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【2‐1】生と死と

重みを感じて

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 なぜかこの二人でいる機会が増えた。
 慣れない畳での正座に足を崩し、膝をさするキッドとそんな彼女をじっと観察するように見ている竜次。
 残ってしまったお茶を飲みながら、気まずい空気が流れる。
 正座が膝に響いたキッドを見て、竜次が言う。
「別に無理しなくてもいいのに……」
「な、何となくですよ。沙蘭は、そういうのが礼儀かなって」
「そんなことはないです。確かに、沙蘭らしさや独特の文化はありますけれど」
 沙蘭らしさと口にして、竜次は何か思い出したようにカバンの中を探った。
「あぁそうだ、これ……」
 竜次は可愛らしい金魚柄の包み紙が入った袋を二つ、キッドに渡した。手の平サイズで、一つは厚みがありもう一つより少し大きい。
「えっ、何ですか?」
 竜次は正座をし、にこにことしていた。キッドが開けるのを待っている。
 キッドは悩まし気な表情を浮かべながら言う。
「開けろと?」
「返品不可ですからねっ」
 竜次は両手を前に出し、ぴしゃりと塞いだ。
 あまりにじっと見るものだから、キッドは渋々開けてみる。まずは大きい方から。
 何となくバリバリと雑に開けるのもどうかと思い、意地になってカリカリとシールをはがしている。その仕草を見て竜次はくすくすと笑う。
「えっ、あっ……」
 開けてみると腰に下げるサイズのポーチだった。明るい茶色の革製で、マグネットタイプの蓋。千切れないような革のベルトがついている。
 竜次はキッドの反応をうかがっていた。
「狩猟用の重たい剣じゃなくなった、差分と思えばいいかと思ってね」
 余計なものを身につけないキッドには合わないかもしれないが、少しチャレンジ精神が試されるものだった。
 キッドはさっそく腰に巻いてみた。ポーチが真新しいので、古びて解れを縫って直した服装と一致していない。
 時期的にもそろそろ半袖は寒かろうと竜次はプレゼントを失敗したと思った。
「あ、あの、邪魔でしたら無理しなくていいから……」
「いえ、ありがたいです。これ、もしかして、わざわざ買ってくれたんですか? だったら少し悪いかも。だって、旅の資金……」
「いえ、私のお金です」
 てっきり資金から出されているものだと思っていた。竜次は違うと真っすぐな目で見るものだから、キッドは首のうしろを掻きながら照れ臭そうにしている。
 キッドは意味深なことを言う。
「あの、ありがとう。あたし、男の人からプレゼントってもらったことがないんです。ほら、魔導士狩りのあとに天涯孤独になっちゃったから、あんまり贅沢できない暮らしだったんです。服とかアクセサリーとか、そういったおしゃれもしないから……」
 キッドは竜次へ心中を探るような視線を向ける。もしかしたら、実際に探っているのかもしれない。
 もう一つの包みは財布だった。緑と黄色の淡いベースで、花のようなきれいな柄が入っている。まるで着物のような華やかさが感じられる。がま口で、お札を入れるしっかりとした入れ口もあった。キッドは両手で持って目を輝かせている。
 竜次は自分の財布からお金を手渡した。
「え、えっ?」
「さっきいただいたでしょう?」
「あたしの……そっか」
「自分で持ちたいでしょう? 誰の断りなく、好きな物が買えますよ?」
 キッドはお金のありがたみを知った。お金は大切だと、手にして思った。
 実はキッド、ほとんどお金を持った経験がない。ミティアがいつもお小遣いを使って一緒に甘いものを食べていたからだ。
 キッドは財布にお金を入れて、じっとしている。
「どうしました?」
 少しぼんやりしている。うれししかったのだろうか。竜次はそんな言葉を期待したが、それ以上のものが返って来た。
