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【2‐1】生と死と

自分の意思で選ぶもの

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 石畳の延長に大きな船着き場があった。俵や木製のコンテナ、籠に入った鉢植え、荷を運び出す大きな車輪のついた台車、大きな船が到着していた。商船ではなく、旅客を乗せた船だ。
 港の人が船に乗っていた者たちを迎え入れていた。
 正姫はマナカや光介と再会し、やり取りをしている。
 何となく気になって一同も来てみたが、意外な人と再会した。アッシュグレーの髪を上げた女性が見えた。
「竜次お坊ちゃん、皆様もお久しぶりですね。お元気に励まれておりましたか?」
 変態執事、壱子だ。燕尾服をゆらりゆらり、腰をくねくねとさせながら再会を喜んでいた。マナカと光介に格闘術を教えたのだ。一家とは縁がある。
 壱子とは、ノックスの近辺で別れた。フィリップスにいると知ったら、合流するだろうとは思ったがまさかの里帰りを果たした。
 ミティアが壱子にぺこりとお辞儀をした。壱子はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべている。この様子にミティアは悪い人なのかとビクビクしていた。
「わ、わたし、ミティアです。は、じめ、まして?」
「わたくし、ケーシス様の御付きをしております。壱子と申します。お聞きしておりますよ。相当なバブみを……むふふ……」
「け、ケーシスさんのお知り合いですか!? 無事なんですか!?」
 ミティアはうれしそうだ。壱子とまともに会話ができているのもすごい。
「ケーシス様でしたら、現在は貿易都市ノアで大暴れをしているみたいですよ。でも、暴れるのは二次元妄想の書物への具現化で暴れていただきたいですねぇ」
「サテラは一緒ですか? どうして貿易都市に……」
「貿易都市にはお薬が売っていますからね。現行の、正しい方の種の研究所が作ったものが」
 壱子の説明にミティアは深く頷いた。今にも泣き出してしまいそうだ。
「ケーシスさん、ちゃんとお薬飲んでるんだ。よかった……」
 自分たちの父親はそんなに体が悪いのかと心配する兄弟。
 話に入らないがローズもしかめた顔をしながら、その話に首を傾げていた。心当たりでもあるのだろうか。 
 壱子はジェフリーたちにもわかるように、声を大きくして言う。
「ノックスを封鎖しました。フィリップスは総兵力を奮って防衛中です。沙蘭のように守りを固めやすいと、もっと楽なのでしょうけれど。あちらはそれなりの兵力がありますのでそう簡単には壊滅しないでしょう」
 壱子がフィリップスは落ちないと言っている。と、ここまでの話で、フィリップスでも狂暴化した野生動物が攻め込んで来ているのがうかがえた。

「ひゃあぁぁぁぁっ!!」
 再会を喜ぶ中でミティアの悲鳴がした。近くにいたはずの彼女の姿がない。
 ミティアは少し離れた場所で、カーキ色のフードマントを被った人に抱き寄せられていた。
 ジェフリーは剣を抜きそうになって竜次に止められた。またミティアと引き裂かれるのではないかと不安で仕方ない。
 止めに入ったのは壱子だった。
「あぁっ、困ります、勝手な百合展開」
 壱子が武器を抜かないのなら、敵ではない。壱子が連れてきた者の可能性がある。
 突風が吹いた。潮を運んだ海風だ。ミティアを抱き寄せていた者のフードが飛んだ。一同が息を飲んで注目する。
 ミティアの顔が、驚きと困惑でいっぱいだ。目を見開き、息を飲んだ。
「えっ、あなたは……?」
 それもそのはずだ、自分と同じ赤毛で緑色の澄んだ目をした女性がそこにいる。
 その女性は、ジェフリーに敵意を示していた。
「あなたにこの子は渡しませんっ!!」
「なっ、どうしてあんたがここに……」
 女性はミティアを見せつけるように抱き締めていた。あたかも当然のように、悪意はないようだ。
「あの人、ミティアに似てる……?」
 キッドはぽつりと呟いた。だが、皆もそう思っている。壱子が軽く紹介をした。
「あのお方は、ノックスの教会でシスターをしていた、レスフィーナ様です」
 なぜ沙蘭に連れて来たのだろうか。
 この場にサキとコーディは不在。ジェフリーだけがこの人物を知っている。
 ミティアは前に手を出し、ばたつかせて助けを求めている。
