激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【激闘編】

戸影絵麻

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第9部 倒錯のイグニス

#74 基礎訓練 応用編⑥

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 これが、私の武器…?
 杏里はあられもない己の姿に視線を落とした。
 穴の開いたレオタードからのぞく一対の乳首、そして大陰唇の一部。
 なるほど、確かに性を売り物にするタナトスとしては、そうだろう。
 だが、それがレスリングでの武器になるとはとても思えない。
 小百合の真意を図りかね、杏里はおずおずと口を開いた。
「あの…先生は、どうして、そこまでして私を勝たせたいんですか? レスリングなんて、やったことも見たこともない、私なんかを…」
 それは、杏里がずっと胸に抱いていた最大の疑問だった。
 てっとり早く部を強くしたいのであれば、経験者のアニスを柱にして、有望株の純や咲良たちを徹底的に鍛えればいい。
 なにも私なんかに時間を割かなくても、その分彼女たちを特訓してやったほうが、よほど部のためになるはずである。
 が、その問いかけは、小百合をひどく驚かせたようだった。
「わからないのか?」
 小百合の顔に傷ついた乙女のような表情が浮かんだ。
「わたしがこんなにおまえのことを…」
 言いかけて、ハッとしたように口をつぐんだ。
 落ちくぼんだ眼窩の奥で、傷ついた小動物のような眼が涙で濡れた。
 小百合の全身から、陽炎みたいに目に見えぬ何かが立ち上った。
 壁にかけていた足を下ろすと、杏里は無意識のうちに後じさっていた。
 この人、何を言おうとしているのだろう?
 その続きを聞くのがこわかった。
 うっかり余計な質問をしてしまった自分に腹が立った。 
「…」 
 答えられずにいると、堰を切った思いが迸るように、途切れ途切れに小百合が言った。
「愛してるんだよ…おまえを…入部審査の日に、ひと目見た時から、ずっと…」
 奇妙な告白だった。
 まるで、山の中で出くわした野生のヒグマが、いきなり人語をしゃべり出したようなものだった。
「…」
 杏里は答えない。
 自分でも、うすうす感づいていたのか…。
 大して、驚きはなかった。
 むしろ、予想通りの答えというべきか。
 間違ってる。
 そう言ってやりたかった。
 それは、愛などではない。
 タナトスのフェロモンに触発された、単なる性衝動。
 それをこの哀れな女は愛だなどと勘違いしているのだ。
「アニスにキャメルクラッチをかけられて苦しむおまえの姿は、本当に美しかった…」
 熱に浮かされたような口調で、小百合がつぶやいた。
「わたしはあの時、おまえに触れてもいないのに、眺めているだけで、危うくイキそうになった…。そして、天啓のごとく閃いたんだ。この娘こそ、わたしの生涯のパートナーとなるべき、大切な大切な存在なのだと…」
 生涯の、パートナー?
 杏里はあっけにとられた。
 誇大妄想にもほどがある。
 一、二度抱かれるくらいなら我慢してやらないこともないが、こっちには、そんな気はさらさらない。
 迷惑もいいところだ。
「やめてください」
 つい、本心が口に出た。
「私たち、先生と生徒なんですよ? だいいち、女同士じゃないですか。からかわないでください」
「からかうだと}
 小百合の岩の中から鑿で削り出したような武骨な顔に、さっと赤みがさした。
「からかってなどいない。わたしは真剣だ。先生と生徒? 女同士? そんなものに、何の意味がある? 愛があればいいじゃないか。本物の愛が。そうだろう、杏里。世の中、愛がすべてなんだ。その証拠に、テレビでも、ラジオでも、新聞でも、雑誌でも、毎日みんなが口をそろえて声高にそう叫んでいるだろう? 愛さえあればいい。愛がすべてを解決するって」
 小百合の全身から噴き上がるオーラに圧倒されて、杏里は金縛りに遭ったように立ちすくんだ。
「とにかく、マットに上がるんだ」
 動けないでいる杏里の腋の下に手を入れて、気を取り直したように、小百合が言った。
「わたしの愛はマットの上でこそ、真価を発揮する。この愛で、必ず勝たせてやる。だから、来い」
 両脇を支点に、身体がぐっと持ち上がり、つま先が宙に浮く。
「いやっ」
 杏里は思わず身をよじった。
 が、小百合の怪力にかなうはずがない。
 杏里を抱き上げたままマットの上にのぼると、
「始めるぞ」
 小百合が小柄な杏里の身体を、いとも軽々と垂直に上へと投げ上げた。
 落ちてきたところを、大人の太腿ほどもある両腕で、ひしと抱き留めた。
 腰の後ろで手を組み、ものすごい力で締め上げてくる。
 背骨が軋み、あまりの激痛に杏里はか細い悲鳴を上げた。
「ベアハッグだ。さあ、ここからが訓練だ。どうする? この体勢から、わたしをフォールに持ち込んでみろ」
 
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