「ちょっと大人になった気分です。あたし、自分のお金って持ったことがないから、重いなぁって……」
「自分のお金でもないのに、浪費する弟もいますけどね」
 明らかにジェフリーを指した愚痴に、思わず笑みが零れた。
 キッドは思い出した。そうだ、謝っておかないといけない。
「あっ、あの、さっき、あいつとおやつを食べました。そのお金……すみませんっ!!」
「ジェフとおやつ?」
 和やかな空気が一瞬暗くなった。変な勘繰りをされるのかと思ったが、竜次は別のことを想像していた。
「人生相談でもされましたか? まったくあの子ったら……」
「ま、まぁ、そんな感じです。すみません……」
「そういうお金はいいですよ」
 キッドはポーチに財布をしまって向き直った。会話が途切れ、少し気まずい。しばらく沈黙してしまったが、竜次の方から話題を振った。
「クレアは贅沢しないのですね。ほしい物はないんですか?」
 キッドにとっては漠然とした質問だ。お金がない生活は、自然と慣れるものだと思っていたからだ。実際、そんなに贅沢はしていない。旅の道中も、あれがほしいこれがほしいという意見はほとんど出していない。
 ただ、キッドにもほしいものはある。それは、旅の道中でよく目にしていたものだった。
「お金で買えないものの方が大切かもしれないです。友だちとか家族とか」
「家族……あぁ、サキ君」
 竜次は言葉の意味を履き違えそうになって修正した。だが、本当は修正前であっていたらしい。
「何でもない家族がほしいなぁ。絶対お金で買えないけど。街でもすれ違うじゃないですか。親子が揃って歩いていたり、買い物していたり。何でもないのが実はすっごく幸せで、羨ましくないですか?」
 キッドの思いを汲み取るのは容易だった。
 竜次も過去に同じことを思った。確か貿易都市で、ミティアと朝食の際にそんな話をして彼女を困らせた記憶がある。
「羨ましいと思ったこと、もちろんありますよ。私たち、誰一人としてその条件が揃っていませんからね」
 誰も家族が揃って幸せに暮らしていなかった。旅立ちを見送られた者もいない。帰る場所も、居場所もどうだろうか。
「はぁーあ、湿っぽくなっちゃった。らしくない。バッカみたい……」
「うーん、すみません。そんなつもりでは……」
「竜次さんもあいつも、最悪ここに身を寄せれば、妹さんや弟さんだっているじゃないですか。仕事だってちょっと探せばあるでしょ?」
 竜次はキッドも一緒に……とは言えなかった。ミティアに軽い冗談を言うような気持ちで、キッドには言えない。彼女の心が掴めない。隙間に入り込むようなことができない。男ならこういうときに寄り添ってあげるのだろう。どうも気まずい。

 トントンと戸が叩かれた。客間なので、戸と言うか、障子と言うか。
「おっ、お邪魔っスか?」
 光介だった。船旅の疲れはないのだろうか、巾着袋を持って部屋を見渡す。
 光介の登場は意外だった。竜次はなぜここへ顔を見せたのか、疑問に思った。
「光ちゃん、どうしました? 誰か探しています?」
「やー、あの陽キャなお姉さん、どこに行ったのかなと……」
「陽キャなお姉さん?」
「ほら、兄貴様と同じお医者さんじゃなかったっスか? 三角の赤い眼鏡してる……」
 光介の言う『陽キャ』は理解できなかったが、他の特徴でローズだと判断した。
「そうだ、ローズさん、帰って来てないですね。ミティアも大丈夫かしら?」
「まだこちらには帰って来ていませんよ。何かあったのですか?」
 光介は中には入らず、どうしようかと腕を組んで巾着袋を揺らした。
「弱ったっスね。これ渡したら俺っちオフなんですが」
 眠たそうにあくびをしている。これは少しかわいそうだ。竜次はきんちゃく袋を受け取り、光介の肩をトントンと叩いた。
「引き受けますよ? 何かお伝えしますか?」
 光介は竜次に対し、涙目で頭を下げた。いるだけでびっくりするほど明るくなる。まるで電球みたいな弟だ。
