激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【覚醒編】

戸影絵麻

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第3部 凶愛のエロス

♯3 暴発

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 由羅は明らかに劣勢だった。
 ほとんどサンドバッグと化していた。
 外来種の動きは、それほど速かった。
 パンチとキックを矢継ぎ早に繰り出すその攻撃は、プロの格闘家でも一分ともたないだろうと思われるほど、熾烈極まりないものだった。
 由羅の貌は血にまみれ、元の倍に膨れ上がっていた。
 まぶたが腫れあがり、両目とも半ば塞がりかけているのが遠目にもわかる。
 革のベストとミニスカートは引きちぎられ、身につけているものは下着とブーツだけ、といった哀れな有様だ。
「すごいな、あの動き」
 杏里の隣で小田切が感心したようにいった。
「外来種の身体能力の高さは予想以上だな。話には聞いていたが、まさかこれほどとは」
「彼らには、脳がふたつあるの。腰のところに第二の脳があって、運動神経は主にそこで司っている。だから、人の倍以上、速く動けるのよ」
「は、まるで恐竜じゃないか」
「そうね」
 殴られ続ける由羅を眼で追いながら、冬美がつぶやく。
「案外、そのあたりに彼らの進化の秘密があるのかも」
  この人たち、何なの?
 傍らでふたりの会話を聞きながら、杏里ははらわたが煮えくり返る思いを抑え切れなかった。
「ふたりとも、何感心してるの? 由羅が危ないんだよ! どうしてそんなのんびりおしゃべりしてられるの?」
 小田切の腕をつかんで、怒鳴った。
「そうはいっても、これは試験だしな」
 小田切の反応は鈍かった。
 杏里はもう半狂乱だった。
 手すりから身を乗り出し、殴られ、蹴られる由羅を必死で応援する。
「由羅、がんばって! 後ろから来るよ! 気をつけて! 」
 今まで由羅にさんざんいじめられたことも、もう念頭になかった。
 あの素敵だったキスの味だけを、思い出していた。
 回し蹴りを後頭部にモロに喰らい、由羅が真下にすっ飛んできた。
 うつぶせになり、ぴくりとも動かない。
 細い背中と小ぶりな丸い尻が、思わず抱き締めたくなるほど痛々しい。
「由羅! がんばって! 立って!」
 杏里は鋼鉄の手すりを両の拳でたたき、声を限りに叫んだ。
「危ないよ! 来るよ!」
 外来種の若者が、にやにや笑いを顔にはりつけたまま、よろよろと由羅のほうに近づいてくる。
 Tシャツは血で真っ赤に染まっているが、そのほとんどが由羅からの返り血だ。
「由羅! 立って! 由羅! 聞こえる? 立つの! 立って、逃げるの!」
 杏里は地団駄踏んで、大声で叫び続けた。
 涙で視界がぼやけた。
 胸が張り裂けそうに痛む。
 哀しかった。
 悔しかった。
 できるなら、自分が代わりになってあげたい、と心の底から思った。
 私なら、どんなダメージにも耐えられる。
 だから、由羅、お願い、逃げて!
 由羅の指がぴくりと動いたのは、外来種があと数メートルの距離に迫ったときのことだった。
「由羅!」
 杏里は地獄まで届けとばかりにまた叫んだ。
 と、由羅の声が聞こえた。
「るせえな」
 上体を起こし、杏里のほうを振り仰ぐと、パンパンに膨れ上がった顔で、いった。
「おまえも知ってるだろ? うちはドMなんだよ。これくらいやられて、ちょうどいいんだよ」
 切れた唇で、にやりと笑ってみせた。
「由羅・・・」
 杏里は茫然とつぶやいた。
 行かないで。
 逃げて。
 そう、強く祈った。

 由羅が、よろよろと立ち上がった。
 スポーツブラの肩紐がちぎれて、肩から垂れ下がっている。
 それを引きちぎると、小ぶりな乳房をガードするように拳を構え、ファイティングポーズを取った。
 へらへら笑いながら外来種が近づいてくる。
 完全に由羅を見下しているようだ。
 いや、由羅をというより、人類という種自体を馬鹿にし切っているのかも知れなかった。
 外来種が両腕を大きく頭上に振り上げた。
「由羅あ!」
 杏里は絶叫した。
 由羅がその声に呼応するかのように、ふっと身を沈めた。
 スローモーションのように、大きく右腕を後ろに引いた。
 外来種の手刀が、由羅のうなじを狙って振り下ろされる。
 その瞬間、 
 由羅が動いた。
 五本の指をそろえた右手を、目にもとまらぬ速さで繰り出した。
「ぐわっ」
 うめき声とともに、外来種の動きが止まった。
 由羅の右手が、その左胸にめり込んでいる。
 皮膚を突き破っていた。
 手首から先が、完全に相手の体の中に消えてしまっていた。
 べりっ、という嫌な音がした。
 由羅の右手が現れた。
 何か真っ赤な肉の塊のようなものをつかんでいる。
 心臓だった。
 由羅が外来種の胸郭を突き破り、生きたまま心臓をつかみ出したのだ。
 導線のようにつながった血管の束を、ブチブチブチッと音を立てて引きちぎる。
 驚愕で見開かれた外来種の顔の高さに心臓を掲げ、
「死ねよ」
 吐き捨てるようにいって、右手でそれを握り潰す。
 ぶしゅっという音とともに、噴水のように血しぶきが吹き上がる。
 外来種の体が揺れた。
 どすんと鈍い音を立てて、床に沈みこむ。
 その頭を、由羅が踏んだ。
 右足を振り上げ、ブーツの厚い踵で、思いっきり踏みつけた。
 頭蓋が割れ、灰色の脳漿がどろりとあふれ出す。
「由羅、やめなさい。あなたはよく戦ったわ」
 冬美が目の前のマイクに向かって叫んだ。
 が、由羅はやめなかった。
 敵の頭蓋が粉々に砕け、脳がどろどろの肉塊に成り果てても、足で踏み続けた。

 由羅は泣いていた。
 全身血にまみれ、右手に潰れた心臓を握り締めて、子供のように泣いているのだった。

 杏里はそんな由羅を、たまらなくいとしいと思った。
 甘美な官能が、体の奥からマグマのように噴きあがって来るのがわかる。

 このとき杏里は、いつにもまして、激しく欲情していたのだった。



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