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第1章 黄泉の国から来た少女
#30 杏里、安堵する
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魔物や化け物というのは、フィクションの世界では、やられるとたいてい煙のように消えてしまうものである。
が、現実世界ではそうはならなかった。
韮崎たちに続いて鑑識が駆けつけてきた時になっても、あの”顔のない男”は、消えもせず、床でぴくぴく痙攣したままだったのだ。
「確かに服装からしても、こいつが防犯カメラに写ってたやつに間違いないだろう。盗聴器から聞こえてきた笹原との会話の内容からしても、こいつがこの一連の事件の犯人であることは確実だ。しかし、これはいったい全体なんなんだ? なんで目も鼻もない? どうして手が鎌になってるんだ?」
「それだけじゃないわ」
鑑識の係員たちを押しのけて現れたのは、白衣姿のヤチカだった。
「おそらくこれには骨もないはず。脱皮して成長する生物に、内骨格なんて不要だもの」
「ほんとだ」
手袋を嵌めた手で男の片腕を持ち上げた野崎が、感心したように言った。
「ニラさん、ちょっと触ってみてくださいよ。なんかこいつの腕、蛸の触手みたいにふにゃふにゃしてますぜ」
「馬鹿、勝手に触るやつがあるか」
韮崎が、ぱーんと音を立てて野崎の後頭部をはたく。
野崎君、ほんとに刑事になれるのかな。
他人事ながら、杏里は少し心配になった。
「おそらく、この特異な身体構造こそが、密室の謎を解くカギだと思うの。ふたつの現場では、どちらもキッチンの換気扇の真下に、真新しい埃が落ちていた。鬼頭千佳のアパートでは、換気扇のプロペラに、明らかに最近こすったような痕もあったわ。つまり、犯人は鍵のかかった部屋から、換気扇の隙間を通り抜けることで脱出を図ったのよ」
「捜査会議でそれを報告しなかったのは、正解だったかもな」
韮崎が珍しくヤチカの肩を持った。
「ねずみもすり抜けられるかどうかってすき間を通り抜けるタコ人間が犯人だなんて、科学捜査の最先端の科捜研は、口が裂けても言えないもんな」
「まあね」
ヤチカが苦笑した。
「頭の固いお偉方たちは、たとえ自分の眼で見ても、こんな犯人絶対に認めないでしょうね」
「確かにな」
うなずく韮崎。
「たとえこれが推理小説だとしても、さすがにこのオチには、非難殺到ってとこだろうよ」
「はは、そうだよね。でもまあ、後はあたしたちに任せてよ。科捜研と国立科学研究所合同で、この変な生き物、じっくり調べ上げてみせるから。この前アジトで見つけた例の抜け殻も一緒にね」
そうしめくくると、ヤチカは男の傍らに膝をつき、黙々と調査に取りかかった。
周囲を念入りに調べた後、鑑識課員たちが担架に男を乗せて出ていくと、奥の部屋でベッドの端に座り、ぼんやりしている杏里に、韮崎が話しかけてきた。
「お疲れのところ、すまんがな、笹原、ひとつ教えてくれ」
「は、はい」
「あの犯人、また脳の一部を食われて廃人になってたみたいなんだが…もしかして、おまえだったのか? レイプ魔に仕置きして回ってた、例のブレーンバスターズは」
杏里は笑った。
ここはとぼけ通すしかなかった。
「馬鹿なこと言わないでくださいよ。そんな器用なこと、私には無理ですって。第一、私、お寿司のネタで、カニ味噌が一番苦手なんですから」
「じゃ、誰なんだ? あれは、誰がやったんだ?」
「さあ、あの時、私、襲われて気絶してましたから、わかんないんです。そうですね、ひょっとすると、私の守護霊が守ってくれたのかもですね」
かなり粘られたけれど、結局無罪放免になった。
どんな形であれ、一応犯人が捕まったのである。
韮崎も、杏里の頑張りを多少は斟酌してくれたようだった。
念のため警察病院で検査を、と勧められたが、どこにも怪我はないので断った。
早く家に帰って、零に会いたかったのだ。
狭くて急な階段を上ると、零の部屋のドアに木製のネームプレートが下がっていた。
楕円形のコルク板に、ただ一文字、
0
と描いてある。
数字のゼロと自分の名前をかけたつもりなのだろう。
いかにも彼女らしい素っ気なさだった。
「帰ったよ。入っていい?」
おそるおそるノックをすると、
「ああ」
いつもの短い返事が返ってきた。
