地獄極楽仕留屋稼業 ~聚楽第異聞~

戸影絵麻

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#9 魔人現る

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「何しにって、仕留めだよ、仕留め」
 笑いを含んだ口調で犬丸が答えた。
 犬丸はすでに両手を瓦に下ろし、四つん這いの姿勢になっている。
 逆光で細部までは見えないが、鼻面が伸び、両耳が尖っているのがわかった。
 変化の兆しが現れているのだ。
「ちょっと手が空いたから様子を見に来てやったらこのザマだ。どれ、この犬丸さまが手を貸してやる」
「今更そんなこと言っても、仕留め料は払わぬぞ。それでもいいなら好きにしろ」
 憎まれ口を叩きながらも、夜叉姫は内心ほっとしていた。
 逃げるのは癪だと忸怩たる思いに苛まれていたところだったからだ。
「そんなはした金などどうでもいい。次に大仕事が来た時、分け前を増やしてもらう。それでいい」
「ふん。相変わらず抜け目のないやつ。それより犬丸、まだ満月にはほど遠いが、そのほう、大丈夫なのか?」
 中天にかかる弓形の月と犬丸の尖った耳を見比べながら、夜叉姫はたずねた。
「なんの異国の犬一匹。わが犬神一族の敵ではない」
 犬丸の顔は、すでに剛毛に覆われ、人というより獣に近いものになっている。
 が、月齢のせいか、やはり完全な変化には至っていないようだ。
 体型は四つ足の獣というより、まだ人間に近い。
 犬丸の正体は、本人の弁の如く、犬神一族の末裔である。
 が、犬神といっても、犬ではない。
 山神の使いとも称される狼なのだ。
 ろくろ首でふた口女の夜叉姫。
 むささび人間の撫佐。
 そして、狼男の犬丸。
 地獄極楽寺の梟和尚の元に集う始末屋は、三人とも化生の者なのだ。
「そこで見物してるがいい。撫佐、そのおてんばを頼んだ」
 と、犬丸が落ちた。
 石礫のように落下した。
 落下して、魔獣の真後ろに仁王立ちになった。
 異常を察して二本足で立ち上がりかけた魔獣の首に、犬丸の逞しい腕が巻きついた。
「死にやがれ」
 にたりと笑い、犬丸が腕に力を込めた。
 魔獣の太い首が傾いだ。
 恐るべき馬鹿力だった。
 グググググッ。
 牙の並ぶ魔獣の口から、ぶくぶくと血の混じった泡が噴き出してくる。
 そして。
 次の瞬間、骨の砕ける鈍い音が響き、視力を失ったほうの魔獣の首が、斜め下にだらりと垂れ下がった。
 絶叫とともに、犬丸を振り落として魔獣が駆け出した。
 巨体が跳ね上がり、聚楽第の廃墟に消えた、その時である。
 瓦礫の中にすっくと立ちあがった影を目にして、夜叉姫ははっと息を呑んだ。
 黒い着物を痩身にまとった、背の高い男である。
 金糸で縁取られた豪奢な衣装は、間違いなくその高貴な身分を表している。
 男は両手にむき身の刀を提げていた。
 折から姿を現した月の光に、白刃がぎらりときらめいた。
 吹きつける尋常でない殺気に、夜叉姫は低い声で眼下の犬丸に注意を促した。
「気をつけるのじゃ、犬丸! あそこに、もうひとりいる!」
 夜叉姫の声に、体勢を立て直した犬丸が、びくりと身を強張らせるのが見えた。
 と、更に月が横に滑った。
 雲から完全に姿を現すと、今度は白い月光が男の顔を闇に浮かび上がらせた。
 異様に白い肌に、唇だけが血を吸ったみたいに赤い。
 背筋が凍るほどの美形だった。
 赤く濡れ光る唇が、三日月の形の笑みを刻んでいるようだ。
「あれは…まさか」
 撫佐がうめくようにつぶやくのが聞こえてきた。
 同時に夜叉姫も気づいていた。
 し、しかし、そんなことが…。
 夜叉姫のただでさえ大きな瞳が、限界まで見開かれた。
 あの顔、見たことがある。
 最後に見たのは…そう、三条が原の晒し台の上…。
「信じられぬ…。あれは…あれは…」 
 その思いを代弁するかのように、夜叉姫の後頭部に開いた口が、うわ言めいた口調でひとりごちた。
「関白、秀次公…」
 夜叉姫は、月光にもう一度目を凝らした。
 が、その時にはすでに、影は闇に溶け、跡形もなく消え去ってしまっていた…。
 

 
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