「ね、ねぇ、みんな、助けてぇ……」
 
 船着き場から正姫とマナカと光介、壱子も役人も撤収していた。
 ジェフリーは渋りながら仲間に説明をした。つたない説明でどうしても皆の理解に時間がかかった。
 桟橋で話し合いが始まった。
「うーんと、つまり、ミティアさんのお母様……ですか?」
 竜次ですら理解に時間がかかったが、極論はそれで間違いない。
 この場にコーディやサキがいたら、もっと上手く伝わったかもしれない。ジェフリーの説明ではうまく伝わってくれない。
「地上の人間はわたくしのリーチェをさらい、被験者にしたのでしょう? そして連れ回し、悪影響を及ばせた。どうせ人間の都合です。人と違うからつらい思いをさせた。その都合の延長で、人間と同じように歩もうとさせているのでありませんか!?」
 ミティアの本当の名前はリーチェというようだ。もっとも、皆は、今から呼び慣れた名前を変えるつもりはない。
 レスフィーナの指摘は勘違いと偏見もあるが、一行の目指しているものの的を射ている。そしてミティアをまた束縛しようとしている。
 ジェフリーは一応説得を試みる。以前レスフィーナと話して傲慢だと把握しているが、今回はミティアも一緒だ。実の母親であることが濃厚ならば、乱暴なことはできない。穏便にともいかなさそうだ。
「前と少し状況が変わった。ミティアの中身は半分以上がない状態だ。種の研究所で失った半分の魂を取り戻すつもりが、それは叶わなかった」
「これ以上この子をどうしようと言うのですか!? もう、静かにさせてあげて!!」
「静かにさせるって何だ!! このまま何もするなって言いたいのか!?」
 レスフィーナの言い分にジェフリーが噛みついた。双方が睨み合う中で、ミティアがわけもわからず板挟みになっている。
「これ以上、できもしないことを唱えて、この子を期待させるなと申しているのです。持ち上げて落すようなまねは、下界の人間が得意と聞きました。命がかかっているのですよ。命を冒涜するような真似は罪を重ねます!!」
「諦めろって言うのか。だからあんたにミティアを渡したくなかった。会わせたくなかった!!」
 シスターらしいごもっともな説き方だ。信仰する者が聞いたら、涙を浮かべて祈るだろう。だが、ジェフリーにとってはそんなもの、ペテン師以下だ。
「リーチェはわたくしの子どもです!! 子を持った経験もないあなたに、わたくしの気持ちがわかりますか。世界などどうでもよいのです。もうこれ以上、人間の都合でこの子を巻き込まないでくださいっ!!」
「な、ん……だと……」
 さすがにジェフリーの頭に血が上った。レスフィーナの傲慢さは、最初から気に食わないと思っていたが、嫌悪感がさらに剥き出しになってしまう。
 この空気の中、ローズがジェフリーの肩をトントンと叩き、前に出た。すれ違い際にウィンクをしていた。
「シスターの言い分はわかりましたデス。ワタシにも産めなかった子どもがいます。その子たちが生きてたら、こんな野蛮な旅してるなんて、信じられないですネ」
 意外なことに、ローズが説得を試みている。ジェフリーにはその白衣をまとった背中が、逞しく思えた。
「ワタシもアリューン神族の混血。長生きする分、人間の愚行は嫌というほど目にして来ました。それでも、人間は過ちを繰り返すだけの生き物ではないのかもしれない。生きる希望を抱いてはいけないのでしょうか? アナタもシスターなら、命を大切にしたいでしょう?」
 砕けた口調が整った。ローズは真剣に向き合っている。
 ジェフリーは真っ向から喧嘩腰だ。レスフィーナにだって譲れないものがある。これはお互いの正義のぶつかり合いに過ぎない。争いなどではない。
 泥沼のように論争とお互いの言い分だけをぶつけても解決はしない。ローズはそう思ったようだ。普段は難しい話に入って来ないが、しっかりと説いてくれる。
 入り込む余地が発生した。ミティアはレスフィーナに向き直る。
「あの、よくわかっていませんが、お母さん……なの?」
 ミティアの質問に、レスフィーナは目を潤ませた。
「あぁ、神様……今日という日に感謝いたします」
 自分と似た反応に、ミティアはレスフィーナが悪い人ではないと理解した。皆にお願いをする。
「あの、わたし、この方とゆっくり話してみたい……」
 ミティアの姿勢は本来なら普通だろう。自分の母親かもしれないのなら、話をしてみたいと思うのは当然。
 反対をするのはジェフリーだけだった。
