だが、俺たちが小細工をしても、あらゆる手段を使って来た。今の俺たちには勝てる相手じゃない。キッドも弄ばれて、人質にされた。人を平気でだまし、利用して捨て、命を軽く見ている。この世界を混沌に陥れた。ミティアはそんな人に向き合えるのか?」
 ミティアはジェフリーと目を合わせる。だが、すぐに視線が泳いだ。自信がないようだ。
「わたし、どうしたらいいんだろう……」
 気持ちは汲み取れる。ジェフリーだって、竜次が道を誤った際に傍にいたわけではない。道を誤ろうとしている人を止めるのは難しい。何の前触れもなく、何も告げずに取り返しのつかないことだってする。
 ジェフリーは正直、ルッシェナを止めるのは難しいと思っていた。それでもミティアが希望を抱くのなら、もう少し付き合おうと思った。
 だったら、ジェフリーが出す答えはこれしかない。
「強くなればいいじゃないか……」
「えっ?」
 ミティアの中にその選択肢はなかったようだ。小難しい表情をしている。
 ジェフリーはもっともらしいことを言う。
「そして全力でぶつかる……しか、ないと思うけどな」
 これだけ耳にすると、やけに喧嘩腰だ。だが、さまざまな意味を含めている。
 話を聞いていたローズは、ミティアに向けて忠告をする。
「ルーとどう向き合うかはミティアちゃん次第デス。でも、次は本気で殺しにかかって来るかもしれないですよネ……」
「ころ、しに……」
 ミティアは声を震わせた。ルッシェナの脅威は別の点でもある。そう、ミティアにとっては、『今』を崩してしまうかもしれない脅威だ。仲間に知られたくないものを抱えている。言えない傷を胸に、ミティアは俯いた。
 ジェフリーは気になることがあり、ローズに質問をする。
「そうだ、博士の後輩だったよな? どんな奴だったんだ?」
 ローズから何か聞き出せないだろうかと期待した。ミティアと一緒に暮らすようになる前が気になる。
「実はルーは人生の後輩というだけで、あまり自分のことは話さなかったデス。でも、彼も普通の人間ではなかったような気がしますヨ。種の研究所の、いわゆる逸脱した派閥に属していたのは確かデス」
 疑問が二つ浮上した。
 一つは普通の人間ではない。もう一つは、逸脱していない正規の種の研究所が今も存在するのか。
 手を出し過ぎると目的を見失わないかを恐れ、今は頭の片隅に置いておく程度に踏み止めた。ないものをねだってばかりも先に進まない。
 今一番の優先はミティア。次は天空都市に乗り込むための下準備。ジェフリーは自分を抑止するので精いっぱいだった。情報が多いのはそうだが、処理が追い付いていない。それどころか、仲間の中で歩調が乱れつつある。
 
 窓のカーテンの隙間から朝日が射した。夜が明けたら移動と考えたが、そろそろ仮眠しているコーディを起こそうとジェフリーは席を立つ。
 席を立ったタイミングで、圭馬は声をかけた。
「ねーねぇ、ジェフリーお兄ちゃん、お願いがあるんだけど?」
「俺に……?」
「無理を承知だけど、恵ちゃんを一緒に連れて行ってくれないかい?」
 圭馬が食べ物以外でお願いをするのは珍しい。ジェフリーは最後まで聞くことにした。
「ここを出ると化身の姿を保てないとか、この聖域とは勝手が違うんだろう? それに誰かと契約することで魔力共有がうんぬんと、難しいことを言っていなかったか?」
「別に誰とも契約しなくていいよ。契約すると魔力の共有が発生するからね。ペットを連れてるくらいの感覚でかまわないさ。恵ちゃんが襲われた上に、魔界への鍵が悪用されたんだ。本来は三人揃って魔界追放だろうけど、荒らされた責任は、恵ちゃんを置いて行ったボクも感じてる」
 圭馬は兄の圭白がアイラと契約していたとは知らなかった。ゆえに、恵子はここにずっと一人だったのだ。サキにこの話を持ちかけないのは、彼の負担を考えているのだろう。
 契約を交わせるほどの魔力を持つのは、サキ以外にはミティアだろうが、今の彼女はなぜか魔法が使えない。
 だからと言ってジェフリーも考えはするが。
「俺だけじゃ決められないんだが……」
「ボクがしばらく面倒を見るから!! だから、お願い」
 特段、断る理由はない。この様子だと圭馬はダメと言ってもいくらでも食い下がるだろう。
「俺はかまわないけど、エンゲル係数が増えるなぁ……」
 小動物が増えるのは癒しになっていいのかもしれないが、一番食べる人次第だろうか。ジェフリーの視線は、ごく自然にミティアへ。
「あ、食べるのなら、少しは我慢するから。わたしもお世話したいし。それに、わたしの兄さんのせいで変なことされちゃったんだもの……」
 変な責任を感じているようだ。ミティアは世話好きだが、先に不器用と自覚してもらいたい。
 恵子はウサギの姿のまま、深々と頭を下げた。
 まだ回復したばかりで、多くを話すのは辛そうだが、礼を言う。
「この度は本当に申し訳ありません。お気遣い、本当にありがとうございますです。お世話になりますぅ……」
 どうもお願いをされるのには弱い。ジェフリーは恵子に協力をお願いした。
「面倒は見れるかもしれないが、安全の保障はしない。自分の身は自分で守ってくれると助かる。これだけは頼みたい」
 落ち着いたところでコーディを起こした。
