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第6章 となりはだあれ?
#3 都市伝説②
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地下鉄東山線は、ここ那古野市で最初に開通した地下鉄だ。
市内を東西に貫き、中心部を通るため、設備は古いが利用客は非常に多い。
そのため、朝夕のラッシュ時には、2分から3分間隔で電車が来るという、国内有数の高頻度路線である。
名前の由来は、観光地として有名な東山動植物園を経由していることだ。
事件のあった『星が丘駅』は、その『東山公園駅』のひとつ東にあたる駅だった。
照和署の近くの駅から乗った場合には途中で乗り換える必要があり、乗換駅のホームで待っていると、ほどなくして銀色の車体に黄色のラインの入った電車が、騒々しい音を立ててやってきた。
事件から数時間経過しているため、ダイヤはすでに正常に戻っているらしい。
ホーム中央付近の3車両が終日『女性専用車両』に指定されている。
つまりは、普段この路線がいかに混雑し、痴漢の出没が多いかということの証明だろう。
そんなことを考えながら転落防止ゲートを抜け、開いたドアをくぐると、お昼すぎという時間帯のせいか、車内はほとんどガラ空きに近い状態だった。
もちろん、被害者の安田邦彦が殺されたのは、この車両ではない。
おそらく当該車両は、今頃車庫に搬送されて、そこで詳しく調べられているに違いない。
だから、行くなら地下鉄の車庫かとも思ったのだが、杏里はとりあえず現場に最も近い星が丘駅に赴くことにした。
今回は、以前のウロボロスの時と違い、属性は電車本体にはない。
事件発生時、車内にはちゃんと犯人がいて、徒歩で逃げたはずだと思ったのだ。
だとすれば、それは電車が止められた星が丘駅からということになるだろう。
そこに何か手掛かりがあるかもしれない。
あるいは目撃証言とか。
杏里は自分のロッカーの中に、囮捜査用の着換えをいくつか用意している。
今はその中から一番地味なリクルートスーツを着てきていた。
会社訪問中の女子大生というのは、この時期、最も警戒されにくい人種ではないかと思ったからだ。
『星が丘駅』のホームは、閑散としていた。
人の気配といえば、向かい側のホームにベビーカーを押した若い女性がひとり、赤ちゃんをあやしてでもいるのか、端から端をゆっくりと往復しているだけである。
これではせっかく就活女子に変装してきても、まったくその甲斐がないというものだ。
何もないホームには早々に見切りをつけ、階段をのぼって駅員室に向かった。
応対してくれたのは、でっぷり太った初老の職員である。
「はあ、いったい何が起こったのか、わたしゃここに40年近く勤務してますが、こんな事件は初めてですじゃ」
警察手帳を見せると、人の好さそうな駅員は、困惑したように顔をしかめ、帽子を脱いで額の汗を拭った。
「なんでもいいから、思い出していただけませんか? 事件の直後、何か変わったことはありませんでしたか?」
メモ帳を広げ、ボールペン片手に杏里は身を乗り出した。
「いやあ、なんせ、時間帯が時間帯でしょう? 警察の方の指示で、問題の車両に乗っていたお客さんたちはいったん全員ここで降ろして、警察の到着まで待ってもらったんですがね、ざっと100人はいたんじゃないですかね。刑事さんやおまわりさんたちも、乗客の皆さんの連絡先を聞き取るだけで、もうてんやわんやの大騒ぎで…。1時間ほど前に、ようやく最後のひとりが解放されたところですわ」
なるほど、そういうことか。
杏里は手帳を閉じた。
そんな有様では、仮にそのなかに犯人が紛れ込んでいたとしても、警察の捜査はこれからということになる。
警察としては、聞き取った情報をもとに、ひとりひとりを特定し、個別に当たっていくしかないのだから。
「もっとも、被害者の方の近くに居た何名かは、直接この部屋で事情聴取されてましたがね。漏れ聞こえてきた会話を聞いても、これがまた、なんとも雲をつかむような話でして…。急に座席から人が転げ落ちてきたと思ったら、あたり一面血だらけで、もう、何があったのかさっぱりわからなかった…。どの人も、口をそろえてそんなことを言うばかりで」
「まさか、『オリエント急行』でもないでしょうからね」
杏里の妙な相づちに、
「え? なんですか? そのオリエントなんとかっちゅうのは?」
駅員がけげんそうに白い眉をつりあげた。
「徒労だったかなあ。勢い込んできた甲斐、なかったかも」
駅員室を後にして、来た時とは逆側の階段を下りた。
ホームには、女子高生らしき少女の3人組がいた。
あたりはばからぬ大声で、何か夢中でしゃべっている。
時期的にみて、定期テストの最中なのかもしれなかった。
だから学校が終わるのが早いのだ。
ベンチに腰かけ、背もたれにぐったりもたれかかったその時である。
女子高生たちの会話が、急に意味を伴ったものになって、杏里の耳に響いてきた。
「だからさあ。今朝のあの事件、”かみこ”の仕業だってみんな言ってるんだよ」
「かみこって、この前の失踪事件の時のあれ?」
「そうそう、超やばいよねー」
「消えたの星が丘工業の男子っしょ?」
「うん。とーさつで有名だったやつ」
「は、変態は自業自得だよね」
「でも今朝のは違うでしょ?」
「わかんないよー。死んだの男の人でしょ。痴漢だったのかもしんないし」
「かみこってひょっとして、女の味方?」
「はは、だったりして」
何、この会話?