「ダメだ!! 話し合いを許したら、返してくれないかもしれない」
「ジェフリー……」
 離れたくないとあれほど言っていたのに、ミティアは大丈夫なのだろうか。ジェフリーは苛立ちを見せた。そのジェフリーを抑止する者がいた。
「ほいじゃ、ワタシも立ち会えばいいんじゃないデス? 邪な者に疑いをかけられるよりはいいんじゃないですかネ?」
 ローズが言葉巧みに提案を持ちかけた。これはレスフィーナに対して言っている。ローズはジェフリーに一瞬だけ振り返って、小さくピースサインをしていた。
 竜次もジェフリーを諫める。
「ジェフ、どうせ今、一般の方がこの街を出るのは難しいですよ。少しはいいんじゃないですか?」
 同調するように、キッドも指摘を入れた。
「あんた、なんか気が立ってない? 疲れてんじゃないの?」
 ジェフリーは心当たりがあった。疲労の蓄積のせいで気が立っているかもしれない。もしかしたら、必要以上に。
「……わかった。博士に立ち会いを、お願いする」
 ジェフリーは一歩、また一歩と後退した。ゆっくりと背を向ける。潮風が冷たくて、身に染みるような感覚だった。
 ゆっくりと街の中へ歩いて行く背中が、やけに寂しく物悲しく思えた。
 キッドがジェフリーを気遣ってか、あとを追うようだ。
「あいつならあたしに任せて。みんな揃ったら出発しましょ?」
 性格が丸くなったような気がする。キッドにも変化が見えていた。
 追って行くキッドを見送る形で、竜次も立ち回りを考えていた。
「さて、私は買い物と、姫子たちに話をして来ようかな。フィラノスへ向かうのでしたら、船のチケットのことも相談しなくては」
 竜次はミティアたちに手を振って歩いて行った。
 もちろんここで、ミティアと別れるつもりはない。一時的なものである。

 どこへ行くわけではなく、海辺で立ち話を続けた。立会人として残ったローズが、レスフィーナとミティアを見比べて含みのある笑みを浮かべる。
「似てるデス。やっぱり親子デス?」
 ミティアは実感がないようだ。レスフィーナを凝視している。
「わたし、お母さんなんていないとずっと思ってた。どういうことですか? さっき、ジェフリーが一生懸命話してくれたのは本当なの?」
 天空の民であり、神族ではないと主張する。他の種族だがほとんど人間。 
 特別な力は祈ること、クレリックの祈りに等しい。ときに、禁忌の魔法にも似た力を発揮する。神族との調和がよいとされ、種の研究所から目をつけられていた。人間と変わらない見かけだと、判別が難しい。ゆえに書物や記録に残りにくい。
 レスフィーナの話によると、こんなものらしい。
 確かに調和しやすいのなら、そこに違う存在を埋め込みハイブリッド人間にしやすいだろう。勝手を知らずに普通の人に負荷をかけられたら、確実に命を落とす。
 セティ王女との、拒否反応がなかった点が幸いかもしれない。
「リーチェ、あなたは普通の女の子ではないの。だけど、普通の人に混ざって暮らすことはできます。でも、違う種族の人を好きになったらきっとつらいわ……おやめなさい」
「わたしの名前はリーチェじゃないです。そうだったかもしれないけど、ミティアって呼ばれる方が好きです。それに、種族が違うからって何かを諦めるのはよくないと思います」
「お願い、これ以上続ければ、あなたがつらい思いをするのよ?」
 ミティアは何度も首を振って拒否している。
「わたしはもっとみんなと生きたい。大好きな人と、これからも! だから、わたしはお母さんと一緒にはいられない」
 これが彼女の心からの願い。わがままかもしれない。
 頑なな拒否に、レスフィーナが取り乱す。
「あなたは一度誘拐されてしまった。どこかいじられてしまったのですね」
 あまりに身勝手な発言だ。
 ミティアは皆の前では絶対に見せなかった、低い声で怒った。
「そんなに言うのなら、どうしてもっと必死に探してくれなかったの!? それでもお母さんなの!?」
 事情があったのかもしれない。知られたくなかったのかもしれない。それでも、自分の子どもより大切なものがあったのだろう。おそらくそれは、神への信仰だ。
 ミティアはこの母親が恐ろしくなった。何かに縋っていないと生きていけないのかもしれない。それを全否定するつもりはないが、考えが合わない。
 ジェフリーと同じように、ぶつかってしまった。
 レスフィーナはそれを察していた。
「そんなにあの者を愛してしまいましたか。何と嘆かわしい!!」
