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第2部 背徳のパトス
#1 杏里と猫の首
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海へ向かう道を、杏里は歩いていた。
この町へ越してきてまだ一週間。
転校早々学校が始まったから、ろくに町の様子も見ていない。
最初の日曜日は、町を見て回ろう。
そう、前々から心に決めていたのである。
朝は曇っていたのだが、杏里が外出する頃には幸い雲の多い空に晴れ間がのぞき始めている。
6月も半ばを過ぎ、梅雨が近づいていた。
空気の湿り具合から、それとわかる。
人家が切れるところまで来ると、海が見えてきた。
さっき窓から眺めたときには、灰色だったのだが、空が晴れるにしたがって、少しずつ本来の青い色を取り戻しかけているようだ。
思いのほか強い海風がスカートの裾を乱して過ぎた。
杏里はあわてて前を押さえた。
股下10センチもない超ミニのスカートは、明らかに短すぎる。
これでは腰をかがめるだけで確実に中が見えてしまう。
だが、これもいわゆる"タナトス仕様"なのである。
「杏里、おまえは獲物を引きつける餌だ。餌が目立たないでいて、どうする?」
そう、小田切はいったのだ。
最初出会ったときの小田切は、親切だった。
ところが、杏里が"実地試験"とやらに合格し、一緒に住む段になると、クールで非情な一面が目立ってきた。
「いいか、獲物がかかったら、抵抗するな。相手の"死へ向かう衝動"がエロスに昇華されるまで耐えるんだ。おまえにはそれができる。そのことは、もう身に染みてわかっているはずだろう?」
もちろん、杏里にはわかっていた。
どんな悲惨な目に遭っても、この体は耐え切るに違いない。
でも、と思う。
心が耐えられるかどうか、正直、自信がない。
味方と信じていた者に裏切られた心の傷は、まだ完全には癒えていなかった。
もう、二度とあんな思いはしたくない。
そう、痛切に思う。
体の傷は、どんなに酷くてもいつかは治る。
でも、心は・・・。
そんなことを考えながら、堤防に沿って歩いていたときだった。
杏里はふと、人の気配を感じて、その場に立ち止まった。
左手がコンクリートの堤防、
右手が浜辺である。
その浜辺は正面でいったん途切れ、こんもりとした林に飲み込まれている。
その木々の間から、誰かがのぞいていた気がしたのだ。
近づくと、人の背丈ほどもある低木の茂みの間に、大人がやっと通れるくらいの道があった。
なぜ中に入る気になったのか、自分でもよくわからなかった。
気がつくと、その細い道を草をかき分けて歩いていた。
少し歩くと、道はお城の土台のような石垣に阻まれ、すぐに行き止まりになった。
見上げると、石垣の上に、立派な建物が建っていた。
病院?
煉瓦色の壁に、看板がかかっている。
篠崎医院。
石の門柱に、そう書いてあった。
杏里の立っている左手に石の階段があり、その建物へと登れるようになっている。
目を凝らしてみると、てっぺんに誰かがうずくまっていた。
長い髪を前に垂らした、小柄な少年だ。
が。
杏里と目が合うなり、いきなり身を翻し、逃げるように姿を消してしまった。
あの病院の子?
どこかで見たことのある顔だった。
同じ岬が丘中学の生徒かもしれなかった。
元来たほうに戻ろうと踵を返しかけた杏里は、右手の草むらに何気なく目をやって、小さく悲鳴を上げた。
奥は少し開けた空間になっていて、その真ん中あたりに古びた木のベンチが置いてある。
そのベンチの上に、異様なものが並んでいた。
「ひどい…」
口の手を当て、杏里は呻いた。
切断された猫の首、である。
全部で8個。
黒猫、三毛猫、種類はさまざまだが、すべてに共通しているのは、どれも目を潰されていることだった。
ベンチには、茶褐色の染みが刷毛で塗りたくったようにべったりとついている。
血は半ば乾いているようだ。
一番左端の首はほとんどミイラ化していた。
首は、右に行くにつれ、新しくなっているように見える。
ーこの周辺に、強烈な"死への衝動"を抱えた者がいる。
小田切の言葉が耳の奥に蘇る。
もしかして・・・。
杏里は石垣に刻まれた階段に目をやった。
これ、あの子が・・・?