杏里はとっさに立ち上がった。
『まもなく電車がまいります』
電光掲示板の表示に気づくと、急いで少女たちに近づいた。
「待って。今の話、ちょっと詳しく聞かせてくれないかな?」
市内を東西に貫き、中心部を通るため、設備は古いが利用客は非常に多い。
そのため、朝夕のラッシュ時には、2分から3分間隔で電車が来るという、国内有数の高頻度路線である。
名前の由来は、観光地として有名な東山動植物園を経由していることだ。
事件のあった『星が丘駅』は、その『東山公園駅』のひとつ東にあたる駅だった。
照和署の近くの駅から乗った場合には途中で乗り換える必要があり、乗換駅のホームで待っていると、ほどなくして銀色の車体に黄色のラインの入った電車が、騒々しい音を立ててやってきた。
事件から数時間経過しているため、ダイヤはすでに正常に戻っているらしい。
ホーム中央付近の3車両が終日『女性専用車両』に指定されている。
つまりは、普段この路線がいかに混雑し、痴漢の出没が多いかということの証明だろう。
そんなことを考えながら転落防止ゲートを抜け、開いたドアをくぐると、お昼すぎという時間帯のせいか、車内はほとんどガラ空きに近い状態だった。
もちろん、被害者の安田邦彦が殺されたのは、この車両ではない。
おそらく当該車両は、今頃車庫に搬送されて、そこで詳しく調べられているに違いない。
だから、行くなら地下鉄の車庫かとも思ったのだが、杏里はとりあえず現場に最も近い星が丘駅に赴くことにした。
今回は、以前のウロボロスの時と違い、属性は電車本体にはない。
事件発生時、車内にはちゃんと犯人がいて、徒歩で逃げたはずだと思ったのだ。
だとすれば、それは電車が止められた星が丘駅からということになるだろう。
そこに何か手掛かりがあるかもしれない。
あるいは目撃証言とか。
杏里は自分のロッカーの中に、囮捜査用の着換えをいくつか用意している。
今はその中から一番地味なリクルートスーツを着てきていた。
会社訪問中の女子大生というのは、この時期、最も警戒されにくい人種ではないかと思ったからだ。
『星が丘駅』のホームは、閑散としていた。
人の気配といえば、向かい側のホームにベビーカーを押した若い女性がひとり、赤ちゃんをあやしてでもいるのか、端から端をゆっくりと往復しているだけである。
これではせっかく就活女子に変装してきても、まったくその甲斐がないというものだ。
何もないホームには早々に見切りをつけ、階段をのぼって駅員室に向かった。
応対してくれたのは、でっぷり太った初老の職員である。
「はあ、いったい何が起こったのか、わたしゃここに40年近く勤務してますが、こんな事件は初めてですじゃ」
警察手帳を見せると、人の好さそうな駅員は、困惑したように顔をしかめ、帽子を脱いで額の汗を拭った。
「なんでもいいから、思い出していただけませんか? 事件の直後、何か変わったことはありませんでしたか?」
メモ帳を広げ、ボールペン片手に杏里は身を乗り出した。
「いやあ、なんせ、時間帯が時間帯でしょう? 警察の方の指示で、問題の車両に乗っていたお客さんたちはいったん全員ここで降ろして、警察の到着まで待ってもらったんですがね、ざっと100人はいたんじゃないですかね。刑事さんやおまわりさんたちも、乗客の皆さんの連絡先を聞き取るだけで、もうてんやわんやの大騒ぎで…。1時間ほど前に、ようやく最後のひとりが解放されたところですわ」
なるほど、そういうことか。
杏里は手帳を閉じた。
そんな有様では、仮にそのなかに犯人が紛れ込んでいたとしても、警察の捜査はこれからということになる。
警察としては、聞き取った情報をもとに、ひとりひとりを特定し、個別に当たっていくしかないのだから。
「もっとも、被害者の方の近くに居た何名かは、直接この部屋で事情聴取されてましたがね。漏れ聞こえてきた会話を聞いても、これがまた、なんとも雲をつかむような話でして…。急に座席から人が転げ落ちてきたと思ったら、あたり一面血だらけで、もう、何があったのかさっぱりわからなかった…。どの人も、口をそろえてそんなことを言うばかりで」
「まさか、『オリエント急行』でもないでしょうからね」
杏里の妙な相づちに、
「え? なんですか? そのオリエントなんとかっちゅうのは?」
駅員がけげんそうに白い眉をつりあげた。
「徒労だったかなあ。勢い込んできた甲斐、なかったかも」
駅員室を後にして、来た時とは逆側の階段を下りた。
ホームには、女子高生らしき少女の3人組がいた。
あたりはばからぬ大声で、何か夢中でしゃべっている。
時期的にみて、定期テストの最中なのかもしれなかった。
だから学校が終わるのが早いのだ。
ベンチに腰かけ、背もたれにぐったりもたれかかったその時である。
女子高生たちの会話が、急に意味を伴ったものになって、杏里の耳に響いてきた。
「だからさあ。今朝のあの事件、”かみこ”の仕業だってみんな言ってるんだよ」
「かみこって、この前の失踪事件の時のあれ?」
「そうそう、超やばいよねー」
「消えたの星が丘工業の男子っしょ?」
「うん。とーさつで有名だったやつ」
「は、変態は自業自得だよね」
「でも今朝のは違うでしょ?」
「わかんないよー。死んだの男の人でしょ。痴漢だったのかもしんないし」
「かみこってひょっとして、女の味方?」
「はは、だったりして」
何、この会話?
杏里はとっさに立ち上がった。
『まもなく電車がまいります』
電光掲示板の表示に気づくと、急いで少女たちに近づいた。
「待って。今の話、ちょっと詳しく聞かせてくれないかな?」
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