 同タイミングで、サキが明るい表情で戻った。アイラとすれ違って言葉を交わしたのだろうとジェフリーは思った。
 思い悩んでいたサキはどこかへ消えた。そこに立っているのは、若者らしく決意を新たに、目を輝かせた魔導士の姿だ。あまりに輝かしいので別人かと思うくらいだったが、サキは大真面目だ。余ほどやる気に満ち溢れているのか、これからの流れを聞いて来た。
 コーディも起き抜けだが揃ったところで流れを説明する。
 これから沙蘭へ戻り、竜次とキッドと合流後、魔法都市フィラノスへ行く。アイラは別行動だが、彼女は逃げる手段も戦う手段も持っている。
 戻って、沙蘭がどうなっているのかも気になる。二人は仲よくやっているだろうかと心配はあった。特にキッドは気が強い。だらしがない竜次を引っ張ってくれると助かるのだが。
 ジェフリーは余計な心配をしながら軽く伸びをして言う。
「さて、疲れもあるし、ぱぱっと博士の箱で帰るか」
 ローズは首を傾げた。『箱』と聞いて、心当たりはあるが、勝手が悪い。
「もしかしなくても、トランスポーターデス? アレでしたら、チャージが必要なのデスヨ? 言わなかったデス?」
「いや、聞いてない」
「チャージに十万リース必要デス。アレ、貯金箱のような原理ヨ?」
 唖然とした。そう便利な物が無限に使えるとは思っていなかったが、そういった重要なことは早く言ってほしい。いくら急いでいたとはいえ、一回でそれだけのお金が動くとは鳥肌が立った。
 正直ジェフリーは、お金だけは何も文句が言えない。なぜなら、自分で働いた経験がないからだ。旅をするようになって、ようやくお金のありがたみを知りつつあるくらいである。
 一行は移動に便利な手段を持ち合わせていない。
 旅をしているので当然お金はかかる。食事代、宿代、道具、衣服や小物もそうだ。
 移動手段について話していると、やる気を出す者もいた。
「僕が早くテレポートを覚えちゃえばいいですよね。お師匠様みたいにさくさく移動できたら皆さんも助かりますよね!!」
 さっそくやる気に満ちているのはサキだった。やや空回りな気がする。ジェフリーは呆気にとられた。
 抑止したのは圭馬だった。
「キミ、あんまり風の魔法は使わないよね。もっと熟練度を上げないと、新しい魔法が身につかないよ……」
 その指摘を受けるとは思ってもいなかった。サキはひどくショックを受け、がっくりと肩を落とし、頭をカクンと落とした。
 これほどわかりやすい落ち込みは珍しい。ジェフリーは心配になった。
「サキ、お前大丈夫か? 最近悩みすぎだし焦っているように見えるぞ」
 凛々しく輝きに満ちたサキではない。あまり落ち込み過ぎるとよくないが、サキは首を横に振りながら顔を上げた。
「伸びしろはプラスになる印です!!」
 最近は喜怒哀楽がわかりやすくなった。前から悔しがり方も尋常ではなかったし、誰かの役に立ちたいと必死だった。サキらしい、見上げた根性だ。
 コーディを起こし、沙蘭へ向けて出発する。しばらくは幻獣の森には戻らないだろう。屋敷の戸締りも、今度はきちんとした。
 もうひと頑張りだ。


 明るくなって平和な朝を迎えた――はずだった。
「嘘でしょう!? 竜次さんったら、どんくさい。もっと早く野菜を切ってください!! こっち、煮詰まっちゃいますよ」
「やってますったら、せっかちさん!!」
 菜切包丁を手に、キッドにいびられっぱなしの竜次。根菜の味噌汁を作ろうと、キッドは大釜を大きな木の匙で混ぜ込んでいる。ほかほかと湯気が立ち、野菜のいい匂いが厨房に充満する。
 握り飯を手際よく作ってはお盆に持って行くのは正姫。彼女は、同空間でダメ出しばかりされている竜次を不憫に思いながらも助けない。敬愛する兄に物怖じせず、何でも言う、キッドとのやりとりが面白いと言えば正直なところ。
 竜次だって、一度は手伝うと言った意地がある。自分に向かない、嫌だと言って投げ出してしまえば楽なのに、引くに引けないようだ。
 キッドはさらに言う。
「少しは食べる人の気持ちも考えてください。そんなに大きかったら、火が通らないでしょ? その切ったの、あたしが食べるのだってあり得ますからね!!」
「むっ……確かにそれは大変。お腹を壊されては困ります」
 手もとには見事な輪切りのニンジン。煮詰めれば多少は砕けるかもしれないが、このまま誰かが食べたらびっくりされそうだ。
 キッドには思惑があって、竜次と正姫の炊事に加わった。
 それは、『相手の気持ちを考える』という難しい課題のためだ。
 キッドは、真面目に聞き受けながら捌いてゆく竜次を見直していた。名刀を振り回しているのが関係しているのか、包丁は少し使うとすぐに慣れた。指を切るような危なっかしい扱いはしておらず、作業を進めている。
 手際は悪いが、竜次は大真面目に取り組んでいた。
 頑張った甲斐もあって、握り飯が暖かい間にひと仕事終わった。竜次は、朝から疲れたと言わんばかりに、食材の入っていた木箱にだらしなく座った。
 配給をしに行った正姫を見送った。
 だが、これでキッドの行動が終わるはずがない。いつもの余裕がなく、子どものようにおとなしくなった竜次の腕を引いた。
「休んでないで、あたしたちも行きますよ」
「えっ、どこへ行くんですか? もうくたくたなのに……」
