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第1章 黄泉の国から来た少女
#28 杏里、蒼ざめる
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「相馬葵さんですよね。お久しぶりです」
杏里が対面に腰を落ちつけるのを待って、慇懃な口調で改めて男が言った。
「そ、そうですけど…」
ぎこちなくうなずきながら、杏里は、はて?と首をかしげた。
久しぶりって、どういうことだろう?
葵とこの男は、面識があるとでもいうのだろうか。
「葵さんに見ていただきたいものは、これです」
手元のビロードの箱を、杏里のほうに押しやって男が言った。
細面の、平凡な顔立ちの男である。
年の頃は30代前半か。
あまりに特徴がなさすぎて、少し目を逸らすと忘れてしまいそうなほど、地味な顔立ちをしている。
「何かの押し売りですか? だったら帰ってくださいよ。余分なものに使うお金なんて、うちにはありませんから」
相馬葵になり切ることにして、杏里は箱を押し返した。
しっかり者の葵なら、そんな訪問販売の商品など、きっと買わないだろうという気がしたからである。
半面、本当にこの男なのだろうかと思う。
確かに登場の仕方は尋常ではなかったが、見た感じ、人畜無害を絵に描いたようなやさ男だ。
これなら零の力を借りなくても、私のパンチとキックだけで十分KOできるに違いない。
「押し売りだなんて、滅相もない」
手のひらをひらひら振って、男が苦笑した。
「私はただ、あなたにこれを見せたいだけなんです。ほら」
男が箱の蓋を開くと、白いビロードの布地の上にずらりと並んだ乳白色の粒が現れた。
「真珠…?」
杏里は息を呑んだ。
その質感や光の加減からして、どれも本物の高級真珠のようである。
それはいい。
それはいいのだが…。
どうして赤い真珠が、3つも混じってるの?
明らかに零が持っていたものと同じものである。
杏里は背筋を冷たいものが伝うのを感じた。
呪われた真珠。
零の同僚、今は亡き外道ハンターが残した形見…。
「ところで葵さん、真珠って、どうやってできるか、知っていますか?」
杏里の動揺に気づいているのかいないのか、男はなんだか楽しそうだ。
うきうきしているようにすら、見える。
「えっと、確か、貝の中で育つとか…。ホタテガイだったかな」
うろ覚えで答えると、男が吹き出しそうな表情になった。
「ホタテは寿司のネタですね。もちろん、ホタテガイでもできないことはありませんが、養殖真珠はふつう、アコヤガイを使います」
「はあ」
当然杏里には、ホタテガイとアコヤガイの違いなどわからない。
でも、この男、なんでそんな話題を持ち出すのだろう。
ただの世間話?
それとも…。
「真珠は貝の体内で生成される宝石でしてね。生体鉱物、別名バイオミネラルとも呼ばれています。もとより真珠は、貝殻成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然に入りこむことで生成されます。その意味では、真珠の成分は貝殻の成分と等しいということになりますから、貝殻を作る軟体動物であれば、どれでも真珠を生成することができるのです。ですから、あなたのおっしゃった、ホタテガイでも十分に可能なわけですね。そこで我が国の養殖真珠は、主に球体に削った核をアコヤガイの体内に外套膜と一緒に挿入することで真珠層を形成させる、という方法を取っているのですが、ただこの方法では、どうしても生成される真珠の種類が限られてしまいます」
「他にも、真珠をつくる方法が?」
男の弁舌が途切れたのを見計らって、杏里はたずねた。
「たとえば、この紅い真珠なんて、私初めて見るけど…」
本当は、初めてではない。
これで2度目になる。