「ジェフリーを悪く言わないで。わたし……許さない!」
 ミティアにだって譲れないものがある。彼女の中の正義だ。もっと生きたいと単純な願い。生贄や死に直面してもがきたいという、人間なら誰もが望む自然な流れである。
 簡単に埋まるような溝ではない。だが、ここで話をこじらせて、何が丸く収まるだろうか。
 ローズはレスフィーナを落ち着かせる方が先だと思った。そこで、ローズは自身の傷を抉る話をする。
「ふむ、ワタシの父親は人間の女性を愛してしまい、ワタシが産まれたデス。混血のせいで人間の母親よりも子どもが長生きするのは複雑だったでしょうけど、老いて満足して亡くなりましたデス。必ずしも、不幸になるとは限らないんじゃないデスかネ?」
 またもローズの言葉が重い。彼女の複雑な家庭環境と、クディフとの関係がこうさせた。
 レスフィーナはまだ納得しない様子。
「わたくしはリーチェ……あなたを引き止めます! 地上の人間とは仲良くなれません。絶対にあなたは幸せにはなれない。残りの時間をわたくしと一緒に暮らしましょう?」
「やめて……」
「なぜ、そこまでわたくしを拒むのですか」
 手首に掴みかかってミティアを引き止めようとする。ミティアはレスフィーナが母親という実感もないが、その子どもという実感もない。
 地上に居住しているのにも理由があるのかもしれない。どうしても自分の見える場所にミティアを置き、束縛をさせたいようだ。過保護もここまで来れば、立派な虐待かもしれない。あまりに度を越している。
「力ずくはちょっと温厚ではないような?」
 ローズはジェフリーが会わせたくなかった理由を把握した。
 大雑把に説明すると、ミティアが自由にはなれない上に、監視の目があると言っていい。嫌がって当然だろう。ましてや、旅に猛反対している。
 話をしてみたが、条件が悪い。都合のいいものだけを得たいのがレスフィーナの考えだ。ジェフリーは説得も情報を得ることも断念したのだろう。
 なるほど、これは説明がしにくい。ジェフリーの説明も頷ける。腫れ物に触るようで、扱いが難しい。ましては、ミティアの母親だと主張している。ローズは頭を悩ませた。
「アナタは天空都市の天空の民。何らかの理由で子どもと地上に降り立ちシスターをしていた。ジェフ君が説明してくれた内容によると、ノックスの人はその子どもを見たことがなかった。あなたの不在時に教会は火事になり、子どもが発見された。そこでやっと子どもの存在が明らかになった。本当は、隠したかった。そうではないデス? まるで汚点のように……」
 ミティアを自分の子どもだと言いながら、どうも愛情を感じない。ローズはそう思った。何か理由があるのだろう。うしろめたさがあったのではないかと考えた。
 レスフィーナは言いづらそうに言葉を詰まらせながら言う。
「天空都市に、男性はほとんどいないからです。獣人と争いのない楽園、そのはずでした。それなのに、人間が汚したため、ほとんどが滅び、地上に落ちた者も……」
「ほー……そゆことネ……」
 ローズは天空都市の勝手を理解した。同時に調べたいものが増えた。一つの可能性を感じたからだ。
「これは宿題が増えましたネ……未知がたくさんあるデス」
 ローズは一人で納得している。
 ミティアはそろそろ居心地が悪くなった。話をしてみたいと申し出たが、思っていた再会とは違った。嫌悪感を抱く。
「わたし、縛られたくないです。自分で歩きたい」
「どうして、母の言うことがわかっていただけないのですか」
「本当のお母さんなら、どうしてわたしが自分で生きたい道を遮ろうとするの? わたし、お母さんのところに留まって、ただ死ぬのを待つなんて嫌……」
 ミティアがこんなに感情を露にするのも珍しい。ミティアは一行にとって、皆を和ませ、ムードメーカーのような存在なのに。意思表示がはっきりしている。これも、変わった証なのだろうか。
「本当の母です。何年も離れておりましたが、あなたを愛しているのです」
 ここでローズは違和感を抱いた。愛が歪んでいる。
「綺麗に言えば、ミティアちゃんを外部と接触させず、在るべき親子の幸せを願う。悪く言えば、過保護、束縛……そうデスネ」
 難しい話だ。価値観など個々で違うのが当たり前。だが、根本が違う。
「外部との接触を避けていたから、閉じ込めていたから、一緒に連れ歩かなかったから、ミティアちゃんは火事に巻き込まれたと考えはしないのデス?」