「いいから!」
 キッドは不敵な笑みを浮かべながら、竜次を外に連れ出した。見張りをしている人の場所に差し入れを届ける正姫の姿を、少し離れた松の木の影から見守った。
 これではただののぞき見だ。竜次はキッドが何を見せたいのか、気になった。
「何を?」
「黙って見てて」
 疑問に思いながら質問をするが、キッドは黙って見ていろと強めに言う。
 見張り台のふもとで、街の役人が腰を下ろし、おいしそうに差し入れを食べて休んでいる。竜次はじっとその様子をうかがっていた。
「正姫様はお優しいですなぁ」
「こんなに下々の者を気遣ってくれるなんて、こいつぁ頑張らないと」
 正姫の好感度のよさを知った。普通は物資や金を上げておしまいだろう。沙蘭の者たちは、こうして正姫を慕っていたのだ。正姫も差し入れを自らの手で運び、励ましの言葉をかけて回っている。
 妹は大きな存在と知り、納得していたときだった。
「この味噌汁、おいしいですね」
「こいつぁ、具がたくさんで元気が出ますわ!!」
 キッドはだいたいの反応を予想していた。竜次の顔を覗き込みながら言う。
「竜次さんが頑張って作った味噌汁、おいしいって言ってますよ?」
「あっ、そっか……」
 竜次はぼんやりとし、零すようにつぶやいた。何度か瞬いて、なぜか泣いていると気がついた。今まで泣くことを抑えてきたというのに、旅の道中、とあることをきっかけに涙腺が緩んでしまった。
「あっ、何で……?」
 ごしごしと目もとを擦る。水で冷たくふやけた手には、ゴボウやニンジンなどの匂いが染みている。
「自分がすること、少しは相手の気持ちになって考えられました? 成し遂げるってこういうことだと思うんですよ」
 これは一例に過ぎない。だが、相手の気持ちを考える点では大きな勉強になった。
「自分の行動に、責任を感じないといけないですね。思えば、私は一つのことを成し遂げた経験がない。剣も、医者も、大切な人を幸せにすることも。骨身に染みる、いいものを学びました。ありがとう、クレア……」
 キッドは明るく爽やかな笑顔を見せた。彼女のこの笑顔を見るのは二度目だ。
 竜次はキッドと一緒だと、どんどん大切なことに気付かされる。何だろうか、この燻ぶる気持ち。言葉に表現できない。下心がないと言うと嘘になる。いつまでも、脈ナシというのが引っかかっていた。
 ダメもとで気持ちを伝えようとも思ったが、仲間内で関係が気まずくなるのだけは避けたい。それに、キッドの心にはまだ『好きだった人』がいるのを理解している。
 煮え切らない気持ちが竜次の心を蝕んでいた。

 沙蘭の大きな広場を借りて、講習と実践稽古の場を設けた。
「もっと脇を詰めなさい。刃先は相手、目の先に構えて!!」
 志願して来たのはざっと百人くらいだろうか。見張りや役人の勤務交代もあるので、昼までの二コマをやってくれと頼まれた。コマという括りは独特で、まるで学校のようだ。
 意外に思ったのが、一般の人も加わった点だ。剣神に教えてもらえるなど、光栄だと歓喜する者もいたくらいだ。
 本当に先生の気分である。
 同敷地内にある道場の中で、キッドも弓矢の先生をしている。意外と女性の志願者が多かったようだ。彼女もやりがいを感じている。
 二人は熱心に教え込むが、本当に任せられるものがいないのだと痛感した。知識だけで、実際に剣を持った経験がない役人もいたくらいである。
 本来は、マナカと光介がこういった教育をしなくてはいけない。あとできつめに言っておかなければ……と、竜次は悩ましく思った。

 昼前、カンカンに晴れた空に呼子笛が鳴り響いた。稽古中だったので聞き流したが、手に負えない場合は収集がかかるだろう。下手に総出で動いて、肝心の本拠地が手薄になるのは避けるべきだ。いい機会なのでこれも教えに入れた。
 もちろん少しの稽古だけで終わるはずもなく、熱心な者からの質問攻めに遭った。うれししい悲鳴だが、竜次はここに留まらないつもりでいる。
 心中は複雑だったが、最後の一人まで面倒を見ていた。
 熱心なのはキッドもそうだ。もちろん手は抜いていない。基礎だけ叩き込めば、あとは腕力と集中力を磨くだけ。幸いにも、この国にはボウガンが存在するようだ。
 手動で弾く弓矢と違い、真っすぐ飛ぶが障害物に弱い。沙蘭の環境から、高い場所ならば、それでも十分に戦えるだろう。問題は平地での動き方だ。
 正姫は理解していたのかはわからないが、沙蘭は街中でも立派な大樹や灯篭など、障害物が多い。その分弓矢は磨けば光るかもしれない。
 二人は片付けて道場をあとにした。昼前の呼子笛が気になったので、鳴った方へ向かう。またイノシシでも出たのか、それとも大きいクマでも出ただろうか。
 あまり期待しないで大通りを横切り、裏口の方へ回ると人だかりができていた。騒ぎの発端は、幻獣の森に行った皆が帰還したことだった。
 キッドは人込みをくぐり、皆を出迎えた。
「あら、おかえり」
 キッドの姿を見るなり、ミティアが飛びついた。
「わーん、キッドぉ!!」
「わわっ、何よいきなり!?」
 ミティアはキッドに抱き着いて感覚を懐かしむ。実際は、丸一日、別行動をしただけだ。それよりも、ジェフリーの右腕の肘から先が血まみれだ。キッドはこちらの方が気になった。
