超短くても怖い話【ホラーショートショート集】

戸影絵麻

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第507話 冥府の王(58)

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「吐いちゃだめ。そう、ちゃんと飲むの。残らず全部、飲み干して」
 僕の口を手のひらで押さえ、香澄が言う。
 青臭い味のする生ぬるいゼリーのようなものが、喉を伝い下りていく。
 なんとか飲み干して口を拭うと、手の甲が黒く汚れた。
 信じられないことだった。
 精液が、真っ黒に変色しているのだ。
 まだ精通が来てまもないとはいえ、精液の本来の色ぐらい、僕も知っていた。
 でんぷん糊に似た、半透明の液体。
 夢精も含めてこれまで何度も射精したけど、少なくともこんなに黒かったことはない。
「平気だよ。飲むだけなら感染しないから」
 僕が飲み干したのを確認して、満足そうに香澄が言った。
「さ、次はお母さんを寝室に運ばないと。その前に、躰を綺麗に拭いてあげなきゃね。あ、裸だからって、おかしなことしちゃ、だめだよ。お母さん、もうもとに戻ってるから、そんなことしたらショック受けちゃうよ」
 どこからか香澄が調達してきた濡れタオルで母の裸体を拭き、いやらしい汁の痕跡をぬぐい取った。
 が、その後が大変だった。
 僕が両脇を抱え、香澄が脚を持ち、長い廊下を母の寝室まで運んだ。
 すべてを終え、香澄とふたりひと息ついた頃には、外が白み始めていた。
「夏休みが始まっちゃうね」
 明るくなる空を見つめながら、香澄が言った。
「その前に、あの化け物をなんとかしないと」
 香澄のその大人びた横顔に向かって、僕はたずねた。
「香澄、おまえ、いったい何者なんだ? どうして…」
「人が知らないようなこと、いろいろ知ってるのかって?」
 空を見上げたまま、香澄が訊き返す。
「あ、ああ。まるで、おまえまで、何かに乗っ取られたみたいに見えるけど…」
「香澄にいろんなこと、教えてくれるのは、死んだお父さん」
「え…?」
「たまにね、夢の中に出てきて、話してくれる。ハンザキが何者なのか、どうして人を半裂きにして、必ず躰の半分を持ち帰るのか…」
「なんだ、それ…?」
 僕は怖くなった。
 母が狂ったように、香澄も狂ってしまっているのだろうか。
 あるいは、考えてみれば、小学生の分際で、妹や実の母と性交したこの僕も…。
 朝のしじまを切り裂いて、電話が鳴ったのは、その時だ。
 僕は恐怖のまなざしで、部屋の隅のカブトムシ型の電話機を凝視した。
「もしもし」
 何のためらいもなく、あっさり受話器を取る香澄。
「あ、由里亜ちゃん。え。そうなんだ。わかった。お兄ちゃんにも伝えとく」
 短く答えて、受話器を置き、僕のほうを振り向いた。
「外出禁止令が解除されたから、学校行けるって。でさ、授業後、剛君の家に集合しようって」

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