そっとドアを開け、部屋の中に身体を滑り込ませると、零はベッドの上に着物姿のまま胡坐をかいて、白いシーツの表面に並べた真珠をじっと見つめているところだった。
3個に増えた、あの赤い真珠である。
「まさかね、子宮摘出の意味が、それだったなんてね」
ベッドの端に腰かけて、杏里は言った。
「こいつらは、人の生き血を8年間も吸って育ってきたんだ。どうりで呪われてるはずさ」
頬にかかる髪をかき上げもせず、零が答えた。
「おなかの中で真珠を育てるなんて、想像するだけでもぞっとするよ」
杏里は反射的に自分の肩を両手で抱きしめた。
そういえば、相馬葵の体内にはまだ真珠が残ったままのはずだ。
できれば手術して取り出すよう、アドバイスしてあげたほうがいいかもしれない。
「で、どうするの? その真珠」
「今、それを考えていた」
零がつぶやいた。
「できればこの世から、排除したいんだ」
「排除?」
「そう。二度とやつらの手に落ちないように」
呪いの真珠を、排除する方法か…。
「あ、それなら、こうしたらどうかな」
昔見た映画のラストシーンを思い出し、杏里は言った。
「火山の噴火口に放り込む。ほら、日本って、活火山、多いでしょ」
半分冗談のつもりだった。
が、零は真に受けたようだ。
「火山か。それ、いいかもな」
「え?」
「活動中の火山といえば、阿蘇山か。よし。明日にでも行くとしよう」
「本気なの?」
「もちろんだ。あ、それから」
零がふいに顔を近づけてきた。
「ありがとう。おまえのおかげで、やっと、仲間の仇、討つことができたよ」
見つめられ、抱き締められ、キスされた。
陶然とした気分に陥りながら、しかし、杏里はふと思うのだった。
本当は、まだ、何も終わっていないんだよね。
あいつが最後に言ったこと。
ー地竜は、眠るとなかなか起きないー
あれって、なんだったんだろう…?
しばらくうっとり抱かれていると、少し体を離して、だしぬけに零が言った。
「それにしても杏里。おまえさ、いつまでチアの格好してるつもりなんだ?」
からかうような口調だった。
「もしかして、私を誘惑してるのか?」
杏里は耳たぶまで赤くなった。
短いスカートの中に、手が入ってきたからだった。
「だめ」
杏里は熱い息をつき、切なげに身をよじらせた。
「だめだよ。先にシャワー、浴びないと」
が、現実世界ではそうはならなかった。
韮崎たちに続いて鑑識が駆けつけてきた時になっても、あの”顔のない男”は、消えもせず、床でぴくぴく痙攣したままだったのだ。
「確かに服装からしても、こいつが防犯カメラに写ってたやつに間違いないだろう。盗聴器から聞こえてきた笹原との会話の内容からしても、こいつがこの一連の事件の犯人であることは確実だ。しかし、これはいったい全体なんなんだ? なんで目も鼻もない? どうして手が鎌になってるんだ?」
「それだけじゃないわ」
鑑識の係員たちを押しのけて現れたのは、白衣姿のヤチカだった。
「おそらくこれには骨もないはず。脱皮して成長する生物に、内骨格なんて不要だもの」
「ほんとだ」
手袋を嵌めた手で男の片腕を持ち上げた野崎が、感心したように言った。
「ニラさん、ちょっと触ってみてくださいよ。なんかこいつの腕、蛸の触手みたいにふにゃふにゃしてますぜ」
「馬鹿、勝手に触るやつがあるか」
韮崎が、ぱーんと音を立てて野崎の後頭部をはたく。
野崎君、ほんとに刑事になれるのかな。
他人事ながら、杏里は少し心配になった。
「おそらく、この特異な身体構造こそが、密室の謎を解くカギだと思うの。ふたつの現場では、どちらもキッチンの換気扇の真下に、真新しい埃が落ちていた。鬼頭千佳のアパートでは、換気扇のプロペラに、明らかに最近こすったような痕もあったわ。つまり、犯人は鍵のかかった部屋から、換気扇の隙間を通り抜けることで脱出を図ったのよ」
「捜査会議でそれを報告しなかったのは、正解だったかもな」
韮崎が珍しくヤチカの肩を持った。
「ねずみもすり抜けられるかどうかってすき間を通り抜けるタコ人間が犯人だなんて、科学捜査の最先端の科捜研は、口が裂けても言えないもんな」
「まあね」
ヤチカが苦笑した。
「頭の固いお偉方たちは、たとえ自分の眼で見ても、こんな犯人絶対に認めないでしょうね」
「確かにな」
うなずく韮崎。