「何それ……あんたの?」
「いや、デカいのに出くわした。クマみたいだった。こんなのばっかりか、外は……」
「昨日からずっとよ。イノシシだのクマだのオオカミだの」
 ジェフリーいわく、大きなクマが沙蘭の周辺をうろついていたらしい。何やらローズが抱っこしているウサギが増えている気がする。細かい指摘はのちほどにしようとキッドは判断した。
 ジェフリーのうしろからサキがひょっこりと顔を見せた。キッドの右手の包帯を指摘しながら口を尖らせる。
「姉さん、また怪我したの?」
 指摘を受け、キッドは平然と右手をひらひらとさせている。
「大したことないわ。竜次さんに診てもらったし」
 キッドの言葉に一同は揃って呆気にとられた。この違和感に気付けないほど愚かではない。
 ミティアとジェフリーは順に違和感を口にした。
「りゅうじ……」
「さん……」
 キッドは一瞬動揺したが、咳払いをして腕を組んだ。
「べ、別に深い意味はないんだけど?」
 うっかり口にしてしまった。キッドはむきになってそっぽを向いた。そのキッドにサキはさらに指摘を入れた。
「姉さん、説得力がないよ?」
「だからそんなんじゃないって!! 失礼でしょ!? あんた、やけに絡むじゃない」
「だって、その短い剣、先生のじゃ?」
 キッドの腰には竜次が腰から下げていた小太刀が括られている。赤い紐だからやけに目立つ。
 ミティアは無邪気な眼差しで、ストレートな攻撃を仕掛けた。
「キッド、もしかして先生と仲良くなったの?」
 久しぶりのミティア節を聞いて、ジェフリーが必死で笑いを堪えている。空気を乱し、気まずい空気を払う気質だ。
 キッドはジェフリーの性格の悪さを指摘する。しかも、わざとらしくミティアに言った。
「ねぇ、ミティア? 将来のためを思って言うけど、そいつの性格は最悪だわ。やめておきなさい」
「どうして? もしかして、キッドもジェフリーが好きなの?」
 ミティアに指摘を入れるよりも前に、キッドとジェフリーが睨み合った。
「絶対ないわ。こんな奴、気色悪っ……」
「はいはい、そうだろうな」
 二人して同タイミングでそっぽを向いた。信用しているし、お互いの実力や性格も把握した上でもこの雰囲気は変わらない。
 見慣れてしまったが、捉え方次第では仲良しに見えてしまう。
 騒動が人だったのを知った街の人や役人が散って行く。その中、小走りで竜次が到着した。
 呼吸を整えると迎えの挨拶よりも先に、キッドに説教をした。
「ダメでしょう、クレアは怪我をしているんですから。今回はよかったにしても、一人で行ったらいけません!」
「ご、ごめんなさい……って、あたしもすぐに来たわけじゃないんですけど」
「あぁ、皆さんお帰りなさい。どうかしたんですか?」
 竜次とキッドのやり取りを見て聞いて、どこから指摘を入れたらいいのかもうわからなくなっていた。
 この微妙な空気の中、やはりミティアは黙っていない。
「そうだ、みんな揃ったのでご飯食べませんか?」
 収拾がつかない。ミティアの言葉が引き金になり、ジェフリーは腹を抱えながら大笑いをしている。
 サキは止めようとする。
「ジェフリーさん、あんまり笑ったら失礼ですよ?」
「これが笑わないでいられるかよ……」
「いえ、まぁ、気持ちはわかりますけど……」
 サキはキッドの視線を察知して身震いをした。この蔑む視線を浴びると、背中にぞくぞくと悪寒が走る。
 一行を客観的に見て、圭馬がこの状況を楽しんでいた。
「何だかすーんごく久しぶりに見た気がするよ。こんなくだらないの。まぁ、これがいいんだけどね?」
 コーディは小さく何度も頷いている。
「お兄ちゃんたちだけで恋愛小説からファンタジー小説、コメディ……何でも書けちゃうんじゃないかな」
 コーディの夢は本を書くこと。それはこの世界の真実を綴って、世界で起きていることや真実を伝えたい。その真実に行き着くにはまだかかりそうだ。その過程で得た情報は、もちろんコーディの中では大きなもの。関わった人物も例外ではない。
 ただの旅の一行としては面白い人物ばかりだ。
 ローズが興味を引いた。
「コーディがまとめるなら、読んでみたいデスネ……」
「なんか、ローズもいい性格になったね」
「ふっふ、こういうのは少し離れて見ているのが面白いデス」
 白衣をばたつかせ、お茶目に楽しんでいるローズ。彼女もまた、この情景を楽しんでいる一人だ。だが、ローズも人物としては色濃い存在だ。それをわかって居ての反応なのだろうか。
 一行の存在を楽しんでいるのは圭馬だ。もっともらしく、第三者の視点から恵子に見どころを伝える。
「恵ちゃんも覚悟しておきなよ。この人たち、ファンタジー抜きでも面白いから」
 いつからだろうか、こんなに人間のやり取りを面白いと感じるようになったのは。
 この人たちが特殊かもしれないが、実際に見ていて面白いと思う。
 いつか飽きるだろう。人間なのだから。そう思っていたときが、圭馬にもあった。

 合流し、なぜか城へ向かう。城に招いたのはキッドだ。なぜか竜次ではない。
 ジェフリーたちは幻獣の森から魔界の探索でくたくただ。だが、座って話をする様子でもないようだ。