堤防の上に戻ると、バス停があった。
杏里は町の中心部に出てみることにした。
今さっき見た無惨な猫の首が、脳裏にちらついてはなれない。
洒落たお店で何かおいしいものでも食べて、気分転換でもしようと思ったのだ。
バスはなかなか来なかった。
空はすっかり晴れ上がり、中天に夏の太陽が昇っていた。
暑くてたまらなくない。
こんなことなら、帽子かぶってくるんだったよ・・・。
ノースリーブのタンクトップから伸びた二の腕が赤く焼け始めたのを見て、ため息をついたとき、
「やあ」
後ろからだしぬけに肩を叩かれて、杏里は文字通り飛び上がった。
振り返ると、いつの間にかすぐそこに少年が立っていた。
一瞬、さっき目撃した猫殺しの犯人かと思った。
だが、よく見ると違っていた。
知った顔である。
「ヒュプノス・・・」
「栗栖重人だよ」
少年がいった。
ボブカットに黒縁眼鏡。
小柄な杏里より、更に5センチほど背が低い。
前の中学校の同級生だった。
「何してるの?」
にこにこ笑いながら、重人が訊いて来た。
「見ればわかるでしょ。バス待ってるの。それよりキミ、なんでこんなところにいるわけ?」
「知らなかったの?」
重人が心外だという表情で杏里を見る。
「ボクも岬が丘中に転校したんだよ。だってタナトスとヒュプノスはセットなんだぜ」
「ひょっとして、水谷先生のとこに?」
重人がうなずく。
ここ一週間、杏里自身、やたらバタバタしていて、まるで気づかなかった。
そういえば、そのようなことを小田切がいってた気がする。
「でも杏里、勇気あるね」
重人がふいに、全然関係ないことを口にした。
「え?」
「バスに乗るんでしょ?」
「う、うん」
「杏里、最近、鏡見てない?」
「何それ? どういうこと?」
「タナトスは、"昇華"を終える度に相手の"死への衝動"=タナトスを吸収して、成熟していく。"生への衝動"、すなわちエロスをどんどん身にまとうようになる」
「何がいいたいの?」
杏里は眉をひそめた。
「中学二年生にしておくにはもったいないくらい、今の君はとってもエロいってことさ」
重人が笑った。
そのとき、砂煙を上げてバスがやってきた。
この町へ越してきてまだ一週間。
転校早々学校が始まったから、ろくに町の様子も見ていない。
最初の日曜日は、町を見て回ろう。
そう、前々から心に決めていたのである。
朝は曇っていたのだが、杏里が外出する頃には幸い雲の多い空に晴れ間がのぞき始めている。
6月も半ばを過ぎ、梅雨が近づいていた。
空気の湿り具合から、それとわかる。
人家が切れるところまで来ると、海が見えてきた。
さっき窓から眺めたときには、灰色だったのだが、空が晴れるにしたがって、少しずつ本来の青い色を取り戻しかけているようだ。
思いのほか強い海風がスカートの裾を乱して過ぎた。
杏里はあわてて前を押さえた。
股下10センチもない超ミニのスカートは、明らかに短すぎる。
これでは腰をかがめるだけで確実に中が見えてしまう。
だが、これもいわゆる"タナトス仕様"なのである。
「杏里、おまえは獲物を引きつける餌だ。餌が目立たないでいて、どうする?」
そう、小田切はいったのだ。
最初出会ったときの小田切は、親切だった。
ところが、杏里が"実地試験"とやらに合格し、一緒に住む段になると、クールで非情な一面が目立ってきた。
「いいか、獲物がかかったら、抵抗するな。相手の"死へ向かう衝動"がエロスに昇華されるまで耐えるんだ。おまえにはそれができる。そのことは、もう身に染みてわかっているはずだろう?」
もちろん、杏里にはわかっていた。
どんな悲惨な目に遭っても、この体は耐え切るに違いない。
でも、と思う。
心が耐えられるかどうか、正直、自信がない。
味方と信じていた者に裏切られた心の傷は、まだ完全には癒えていなかった。
もう、二度とあんな思いはしたくない。
そう、痛切に思う。
体の傷は、どんなに酷くてもいつかは治る。
でも、心は・・・。
そんなことを考えながら、堤防に沿って歩いていたときだった。
杏里はふと、人の気配を感じて、その場に立ち止まった。
左手がコンクリートの堤防、
右手が浜辺である。
その浜辺は正面でいったん途切れ、こんもりとした林に飲み込まれている。
その木々の間から、誰かがのぞいていた気がしたのだ。
近づくと、人の背丈ほどもある低木の茂みの間に、大人がやっと通れるくらいの道があった。
なぜ中に入る気になったのか、自分でもよくわからなかった。
気がつくと、その細い道を草をかき分けて歩いていた。
少し歩くと、道はお城の土台のような石垣に阻まれ、すぐに行き止まりになった。
見上げると、石垣の上に、立派な建物が建っていた。
病院?
