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第4章 百合と外道と疾走するウロボロス
#7 杏里、弱音を吐く
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いつのまにか、気を失っていたらしい。
気がつくと、下着姿で零のベッドに寝かされていた。
昨夜目の当たりにした事件現場の惨状の記憶。
徹夜の疲労。
合同捜査会議で受けたショック。
それらが一気に襲いかかってきて、杏里の精神を一時的に麻痺させてしまったのだ。
「目が覚めたか」
相変わらずギーコギーコと砥石で苦無を研ぎながら、零が声をかけてきた。
「スマホが蝉みたいにうるさく鳴ってたけど、仕事はいいのか」
「早引きしちゃった」
掛け布団から鼻から上だけ出して、杏里は弱々しく答えた。
「相当疲れてるみたいだったが」
零が身を起こす。
研ぎ終えた苦無を窓枠に並べると、タオルで手を拭きながら杏里のほうに戻ってきた。
「何か食うか? 杏里が注文してたケーキなら、きのう店員が届けに来たぞ」
そうだった。
杏里は思い出した。
クリスマスイブを零とふたりで過ごそうと思って、近所の洋菓子店にクリスマスケーキを予約しておいたのだった。
なのにあの事件のせいで…。
「ケーキなら、冷蔵庫に入れておいた。どうせ食べるのはおまえだ。持ってきてやろうか?」
「うん」
杏里はうなずいた。
食欲はほとんどない。
でも、せっかくの機会なのだ。
零も生クリームぐらいなら、舐めてくれるに違いない。
箱に入ったケーキを丸ごと持ってきて、零がサイドテーブルに置いた。
「蝋燭立てていいか?」
箱を開くなり、妙なことを訊く。
「いいけど…バースディケーキじゃないんだよ」
杏里は上体を起こし、ベッドの端に腰かけた。
「蝋燭の炎、好きなんだ」
雪のように白いケーキに大粒のイチゴが4つ。
その間に赤い蝋燭を4本立て、零が百円ライターで火をつけた。
「蝋燭の、炎? どうして?」
「なんだか、人の命を見てるような気がしてさ」
「人の、命?」
「そう。儚く脆い、人の命。いつか私の命の火も、こんなふうに消えるのかと思うと、ちょっとばかり、ぞくぞくするんだよ。もっとも、杏里。おまえの命の蝋燭は、特別製なんだろうけれど」
言いながら、零がふうっと息を吐いた。
つむじ風のような吐息に煽られて、3本の蝋燭の火が消えた。
「ほら、これが杏里の命」
ただひとつ、残った炎を指さして、零が言う。
「永遠の生命を持つという、人魚姫の蝋燭だ」
「それは、皮肉?」
少しムッとして、杏里は言った。
「いや、事実だ。この世のすべての生命が息絶えても、不死族は生き残る」
オシラサマのお館様も、そのようなことを言っていた気がする。
でも、杏里にはそこまでの実感はない。
ただ普通の人間より、ほんの少しだけ回復力が高いと思っている程度だ。
不死族。
人魚の肉を食らい、その血を呑んだ者たち…。
そんなものが、かつて本当に存在したのだろうか。
そもそも、人魚って何?