 城に到着するなり、客間に大きな机の用意があった。キッドが上機嫌に配膳をする。彼女いわく、朝、差し入れに出した残りだと言う。
 白御飯と卵でとじた鶏肉と葉野菜、これはご飯と合いそうだ。それにカブの漬物、根菜の味噌汁。立派な定食だ。
 帰ってすぐにご飯を出されるとは意外だった。これをキッドが出したので、何か裏でもありそうな警戒をしてしまう。
 サキは、支度をしたキッドをじっと見ている。
「いただいていいんでしょうか?」
 竜次がお茶を淹れ、皆に配っていた。
 キッドはにっこりと笑いながら、なぜこの料理を出したのかを話した。
「今朝、お役人さんとかに出したのよ。その残ったのだから」
「へぇ、姉さん、お手伝いをしたんだね」
「ま、まぁね。そんなところよ」
 サキの向かいでミティアが箸を持っていただきますと合掌している。気が早い。そして、食べる前から幸せそうな顔をしている。
 竜次がそわそわとしながら様子をうかがっている。ミティアくらいわかりやすいのも気になるが、普段からおいしそうに食べないジェフリーが気になって仕方ない。
 ジェフリーは手が止まっている竜次に声をかけた。
「食べないのか?」
「あ、はい。食べますよ」
 そわそわと落ち着かない様子だ。ジェフリーはおかしく思いながら、箸を汁に浸してお椀を持ち上げる。
「兄貴……気色悪いぞ? 血ならさっき洗ったはずだが、何かついてるのか?」
「いいい……いえ、別に!!」
「変な兄貴だな……」
 気になって仕方ない。妙な空気を払ったのはミティアだった。
「おいふぃ……」
 ミティアは頬張りながらもぐもぐとさせている。
 本当においしそうに食べるものだから、見ていてうれしい。作る側であった竜次は、平然を装いながら抑えきれない感情が見え隠れしていた。
 コーディは沈んでいるダイコンの大きいものと小さいものを箸で摘まみ上げる。
「これ、大きさがまばらだけど、それも面白いね」
 おいしそうに食べている。コーディはあまりこういうことを口にしないのでこれもうれしかった。
 ローズは汁物から野菜を摘まんで圭馬と恵子に与えている。小動物たちは、もっとくれとせがんでいるようだ。
 ジェフリーもサキも汁物を含んでもぐもぐしている。それ見て、キッドがようやくネタ晴らしをした。
「それ、先生も手伝ってくれたのよ。味どお?」
 キッドの言葉に、ジェフリーとサキは動作を停止した。そのまま二人は竜次をじっと見ている。
 竜次は照れくさそうにしながらもうれしそうだ。
「えっと、そうなんです。おいしいですか? おいしいですか?」
 そわそわしている原因を知って、ジェフリーの表情がどんどん険しくなる。
「兄貴って、炊事もそうだけど、家事全部が苦手じゃなかったか?」
 などと言いながら、ジェフリーの口はもぐもぐしていた。
 サキはキッドへ視線を向けた。
「それって、姉さんと共同作業をしたのですか?」
 サキは意味深な言い方をするものだから、コーディが二人をじっと見ている。
「んっと、展開早くない?」
 その可能性はない、脈なしだとコーディは思っていた。実際、竜次とキッドが一緒に調理を行った。これが何もなかったというには説得力がない。
 ジェフリーは違う心配をした。
「つか、何か盛ってないよな?」
 怪訝な表情がどうにも険悪な空気にさせる。
 そんな皆の中で、ミティアは全部平らげて箸を置き、再び合掌した。
「えへへ、ごちそうさまでした!」
 顔を上げるミティアは、味わったものの余韻に浸っている表情だ。そのまま誰に言うわけでもないが、持論を展開した。
「食べるのって大切だし、作ってくれた人はどんな人なんだろうって考えることもあります。おいしいものを作る人に悪い人はいません。世の中には食べたくても食べられない人だっていると思うので……」
 ミティアは竜次にはにかんで見せた。
「おいしかったです。ほっこりしました。また、別の料理も食べてみたいです」
 竜次にとって、眩しい笑顔だった。尊敬を含んだ『他の料理も食べてみたい』が心に染みる。
 キッドが竜次に耳打ちをした。
「(良かったですね、大好きなミティアにあんなことを言ってもらえて……)」
 キッドの濁りのない言葉が、かえって竜次を苦しめる。確かにそうかもしれないが、望んでいるのは違う。
 認めてもらいたい人は目の前にいるのに、関係が崩れるのが怖くて言えない。
 また、孤独になるのではないかと思うと、その言葉はしまい込むしかなかった。
 
 食事を片付け、一同は座ってこれからの話をする。ミティアの半身は戻らなかった話で、キッドが涙目になって落ち込んでいる。
 気を落としている暇はない。ジェフリーは力強い発言をする。
「方法は必ず見つける。ミティアが弱っていくのを黙って見ているなんてできない」
 ジェフリーの必死さが伝わる。竜次は医者ならではの視点で疑問を抱いた。
「疑問なのですが、その『衰退』とは具体的にどんな異変が起きるのでしょうか?」
「幻獣の森でわかったんだが、ミティアは今、魔法が使えないらしい」
 竜次は顎を摘み、考え込んだ。
「見えないところが弱っていくのですか。何か止める術があればいいのですが」
 内側から壊れて行く嫌なケースではないかと竜次が指摘する。もしかしたら、そうなのかもしれない。まるで、末期になってから気が付く病気のように。