 ローズが厳しい指摘をすると、レスフィーナはビクッと反応した。自分に過失がないと本当に思っているのだろうか。この傲慢さならあり得る。
「可愛い子には旅をさせねばデス。ミティアちゃん、この人との話は無駄デス。戻りまショ?」
「わたしは、外の世界で学んだ事が無駄だと思わない。本当にお母さんなら、今度会ったときにわたしの話をちゃんと聞いてください」
 ミティアが離れた。レスフィーナが食い下がる。
「リーチェ、後悔しますよ。神様が罰を、裁きを下します!」
 根拠があるなら話してほしい。ミティアが振り返る。
「神様がいるなら、何でみんな幸せにならないの? 誰も悲しい思いなんてしないはずでしょ。救ってくれるなら、わたしはみんなと自由に生きたい。もっと一緒に色んなものを見て、おいしいものを食べて、たくさん笑って……神様がいるなら、どうしてそんな簡単な願いも叶わないの?」
 信仰への侮辱かもしれない。人は何かに救いを求める。レスフィーナとて、そうだった。ただ、それを振って自分の思い通りにしようとするのはいただけない。本当の傲慢、自分勝手である。
 レスフィーナが遠くなる二人の背中を見て泣き崩れた。
 わかり合えなかった……と、悔しそうに。

 虫の居所が悪い。ジェフリーはカリカリしていた。街中を歩きながらやり場のない気持ちを持て余していた。通行人にぶつかりそうになり、会釈して足を止めた。冷静ではなかったと、何でもないことで気づかされる。心にゆとりがない。
 キッドがジェフリーの背中を叩いた。同時に、にやりとしながら前に回り込んだ。
「はぁ?」
「疲れて気が立ってるなら、ちょっと付き合ってよ」
 機嫌の悪いジェフリーは、この誘いがくだらないと思った。
「兄貴を誘えばいいだろ」
 軽くあしらって城でゆっくりしようと考えていた。キッドは食い下がる。
「違うって、あんたに相談があんの!」
「何で俺なんだ?」
「先生の話がしたいの。代わりにミティアの好きなもの教えてあげるから、いいでしょ?」
 意外な誘いだ。だが、悪い話ではなさそうだ。ジェフリーは乗り気ではないが揺らいだ。キッドの顔をまじまじと見る。彼女から歩み寄る態度は珍しい。明日は雪でも降るのかと警戒してしまう。
「決まりね。ちょっと茶屋に入って話をしましょ?」
 警戒はされているが、拒否していないと見たキッドはさらに笑った。
「何か、キッドらしくないな。気持ち悪いぞ」
「あんまり変なこと言わないで。あたしだってたまには真面目な話くらいするわ」
 やはりいつものキッドではない。食べ物に何か盛られたのか、変な術でもかけられたのか。非日常続きでそんな警戒も思い浮かぶ。
 キッドに招かれたのは本当に茶屋だった。しかも裏通りの、目立たない場所。よくもこんな店をリサーチしたものだ。
 てっきり裏通りで、いつもの鬱憤をぶつけられると思っていた。もしくは、剣を構えろと喧嘩を仕掛けられるか。本当に気味が悪い。
 キッドは席に着くなり、どら焼きと抹茶のセットを頼もうと指をさした。ジェフリーはあまりに安価なので気を遣う。
「せっかく入ったんだから、もっと『いいもの』を頼んでもいいのに」
「『いいもの』なんて頼んだら、長居しちゃうでしょ。何であんたと長話しないといけないの!?」
 キッドは突然いつもの調子になった。ジェフリーはまぁいいやと軽く考え、同じものを注文した。
「ちなみにミティアは、どら焼き好きよ。あんこは、こしあんの方が好きだったはず」
 キッドから役に立つかわからない情報を一方的に提供された。ジェフリーは深いため息をついた。
 待ち時間で店内のメニューや壁の張り紙を見ているが、キッドと二人きりであることが落ち着かない。ジェフリーは質問をした。
「真面目な話って何だ?」
 声をかけた頃合いで、注文の品が運ばれて来た。抹茶とどら焼きを目の前に、キッドは真剣な表情で話す。
「ね、ねぇ、先生ってまだミティアのこと、好きだと思う?」
 そういう話かと安心した。だが、キッドが急に女性らしい意識を持つようになって、ジェフリーは困惑した。困惑の理由は他にもある。
「……兄貴が今もミティアを好きだったら、俺は勝てないんだが」
 実際竜次は、どこか人を小馬鹿にする態度が薄まった。まだまだ子どもっぽさが抜けていないが、旅を経て変化を感じている。自分とは違い、将来性がある。正直焦りを感じていた。
「俺って将来性がないからな。やりたいことも見つかっていないし、技術があるわけじゃないからな」