「そうです。よくぞ訊いてくださいました」
男が嬉しそうに破顏した。
「これこそ、私があなたにお見せしたかったものなのです。この紅い真珠は、アコヤガイの体内で生成されたものではありません。ものすごく貴重な、つくるのにそれはそれは長い年月のかかる、希少な生体鉱物なのです」
「アコヤガイじゃ、ない…?」
いやな予感がした。
胸の中が無性にもやもやする。
これ以上聞きたくない。
聞くときっと後悔する。
しかし、杏里は刑事なのだった。
疑問があれば、たずねないではいられないのだ。
「じゃあ、赤い真珠は、どうやって…?」
にたりと、男が嗤った。
杏里の眼を正面から見据えると、その反応を楽しむかのように、ゆっくりと言った。
「人間です。人間の女性の子宮に核を植えつけ、育てるのです。核が血を吸い、卵嚢をベッドにして、少しずつ、少しずつ成長していく。そして、ちょうど8年で、赤い真珠はこの大きさに育つのです」
がたん、と音がした。
立ち上がりかけた杏里の膝が、テーブルの裏にぶつかった音だった。
「あ、あなたが…」
杏里は蒼白になっていた。
貧血を起こした時のように、手足の先が冷たくなっていく。
口から、言葉が出てこない。
喉がぜいぜいと鳴るだけだ。
「久しぶりですって、言ったでしょう? ちょうど8年前、私はあなたたち3人の子宮に核を植えつけた。そして、8年間、待ったのです。きょうという、記念すべき収穫の日がくるのをね」
男が身を乗り出してくる。
杏里はあっと声を上げた、
顏が、溶け始めている。
男の眼と鼻と口が、福笑いのパーツみたいに、バラバラに動き始めている…。
変化はそれだけではなかった。
テーブルの上に置いた男の両手。
スーツの袖から出ている部分が、何か肉色の鎌のような形に、だんだんと変わり始めている。
化け物。
杏里は金縛りにあったように動けなかった。
こいつ、もしかして、身体の形を、自由自在に変えられる?
だったら、ひょっとして、換気扇のプロペラの隙間も、通り抜けられたりするのかも…?
「こ、来ないで」
杏里は呻いた。
その時、ほとんど口だけになった顔で、男が言った。
「わかりましたか? 私は真珠を売りに来たのではありません。そう。回収しにきたのですよ」
杏里が対面に腰を落ちつけるのを待って、慇懃な口調で改めて男が言った。
「そ、そうですけど…」
ぎこちなくうなずきながら、杏里は、はて?と首をかしげた。
久しぶりって、どういうことだろう?
葵とこの男は、面識があるとでもいうのだろうか。
「葵さんに見ていただきたいものは、これです」
手元のビロードの箱を、杏里のほうに押しやって男が言った。
細面の、平凡な顔立ちの男である。
年の頃は30代前半か。
あまりに特徴がなさすぎて、少し目を逸らすと忘れてしまいそうなほど、地味な顔立ちをしている。
「何かの押し売りですか? だったら帰ってくださいよ。余分なものに使うお金なんて、うちにはありませんから」
相馬葵になり切ることにして、杏里は箱を押し返した。
しっかり者の葵なら、そんな訪問販売の商品など、きっと買わないだろうという気がしたからである。
半面、本当にこの男なのだろうかと思う。
確かに登場の仕方は尋常ではなかったが、見た感じ、人畜無害を絵に描いたようなやさ男だ。
これなら零の力を借りなくても、私のパンチとキックだけで十分KOできるに違いない。
「押し売りだなんて、滅相もない」
手のひらをひらひら振って、男が苦笑した。
「私はただ、あなたにこれを見せたいだけなんです。ほら」
男が箱の蓋を開くと、白いビロードの布地の上にずらりと並んだ乳白色の粒が現れた。
「真珠…?」
杏里は息を呑んだ。
その質感や光の加減からして、どれも本物の高級真珠のようである。
それはいい。
それはいいのだが…。
どうして赤い真珠が、3つも混じってるの?