 話を聞いていて、恵子がぴょこんとテーブルの上に飛び乗った。
「衰退……ちょっとよろしいでしょうか?」
 具体的な話はわからないが、考えがあるようだ。
「えぇっと、わたくし、圭馬様の妹の恵子と申しますぅ。あんまり流れがわかっていませんが、何かを制御したいなら錬金術でどうにかなるかもしれませんですぅ」
 バンダナのウサギがペコペコとお辞儀している。圭馬が耳をピンと立てた。
「あー、そっか。壊れちゃった腕輪をもう一度作るってことかぁ!!」
「昔の神族さんは、そうやって強すぎる魔力を制御していました。だってそのおかげで特別な王族は禁忌の魔法を使っても、一度では命を落とさなかったのですぅ。すごい技術ですぅ!」
 ジェフリーは恵子を摘み上げる。今の話には希望がある。
「そ、それでミティアは助かるのか!?」
「ふ、ふえぇん、圭馬様ぁん!!」
 恵子はじたばたと暴れ出した。
 ジェフリーはすぐに恵子を解放し、頭を撫でた。興奮するあまり、乱暴なことをしてしまったと猛省する。
「ご、ごめんな……どういう意味か、説明してほしい」
「えぇっと、ソフォイエル神族さんは当時敵だったドラグニー神族の財宝とアリューン神族の技術を利用して、自らの魔力を制御する道具を作ったのですぅ。それが、死なれては困る王族が自らの魔力を制御する腕輪ですぅ。現代で言うところの、魔導士が魔力解放を使うことに似ていますよぉ」
「もう一度、腕輪を作ることが可能なのか?」
「あうぅ……それはわかりませんですぅ。でも、もともと強大な力を抑えるものなら、やりようによってはゼロになることを防いだり、一定の能力値を保ったり、逆に増幅させることも可能なのではないでしょうかぁ?」
 思わぬ収穫だ。フィラノスに向かう前に、いい情報を得た。フィラノスの大図書館へ向かう理由は、主に種の研究所で何の技術を使ってミティアに負荷をかけていたのかだ。生身の人にどんな技術を施して、キメラ化し、ハイブリッド人間を作ろうなど思ったのだろう。現時点ではその考えを深堀りすることはなかった。
 別の角度からミティアを救う可能性が出てきたことにより、サキは急に立ち上がった。
「僕、ちょっと沙蘭の大図書館に行ってきます。鍵って、正姫さんにお願いしたら大丈夫ですよね?」
 サキは出かけると言い出した。それを聞いたキッドが驚く。
「えぇ!? あんた、急にどうしたの?」
 驚いたのはキッドだけではない。沙蘭の大図書館と聞いて、ジェフリーが顔を上げる。
「そうか、サキはここでミティアがつけていた腕輪の記事を見つけたんだよな」
「そうです。ここの大図書館でドラグニー神族の本に遭遇したんです。だったらもっと他にもヒントになるようなものがあるかもしれない」
 サキは右手に拳を作り、力強く意気込みをしている。
 ドラグニーの文字が読めるコーディが同行に立候補した。
「ドラグニー神族の本!? サキお兄ちゃん、私も行きたい」
 いつもなら、大図書館に同行するのはジェフリーだ。
「そうか、もっと適任がいたな」
 コーディは立ち上がって手早く支度を始める。
「一度、行ってみたかったんだよね。頭よくないと入れないんでしょう?」
 トランクから巾着袋を取り出し、筆記具を詰め込んだ。
 サキはジェフリーに向かって言う。
「手ぶらで帰って来ませんからね」
「サキはそんな奴じゃない……だろ?」
「任せてください!」
 軽く手を振って、サキとコーディが退室した。使い魔二匹と、追加のウサギが一緒だが、ペットは大丈夫なのだろうか。
 そんなことを言っている場合ではないのだが、現実的なところが気になる。

 残った者だけでゆっくりと座談というわけではない。細かいところの確認と、話を詰めようと持ちかける。
 心なしか、竜次もキッドも疲労の色が見えた。座って話すには問題ないかもしれないが、炊事以外で大きな仕事をしていたのかもしれない。ジェフリーは皆の顔色をうかがっていた。
 ローズは何かを思いついたのか、乳鉢を取り出しザラザラと袋から果実らしきものを入れては乳棒で潰している。話を聞きながら作業をするらしい。
 ジェフリーはローズの様子も気になりつつ、キッドに話を持ちかけた。
「なぁ、キッドはミティアと付き合いが長いよな?」
「そうだけど、何? 嫉妬でもしてんの?」
「いや、そうじゃないが聞きたいことがある」
 割と真剣だったのだが、キッドに脱線させられそうになった。ジェフリーはミティアを横目にし、あらためて質問をする。
「キッドが知り合った頃のミティアはどんな感じだった?」
「えっ、急にどうしたの? 過去探りなんて」
 ジェフリーは答えを待ったまま黙った。キッドは戸惑いながら思い起こしている。
 前にも自己紹介をする機会に話したが、それとはまた違うのだろうか。
「ミティアは九つとかそんなもんだったけど。痩せてて、もっと暗くて、人見知りも激しくて、あたしにもあんまり話してくれなかったわね。なんか記憶喪失にでもなったみたいにぼうっとしてたし」
 キッドの話に、ミティアが食い入るように聞いていた。むしろ、聞きたがっていたジェフリーよりも、聞き入っているように思える。
「どしたの、ミティア?」
