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第2章 百合と髑髏の狂騒曲
#3 杏里、捜索する
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老人は、田畑源蔵と名乗った。
この近くで、娘夫婦と暮らしているという。
元気のいい柴犬に引きずられるようにして歩く源蔵老人についていくと、そこは公園のはずれに位置する公衆トイレだった。
そのあたりだけ鬱蒼と木々が生い茂り、なんとはなしに陰気な感じがした。
「ここじゃ」
源蔵が杖で指し示したのは、女子トイレのほうである。
「大吉があんまり吼えるもんでのう、仕方なく覗いてみたら、あんた…」
大吉とは、犬の名前らしい。
「お利巧なワンちゃんね」
杏里が頭をなでてやると、ちぎれるほど尻尾を振って、うれしそうにわんっと鳴いた。
持ち場を離れる前に、着替えついでに瑞穂署の婦警に簡単に事情を説明してきたから、じきに応援が到着するはずである。
それを待ってもよかったのだが、老人がいつまでも女子トイレの入口を杖で指しているので、仕方なく杏里は中を覗いてみることにした。
一歩中に入るとぶーんと一斉にハエが飛び立ち、杏里は危うく悲鳴を上げそうになった。
ハエたちは、3つある個室の一番奥のドアのすき間から出てきたようだった。
よく見ると、ドアの表面にもおびただしい数の黒い虫がとまっている。
「ひえええ、勘弁してよね」
スカートのポケットからゴム手袋を引っ張り出し、両手にはめる。
慎重にドアを開け、おっかなびっくり隙間から顔をつっこむと、白い便器の中が真っ赤に染まっていた。
「これは…」
杏里は絶句した。
血の海の中に、白っぽいものが沈んでいる。
とても小さいが、手足があるからどうやら人間の胎児のようだ。
まだ臍の緒がついている。
しかし、老人の言った通りだった。
胎児には首から上がなかった。
刃物で切断されたというより、力任せにねじ切られたかのように、断面がぎざぎざになっている。
「かわいそうに…」
どんな事情があろうと、ひどい話だった。
こんなに小さいけど、この子だって立派にひとりの人間なのだ。
いたたまれぬ思いで死体に向かい、合掌しているところに、ぱたぱたと複数の足音が近づいてきた。
「しばらく平和だと思ったら、何なんだ、今度は」
振り向くと、数人の男たちの中に韮崎と高山がいた。
「どうしたんですか? ここ、管轄外ですよ?」
訊くと、
「いやあ、あんまり暇だったんでね、杏里ちゃんの着ぐるみ姿をひと目見ようと…」
そうにやけそうになる高山の厚い胸板を、
「暇ひま言うな」
韮崎が不機嫌そうに肘でひと突きした。
「たぶん、女子高生ですね」
死体を囲んだ瑞穂署の刑事のひとりが言った。
「始末に負えなくて、ここで生み落とし、捨てて行ったんでしょう」
「中学生かもしれんぞ」
口を挟んだのは、年配のほうの刑事である。
「最近のガキはませてるからな」
「男のほうはどんどん草食化して弱っちくなってくのに、女は元気ですからね。喫煙者も、若い層では女性のほうが多いって聞きますし」
ふたりのやり取りを聞きながら、
そういう問題かなあ、
と杏里は思った。
なんでも一般論でひとくくりにしてしまうのは、危険なのではないか。
この赤ん坊だって、成人女性が産み落とした可能性だってあるし、もしかして生みの親は小学生かもしれないのだ。
「とにかく、せっかく来たんだから、俺たちも手伝おう。まず、この赤ん坊の首を探すんだ。どうせそのへんに捨ててあるだろうしな」
「アイアイサー」
「了解です」
韮崎の指揮で首探しを始めた杏里と高山だったが、予想に反して捜査は難航した。
広い公園中探し回っても、ついに赤ん坊の首は見つからずじまいだったのである。
この近くで、娘夫婦と暮らしているという。
元気のいい柴犬に引きずられるようにして歩く源蔵老人についていくと、そこは公園のはずれに位置する公衆トイレだった。
そのあたりだけ鬱蒼と木々が生い茂り、なんとはなしに陰気な感じがした。
「ここじゃ」
源蔵が杖で指し示したのは、女子トイレのほうである。
「大吉があんまり吼えるもんでのう、仕方なく覗いてみたら、あんた…」
大吉とは、犬の名前らしい。
「お利巧なワンちゃんね」
杏里が頭をなでてやると、ちぎれるほど尻尾を振って、うれしそうにわんっと鳴いた。
持ち場を離れる前に、着替えついでに瑞穂署の婦警に簡単に事情を説明してきたから、じきに応援が到着するはずである。
それを待ってもよかったのだが、老人がいつまでも女子トイレの入口を杖で指しているので、仕方なく杏里は中を覗いてみることにした。
一歩中に入るとぶーんと一斉にハエが飛び立ち、杏里は危うく悲鳴を上げそうになった。
ハエたちは、3つある個室の一番奥のドアのすき間から出てきたようだった。
よく見ると、ドアの表面にもおびただしい数の黒い虫がとまっている。
「ひえええ、勘弁してよね」
スカートのポケットからゴム手袋を引っ張り出し、両手にはめる。
慎重にドアを開け、おっかなびっくり隙間から顔をつっこむと、白い便器の中が真っ赤に染まっていた。
「これは…」
杏里は絶句した。
血の海の中に、白っぽいものが沈んでいる。
とても小さいが、手足があるからどうやら人間の胎児のようだ。
まだ臍の緒がついている。
しかし、老人の言った通りだった。
胎児には首から上がなかった。
刃物で切断されたというより、力任せにねじ切られたかのように、断面がぎざぎざになっている。
「かわいそうに…」
どんな事情があろうと、ひどい話だった。
こんなに小さいけど、この子だって立派にひとりの人間なのだ。
いたたまれぬ思いで死体に向かい、合掌しているところに、ぱたぱたと複数の足音が近づいてきた。
「しばらく平和だと思ったら、何なんだ、今度は」
振り向くと、数人の男たちの中に韮崎と高山がいた。
「どうしたんですか? ここ、管轄外ですよ?」
訊くと、
「いやあ、あんまり暇だったんでね、杏里ちゃんの着ぐるみ姿をひと目見ようと…」
そうにやけそうになる高山の厚い胸板を、
「暇ひま言うな」
韮崎が不機嫌そうに肘でひと突きした。
「たぶん、女子高生ですね」
死体を囲んだ瑞穂署の刑事のひとりが言った。
「始末に負えなくて、ここで生み落とし、捨てて行ったんでしょう」
「中学生かもしれんぞ」
口を挟んだのは、年配のほうの刑事である。
「最近のガキはませてるからな」
「男のほうはどんどん草食化して弱っちくなってくのに、女は元気ですからね。喫煙者も、若い層では女性のほうが多いって聞きますし」
ふたりのやり取りを聞きながら、
そういう問題かなあ、
と杏里は思った。
なんでも一般論でひとくくりにしてしまうのは、危険なのではないか。
この赤ん坊だって、成人女性が産み落とした可能性だってあるし、もしかして生みの親は小学生かもしれないのだ。
「とにかく、せっかく来たんだから、俺たちも手伝おう。まず、この赤ん坊の首を探すんだ。どうせそのへんに捨ててあるだろうしな」
「アイアイサー」
「了解です」
韮崎の指揮で首探しを始めた杏里と高山だったが、予想に反して捜査は難航した。
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