「この星に宿疴がある限り、淀みは生まれ続ける。淀みが実在する以上、外道や邪道は存在する。ということは、その対極の存在である人魚や不死の一族も、間違いなく実在するということさ。たとえおまえがその最後のひとりであろうとも」
「それなら、こうすればいいじゃない」
杏里は手を伸ばし、火のついた蝋燭をつまみあげた。
その炎で、消えた残り3本の芯に再び火をつける。
「私が本当に人魚姫なら、いくらでも零の命に、火を灯してあげられるってこと」
「まあな」
零が美しい顔で苦笑した。
「いつかそんな日がくる気がするよ」
「あのね」
杏里は溜息をついた。
「消えた命の話、してもいいかな」
「事件か」
「うん。とってもひどい事件。これまでで最悪。見て聞いて、死にたくなったくらい」
「いいよ。その前に、食べな。そのケーキ」
零が付録の紙皿にケーキを切り分ける。
自分は包丁についたクリームを、先の割れた舌でぺろりと舐め上げた。
「コーヒー淹れるよ。零はホットミルク?」
「いや、冷やで」
「お酒じゃないんだから」
くすっと笑うと、少しだけ、気分が軽くなった。
準備が整い、熱いコーヒーを一口すすると、杏里は話し始めた。
わずか一日で消えてしまった8つの命の無残極まりない末路に関する、悲しいストーリーを…。
気がつくと、下着姿で零のベッドに寝かされていた。
昨夜目の当たりにした事件現場の惨状の記憶。
徹夜の疲労。
合同捜査会議で受けたショック。
それらが一気に襲いかかってきて、杏里の精神を一時的に麻痺させてしまったのだ。
「目が覚めたか」
相変わらずギーコギーコと砥石で苦無を研ぎながら、零が声をかけてきた。
「スマホが蝉みたいにうるさく鳴ってたけど、仕事はいいのか」
「早引きしちゃった」
掛け布団から鼻から上だけ出して、杏里は弱々しく答えた。
「相当疲れてるみたいだったが」
零が身を起こす。
研ぎ終えた苦無を窓枠に並べると、タオルで手を拭きながら杏里のほうに戻ってきた。
「何か食うか? 杏里が注文してたケーキなら、きのう店員が届けに来たぞ」
そうだった。
杏里は思い出した。
クリスマスイブを零とふたりで過ごそうと思って、近所の洋菓子店にクリスマスケーキを予約しておいたのだった。
なのにあの事件のせいで…。
「ケーキなら、冷蔵庫に入れておいた。どうせ食べるのはおまえだ。持ってきてやろうか?」
「うん」
杏里はうなずいた。
食欲はほとんどない。
でも、せっかくの機会なのだ。
零も生クリームぐらいなら、舐めてくれるに違いない。
箱に入ったケーキを丸ごと持ってきて、零がサイドテーブルに置いた。
「蝋燭立てていいか?」
箱を開くなり、妙なことを訊く。
「いいけど…バースディケーキじゃないんだよ」
杏里は上体を起こし、ベッドの端に腰かけた。
「蝋燭の炎、好きなんだ」
雪のように白いケーキに大粒のイチゴが4つ。
その間に赤い蝋燭を4本立て、零が百円ライターで火をつけた。
「蝋燭の、炎? どうして?」
「なんだか、人の命を見てるような気がしてさ」
「人の、命?」
「そう。儚く脆い、人の命。いつか私の命の火も、こんなふうに消えるのかと思うと、ちょっとばかり、ぞくぞくするんだよ。もっとも、杏里。おまえの命の蝋燭は、特別製なんだろうけれど」
言いながら、零がふうっと息を吐いた。
つむじ風のような吐息に煽られて、3本の蝋燭の火が消えた。
「ほら、これが杏里の命」
ただひとつ、残った炎を指さして、零が言う。
「永遠の生命を持つという、人魚姫の蝋燭だ」
「それは、皮肉?」
少しムッとして、杏里は言った。
「いや、事実だ。この世のすべての生命が息絶えても、不死族は生き残る」
オシラサマのお館様も、そのようなことを言っていた気がする。
でも、杏里にはそこまでの実感はない。
ただ普通の人間より、ほんの少しだけ回復力が高いと思っている程度だ。
不死族。
人魚の肉を食らい、その血を呑んだ者たち…。
そんなものが、かつて本当に存在したのだろうか。
そもそも、人魚って何?
「この星に宿疴がある限り、淀みは生まれ続ける。淀みが実在する以上、外道や邪道は存在する。ということは、その対極の存在である人魚や不死の一族も、間違いなく実在するということさ。たとえおまえがその最後のひとりであろうとも」
「それなら、こうすればいいじゃない」
杏里は手を伸ばし、火のついた蝋燭をつまみあげた。
その炎で、消えた残り3本の芯に再び火をつける。
「私が本当に人魚姫なら、いくらでも零の命に、火を灯してあげられるってこと」
「まあな」
零が美しい顔で苦笑した。
「いつかそんな日がくる気がするよ」
「あのね」
杏里は溜息をついた。
「消えた命の話、してもいいかな」
「事件か」
「うん。とってもひどい事件。これまでで最悪。見て聞いて、死にたくなったくらい」
「いいよ。その前に、食べな。そのケーキ」
零が付録の紙皿にケーキを切り分ける。
自分は包丁についたクリームを、先の割れた舌でぺろりと舐め上げた。
「コーヒー淹れるよ。零はホットミルク?」
「いや、冷やで」
「お酒じゃないんだから」
くすっと笑うと、少しだけ、気分が軽くなった。
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