「あのお姉さん、半年分くらいの『獣除け』を置いて行きやした!! 夜勤の人数半減、負担激減っスよ。俺っちの補聴器のメンテナンスだけじゃなくて、こんなことまで気を回してくれるなんて!! ホント、感謝してるっスよ」
「えっ、えぇっ!?」
 獣除けとは、ランタンなどに混ぜて野外を歩くのに重宝するものだ。他にも虫除けはあるが、昼間話していた際に何か調合していたような気がする。
 狂暴化した野生動物に警戒しているこの中で、この道具がどれだけありがたいか。
 これは竜次からもお礼を言わなければ。
 光介と別れ、再びキッドと二人きりになった。だが、キッドは光介が面白いのか、笑っていた。
「ホント、あの人って面白いですよね。あたし、ああいう人、好きかも。退屈しなさそうですよね」
 竜次は聞いてなぜか嫉妬心が芽生えた。血のつながりはないが、いい弟だとは思う。下手をしたらジェフリーよりも強いし、オンとオフがしっかりしている。喜怒哀楽が激しいゆえに街の者からも親しまれている。彼が買い物に行くと愛想がいいせいか、よくおまけしてもらって帰って来るものだ。
 妙にそわそわしてしまった。こんな感情は醜いと思うし、ミティアやジェフリーにだって抱いていないのに、こんなにもむきになってしまう。思わぬ伏兵だ。キッドの気持ちが引っ掻き回されてしまわないか不安になった。
 キッドは首を傾げた。
「どうしたんですか、竜次さん?」
 ぐぬぬ、とでも言いたそうな表情だが、竜次は被りを振って荷物をまとめた。
「な、何でもないです。荷物を先に積んでしまいましょうか」
「あぁっ、あたしも持ちますって……」
「大した量ではないです。それに、クレアは怪我しているんですからダメ!」
 キッドは不満そうな表情で竜次を見ている。軽いものだけを任されてしまった。

 客間を出払う。また来る機会はあるのだろうか。もしくは、居場所がないと知りながら、ここに腰を下ろすことになるのだろうか。
 まだ見えぬ将来への不安と、煮え切らない気持ちが己の未熟さを痛感させる。
 また来るときは、成長していると信じて。

 もうじき夜が訪れる。茜色の空とは別に正門の先、スプリングフォレスト側の空はすでに暗かった。石畳は夕陽色を帯び、伸びた影が落ちている。
 戦術アドバイザーのローズが、門番にメモで記しながら説明をしている。
「この配備の仕方だと、人員が更にカットできますヨ」
「なるほど、これは採用したいです。交代の際に報告に挙げます!!」
 その様子を見て、ミティアは目を輝かせていた。
「ローズさん、かっこいい……」
 ミティアにはローズが輝いて見えた。先ほども、役人の中で偉そうな人にお手製の獣除けを大量に渡していたし、沙蘭に貢献している。
 戦わない分、こういった技術面が光るのがローズだ。最近は、皆に便乗するように戦う術を少しずつだが身につけようと、こっそり練習しているらしい。そこは無理をしなくてもいい気がする。
 意識をしているのだろうが、長い間、履いていたヒールの高い靴をブーツに新調し、歩きやすいようにスカートではなく、キュロットにマイナーチェンジを実装している。もっとも、その変化に気が付くのは難しい。
 ローズは獣除けもそうだが、封鎖している門の素材も変えるように指摘していた。
 本当にすごい。ミティアから見たら。
 ローズの行いをまじまじと見ていると、城の大橋から見覚えのある二人が走って来た。ジェフリーとコーディだ。
 迎えに来たのかと思ったが、そういう表情をしていない。どちらかと言うと、険しく少し怖い。
 ジェフリーは、ミティアの身に何もなかったのを安心した。同時に、ローズに感謝もした。ミティアと話す。
「戻らないと思ったらここにいたのか」
「あ、うん。買い物と、お役人さんの見張り場所をちょっと巡回して……」
「買い物……街中を歩いたんだよな? 念のため聞くが、サキを見てないか?」
 ジェフリーはローズの格好が微妙に違うと気が付いた。歩きやすそうな靴がまず目に入った。買い物とはこれかと納得した。特に触れないが、ローズは自身でお金を持っているのを知っている。