「あんたって、変なところが律儀よね。完璧主義なところがあるの?」
「べ、別にいいじゃないか! 俺だってちゃんと考えることもある」
「そう……」
 キッドはジェフリー自身の話にはそっけない態度をとる。
 そんなキッドを前に、ジェフリーは自分が腹黒いと思っていた。自分ではなく、竜次に興味を示すのはいいと考えていた。次にルッシェナと再び対峙した際、キッドの心に竜次がいれば、揺らがず、取り乱さず、強い意志で立ち向かえると思っていた。
 ジェフリーは嫌な奴だと自身で思い、かぶりを振った。
「兄貴が好きなのか?」
 キッドは楊枝を刺している手が止まり、ゆっくりと首を傾げた。
「わかんない」
「いつもははっきり言うくせに、これはあやふやなのか?」
 ジェフリーは聞いておかないと支障が出ると判断し、煽るように言う。キッドは悩ましげに眉を下げた。
「だから、本当にわかんないのよ。あんたより何を考えているのかわかんないし」
 兄弟なのだから同類かもしれないが、そう言われても返事に困る。
「ミティアが嫌いではないと思うけど、好きっていうか、愛でているというか、妹とか後輩の面倒を見るような感じだと俺は思う。まだ好きだったら、俺は兄貴に、割とマジな喧嘩をしないといけなくなるんだけど」
 聞いていたキッドは呆れている。惚気話を聞いている気分になり、歯が浮きそうだ。親友がここまで愛されているのは悪く思わないが、日頃から衝突の多いジェフリーでなければ、こんな気持ちにはならないだろう。
 ジェフリーは探るように言う。
「俺たちが留守中に、兄貴と何かあったのか?」
「小さいことなら色々ね」
「俺より仲良くしてやってくれ」
「先生、まだ前の人が好きみたいだし。女性恐怖症だったりしないかしら?」
 ジェフリーの視点からは、気があるのかないのか、どちらなのかわからない。
 抹茶を口に含む。棗で立てられた本格的なものだ。ほろ苦いが、甘いどら焼きによく合う。沙蘭出身のくせに、こういった店は知らない。
 ほろ苦さが二人を見ている気分にさせる。
「兄貴はキッドに絶大な信頼を寄せてると思うけど」
「そうかしら?」
 キッドは楊枝を摘みながら皿の隅をトントンと弄んだ。
「信頼してなかったら、その剣をあげたりしない」
「あぁ、これ? 街中でイノシシが出たとき、あたしの剣が負けちゃったの。丸腰じゃいけないってくれたのよ」
「それ、大切な剣のはず……」
 ジェフリーの言葉に、キッドは眉をひそめた。それからゆっくりと視線を腰の剣に移した。
 赤くて手編みの綺麗な紐、真っ赤な椿の柄が入った鞘、振ったときは何て軽いんだろうと思ったが、よく手入れがされて刃の輝きに濁りがなかった。
 思い出しながら、キッドは空になった器と皿を目の前に、ご馳走様でしたと軽く手を合わせた。
 その剣が誰の物だったのか。ジェフリーも最近知った。竜次が寝る前に手入れをしていたが、そのさり気ないときに聞いて驚いた記憶がある。
「余計なことかもしれないけど、それは兄貴の師匠……亡くなった彼女の剣だ。だから、大きな意味があってキッドに託したんだと思う」
「あー……やっぱりそうだったんだ」
 キッドはテーブルに肘を着き、軽くため息にも似た息を吐いた。この反応だと、予想してはいたようだ。少なくとも、大きなショックではない。その点は助かった。
「先生が何を考えているのか、わかんなくなって来ちゃったわ」
「返そうなんて思うなよ?」
「それは失礼よね」
 キッドは苦笑いをしながら悩まし気に首を傾げている。
 ジェフリーは難しい問題だとあらためて思った。なぜなら、キッドと竜次の関係は思っていたよりずっと複雑だ。場を設けて竜次の腹の中も聞いておきたいと思った。
 キッドは右手の包帯をさすった。肘の怪我も癒えていない。何か思うところでもあるのか、気を落としていた。
「怪我は平気なのか? 肘の怪我は、あいつにつけられたものだろう?」
「……怪我自体は大したことないわ。あの子が魔法で浅くしてくれたし、ちゃんとした手当てを受けているもの」
 ジェフリーはキッドの心が癒えていないのを察した。そう簡単に好きな人を自分の中から消し去ることはできない。それは自身でも経験がある。しかも、相手は完全に敵対している人だ。
 それでも愛が勝るのであれば、すべてを投げ捨てて『あちら側』に落ちることもできたはず。キッドがそこまで非情ではない点は安心した。
「結局長話したわね、悪かったわ」
