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第185話 誘拐(後編)
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ずれた抱っこ紐を治すためにベンチに座り、赤ん坊をおくるみごと横に置いた。
”誘拐”があったのは、その時偶然知人が通りかかり、夫とともに相手と二三挨拶を交わしたその隙に、だという。
「ルミです。きっとルミの仕業です。彼女は当てつけのように子供の写真入りの年賀状を送ってきた私を恨んでるんです」
小夜子の目つきはすでに尋常ではなく、狂気の光さえ宿している。
「とにかく探しましょう」
事件性の有無はまだ不明だが、県警本部には一応連絡を入れておいた。
応援がくるまで、交番警官の北野君と消防団員たちの力を借りて探すしかない。
恵比寿神社の境内はかなり広い。
壇ノ浦の戦いで平家一門とともに入水したという安徳天皇。
その幼子の亡骸がその後、近くの海岸に恵比寿神となって漂着したという伝承で有名だ。
幼いまま亡くなった安徳天皇の霊が、友達を欲しがって翔太君を…?
などという荒唐無稽な考えが一瞬脳裏をかすめたが、むろんそのようなことがあるはずがない。
人波に押されてふたりはいつのまにか境内の中央に流れついていた。
目の前に現れたのは、大臼を前に巨大な杵を持ち上げた上半身裸の和夫である。
人垣はその和夫を、厚い人垣がぐるりと取り囲んでいるのだ。
群衆の手拍子に合わせて、和夫が杵をうち下ろす。
そのペタンペタンという音が、耳に小気味良い。
「あ、いた!」
小夜子が叫んだのは、人ごみをかき分けてふたりがなんとか最前列に出た、その時だった。
伸ばした小夜子の右手の先に、襷をした着物姿の女性が立っている。
大臼のそばに立つその女性は、どうやら和夫の補助をする係らしい。
「ルミです! ルミが、あんなところに!」
「旦那さんは知らないんですか? 彼女が誰かってことを」
不審に思って杏里は訊いてみた。
「顔見知りではありますけれど、そんなに親しくは…。それに、夫は、あのことは知らないんです…」
急にトーンダウンする小夜子。
「あのことって?」
「私が、不用意に年賀状を出して、彼女に恨まれているってことを、です」
「そもそも、どうして恨まれてるって思うんですか? 何かそのあと、あったんですか?」
「い、いいえ…」
その反応に、杏里は思った。
もしかしてこれ、単なる思い込みなのではないか。
赤ん坊は、何か別の理由で姿を消したのでは?
その証拠に、ルミという女性の周囲におくるみに包まれた赤子の姿など見当たらない。
「とりあえず、訊くだけ訊いてみましょうか」
杏里が歩き出そうとした時だった。
餅つきが終わったらしく、人垣が前進し、円周を狭め出した。
ルミが臼の中に両手を突っ込み、つきたての餅を観客に見えるように高く掲げ持つ。
群衆に混じって近づくふたりの、特に小夜子のほうを、その目が捉えた。
吊り上がったキツネ眼が、その瞬間、なにやら不穏な輝きを放ったように、杏里には思われた。
ーあげるー
その口がかすかにそう動いたその刹那、小夜子の口から悲鳴が上がった。
同時に杏里も異常に気づき、その場に棒立ちになる。
ルミが掲げたつきたての餅。
その真っ白い表面に、内側からじわじわと赤いものがにじみ始めたのだ。
”誘拐”があったのは、その時偶然知人が通りかかり、夫とともに相手と二三挨拶を交わしたその隙に、だという。
「ルミです。きっとルミの仕業です。彼女は当てつけのように子供の写真入りの年賀状を送ってきた私を恨んでるんです」
小夜子の目つきはすでに尋常ではなく、狂気の光さえ宿している。
「とにかく探しましょう」
事件性の有無はまだ不明だが、県警本部には一応連絡を入れておいた。
応援がくるまで、交番警官の北野君と消防団員たちの力を借りて探すしかない。
恵比寿神社の境内はかなり広い。
壇ノ浦の戦いで平家一門とともに入水したという安徳天皇。
その幼子の亡骸がその後、近くの海岸に恵比寿神となって漂着したという伝承で有名だ。
幼いまま亡くなった安徳天皇の霊が、友達を欲しがって翔太君を…?
などという荒唐無稽な考えが一瞬脳裏をかすめたが、むろんそのようなことがあるはずがない。
人波に押されてふたりはいつのまにか境内の中央に流れついていた。
目の前に現れたのは、大臼を前に巨大な杵を持ち上げた上半身裸の和夫である。
人垣はその和夫を、厚い人垣がぐるりと取り囲んでいるのだ。
群衆の手拍子に合わせて、和夫が杵をうち下ろす。
そのペタンペタンという音が、耳に小気味良い。
「あ、いた!」
小夜子が叫んだのは、人ごみをかき分けてふたりがなんとか最前列に出た、その時だった。
伸ばした小夜子の右手の先に、襷をした着物姿の女性が立っている。
大臼のそばに立つその女性は、どうやら和夫の補助をする係らしい。
「ルミです! ルミが、あんなところに!」
「旦那さんは知らないんですか? 彼女が誰かってことを」
不審に思って杏里は訊いてみた。
「顔見知りではありますけれど、そんなに親しくは…。それに、夫は、あのことは知らないんです…」
急にトーンダウンする小夜子。
「あのことって?」
「私が、不用意に年賀状を出して、彼女に恨まれているってことを、です」
「そもそも、どうして恨まれてるって思うんですか? 何かそのあと、あったんですか?」
「い、いいえ…」
その反応に、杏里は思った。
もしかしてこれ、単なる思い込みなのではないか。
赤ん坊は、何か別の理由で姿を消したのでは?
その証拠に、ルミという女性の周囲におくるみに包まれた赤子の姿など見当たらない。
「とりあえず、訊くだけ訊いてみましょうか」
杏里が歩き出そうとした時だった。
餅つきが終わったらしく、人垣が前進し、円周を狭め出した。
ルミが臼の中に両手を突っ込み、つきたての餅を観客に見えるように高く掲げ持つ。
群衆に混じって近づくふたりの、特に小夜子のほうを、その目が捉えた。
吊り上がったキツネ眼が、その瞬間、なにやら不穏な輝きを放ったように、杏里には思われた。
ーあげるー
その口がかすかにそう動いたその刹那、小夜子の口から悲鳴が上がった。
同時に杏里も異常に気づき、その場に棒立ちになる。
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