煉瓦色の壁に、看板がかかっている。
篠崎医院。
石の門柱に、そう書いてあった。
杏里の立っている左手に石の階段があり、その建物へと登れるようになっている。
目を凝らしてみると、てっぺんに誰かがうずくまっていた。
長い髪を前に垂らした、小柄な少年だ。
が。
杏里と目が合うなり、いきなり身を翻し、逃げるように姿を消してしまった。
あの病院の子?
どこかで見たことのある顔だった。
同じ岬が丘中学の生徒かもしれなかった。
元来たほうに戻ろうと踵を返しかけた杏里は、右手の草むらに何気なく目をやって、小さく悲鳴を上げた。
奥は少し開けた空間になっていて、その真ん中あたりに古びた木のベンチが置いてある。
そのベンチの上に、異様なものが並んでいた。
「ひどい…」
口の手を当て、杏里は呻いた。
切断された猫の首、である。
全部で8個。
黒猫、三毛猫、種類はさまざまだが、すべてに共通しているのは、どれも目を潰されていることだった。
ベンチには、茶褐色の染みが刷毛で塗りたくったようにべったりとついている。
血は半ば乾いているようだ。
一番左端の首はほとんどミイラ化していた。
首は、右に行くにつれ、新しくなっているように見える。
ーこの周辺に、強烈な"死への衝動"を抱えた者がいる。
小田切の言葉が耳の奥に蘇る。
もしかして・・・。
杏里は石垣に刻まれた階段に目をやった。
これ、あの子が・・・?
堤防の上に戻ると、バス停があった。
杏里は町の中心部に出てみることにした。
今さっき見た無惨な猫の首が、脳裏にちらついてはなれない。
洒落たお店で何かおいしいものでも食べて、気分転換でもしようと思ったのだ。
バスはなかなか来なかった。
空はすっかり晴れ上がり、中天に夏の太陽が昇っていた。
暑くてたまらなくない。
こんなことなら、帽子かぶってくるんだったよ・・・。
ノースリーブのタンクトップから伸びた二の腕が赤く焼け始めたのを見て、ため息をついたとき、
「やあ」
後ろからだしぬけに肩を叩かれて、杏里は文字通り飛び上がった。
振り返ると、いつの間にかすぐそこに少年が立っていた。
一瞬、さっき目撃した猫殺しの犯人かと思った。
だが、よく見ると違っていた。
知った顔である。
「ヒュプノス・・・」
「栗栖重人だよ」
少年がいった。
ボブカットに黒縁眼鏡。
小柄な杏里より、更に5センチほど背が低い。
前の中学校の同級生だった。
「何してるの?」
にこにこ笑いながら、重人が訊いて来た。
「見ればわかるでしょ。バス待ってるの。それよりキミ、なんでこんなところにいるわけ?」
「知らなかったの?」
重人が心外だという表情で杏里を見る。
「ボクも岬が丘中に転校したんだよ。だってタナトスとヒュプノスはセットなんだぜ」
「ひょっとして、水谷先生のとこに?」
重人がうなずく。
ここ一週間、杏里自身、やたらバタバタしていて、まるで気づかなかった。
そういえば、そのようなことを小田切がいってた気がする。
「でも杏里、勇気あるね」
重人がふいに、全然関係ないことを口にした。
「え?」
「バスに乗るんでしょ?」
「う、うん」
「杏里、最近、鏡見てない?」
「何それ? どういうこと?」
「タナトスは、"昇華"を終える度に相手の"死への衝動"=タナトスを吸収して、成熟していく。"生への衝動"、すなわちエロスをどんどん身にまとうようになる」
「何がいいたいの?」
杏里は眉をひそめた。
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