明らかに零が持っていたものと同じものである。
杏里は背筋を冷たいものが伝うのを感じた。
呪われた真珠。
零の同僚、今は亡き外道ハンターが残した形見…。
「ところで葵さん、真珠って、どうやってできるか、知っていますか?」
杏里の動揺に気づいているのかいないのか、男はなんだか楽しそうだ。
うきうきしているようにすら、見える。
「えっと、確か、貝の中で育つとか…。ホタテガイだったかな」
うろ覚えで答えると、男が吹き出しそうな表情になった。
「ホタテは寿司のネタですね。もちろん、ホタテガイでもできないことはありませんが、養殖真珠はふつう、アコヤガイを使います」
「はあ」
当然杏里には、ホタテガイとアコヤガイの違いなどわからない。
でも、この男、なんでそんな話題を持ち出すのだろう。
ただの世間話?
それとも…。
「真珠は貝の体内で生成される宝石でしてね。生体鉱物、別名バイオミネラルとも呼ばれています。もとより真珠は、貝殻成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然に入りこむことで生成されます。その意味では、真珠の成分は貝殻の成分と等しいということになりますから、貝殻を作る軟体動物であれば、どれでも真珠を生成することができるのです。ですから、あなたのおっしゃった、ホタテガイでも十分に可能なわけですね。そこで我が国の養殖真珠は、主に球体に削った核をアコヤガイの体内に外套膜と一緒に挿入することで真珠層を形成させる、という方法を取っているのですが、ただこの方法では、どうしても生成される真珠の種類が限られてしまいます」
「他にも、真珠をつくる方法が?」
男の弁舌が途切れたのを見計らって、杏里はたずねた。
「たとえば、この紅い真珠なんて、私初めて見るけど…」
本当は、初めてではない。
これで2度目になる。
「そうです。よくぞ訊いてくださいました」
男が嬉しそうに破顏した。
「これこそ、私があなたにお見せしたかったものなのです。この紅い真珠は、アコヤガイの体内で生成されたものではありません。ものすごく貴重な、つくるのにそれはそれは長い年月のかかる、希少な生体鉱物なのです」
「アコヤガイじゃ、ない…?」
いやな予感がした。
胸の中が無性にもやもやする。
これ以上聞きたくない。
聞くときっと後悔する。
しかし、杏里は刑事なのだった。
疑問があれば、たずねないではいられないのだ。
「じゃあ、赤い真珠は、どうやって…?」
にたりと、男が嗤った。
杏里の眼を正面から見据えると、その反応を楽しむかのように、ゆっくりと言った。
「人間です。人間の女性の子宮に核を植えつけ、育てるのです。核が血を吸い、卵嚢をベッドにして、少しずつ、少しずつ成長していく。そして、ちょうど8年で、赤い真珠はこの大きさに育つのです」
がたん、と音がした。
立ち上がりかけた杏里の膝が、テーブルの裏にぶつかった音だった。
「あ、あなたが…」
杏里は蒼白になっていた。
貧血を起こした時のように、手足の先が冷たくなっていく。
口から、言葉が出てこない。
喉がぜいぜいと鳴るだけだ。
「久しぶりですって、言ったでしょう? ちょうど8年前、私はあなたたち3人の子宮に核を植えつけた。そして、8年間、待ったのです。きょうという、記念すべき収穫の日がくるのをね」
男が身を乗り出してくる。
杏里はあっと声を上げた、
顏が、溶け始めている。
男の眼と鼻と口が、福笑いのパーツみたいに、バラバラに動き始めている…。
変化はそれだけではなかった。
テーブルの上に置いた男の両手。
スーツの袖から出ている部分が、何か肉色の鎌のような形に、だんだんと変わり始めている。
化け物。
杏里は金縛りにあったように動けなかった。
こいつ、もしかして、身体の形を、自由自在に変えられる?
だったら、ひょっとして、換気扇のプロペラの隙間も、通り抜けられたりするのかも…?
「こ、来ないで」
杏里は呻いた。
その時、ほとんど口だけになった顔で、男が言った。
「わかりましたか? 私は真珠を売りに来たのではありません。そう。回収しにきたのですよ」
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