「いや、いい……」
 店を出て気まずい空気になった。いつもいがみ合って口喧嘩や、くだらない言い合いをしている仲なのに、大真面目な話をしたのだから。
 キッドは周囲に仲間の目がないか、気にしていた。
「先生に言わないでもらえる?」
「俺は口が堅いはずなんだが」
「あんたを信用してるから、一応の確認よ」
 意味深な言い方だ。酒でも入っているのかを疑うくらいには、今日のキッドはおかしい。ジェフリーはそう思いながら、とりあえず調子を合わせた。
「あぁ、そうだ。ミティアは、あんたが作ったケーキが大好きって言ってたわよ。また作ってあげなさい。あたしもおいしかったと思うわ」
 キッドは眩しい笑顔を見せた。ジェフリーは一瞬ビクッとした。キッドが心から笑うなど、見た記憶がない。
 お決まりの恋愛話ならば、ここで惚れたり、もっと一生にいようと誘ったりするのだろう。ジェフリーは悪寒を感じた。ひどい扱いだが、キッドにはそれくらいの違和感があるからだ。
「支度、済ませましょ? 夜にフィラノスへの定期船があるって聞いたんだけど」
「あ、あぁ……」
 ジェフリーは思わず苦笑いで応答する。あまりに堂々としているキッドに違和感を抱く。キッドが言う支度に関しては賛成だ。定期船なら安上がりで済むし、皆で一緒に移動が可能だ。陸路で危険を冒す必要もない。
 軽く商店街を見流しながら城に戻った。
 女性と動くと、どうしても余計な物を買いそうになるが、キッドと歩くと欲のなさに驚く。以前もそうだが、狩猟で動き慣れている彼女は、身軽さをキープするために余計な物を持ち歩かない。買い物がミティアと一緒だったら、食料品だけでどれだけ買ってしまうかわからないというのに。
 ジェフリーは小さい紙袋を手にしていた。中身は携帯食料だが、街を渡り歩くのならこれは保存用になる。

 ジェフリーとキッドは城に戻り、持ち出し用の荷物をまとめる。トランクを持ったコーディが姿を見せた。彼女は一足先に戻っていたらしい。
「あ、おかえり」
 コーディだけというのが気になった。彼女はサキと沙蘭の大図書館に赴いたはずだ。ジェフリーが訊ねる。
「サキはどうした?」
「あれ? お兄ちゃんたち、見てない?」
 紙袋を見て首を傾げている。街中を見て来た、買い物をしたとの判断だ。
 コーディはトランクに巾着袋をぶら下げていた。
 中から顔を見せたのはバンダナのウサギ、恵子だ。皆の中でカバンを下げているのはサキと竜次だが、竜次はともかくとしても、サキのカバンがこれ以上重くなって行動しにくくなるのは回避された。
「サキ様、夜までには帰るって言っておりましたよね。わたくしも買い物かと思っておりましたが、まだ街中なのでしょうかぁ?」
 恵子はおとなしかったが、話だけはきちんと聞いていた。サキはどこへ行ってしまったのだろうか。
 コーディは紙の束を取り出し、言う。
「買い物に行ったのかと思った。鍵の返却とこの紙をジェフリーお兄ちゃんに渡してくれって任されたから。はい、これ……」
「ん、何だ?」
 コーディの表情は明るい。
「解読を頑張って、魔力制御の腕輪のレシピ、見つけたよ」
 恵子も声を弾ませ、喜んでいた。
「あれは見事なチームワークでしたよね。素晴らしいですぅ」
 この知らせはキッドとジェフリーにとってもうれしいものだ。
「うっそ、ミティアを助けられるかもしれないの!?」
「本当にあいつはすごいな……」
 本人に言ってやりたい。ジェフリーはサキ本人がいないのが気になった。
 戸が叩かれる。てっきりサキだと思っていたが、違った。
「おや、何を騒いでいるのですか?」
 細長い紙を数枚持った竜次が合流した。何の気を回したのか、そのまま部屋の隅でお茶を淹れ、耳だけはこちらを向いていた。
 ジェフリーは紙の束をめくりながら言う。几帳面な文字で、作業工程も書いてあり、量が多い。目が疲れそうだ。
「大図書館で腕輪の作り方が発見されたらしい。材料も書いてある」
「おっ、それは久しぶりにいい知らせかもしれませんね」
 竜次は棚から湯飲みを出した。その顔はうれしそうだ。
 敗北したり、回り道をしたり、世界的に異常事態が起きていたりと、最近はいい話がない。
 竜次はお茶を出して、一つ多いと気がついた。
「おや? サキ君は?」
 小うるさいウサギと猫もいない。もともとサキはおとなしいので見逃していた。
 ジェフリーは竜次に訊ねた。
「兄貴は一緒じゃないのか?」