「えっ? 見てないよ?」
「デスネ……」
 二人の反応を見て、ジェフリーはコーディと顔を見合わせる。
「お兄ちゃん、まずいかもね」
「あぁ、嫌な予感がするな」
 確かな情報がない以上、街を出ていいのかも迷った。そうだ、ここに門を見張る役人がいる。スプリングフォレストに出るには、正門を通らないといけないはずだ。ジェフリーは思い出し、門番に質問をした。
「なぁ、緑色のコートと帽子、腰から大きめのカバンを下げた……これくらいの身長の奴はここを通ったか? 猫かウサギが一緒だと思うんだが」
 ジェフリーは身振り手振りを交えている。サキの特徴はこんなものだろう。
「あぁ、動物を連れた子でしたら外に出ましたよ。散歩かなと。ウサギさん、可愛かったですね!」
 一人はまだ持ち場に就いた時間が短いらしいが、もう一人が具体的な反応をした。
 ウサギと聞き、恵子が反応した。
「圭馬様ですぅ、どうしましょう、どうしましょう! 圭馬様、無茶をしなければいいのですがぁ」
 恵子の慌て声。ジェフリーが拳を握り、舌打ちをした。
「コーディ、ランタンは持ってるよな? 一緒に来てもらっていいか?」
「うぇっ、もう森は真っ暗だよ? 今から行くの!?」
 そんなはずがないと思いながらも、最近サキはパッとしない。やはり、何か思い詰めているのかと心配もした。恵子が言う、無茶も気になる。圭馬だけではなく、サキも無茶をしがちだからだ。
 今からスプリングフォレストに向かうとなり、ミティアが心配をしている。
「ジェフリー、森に行くの!?」
「ミティアは博士と一緒にいるんだ。兄貴たちに知らせてくれ」
「……」
 ミティアは一緒に行くと言わんばかりに、ジャケットの裾を掴んでいた。
「離れないでくれって言ってたのに……」
「そ、それとこれとはだな……」
 この緊迫した空気の中、ミティアが頬を赤らめながら口を窄めている。これがまた愛らしいのだが、何もないときにゆっくり見たい。ジェフリーは対応に困った。
「迎えに行くだけネ。危険は少ない……と、思うデス」
 ローズはミティアの肩を叩き、ジェフリーと引き離した。ナイスな立ち回りだ。
 ミティアは渋々手を離し、もじもじとしている。本当にこの小動物は、いくらでも見ていたい。ジェフリーはミティアを宥める。
「すぐそこなんだ、そんなに心配しないでくれ」
「わ、わかった……」
 イチャついている間に、コーディが見張りの人に外に出る許可をもらっていた。下手をしたら、門の警備を緩めるタイミングで、何かに襲われるかもしれない。警戒しながら門を開けてもらった。
 ローズがコーディに小さい不織布の袋を手渡した。
「ほいこれ」
 トウガラシなどの香辛料の匂いがする。獣除けであると、コーディはすぐに理解した。
「気が利くね、ありがと」
「ワタシにはまだこれくらいが限界デス」
 照れ隠しなのか、ローズが白衣の両ポケットに手を突っ込み、にんまりと笑った。
 早速ランタンに入れると、少し鼻を突く臭いがする。
 ジェフリーとコーディは門の外に出た。

 日が沈む。夕闇から夜闇に染まるスプリングフォレスト。
 短い街道を抜け、足を踏み入れたが相変わらず鬱蒼として、気味が悪い。目を凝らすと誰かが通った足跡があった。草を踏み、泥を跳ねている。
 コーディは足跡をまじまじと見る。
「新しそうな足跡だよ。サキお兄ちゃん、かな?」
 ジェフリーは足跡が森へ続いているのを確認した。
「黄金のバネ草なんて本当にあるのかも怪しいってのに……」
 ジェフリーは一度、いや二度来ている。そんなもの、見たことがない。
 奥深くまで行っていたら連れ戻すのが難しくなる。そんなに深くない場所で発見したい。
 サキも魔法を使うのだ。何かあったら、光や音で場所がわかる。
 無事を祈りながら足跡を追った。
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