「わたしはもしかして、心のどこかで兄さんが悪い人だって気が付いていたのかもしれない。兄さんは村の人とよく馴染んでいたけれど、だけど、その……何て言うか……」
 ミティアは悪寒を感じたように、屈んで腕を抱えた。
「ときどき怖かった。理由もわからず手を挙げられたり、暴力を振るわれたり、わたしを束縛するようなことが多かった」
 聞いて竜次が眉をひそめた。次いでローズが手を止める。
 ジェフリーは気になる単語を呟いた。
「暴力……?」
「ジェフ……」
 竜次が咄嗟に止めるように首を振った。詮索を続ければ、おそらく精神面でミティアを苦しませてしまうと、抑止させる。
「えっ、何? どうしたの?」
 キッドはわけがわからず、近場のローズに答えを求めた。
 ローズは一言だけでまとめた。
「要するに、ルーは変態ってことネ……」
 ローズは作業の手を止めた。不織布の袋を取り出し、乳鉢で潰した粉を移し替えている。その表情は気の毒な話でも聞いているようだ。
 今の話を把握していないのはジェフリーとキッドだ。もしかしたら、ずっと知らなくていいのかもしれない。
 竜次がぎこちなく話の流れを変えた。
「そ、その、普段はどんな人でした? 何か、その、夢とか将来どうしたいみたいなお話はしませんでした?」
 ジェフリーが本当に聞きたいことはこれだったので助かった。だが、竜次から圧力を感じたのは気のせいだろうか。気になったが、伏せておいた。
 キッドは難しい顔をしながら考え込んだ。
「あたしはルッシェナさんとよく一緒に狩猟に出ました。けど、特には。あ、でも何か『神様』になりたいって言ってたかも? 狩猟の神様ですかって聞いたら、笑われてしまいましたけど」
 楽しそうに話すキッドもそうだが、『神様』は胡散臭いと感じた。
 ミティアは心当たりがあるようだ。
「それ、わたしも覚えてる。すっごくキラキラした目で言うから、悪いことだと思ったけど……」
 同じ村で暮らしていたからこその情報。さり気なくも何でもない生活の中で、そのヒントは放たれていた。
「少なくともいいことじゃないと思うけどな」
 たぶん、と付け加え、ジェフリーがお茶を口に含んだ。竜次は深く頷いた。
「なるほど、天空都市を手に入れるつもりでしょうか。それで、『神様』を気取るつもりでしたら、何となくつながりますね」
 ジェフリーはルッシェナの言動や行動を思い返している。あれほどの自信に満ちた発言、絶対たる武力、それに科学の力。世界の神に君臨したいのならば、何となくではあるが、納得がいく。だが、なぜそこまでしたい強い願望があるのだろうか。
「問題は、どうしてそうしたいのかってところだけど。そこまでの信念というか、そいつがなぜその考えに至ったのか、どうも謎だな」
 ジェフリーの考えを聞き、ローズがため息をつく。気になることは別にあるようだ。
「それは直接ルーに聞いた方がいいかもしれませんネ。それよりも、先ほどから見ていて思いましたが、お二人、そろそろ割り切らないといけないと思うデス……」
 ローズにしては珍しくも、ごもっともな意見だ。割り切らないといけない。キッドとミティアに対してだ。二人は顔を見合わせ、揃って辛辣な表情を浮かべる。
「わ、わたしは兄さんに間違ってるって言いたい。家族だったかもしれないけど、たくさんの人を傷付けた悪魔だと思う……」
 ミティアの方が迷いを捨てようとする意志が強い。仲間も考えると、どれだけひどいことをしたのか身に染みている。
 その一方で、キッドは難しいかもしれない。わかってはいるものの、心だけはどうしても離れたくないようだ。だが、持ち前の強がりでこの場を誤魔化すつもりのようだ。滲み出てはいるが、笑って見せた。
「あ、あたしは平気よ。先生に止めてもらう保険をかけてあるし? ね、先生?」
 ぎこちない笑い方だ。キッドは自分だけでは自信がないようだ。竜次を保険に……とは言うが、竜次は視線を落とした。キッドと親しくなったと思っていたが、違うのだろうか。キッドは心配だ。また取り乱したときは、竜次が止められるのだろうか。
 ジェフリーはこの二人の腹の内を知る必要があるのではないかと思った。面倒と片付けてしまえば簡単だ。だが、先延ばしにすることでもっと面倒になるのは、キッドの想い人の件で思い知らされている。

 バタバタと慌ただしい足音が聞こえた。どんどん近くなる。
「きゃうんっ!!」
 あと少しというところで、すてんと前のめりに転ぶ正姫の姿が目に入った。相変わらずおきゃんだ。
 すぐ立ち上がって一同の前へ。正確には、キッドと竜次の前で一礼する。
「先ほど、賢そうな子に場所を聞いたので。失礼します」
 サキのことだろう。正姫は一息つき、二人に封筒を差し出した。
 話が一区切りしていたので助かったが、正姫の登場とは意外だ。しかもわざわざ竜次とキッドに用事があるという。
 竜次は仲間の視線を気にしながら言う。
「姫子、これは?」
「講師をしてくれた報酬でございます」
 正姫は正座して、綺麗に頭を下げて礼をした。あまりに綺麗なので模範として本にでも載せたいくらいだ。
 封筒の中身が報酬と聞き、キッドが声をひっくり返す。
「えっ、お姫様、いけません!!」
「受け取っていただけるまで、この頭を上げません!!」