「いえ、会いませんでしたよ。私は姫子たちに、フィラノス行きの定期船のチケットをお願いしに行ったのですが」
 おかしいと感じた。サキまで自分勝手な行動を取るだろうか。ジェフリーは小さく唸った。そして、コーディたちに確認をした。
「夜には帰るって言ってたんだよな?」
「うん。ウサギさんたちも一緒だから、変なことしてるとは思わないけど」
 恵子も小刻みに頷いている。ジェフリーは使い魔も一緒なら大丈夫だと考えていた。ミティアたちも気になるが、あちらはローズも一緒だ。
 ただ、このまま足並みが乱れたままでは困る。ジェフリーはまだ時間があることを窓から見える空模様で確認した。
「ちょっと探して来るか。もう夕方だし……」
「あっ、あたしも……」
「怪我人はすっこんでろ」
 ジェフリーが率先して立ち上がった。キッドも名乗り出たが、一応怪我を気遣っている。代わりにコーディがついて来ようとしていた。これはまぁいいとして。
 竜次はお茶を手に、軽く注意をする。
「船の時間は今日の深夜です。それまで自由時間でかまいませんが、必ず戻って来なさいね?」
「あぁ。メシくらい揃って食いたいしな」
 ジェフリーは軽く手を振って出て行った。そのあとをコーディがトランクを持ったままついて行く。城の外で肩を慣らす。手入れの行き届いた生け垣を背に、ジェフリーはチラリと視線を落とした。
「で、どうしてコーディがついて来たんだ?」
「えぇーっと……気まずいと言うか、邪魔と言うか……」
 コーディは苦笑いをしている。ジェフリーは察しがついた。あの二人の進展が気になるのだろう。
「いや、あのさぁ、私、もしかしたらお兄ちゃん先生に悪いことをしちゃった気もしてるんだよね」
 急に年頃の若者のように考え込んでいた。ジェフリーはいい予感がしなかった。
「私さぁ、お兄ちゃん先生に、キッドお姉ちゃんとは『脈ナシ』って言っちゃったんだよね」
 どうしようもない暴露だった。
 ジェフリーはがっくりと肩を落としため息をついた。そのまま額に手をついた。
「あぁ、そういうことか。真に受けなくていいものを。兄貴は変な所がクソ真面目だから、本当に損する性格だな」
「なんか、軌道修正させるべきかなぁ?」
「もう、兄貴はほっとけ……」
 この際だから、もうなるようになれ。ジェフリーはいったんこの問題の放置を心に決めた。コーディが悪いわけではない。むしろ、誰も悪くない。キッドが思い悩むのも頷ける。
 ジェフリーは顔を上げて気を取り直した。今は別の心配をしなくては。
「それで、サキは行き先を告げなかったのか?」
「買い物って言ってた。でも、街中では会ってないんでしょ?」
「あいつの格好、目立つからわかるだろう?」
「それもそうだよね……」
 小難しく考えるも、サキが行きそうな場所に心当たりがない。あまりこの街にも詳しくないはずだ。
 バンダナのウサギ、恵子がトランクの巾着から顔を覗かせた。
「あのぉ、お買い物ってもしかして、例の腕輪の材料を買いに行ったのではないですかぁ? お金足りなくて困っていたら大変ですぅ」
 生首にも思うくらいだが、圭馬より小さいため、大きめのキーホルダーと言い張って、誤魔化せる範囲だ。よくもなぁ、この持ち運びを考えたものだ。
 それはそうと、『例の材料』とは何だろうか。ジェフリーは乱雑に荷物に突っ込んでしまった紙束を取り出した。
 サキの整った文字に目を通す。だが、項目が多い。本を転写したのだからこうなってしまったのだろうが、必要な情報がすぐに見つけ出せないのはもどかしい。
「材料って?」
「んっと……これこれ」
 コーディがうしろの端が折られているページを指した。のぐるっと大きく円が描かれ、印がされてある。
「天然の白い魔石の粉、黄金のバネ草の花粉、オリハルコン……んっ!?」
「どうしたの?」
「沙蘭に魔石は売っていない。フィリップスで買った天然の白い魔石なら俺が持ってる。あと、バネ草が生えている場所を俺は知っている……」
 コーディは首を傾げた。ジェフリーが沙蘭の正門に向かって走り出した。
「えぇっ、ちょっと待ってよ」
 コーディもあとを追った。

 ジェフリーはサキの思惑を汲み取った。最近の落ち込み具合から、何らかの『成果』を挙げたいと思っているに違いない。
 それは悪いことをした反動で、少しでもいい行いをしたくなる心理と似ている。
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