「たとえこれが推理小説だとしても、さすがにこのオチには、非難殺到ってとこだろうよ」
「はは、そうだよね。でもまあ、後はあたしたちに任せてよ。科捜研と国立科学研究所合同で、この変な生き物、じっくり調べ上げてみせるから。この前アジトで見つけた例の抜け殻も一緒にね」
そうしめくくると、ヤチカは男の傍らに膝をつき、黙々と調査に取りかかった。
周囲を念入りに調べた後、鑑識課員たちが担架に男を乗せて出ていくと、奥の部屋でベッドの端に座り、ぼんやりしている杏里に、韮崎が話しかけてきた。
「お疲れのところ、すまんがな、笹原、ひとつ教えてくれ」
「は、はい」
「あの犯人、また脳の一部を食われて廃人になってたみたいなんだが…もしかして、おまえだったのか? レイプ魔に仕置きして回ってた、例のブレーンバスターズは」
杏里は笑った。
ここはとぼけ通すしかなかった。
「馬鹿なこと言わないでくださいよ。そんな器用なこと、私には無理ですって。第一、私、お寿司のネタで、カニ味噌が一番苦手なんですから」
「じゃ、誰なんだ? あれは、誰がやったんだ?」
「さあ、あの時、私、襲われて気絶してましたから、わかんないんです。そうですね、ひょっとすると、私の守護霊が守ってくれたのかもですね」
かなり粘られたけれど、結局無罪放免になった。
どんな形であれ、一応犯人が捕まったのである。
韮崎も、杏里の頑張りを多少は斟酌してくれたようだった。
念のため警察病院で検査を、と勧められたが、どこにも怪我はないので断った。
早く家に帰って、零に会いたかったのだ。
狭くて急な階段を上ると、零の部屋のドアに木製のネームプレートが下がっていた。
楕円形のコルク板に、ただ一文字、
0
と描いてある。
数字のゼロと自分の名前をかけたつもりなのだろう。
いかにも彼女らしい素っ気なさだった。
「帰ったよ。入っていい?」
おそるおそるノックをすると、
「ああ」
いつもの短い返事が返ってきた。
そっとドアを開け、部屋の中に身体を滑り込ませると、零はベッドの上に着物姿のまま胡坐をかいて、白いシーツの表面に並べた真珠をじっと見つめているところだった。
3個に増えた、あの赤い真珠である。
「まさかね、子宮摘出の意味が、それだったなんてね」
ベッドの端に腰かけて、杏里は言った。
「こいつらは、人の生き血を8年間も吸って育ってきたんだ。どうりで呪われてるはずさ」
頬にかかる髪をかき上げもせず、零が答えた。
「おなかの中で真珠を育てるなんて、想像するだけでもぞっとするよ」
杏里は反射的に自分の肩を両手で抱きしめた。
そういえば、相馬葵の体内にはまだ真珠が残ったままのはずだ。
できれば手術して取り出すよう、アドバイスしてあげたほうがいいかもしれない。
「で、どうするの? その真珠」
「今、それを考えていた」
零がつぶやいた。
「できればこの世から、排除したいんだ」
「排除?」
「そう。二度とやつらの手に落ちないように」
呪いの真珠を、排除する方法か…。
「あ、それなら、こうしたらどうかな」
昔見た映画のラストシーンを思い出し、杏里は言った。
「火山の噴火口に放り込む。ほら、日本って、活火山、多いでしょ」
半分冗談のつもりだった。
が、零は真に受けたようだ。
「火山か。それ、いいかもな」
「え?」
「活動中の火山といえば、阿蘇山か。よし。明日にでも行くとしよう」
「本気なの?」
「もちろんだ。あ、それから」
零がふいに顔を近づけてきた。
「ありがとう。おまえのおかげで、やっと、仲間の仇、討つことができたよ」
見つめられ、抱き締められ、キスされた。
陶然とした気分に陥りながら、しかし、杏里はふと思うのだった。
本当は、まだ、何も終わっていないんだよね。
あいつが最後に言ったこと。
ー地竜は、眠るとなかなか起きないー
あれって、なんだったんだろう…?
しばらくうっとり抱かれていると、少し体を離して、だしぬけに零が言った。
「それにしても杏里。おまえさ、いつまでチアの格好してるつもりなんだ?」
からかうような口調だった。
「もしかして、私を誘惑してるのか?」
杏里は耳たぶまで赤くなった。
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「だめ」
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