 キッドも落ち込んだり慌てたりと気性の変化が忙しい。竜次としばらく顔を見合わせるが、まったく動かない正姫に折れてしまった。
「はぁ、今回は受け取りますが、次からちゃんとした人か、マナカたちにやらせなさい」
 受け取ってくれると知った正姫は顔を上げた。両手を組み、歓喜している。
「街の者まで混ざったそうで、本当にありがとうございました。特に弓矢は、おなごが感謝しておりました
 二人以外は、目の前で何が起きているのか理解していない。
 ジェフリーは眉をひそめた。
「講師……?」
 疑問を持ったのがジェフリーだ。正姫は冗談を言うように軽く答える。
「あぁ、ジェフもやるか? 荒っぽいから、教えるなど向かないか……」
「俺たちがいない間、二人はバイトでもしてたのか?」
「役人のスキルアップだぞ。だが、街の者がどうしてもと言うので許可をしたら好評でな。少しは自衛もできるだろう」
 正姫も武芸を身につけてはいるが、限界はある。人に教えるというのはどうにも難しい。どちらかというと、自衛としては身についている武芸だ。何者かを迎撃するのとはまた違う。
「よし、参るか」
 報酬も渡し、説明もしたところで正姫は一人で納得し、慌ただしく立ち上がった。
 そそっかしいというか、落ち着きがないというか、庶民的なところがある。
 ジェフリーは正姫を見上げた。ここでゆっくりと話すこともできるというのに、何を慌てているのだろうか。
「姫姉、どこに行くんだ?」
「船着き場だ。マナカたちが帰って来たらしいからの」
 今度は一礼せず、またバタバタと走って行った。そそっかしくて、本当に一国の姫君なのかを疑ってしまう。
 一同は呆然としている。まるで嵐が去ったような感覚だ。

 キッドが封筒の中を見て身震いをしている。そして竜次もそうだった。
「せ、先生、いただき過ぎなんじゃないですか、これ」
「う、うぅん……いくら入ってました?」
 封筒を持った二人が部屋の隅に寄り、他の者に背を向けて見せ合っている。
 中には八万リースずつ入っていた。少し手強いモンスターの退治や、きつめのギルドの仕事分くらいはある。
 竜次が三枚ほどお札を抜いて自分の財布に入れた。あとは旅の資金にするつもりのようだ。
 お金の使い分けをするのを見て、キッドも同調した。
「あ、同じようにします。自分で持てないので、あたしの分も預かってください」
「預かりますがあなたのお金です。街で必要になったら言いなさいね」
「わかりました!」
 竜次は混合しないように、別のポケットにキッドのお札を収めた。封筒をまとめ、腰のカバンに入れる。


 沙蘭の大図書館ではサキとコーディが情報を得ていた。以前来たときは屋根が崩れていたのに、今は綺麗に修復されて前よりも立派に感じる。棚も整頓がされ、見やすくなっていた。ゆえに、探していた本はすぐに見つかった。
 サキは自分で持って来た紙に、ペンを走らせていた。
「で、あとは何ですか?」
 サキは顔を上げ、眼鏡を直した。本を解読するコーディを急かせている。
 コーディは解読をしながら首をかしげていた。あまりにも情報が多い。
「制御する材料は……これはオリハルコンかな?」
「どこで手に入ります?」
「えっ、えぇ……わかんないよ」
 コーディはドラグニーの文字を読むので精いっぱいのようだ。サキは使い魔たちに視線を向けた。
 答えたのは圭馬からだ。
「オリハルコンって半液体金属じゃないっけ」
「圭馬チャン、さすがに物知りですねぇ」
「地質の乱れと高エネルギーから生まれるから……そうだなぁ、火山でもあればそこで入手できるかもしれないね」
 答えがどんどん出るので、サキのペンが止まらない。床に座って狂ったように書き散らかしている。
「火山でしたらフィラノスの南に火山があります!! よし……」
 サキはまた顔を上げた。
「あとは?」
「もうないけど?」
 見つけたのは腕輪のレシピだ。自分たちに錬金術の知識はない。素材を集めて魔力で補助を与えれば、構造は一緒になるようだ。腕のいい鍛冶場に持って行かなければいけないが、そんな場所があるのかどうかもこれから調べる。
 サキが知っている限りだと、そんな工房のある場所に心当たりがない。
「天然の白の魔石の粉と、黄金のバネ草の花粉と、オリハルコン。これに魔力を加えて圧縮して腕輪にするっと……」
 書き上げて満足そうに集めた。物の名前だけではなく、用途に合わせた製法も書いてある。その手の専門的な人に見せたら、もう少し詰め込めそうだ。もしかしたら、ローズからいい答えが聞けるかもしれない。
「ほしい情報は得たからここはいいかな、と」
 サキは紙をまとめて手に持ち、退館しようとする。
 日が傾いて来たが、まだ明るい。その空を確認したサキはコーディに大図書館の鍵と紙の束を渡す。
「鍵、コーディちゃんが返してくれますか」
「あれ? 買い物でも行くの?」
 コーディはトランクに紙の束を収め、恵子を持ち上げた。
「そんなところです。夜にはお城に帰ります」
「あっ、うん?」
 サキは軽く手を振って別れた。何やら自信に満ちている様子だ。
 コーディは首を傾げながら、遠く小さくなってゆくサキのうしろ姿を見ていた。
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